私も人生、第3コーナーの途中ですから





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20170624/京田陽太(中日)の絶えず動いている感じへの羨望。

年を取るごとに、野球観戦のツボのようなものが変化してきている気がする。具体的に言えば「若い選手の瞬発力・跳躍力・身体能力を、全身に浴びに行っている」という感覚が増してきているのだ。

この10年ほどで言えば、何といっても若い頃の糸井嘉男と陽岱鋼が良かった。彼ら以外でも、特に外野手の守備における身体能力を愉しんできた気がする(その背景には、イチローからの巨大な影響があると思う)。

しかし、今年に入って注目しているのが、若い遊撃手である。源田壮亮(埼玉西武)、京田陽太(中日)というルーキー、そしてこちらは2年目だが、東北楽天の茂木栄五郎。この3人のハツラツとしたプレーに心を奪われている。「新時代の遊撃手・三羽ガラス」とか、もっと騒いでやってほしいと思う。

遊撃手、ショートストップという、言ってみれば、近代野球の心臓部に、若い才能を抜擢するという勇気。そしてその抜擢に応えて、瞬発力・跳躍力・身体能力をいかんなく発揮する若者――2017年シーズンのプロ野球が拡散するエネルギーの源は、どうも、そのあたりにもありそうだ。

さて、京田である。私は、彼のプレーで、何度か「あっ!」と驚いている。

5月23日(火)、横浜スタジアムの横浜DeNA対中日戦。3回表、一塁ランナーに京田。リードが大きい。横浜スタジアムの一塁上におけるリードの大きさとしては、若い頃の石川雄洋を想起した。そして、こちらもルーキー、横浜DeNA・濵口遥大の牽制でタッチアウト――「あっ!」。

6月7日(水)の千葉ロッテ対中日(ZOZOマリン)では、京田が猛打賞。目を引いたのは、ヒットを繰り返してたどり着いた塁上で、絶えずチョロチョロと動いていることである――「あっ!」「あっ!」。

それは、野球的な表現で言えば「絶えず次の塁を狙っている」ということになるが、私には、もう少し本能的な動きに見えた。分かりやすく言えば、吉本新喜劇の間寛平が演じる、杖を持って暴れる老人の台詞=「わしゃ、止まると死ぬんじゃ!」に近いものである。

さて、歳を重ねて、私自身の年齢は50に届いてしまった。年齢を感じるシーンの1つが、路上で向こう側から歩いてくる人と、お互いを避け合う瞬間である。下半身が機敏に動かないのだ。向こうも私以上の年齢だった場合、お互いの鈍重な動きが重なって、ぶつかりそうになる。

その瞬間、大げさに言えば、人間としての根本的な部分が、劣化している感じがするのである。そして、そういう劣化を積み重ねて、京田の、塁上で絶えず動いている感じに対して、強烈な羨望を感じるのである。これが野球観戦のツボの変化に関する種明かしだ。

先に、糸井嘉男、陽岱鋼という名前を出したが、その前のイチロー、そのもっと前を振り返ってみれば、瞬発力・跳躍力・身体能力を全身から発散させたプレイヤーとして、高橋慶彦がいた。村上龍が、その身体能力に惚れ抜いて、『走れ!タカハシ』という小説まで捧げた、あの高橋慶彦である。

「走れ!キョーダ」――そして絶えずチョロチョロと動く京田を観て、心の中でそう叫んでみる。そして、身体の真ん中から失われていくものを、補完するのだ。



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20170611/これからのテレビドラマは死を飲みこまなければならない。

早稲田大学本部キャンパスに行ってきた。お目当ては、演劇博物館で行われている「テレビの見る夢―大テレビドラマ博覧会」と「山田太一展」である。

実は「山田太一展」をメインに考えて向かったのだが、内容的にもスペース的にも「大テレビドラマ博覧会」のほうが圧巻であった。

そこで購入した『大テレビドラマ博覧会』という本の、演劇博物館館長・岡室美奈子という人による「極私的テレビドラマ史」という文章に、気付きが多かった。

いちばんの気付き・学びは、東日本大震災後のテレビドラマには、幽霊が多く出て来るようになったという指摘である。言われてみれば、確かにそうだ!

