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20170813/『渋谷音楽図鑑』書評~セント・ピーターズ教会を渋谷に。

日本ロックの歴史本は、必ず買う。しかし、いろいろと読むべき本が溜まっていたので、昨夜ようやく読了。

日本ロック史の裏方としての顔役である牧村憲一氏の音楽人生と、渋谷の街の歴史(よく調べられている)を交錯させた本。後半に、藤井丈司氏、柴那典氏を招いた楽曲分析(はっぴいえんど『夏なんです』のサビ途中の転調は気づかなかった)。

しかし、この本の本領は、終章である「第七章:二一世紀」にあると思った。

藤井丈司「スタジオじゃなくて家でレコーディングするのが当たり前になってきた。そうすると人と会わないんですよ。だから先輩ミュージシャンや横の繋がりがなくなってくる」

牧村憲一「僕はやはり、次の時代を担う文化を作るために一番重要なのは、人が集まることだと思います。(中略)どんな大きなムーブメントも最初は小さな集まりから始まっている。意識のある数人が集うことが大きい」

最近は「東京スポーツ」紙で「オジサンに贈るヒット曲講座」(毎週水曜)という連載を持っているので、半ば仕事で、最近のヒット曲を聴く。いいメロディにいい歌詞――額面上は「いい曲」なのに、なぜかしっくり来ないと思う曲が多い。

その理由が少し分かった気がする――その曲は、1人で作られているからではないか。もしくは、多くで作られていても、1人・1人の分業で、バケツリレー式に作られているからではないか。その結果、楽曲の「スケール感」が貧弱になっているからではないか。

ここ数年、昔の楽曲が妙によく聴こえる。それは、「あぁ、昔は良かった」というノスタルジーかと思っていた。でも、どうも違う、もっと本質的な要因がある気がしてきた。それは、「人と人が才能を能力をぶつけ合って作ることによって生まれるスケール感」ではないだろうか。

そして、例えば星野源の作品が、高値安定のクオリティを保持し続けるのは、優秀な演奏家と、健康的なコラボレーションをしながら、音を積み上げることでしか生まれない「スケール感」を含有しているからだと思う。

ワタシ的な結論として、日本の音楽文化の「スケール感」の復権に向けて、整えなければいけない環境は、以下の3つだと思う。

(1)ソングライター同士が出会い、楽曲を協創する場
(2)プレイヤー同士が出会い、演奏を協創する場
(3)リスナー同士が出会い、批評を協創する場

特に(1)が重要という気がする。これは言い換えれば、1957年7月6日、ジョン・レノン少年とポール・マッカートニー少年が出会った、ウールトンのセント・ピーターズ教会のような場所を、渋谷で、東京で、日本全国で、いかに人為的意識的に再構築するかということに他ならない。

「あぁ、昔は良かった」というノスタルジーを否定することも簡単、音楽家がタコ壺化していく流れを肯定することも簡単。でもそれは、長い目で見て、それこそ渋谷で生まれ育った、長い長い音楽の歴史を枯れさせることにつながるのではないかと、この本は指摘しているのではないかと読んだ。



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20170806/ 新刊が売れているうちに言っておきたいワタシの評論スタンス(2)

ありがたいことに、まだまだ売れています。また「魚拓」です。多少調子に乗ってしまいます。

最初に告知です。マキタスポーツさんと、下北沢B&Bでイベントをやらせていただきます。満席必至と思われます。ぜひお早めにご予約下さい。

さて、前回の続きです。まずそもそも「評論とは何か」という原則論の確認です。

ワタシが思うのは、「評論とは、最終的には、その対象(ex.サザンオールスターズ)の魅力の拡散である」ということです。もう少しストレートに言えば、「評論とは愛」。

上の文章で「最終的」という、もって回ったフレーズを入れるのは、一次的には、批判する局面も多くあるからです。でもそれは、魅力の拡散のための批判だと思うのですよ。

具体的に言えば、アルバム『人気者で行こう』の素晴らしさを伝えるための相対性として、『ステレオ太陽族』を辛い点を付けるような。つまり「評論とは愛」。

そうして、その「魅力の拡散」に向けた筆致として、「理屈はどうあれ、俺はこの曲好きなんじゃー!」ではなく、つとめて実証的に書いていく。何故なら、そっちの方が評論として説得力があるからです。

前回書いたのは、その実証性の構成要素として、一次情報・二次情報もあるだろうが、まずは対象=音楽そのものと格闘することが必要という話です。

で、話を戻すと、そういう理由で、対象=音楽そのものと格闘しながら、実証的に文章を書いていくのですが、そこで立ちはだかるのが「それで幅広い層に伝わるのか?」という問題です。