例えば、NHK『カーネーション』(余談ながら、このドラマのために特別なスペースが割り当てられていた。私と見解が合う)。最終回には、死んだはずの糸子(夏木マリ)が、岸和田の街に、風となって舞い降りる。

その糸子幽霊(?)が語る名セリフがこれだ。

おはようございます
死にました

うちは おる
うちはおる
あんたらのそば

空 商店街 心斎橋
みどり 光 水の上
ほんで ちょっと退屈したらまた
なんぞおもろいもんを 探しにいく

この回について、「極私的テレビドラマ史」には、「『人はみな死ぬ。しかし死は終わりではない』という思想が込められており、震災後の人々の胸を打った」と書かれている。

つまり『カーネーション』のテーマが「リイン・カーネーション」(輪廻転生)だったということが、最終回にして、やっと呈示されるのである。この言い換え、というかシャレについて、どれくらいの人が気付いたのだろう。

そしてNHKチーフ・ディレクター井上剛氏への、岡室氏によるインタビューでは、『トットてれび』の最終回の話が出てくる。そこで井上氏は、渥美清や向田邦子、森繁久彌など、ドラマの中で死んだ人々が、最終回にこぞって生きて出て来ることに関連した、このドラマのキーワードとして、こう語っている。

「こういう素敵な人たちが私(註:満島ひかり演じる黒柳徹子)と一緒に生きてきて、その人たちが亡くなっていくのは悲しいけれど、この人たちが旅立っていったと思えば、死ぬのも怖くなくなる」

つまり、これからの時代のテレビドラマとは、「死というものの飲みこみ方」が問われるのだろう。「描き方」というより「飲みこみ方」=「捉え方」「解釈の仕方」。

逆に言えば、この期に及んで、トレンディドラマを未練を残しているように見える某局の不振は、根本的なところで、そういう面倒くさい・枯れたテーマを、遠ざけようとしているからではないか。

併せて読んでいる、小林信彦『わがクラシック・スターたち』(文藝春秋)の中のこのフレーズに感じ入る。

大滝さんが亡くなり、同年代の友人たちが次々と亡くなったので、ぼくは去年からしゃべる相手がなくなってしまった。(略)朝――というか昼近くに目がさめると、目がしめっていることがある。井原高忠、大滝詠一、植木等といった人たちと夢の中で会話をしているからだ。

もう一回行って、3階で流れていた『お荷物小荷物』の最終回を、じっくり見たいと思っている。



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20170603/サージェント・ペパーズのリミックス再発に対するビートルズ的態度について。

もっとも同調圧力が強くて、批判の言葉を投げかけられない音楽家は、ビートルズではないかと思うときがあります。

他の国のことはよく知りませんが、見聞きする範囲で言えば、日本という国は、音楽評論が貧困な国だと思います。映画評論界が、少なくともワタシから見たら、活況を呈しているのに対して、残念なことこの上ない。

そんな中で、ロックミュージック史の背骨を成す、もっとも輝かしい功績を遺したバンド=ザ・ビートルズに対しては、特に礼賛礼賛の嵐、すべてが名曲にして必聴みたいなトーンで語られてしまう。

実際、ワタシもビートルズファンの端くれだし、全曲かなり聴き込んだという自負もありますが、それで感覚がマヒしてしまい、ツマラない曲はツマラないと言えなくなるのは違うんじゃないかと。

また、その同調圧力の結果として、作品にとどまらず、ザ・ビートルズにまつわるビジネス全体に、舌鋒が甘くなってしまっているように感じるのです。どうしたことでしょう。

言いたいことは、サージェント・ペパーズのリミックス再発の件です。ワタシの周囲だけかもしれませんが、こういう商売に対する否定的な見解が、まったく聴こえてこないのです。

旧作に手を施して、あたかもまるっきりの新商品のようにして発売する。それに対して、「新しい音が聴こえる」などと大騒ぎして、そんなにマニアじゃない層も、既に旧作を持っているにもかかわらず、ありがたがって、また購入する。それで、買ったはいいけれど、そんなに聴かなくなり、結果CD棚が、数ミリ狭くなる――の繰り返し。

思い出すのは、アルバム『Let It Be…Naked』のこと。「ネイキッド」とは名ばかりの、加工編集を重ねた人工的なツギハギサウンド。あれ、かなり売れたと記憶しますが、あの商売に対しても、知る限り、礼賛礼賛の嵐、「これが本当の『Let It Be』だ!」と、音楽マスコミが大騒ぎした記憶しかありません。

いやいや、「本当の『Let It Be』」は、あの、黒いふちどりの中に、陰鬱な4人の表情が並べられた、あのジャケットの『Let It Be』でしょう。

確認ですが、今回のサージェント・ペパーズのリミックス再発や、ポール・マッカートニーのコンサートに狂喜する人がいてもいいと思うのです。

しかし、度重なるリミックス商売や、何万円もする高額チケットがすぐに受け切れることの異常さを指摘する声が、あまりにも聴こえてこなさすぎることが、問題ではないかと言いたいわけです。

サージェント・ペパーズのリミックス。おそらく多少いい音になっていて、また定位も変更されて、キラキラとした聴きやすい音になっているのでしょう。

ただし、ワタシとしては、80年代前半に、東大阪の貸しレコード店「回盤堂」で借りて、マクセルのカセットテープ「UD」に録音した、あの音、あのバランスのサージェント・ペパーズがもっとも大切なものなのです。

――と、そういう面倒くさいことを言うオッサンが、1人くらいいてもいいでしょう。だって、そういう違和の許容こそが、ビートルズ的態度の本質なのですから。



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20170527/新刊『サザンオールスターズ 1978-1985』発売のお知らせ。

突然ですが、このたび、4冊目の本が出ます。題して『サザンオールスターズ 1978-1985』(誰も気づかないと思うので、野暮ながら添えておくと、タイトルの元ネタはビートルズの赤盤・青盤です)。

樋口毅宏『タモリ論』西寺郷太『プリンス論』など、インテリジェントかつユニークなサブカル本でおなじみの新潮新書からの発売。いよいよメジャーステージに進出です。ありがたいことです。

ことの発端は、「WOWOWぷらすと」というメディアで、西寺郷太さんとサザン論を繰り広げたことだと思います。そこから、ワタシのサザン論についての周辺が、何となく騒がしくなり、昨年、ニッポン放送のダイノジ大谷さんの番組で、サザンのお話をするに至ります。

※2016/3/22、ニッポン放送『大谷ノブ彦キキマス!』の「サザンオールスターズ特集」
前編:http://podcast.1242.com/sound/8588.MP3
後編:http://podcast.1242.com/sound/8589.MP3

そこから、あれよあれよという間に、昨年、新潮社さんからお話をいただき、1年かけてシコシコと執筆。そして7月中旬に発売される運びとなりました。

批評不在だった初期サザンの歴史を丹念に追いつつ、その巨大な功績を正確に測定しようという本です。よろしくお願いいたします。

というわけで、今回は告知まで(まだ校正中ですので)。最後に、30日に発行する「水道橋博士のメルマ旬報」で発表する、【初期サザンオールスターズ~スージー鈴木のベスト30】の6位以下を発表します。ベスト5はメルマ旬報本編で。

6位:《Bye Bye My Love(U are the one)》
7位:《いなせなロコモーション》
8位:《夕方 Hold On Me》
9位:《いとしのエリー》
10位:《ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY)》
11位:《サラ・ジェーン》
12位:《旅姿六人衆》
13位:《吉田拓郎の唄》
14位:《今宵あなたに》
15位:《鎌倉物語》
16位:《YaYa あの時代を忘れない》
17位:《EMANON》
18位:《Dear John》
19位:《Oh!クラウディア》
20位:《わすれじのレイド・バック》
21位:《シャ・ラ・ラ》
22位:《栞(しおり)のテーマ》
23位:《チャコの海岸物語》
24位:《私はピアノ》
25位:《DJ・コービーの伝説》
26位:《女呼んでブギ》
27位:《我らパープー仲間》
28位:《TO YOU》
29位:《別れ話は最後に》
30位:《PLASTIC SUPER STAR (LIVE IN BETTER DAYS)》

あと、このサイトでのサザン論アーカイブスです。それではまた。

20160625/沢田研二と《勝手にシンドバッド》が生まれた6月25日を『ロックの日』として休日にしよう。

20151115/初期のサザンオールスターズが、好きで好きでたまらない。

20150124/田中康夫と桑田佳祐に感化された世代による「ぼくたちの時代」構想。

20150117/ノーザン・オールスターズ桑竹伊祐の「失礼な言動」について。

20130707/1985年のサザンオールスターズは、それはもうカッコよかった。

20130629/国民的バンド、サザンが国民に背を向けていたころ。

20111230/2011年レコード大賞(とMFP)の発表。

20110214/勝手な聖者達~ミスター・シンドバッド。



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20170513/初期のサザンオールスターズ・私のベスト3~中間発表

はい。まず本日、サイト「Re:minder」の連載が更新されました。題して、「尾崎豊をスターダムに押し上げた「卒業」、その秘密は<哀愁のソ#>」。ぜひご一読下さい。

さて、「初期のサザンオールスターズ・私のベスト3」に、多くの投票、ありがとうございます。締め切りまであと一週間ありますが、ここで中間発表したいと思います。ここではツイートのみの集計です。延べ約350ツイート、延べ873曲の投票がありました。ありがとうございます。

1位:C調言葉に御用心(39ポイント)

同率1位:栞(しおり) のテーマ(39ポイント)