渋谷陽一チルドレンとして、渋谷陽一による、いちばん大好きな言葉――「我々がコミュニケートしなければならないのは、きっとどこかに居るであろう自分のことをわかってくれる素敵な貴方ではなく、目の前に居るひとつも話が通じない最悪のその人なのである」

そうなると、実証性は大前提として、ただそれを、その対象のファンだけではない、幅広い層に伝わる筆致で書かなければならない。なぜなら目標は「その対象の魅力の拡散」なのだから。

ここで出てくるのが、文章上、実証性にトッピングする、ある種のロマンティシズムなのです。文学的レトリックと言い換えてもいい。ちょっと分かりにくいので、その渋谷陽一による、最高峰のレトリック実例を見てみましょう。

これこれ。

「開かれていく」っていうのが、正直、何の実証性もなく、よくは分からない。が、この言葉によって、このアルバム(レッド・ツェッペリン『プレゼンス』)の魅力は、確実に・強烈に拡散されるのです。

言いたいことは、評論という、一見、ロマンティシズムや文学から遠いジャンルにもかかわらず、否、だからこそ、ロマンティシズムや文学性が必要なんじゃないかということなのです。



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20170730/ 新刊が売れているうちに言っておきたいワタシの評論スタンス。

おかげさまで、新刊『サザンオールスターズ1978-1985』は、快調に売れています。記念のため「魚拓」を取っておきました。

一時はAmazonの総合ランキングで、100位くらいまで上がりました。これを書いている時点でも228位。星野源『働く男』(文春文庫)を超えて、「日本でいちばん売れているJ-POP本」ということになります。

こういう状況を目の前にして思うのは、変な話、20代でライターとしてブレイクしなくて良かったなぁということです。もしあの頃に、当時の念願が叶って、(就職などせず)「音楽ライター」として、名が売れたらどうなっていたか。

おそらく、当時人気の『PATIPATI』『GB』とかから発注を受けて、ユニコーンやらジュン・スカイ・ウォーカーズやらのツアーに何十日も同行して、メンバーにへばり付いて、インタビューして、テープ起こしして、そして疲弊していったのでしょう。

それで、そういう、時間と労力が奪われるワークスタイルを続けている間に、非常に高い確率で、映画もお笑いも野球も知らない、音楽業界の中の蛙になったと思うのです。

これまで、あくまでも1リスナーとして音楽に接し続けてきたからこそ、書けたことが、たくさんあった気がします。映画やお笑い、野球とのクロスカルチャーな視点の文章もそうですし、そして、音楽業界に知り合いが(ほとんど)いないので、筆が鈍らないのです。

たまに指摘を受けるのですが、これまでの著書と同じく、今回の本には、サザンや関係者のインタビューが入っていません。そのあたりは、関連書籍や映像などの二次資料に頼っています。

当然、そのアプローチは、ノンフィクションとしては、十分なものではないでしょう(後述しますが、私は「ノンフィクション」を書いているつもりはありません)。

でも逆に、「じゃあ、インタビューさえすれば何でもいいのか?」という対論も出てきます。これまで、山のように出版され、私も山のように買い重ねた、音楽家へのインタビュー本は、なぜあんなにツマラないんだ、と。

いくつか理由があるでしょう。インタビューによってライターと音楽家が知己になって、どうしても筆が鈍ることがまずあります。そして、もっと大きい理由は、インタビューを受ける人(インタビュイー)は、喋っていくうちに、過去の歴史を改ざんして美化してしまうことです。

優れたインタビュアーなら、そんなことは起こり得ないのですが、多くの「音楽ライター」による、そんな筆の鈍い歴史改ざん本に、いかほどの価値があろうかと思うのです。

美しい装丁のハードカバー、表紙をめくれば、その音楽家のナルシスティックな写真。その音楽家が聞かれたいことしか聞かない予定調和のインタビュー。そして、結構な価格――。

だとしたら、アプローチを変えて、二次資料に頼りつつも、インタビューに代わるほど、音を徹底的に聴きこんで、音という具体から、連想・妄想を広げ、音に対する優劣をしっかり付ける――というアプローチにも、可能性があるんじゃないかと思っているわけです。

これは、ノンフィクションじゃなくって、音楽評論なのですから。

「対象をディスるときこそ、文章に芸が必要」「評論だからこそ、実証的な文章の中にロマンティシズムを組み入れるべき」という話も書きたかったのですが、字数が尽きました。

とりあえず、自著が売れているうちに言いたいことは、これからも単なる1リスナーとして、音楽に接し続けていこうということです。この決意は、一生動かないでしょう。

(参考)
20151017/新刊『1979年の歌謡曲』に込めた思い~音楽評論には「実証」と「妄想」が必要だ。



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20170716/「ひよっこ」の宗男も桑田佳祐も新庄剛志もパ・リーグも、ビートルズだ。