3位:思い過ごしも恋のうち(37ポイント)

4位:勝手にシンドバッド(35ポイント)

5位:Bye Bye My Love (U are the one)(34ポイント)

6位:海(28ポイント)

7位:Oh!クラウディア(26ポイント)

8位:シャ・ラ・ラ (26ポイント)

同率8位:ラチエン通りのシスター(26ポイント)

10位:ミス・ブランニュー・デイ(25ポイント)

次点:Ya Ya (あの時代を忘れない) (23ポイント)

さすがお目が高いというか、メルマ旬報のライターや読者周辺のセンスが横溢した、とてもいいランキングだと思います。引き続き募集します。

以下応募要領です。「初期」の定義は、デビューから、85年のアルバム『KAMAKURA』まで。まずメールでの応募は、以下の形式でお願いします。

●送付先:鈴木のアドレス→ suziegroove@nifty.com

●メールのタイトル:「初期のサザン・私のベスト3」

●本文構成:
・メルマネーム(ペンネーム)=
・第1位=(曲名:         )
・第2位=(曲名:         )
・第3位=(曲名:         )
・コメント(字数自由)=

●締め切り:5月20日(土曜日)

またツイッターでは、ハッシュタグ「#初期のサザン私のベスト3」を付けて投稿ください。こちらの締め切りも5月20日(土曜日)です。

なお、すべてのメールやツイートを、5月30日発行予定の「メルマ旬報 ま組」に掲載します。そのときにはもちろん、最終ランキングと、不肖ワタシのランキングを発表しますので、ご注目下さい。



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20170506/これからの5年を見据えた、マリーンズの私的改革案。

やっとマリーンズが勝ったので(5/6)、久々の野球ネタ。そう、鴎が海の底に沈んでいます。

おそらく、2年連続CS進出という、一見それまでに比べて充実した結果を残しがゆえに(実質は2位に、一昨年は「6.5ゲーム」、昨年は「12.5ゲーム」離された3位)、十分な補強を怠ったことが最大の原因。

その上、両外国人が不振、その上、石川も不振、角中が脇腹痛というトラブルにも見舞われ、現段階で、8勝20敗。借金-12。

いい機会なので、これからのマリーンズに向けた改革案を考えてみたいと思います。ただし、技術論はよく分かりませんので、ファン目線の「チームマネジメント論」として。

1.平沢大河の物語に賭けてみたい

向こう10年、は大げさとしても、向こう5年のマリーンズの未来を描いてみると、その真ん中にいるのは平沢大河だろう。言うまでもなく15年のドラフト1位の遊撃手。

「高校卒の野手」という、これまでのマリーンズのドラフト戦略の真逆の1位指名。そのためか、マリーンズの多くを占める「大学・社会人」出身の中で、躍動感と華やかさを感じるのだ。

それは、2005年と2010年についての最大の功労者=西岡剛の若い頃にも似ている。

向こう5年間、マリーンズ・ファンは、「平沢大河の物語」に賭けてみたいと思っているのではないだろうか。少なくともワタシはそうだ。このチームが凹んでいる時期こそ、頑として、平沢大河を起用し続けるべきではないか。

平沢大河が、「平成の高橋慶彦」として君臨し、次項で述べる鈴木大地とセンターラインを固め続けるときに、真の黄金時代が到来すると思う。ワタシは、その物語に賭けてみたい。

2.鈴木大地をスポークスパーソンに

平沢大河に賭ける背景として、向こう5年間、鈴木大地をキャプテンとして、全幅の信頼を置くという決断がある。

動の平沢大河に静の鈴木大地。鈴木大地がいるからこそ、平沢大河の無限の可能性に賭けられる。そして「大河と大地」、語呂も劇的に良い。

キャプテンを昔のロックバンド風に言い換えれば、「鈴木大地&マリーンズ」。それは、鈴木大地をフロントマンとして、スポークスパーソンとして、期待するということでもある。

マリーンズ・ファンが聞き飽きたマリーンズ評=「暗い」「地味」。「暗くても強けりゃいいじゃないか」と開き直りたいが、暗くて弱いのだから救いようがない。

別に、鈴木大地にお笑い的なキャラクターを要求するわけではない。ただし、もっとハッキリと自分の言葉で話し、対外的にはチームの方針を示し、そして対内的には選手を鼓舞してほしいのだ。

なぜならワタシは、成瀬善久や、今江敏晃(現「敏晶」)に足りなかったものが、まさにそれだと思っているからだ。

20141115/成瀬善久の聴こえなかったコトバについて。
20151129/さようなら、今江敏晃の「無自覚のイノセンス」。

3.忍者野球主義(=中島卓也原理主義)を

少し小さくなるが、今シーズンの成績。打率、本塁打の低さは致命的として、盗塁(企図数)の少なさ、加えて四球の少なさ、 三振の多さが気になる。

正直、現在の打線で、本塁打を期待するのは難しい。それどころか、打率「.183」なので、打線自体に真っ当に期待することすら難しい。

そこで、上記のような大命を背負う鈴木大地と平沢大河、そして角中勝也以外には、「忍者野球」というコンセプトを徹底するのはどうだろう。

要するに、ノーヒットで一点を取る野球。粘って歩いて走って、相手の裏をかいて一点を取る野球。言い換えれば、全員がファイターズ・中島卓也のような打撃をする野球。「中島卓也原理主義」。

いや、中島卓也の水準を目指すのも、そう簡単なことではないだろうが、ただ、さすがに「中田翔原理主義」には踏み出せないし、荻野貴、加藤翔平、岡田、田村、そして清田にも、「忍者」の素質があると思うのだ。

このサイトには過去18年間の膨大な過去ログがあります。マリーンズについての記事も山ほどあります。その中で、もっとも感動的なものがこれ。またこの思いになれるのはいつの日か。

20101115/ワタシがマリーンズを好きになった理由(日本一に寄せて)。

この記事の中より抜粋。

「西岡の後も、また(まだ見ぬ?)快活な若者が出てきてその穴を埋めてくれる。そして適切な新陳代謝が行われ、さらに快活なマリーンズになり、眉間にしわを寄せる野球を高らかにあざ笑う。それが、マリーンズ。ワタシが好きな、マリーンズ。――ワタシがマリーンズを好きになった理由」



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20170501/募集!初期のサザンオールスターズ・私のベスト3

突然ですが、「水道橋博士のメルマ旬報」の私の連載=『歌謡曲の聴き方』で、昨年大いに盛り上がった読者投票企画を、今年もやります。題して、「初期のサザンオールスターズ・私のベスト3」。

言うまでもなく、「日本語のロック」を完成させ、ビジネスとして成立させた、日本ロック史上最大のバンド。そして、私の著書、『1979年の歌謡曲』(彩流社)と『1984年の歌謡曲』(イースト新書)をつなぐ存在。しかし、その功績が、客観的に語られることは、残念なからほとんど無いといえます。

サザン=「夏、海、湘南、茅ヶ崎、江ノ島、青春!」みたいな、未だにはびこる、極めて表面的で、薄っぺらな論調――それ、別に否定はしないけど、もっと彼らの、特に初期の功績の高さと広さと重さを、はっきりと語ったほうがいいのではないか。

だって、来年にはデビュー40周年……なんですよ。

あまりにもメジャーすぎて、そして活動期間も呆れるほど長く安定的で、そのために、はっぴいえんどやジャックスのような、あまたの「幻のバンド」に比べて、神話性に乏しく、結果として、その価値が曖昧になっているのでしょう。

そこで今回、そのサザンヒストリーの中でも、特に功績が大きいと思っている「初期」=具体的には、78年のデビューから、85年のアルバム『KAMAKURA』までの期間に絞った楽曲の「ベスト3」を募集します。

もちろんシングルだけでなく、アルバムの中の曲でもOK。とにかく78年からの7年間に、サザン名義で発表された楽曲の「ベスト3」をご応募ください。お目ならぬお耳が高いメルマ旬報&当サイトの読者のこと、初期サザンの凄みの輪郭を、しっかりと描き出すランキングになるのではと、大いに期待します。

以下応募要領です。まずはメールでの応募は、以下の形式でお願いします。

●送付先:鈴木のアドレス→ suziegroove@nifty.com

●メールのタイトル:「初期のサザン・私のベスト3」

●本文構成:
・メルマネーム(ペンネーム)=
・第1位=(曲名:         )
・第2位=(曲名:         )
・第3位=(曲名:         )
・コメント(字数自由)=

●締め切り:5月20日(土曜日)

またツイッターでは、ハッシュタグ「#初期のサザン私のベスト3」を付けて投稿ください。私のアカウント「@suziegroove」より、告知を行いますので、よければフォローください。こちらの締め切りも5月20日(土曜日)です。

「夏、海、湘南、茅ヶ崎、江ノ島、青春!」――なサザン論もいいですが、論客見巧者耳年増なサザンリスナーによる、「初期サザン評価の新しいものさし」を、世間に提示しましょう。