今月に入って、2度ほど泣いている。50男が泣くとは、なんだかバカみたいな話だが、この2つのネタで泣ける人がいたら、その思いを分かち合いたいとも思い、恥をしのんで、お知らせする。

1つは朝ドラ『ひよっこ』の「第13週~ビートルズがやって来る」の7/1(土)放送分。お時間ある方は、この5分間の映像をご覧ください。7/1(土)放送分は、この映像の3分45秒(頭出し済)のあたりから。

この映像の中には無いが、峯田和伸演じる宗男(極度のビートルズ好きで、ビートルズ来日の報せに、チケットもないのに茨城から出てきた、有村架純演じるみね子の叔父)が、下宿の若者に、ビートルズの素晴らしさを説く。

「思ってたことをよ、かっこつけずに思い切り叫ぶと、なんだか疲れがとれるっぺ、それに笑えるっぺ。それがビートルズだ。だから好きなんだおれは。なんでもいいんだ、難しいことじゃなくていいの。腹立つことでも仕事休みたいでも あの子が好きだでも今、思っていることを叫ぶんだ」

で、涙がこらえられなくなるのは、この映像の4分10秒あたり(頭出し済)。宗男の「東京で待ってっぞ! ビートルズ!」の叫びとともに、桑田佳祐の主題歌が始まる一瞬。

1966年の東京でビートルズに憧れた劇中の宗男と、それから現在に至るまでに、日本のロックンロールを完成させ、まさに「日本のビートルズ」になった桑田佳祐が交差するという、メタ・モーメント。

ここで、確か1980年頃の雑誌『音楽専科』のインタビューで桑田佳祐が語っていたエピソードを思い出すのだ。それは「来日したビートルズを訪問した加山雄三が『日本にもビートルズがいますよ』と言って、井上順が歌う『ミッシェル』を聴かせた」というニュースを聞いた桑田少年が「何て恥ずかしいことをしてくれたんだ!」と怒ったいうエピソード。

そのエピソードと、先のメタ・モーメントをつなぐのは、「ならば、俺が正真正銘の『日本のビートルズ』になってやる」という気概である。そして、その想いは、ほぼほぼ実現して、現在、国民的ドラマの主題歌として、桑田佳祐の歌が聴こえてくる。

こんなドラマティックなストーリーはなかなか無い。宗男から渡されたバトンを持って、桑田少年が走り出し、《いとしのエリー》《働けロック・バンド》《旅姿六人衆》などのビートルズ後継ソングを生み出し続け、そして「日本のビートルズ」というゴールへ。

あ、そのあたりのプロセスは、こちらの本で(ありがたいことにいい初速です)。

あ、でも桑田少年にディスられた、井上順含むザ・スパイダースも、素晴らしい「日本のビートルズ」なのです。この映像をご覧ください。特に3分30秒あたりから(頭出し済)のビートルズ(というかオーティス・レディング版)のカバー《デイ・トリッパー》にも注目。

そして、次に泣いたのは、昨夜のオールスター戦の直後に行われた、選手&ファンによる「We Are パ・リーグ!」の大合唱。

今や歴史的なペースで負け数を重ねるマリーンズの応援スタイルを全員で真似てくれるのは、選手&ファンから、マリーンズへのエールのように聴こえる。

そして何より、13年前、「球界再編問題」の真っ只中=パ・リーグが無くなるかもしれないという気分で迎えた、2004年の球宴における、新庄剛志の「これからはパ・リーグです」というヒーローインタヒュー(頭出し済)に奮えた身として、万感の思いが去来するのだ。

「We Are We Are We Are パ・リーグ!パ・リーグ!パ・リーグ!」――選手もファンも、みんな全員、パ・リーグだ!

13年前、ワタシも微力ながら加わった再編反対運動に参加したみんなに教えてあげたい――「13年後、こんなに盛り上がってるよ!」

再度宗男さんの言葉――「思ってたことをよ、かっこつけずに思い切り叫ぶと、なんだか疲れがとれるっぺ、それに笑えるっぺ。それがビートルズだ」。

だから宗男さんも、桑田佳祐も、新庄剛志も、そしてパ・リーグも――みんな全員、ビートルズだ!