もちろん、前回企画同様、応募された方全員の投票&コメントを、メルマ旬報内でご紹介させていただきます。

確認ですが、ここでいう「初期」は、これらのアルバムの期間です。

最後に、サザンの、否、日本のロック界にとっての歴史的な一瞬を。78年8月31日のTBS『ザ・ベストテン』の「今週のスポットライト」のコーナー、新宿ロフトからの生中継における、黒柳徹子と22歳の桑田青年との会話を。

黒柳徹子「そこは、どういう場所なんですか。歌声喫茶みたいなところですか」
桑田佳祐「古いですね、黒柳さん」
黒柳「どんな人がいらっしゃるんですか」
桑田「酒を飲む人…」
黒柳「急上昇で有名におなりですが、あなたたちはアーティストになりたいのですか」
桑田「いえ、目立ちたがり屋の芸人で~す」



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20170423/これが、これからの時代と世代に向けた、理想のAMラジオ番組表だ。

今週、最も印象に残ったのは、TBSラジオ『伊集院光とらじおと』にゲストで出てきた吉田照美の、この発言である。

TBS『伊集院光とらじおと』のゲストに吉田照美。今後やりたいラジオを聞かれて、「年寄りが画期的なことをやる番組。『ラジオ深夜便』みたいな静かな番組じゃなく、年寄りが暴れたり大声を出す番組」。素晴らしい、し本質的。ここにラジオの未来がある。

「これだ!」と思った。AMラジオとして、今後増えていくシニア層を狙っていくのは、大前提として、そのアプローチを、『ラジオ深夜便』的なものではなく、未だにアクティブな(+アクティブだと誤解している+アクティブでいたいと思う)、面倒くさいジジババを狙っていくとするべきなのだ。

ジジババと客観的に書いているが。その範疇には、今年51歳のワタシももちろん入る。

そういう層に適した喋り手はいるのか。まず思い浮かぶのが亀渕昭信である。亀渕氏のラジオ番組『亀渕昭信のお宝ポッブス』で、氏が昨年放ったこのトークは忘れられない。

ラジオ番組『亀渕昭信のお宝ポッブス』にて亀渕氏、「元カジャグーグーのリマール。大竹しのぶの娘さんはイマール。赤ちゃんの便器はオマール。ありゃ、こりゃちょっとコマールね」。ジジイ益々元気。こういう年の取り方をしたい。

あと、昨夜初めて見た、『笑福亭鶴光の オールナイトニッポン.TV@J:COM』の、鶴光と田中美和子の絡みが素晴らしかった。全盛期からほとんど劣化していない。特に、田中美和子のトークは天才的だった。

と、考えると、現在でもマイクの前で舌鋒鋭いであろう、当時のオールスターを集めると、アクティブで面倒くさいシニア層+ワタシに向けた理想のラジオ番組表が出来るのでは無いか。

作ってみた。感動的ですらある。単なる懐かしさだけでなく、現代性もある。だから毎日聴く。ずっと聴く。



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20170416/朝ドラ『ひよっこ』は昭和30年代の闇を描けるか。

NHKの朝ドラには、もう過剰な期待をしないことにしている。『ちりとてちん』『カーネーション』『あまちゃん』の3作は、実は奇跡だったのだとすれば、その後の作品に、中途半端な期待をして裏切られることもないわけで。

しかし、奇跡とは、いつ再び起きるかわからないのものでもある。一応かすかな期待も抱きつつ、『ひよっこ』の画面を見つめる。

奇跡の朝ドラには、始まってごくごく初めの方に、「神回」があった。例えば、奇跡3部作の中の頂点=『カーネーション』では、糸子(尾野真千子)が、「ミシンは私のだんじりやねん」と号泣する回だ。

先週金曜日の『ひよっこ』はそれだったのかもしれない。谷田部みね子(木村佳乃)が、行方不明になった夫を探しに来た東京の警察署で、警察官に泣きながら言うセリフ。

「『いばらき』です。『いばらぎ』じゃなくて、『いばらき』です。谷田部実といいます。私は、私は出稼ぎ労働者を一人探してくれと頼んでいるんではありません。ちゃんと名前があります。茨城の奥茨城村で生まれて育った谷田部実という人間を探してくださいとお願いしてます。ちゃんと、ちゃんと名前があります。お願いします。あの人は絶対に自分でいなくなったりするような人ではありません。お願いします。お願いします。探してください。お願いします」

さて、昭和30年代を「夢と希望に満ち溢れた、素晴らしい時代」とする言説がある。戦禍でめちゃめちゃになった、この極東の島国で、東京タワーはぐんぐん伸び、新幹線が出来て、オリンピックが開かれ、高度経済成長、所得は倍増――あぁ、あの頃は良かった、というもの。

この言説、ワタシは観ていないが、おそらく映画『ALWAYS 三丁目の夕日』あたりが契機となって、広まった格好になっているのだと思う。

そして、この言説について、ワタシはちょっと疑わしく感じるのである。靴の中に小さな石が入っているような違和感を感じるとでも言うべきか。そんなにいい時代だったのか?

更には、そういう言説が広められることの背景に、ある作為のようなものの存在すら、感じてしまうのである。

東京に出稼ぎ労働者がたくさん出てきていた時代。そのうちの一定の人数が「蒸発」した時代、食卓は食品添加物に溢れ、交通事故の死者はうなぎのぼり、そして大気汚染で空気が淀み始めた時代。

注目したいのは、『ひよっこ』が、出稼ぎ労働者の「蒸発」など、「夢と希望に満ち溢れた時代」の闇の部分を書こうとしていることである。闇を描ければ、『ちりとてちん』『カーネーション』『あまちゃん』という奇跡3部作への道が開かれていく。

来週から、オリンピックの聖火リレーの話になるそうなので、油断は禁物なのだが(この時代、オリンピックはさすがにイジれないだろう)。

NHKの朝ドラ班に伝えたいことは、こういうことだ。

「私は、『夢と希望に満ち溢れた、素晴らしい時代』を描いてくれと頼んでいるんではありません。そんな表面的な時代論ではなく、ちゃんと実在したであろう、一人ひとりの人間が生き抜いている、具体的な人間論を描いてほしいとお願いしています。一人ひとりの人間には、ちゃんと名前があります。その人は、夢や希望だけではない、闇の部分も飲み込んで生き抜いたはずです。お願いします。描いてください。お願いします」

追記:「Re:minder」の新作=「効果絶大!オフコースの『Yes・No』は歌い出しからいきなり#転調」、アップされました。



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20170409/『やすらぎの郷』に見るテレビ朝日のイノベーション感覚。

最近、気がついたらテレビ朝日を観ていることが多い。

一般に、テレビ朝日の躍進&フジテレビの凋落の要因を、チャンネル番号の関係に見ることが多いようだが(テレビ朝日が5チャンネルとなり真ん中に移行し、対してフジの8チャンネルが端っこに追いやられた云々)、そんな単純な話でもない気がする。

テレビ朝日の躍進のシンボルとして、ワタシが捉えるのが『しくじり先生』である。それに『関ジャム』も入れていい。

そこに感じるのはイノベーション感覚だ。5チャンネルのいくつかの番組には、「視聴者にとって斬新なことを仕掛けながら、視聴者をしっかりと惹き付ける」という高度な技を感じさせるのだ。

何事も、真のイノベーションは当初、新しくごつごつした手触りを感じさせるものだと思う。そして、先週1週間、5チャンネルのお昼の中途半端な時間帯に、そんな新しくごつごつした手触りが乗っかったのをご存知か。

テレビ朝日が設けるシルバー向けの新・帯ドラマ枠『帯ドラマ劇場』の第1作=『やすらぎの郷』の放映開始。ドラマの内容をWikipediaから引っ張れば、以下のようなものである。

俳優や歌手、ミュージシャン、脚本家などの昭和世代にテレビの世界で活躍した人物だけが入居する、東京近郊の老人ホーム「やすらぎの郷 La Strada」を舞台に、“家族の絆”・“友情”・“愛情”・“死”などをテーマに、ユーモラスかつシリアスに描く。

脚本家の倉本聰が「夜のゴールデンタイムに若者向けのドラマが数多く放送され、大人の観るドラマが少ない」として本作を企画、その企画を受け入れたテレビ朝日が「大人のための帯ドラマ」枠を新たに創設した。本作は2クールを予定している。

出演は、石坂浩二、浅丘ルリ子、有馬稲子、加賀まりこ、五月みどり、野際陽子、藤竜也、ミッキー・カーチス、八千草薫、山本圭、風吹ジュンなど。彼らが、自分自身とかなりオーバーラップしたキャラクターを演じるという、メタな構造となっている。

――5チャンネルの画面の向こう側で、また新しいことが起きている。

まず注目すべきは、「新時間帯開発」という点である。1985年の『ニュースステーション』が、プライムタイムに帯番組のニュースショーを定着させることに成功して以来、テレビ朝日として、30数年ぶりに、久しぶりの大冒険を仕掛けているという感じがする。

それは、未だに堅調なNHK朝ドラへの挑戦状であり、また懐かしのTBS「ポーラテレビ小説」の復活と見ることもできるものだ。

そして内容が、「昭和テレビ黄金時代の葬式」のようなものであることにも注目する。これは昨年の傑作ドラマ=NHK『トットてれび』の流れ。シニア視聴者層に対して、テレビ界としての正しい責任の取り方だと感じる。

さらに、石坂浩二と浅丘ルリ子の共演!