追記:7/26(木)は、下北沢B&Bにて、佐藤剛さんのこのイベントに、ゲストとして参上します。尊敬する佐藤さんに聞きたいことをたくさん聞きたいと思います。ぜひお越しください(ご予約は画像をクリック)。



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20170708/『サザンオールスターズ1978-1985』いよいよ発売&7月の芸能活動について。

さてNHK『ひよっこ』の宗男さん対応の余韻も冷めやらない昨今ですが、いよいよ一週間後=7月14日に、スージー鈴木の新刊『サザンオールスターズ1978-1985』が発売になります。

さっき本が届きました。

裏面はこんな感じ。

それよりも中に挟まれていた、新潮新書のチラシにシビれました。

チラシの裏面は、この方ですが……。

というわけで、発売後のPRも兼ねて、「人前」での芸能活動をやります。手売りもします。サインもしますので、奇特な方はぜひお越しくださいませ。

まずは、来週木曜日、経堂さばのゆで、「初期サザンのシングル盤をポータブルプレイヤーで聴く会」という、倒錯したイベントをやります。

ワタシというより、「松尾貴史の朗読Bar」もありますので、尊敬すべき有名人・奇人・変人も多数来られます。ぜひお越し下さい。予約として、ワタシにメールにて一報いただけると幸いです→suziegroove@nifty.com

続いて、7/26(木)は、下北沢B&Bにて、佐藤剛さんのこのイベントに、ゲストとして参上します。尊敬する佐藤さんに聞きたいことをたくさん聞きたいと思います。ぜひお越しください(ご予約は画像をクリック)。

7月の芸能活動の最後は、28日金曜日。懇意にしていただいている阿佐ヶ谷「ろまんしゃ」さんで、あのアーカイヴァー・鈴木啓之さんと、ナイアガラ系のイベントをやります。ワタシは、「ロックン・ナイアガラ」ベストテンをご紹介する予定です(ご予約は画像をクリック)。

加えて、ラジオ出演とか、8月には、あっと驚く方とのイベントも準備中です。ご期待下さい! 売れるといいなぁ。百田尚樹くらいとは言いませんが、十田尚樹、いや五田尚樹くらいでも……



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20170702/新刊『サザンオールスターズ1978-1985』をチラ見せ。

さて、いよいよ7月14日に迫りました、ワタシの新刊『サザンオールスターズ1978-1985』。すでにアマゾンなどで、絶賛予約受付中です。

発売の前日=7月13日(木)には、お世話になっている経堂さばのゆさんでイベントをやらせていただきます。世界一早く『サザンオールスターズ1978-1985』を手売りします。何と「松尾貴史の朗読Bar」との共同開催です。というわけで、予約をしていただいた方が安全です。鈴木までメール(やツイッター)でご一報を→suziegroove@nifty.com

表紙はこんな感じ。

帯はこんな感じ。

目次はこんな感じ。

第1章 1978年――サザンオールスターズ、世に出る。
《勝手にシンドバッド》革命/桑田ボーカルの源流/「桑田語」/ラジカルかつポップな音/「目立ちたがり屋の芸人」/混乱の気分しだいに
第2章 1979年――サザンオールスターズ、世にはばかる。
パンクとしてのサザン/いとしの《いとしのエリー》/エリーとは誰か?/歌詞の無い歌詞カード事件/声が出ていないボーカル/「第1期黄金時代」
第3章 1980年――サザンオールスターズ、迷う。
ファイブ・ロック・ショー/「裏ファイブ・ロック・ショー」/永井博のジャケット/失われた「ロック初期衝動」/時代とのズレ/【比較分析1】サザンオールスターズとはっぴいえんど
第4章 1981年――サザンオールスターズ、突き詰める。
音楽主義/『はらゆうこが語るひととき』/桑田とタモリ/メジャーセブンスとディミニッシュ/7人目のサザン1――八木正生と新田一郎/映画『モーニング・ムーンは粗雑に』
第5章 1982年――サザンオールスターズ、開き直る。
「第2期黄金時代」/チャコのマーケティング物語/「音楽主義」の遺跡/我が青春の『NUDE MAN』/ソングライター桑田佳祐/実録・82年紅白歌合戦
第6章 1983年――サザンオールスターズ、一皮むける。
別格的な存在へ/実録『ふぞろいの林檎たち』最終回/ジョイントコンサート/桑田のコミカル路線/【比較分析2】サザンオールスターズとキャロル
第7章 1984年――サザンオールスターズ、極まる。
初期のピーク/【比較分析3】サザンオールスターズと佐野元春/愛倫浮気性/7人目のサザン2――藤井丈司と小林武史/実録・ビデオ『サ吉のみやげ話』
第8章 1985年――サザンオールスターズ、舞い散る。
2枚組/【比較分析4】サザンオールスターズと山下達郎/《メロディ(Melody)》の傑作性/「初期」の終わり
終章 2011年以降――サザンオールスターズ、帰ってくる。


ゲラから中身をチラ見せするとこんな感じ。

おそらくワタシのライター人生で、最もメジャーな方向性の一冊となると思います。これ以降、また闇に潜りますので、今のうちに、一冊でも多く打っておきたいと思います。

これまで同様、PR活動にがんがん参上します。いいお話がありましたら、ぜひご紹介下さい。こちらも鈴木までメール(やツイッター)でご一報を→suziegroove@nifty.com



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