とにかく、シニア層が、輝かしい昭和の繁栄を、日々清算しているような日本の現実に対して、シニア層に向けたこのようなドラマが始まることは、正しいイノベーションだと思うのだ。シニア層に片足突っ込んだ立場より。

ただし、第1週目だけでは、新しくごつごつした手触りが強すぎて、まだ冷静な判断はできない。今後に期待したい。

なお、フジテレビが未だに囚われているように見える「トレンディドラマ」の亡霊を振り払うには、まず、日本の現実として、「OL」がいなくなっていることを直視するべきだと思う。



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20170401/『関ジャム』に期待したい理論的・体系的なグルーヴ論。

はい。まずは新連載のお知らせです。「80年代音楽エンタメコミュニティ」の「Re:minder」で連載を持たせていただきます。ぜひご一読下さい。

テレビ朝日の日曜深夜にやっている『関ジャム 完全燃SHOW』という番組が面白い。NHKでやっていた『亀田音楽専門学校』に近い音楽解析番組なのだが、より実戦的で、具体的で、毎回面白く仕上がってくる。

で、前回(3/26)のテーマはベース。告知に矢沢永吉の名前もあったので、かなり本格的・本質的なベース論になるかと期待して観た。ゲストは、根岸孝旨、KenKen、ハマ・オカモト。

ただし残念だったのは、スラップ奏法などの「テクニック論」が中心で、対して「グルーヴ論」が貧弱だった印象を受けたこと。ワタシは、ベースによる「グルーヴ論」を、彼らから聴きたかった。

また、キャロルにおける矢沢永吉のベースについても、しっかりと語られず、こちらも残念だった。

さてここで、ワタシが語りたいのは、キャロルに加えて、ザ・スパイダースによる「伝説的なグルーヴ」についてである。

まずキャロルで言えば、何といっても75年の解散コンサートにおける《グッド・オールドR&R》である。同じことをすでに何度も書いているが、大切なことなので何度も書く。この「安定しながらぐんぐん前に進む」グルーヴは素晴らしいと。

今の日本のバンドの演奏は、当時から比べたら、飛躍的に上手くなっている。また音響設備は比較にならないだろう。しかし、キャロルのこの演奏には、そういう時代的要素を蹴っ飛ばして、現代のリスナーの腰を動かさせる何かが注入されている。

シンプルに言えば、人前で演奏する場数が、このグルーヴを培ったと思う。矢沢永吉『成り上がり』(角川文庫)で語られている、まるでビートルズのハングルク時代のような生活。1日に何回も何曲も演奏する・させられる生活。

そういう経験が、このグルーヴの背景にあるのだろう。そして今のバンドは、そこまでの過酷な演奏体験をしていないはず。なので、このグルーヴに届かない。人前(じゃなきゃダメ)での演奏を繰り返すことによってしか得られないグルーヴがあると思うのだ。

そして、同じく「伝説的なグルーヴ」が完成していると思ったのが、、ザ・スパイダースの《ジョニー・B・グッド》である。

この爆発的なグルーヴはどうだろう。残念ながら音の分離が悪く、渾然一体となって聴こえてくるのだが、その分、キャロルよりも熱気が保存されている気がする。これもジャズ喫茶での演奏体験が生んだもののはずだ。

この点については、かまやつひろし自身の、実に興味深い発言がある。かまやつひろし『ムッシュ!』(文春文庫)において、当時、ロックンロールのスタンダード=《ジョニー・B・グッド》の演奏に目覚めるシーン。

「ロックンロールはシャッフル(八分音符を跳ねさせるリズム)だったのだ。それを、ほとんどのバンドは、(四分音符*だけの)エイト・ビートで叩いていた。それでは単調なスリー・コードだからもたないし、気持ち的にだんだん遅くなって白けてしまうのである。そこで、ギターだけエイト・ビートで、ドラムはシャッフル・ビートでたたいてみた。すると『おお、前に行くぞ!』ということになった」

*鈴木註:「八分音符」の誤記と思われる。

いかにも感覚的にしか語られない「グルーヴ論」に、理論的な奥行きを与えたいと思う。肉体的にはピンと来る、この「腰が動く」感覚は、どのように形成されるのかを、体系的に知りたいと思う。『関ジャム』にはそういう分析を期待したい。

そんな「グルーヴ論」のヒントが、かまやつひろしの先の発言の中にあると思う。そして、そういうグルーヴの真ん中に、ベースがあるということだけはよく分かっているつもり。



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