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20170423/これが、これからの時代と世代に向けた、理想のAMラジオ番組表だ。

今週、最も印象に残ったのは、TBSラジオ『伊集院光とらじおと』にゲストで出てきた吉田照美の、この発言である。

TBS『伊集院光とらじおと』のゲストに吉田照美。今後やりたいラジオを聞かれて、「年寄りが画期的なことをやる番組。『ラジオ深夜便』みたいな静かな番組じゃなく、年寄りが暴れたり大声を出す番組」。素晴らしい、し本質的。ここにラジオの未来がある。

「これだ!」と思った。AMラジオとして、今後増えていくシニア層を狙っていくのは、大前提として、そのアプローチを、『ラジオ深夜便』的なものではなく、未だにアクティブな(+アクティブだと誤解している+アクティブでいたいと思う)、面倒くさいジジババを狙っていくとするべきなのだ。

「ジジババ」と客観的に書いているが。その範疇には、今年51歳のワタシももちろん入る。

そういう層に適した喋り手はいるのか。まず思い浮かぶのが亀渕昭信である。亀渕氏のラジオ番組『亀渕昭信のお宝ポッブス』で、氏が昨年放ったこのトークは忘れられない。

ラジオ番組『亀渕昭信のお宝ポッブス』にて亀渕氏、「元カジャグーグーのリマール。大竹しのぶの娘さんはイマール。赤ちゃんの便器はオマール。ありゃ、こりゃちょっとコマールね」。ジジイ益々元気。こういう年の取り方をしたい。

あと、昨夜初めて見た、『笑福亭鶴光の オールナイトニッポン.TV@J:COM』の、鶴光と田中美和子の絡みが素晴らしかった。全盛期からほとんど劣化していない。特に、田中美和子のトークは天才的だった。

と、考えると、現在でもマイクの前で舌鋒鋭いであろう、当時のオールスターを集めると、アクティブで面倒くさいシニア層+ワタシに向けた理想のラジオ番組表が出来るのでは無いか。

作ってみた。感動的ですらある。単なる懐かしさだけでなく、現代性もある。だから毎日聴く。ずっと聴く。



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20170416/朝ドラ『ひよっこ』は昭和30年代の闇を描けるか。

NHKの朝ドラには、もう過剰な期待をしないことにしている。『ちりとてちん』『カーネーション』『あまちゃん』の3作は、実は奇跡だったのだとすれば、その後の作品に、中途半端な期待をして裏切られることもないわけで。

しかし、奇跡とは、いつ再び起きるかわからないのものでもある。一応かすかな期待も抱きつつ、『ひよっこ』の画面を見つめる。

奇跡の朝ドラには、始まってごくごく初めの方に、「神回」があった。例えば、奇跡3部作の中の頂点=『カーネーション』では、糸子(尾野真千子)が、「ミシンは私のだんじりやねん」と号泣する回だ。

先週金曜日の『ひよっこ』はそれだったのかもしれない。谷田部みね子(木村佳乃)が、行方不明になった夫を探しに来た東京の警察署で、警察官に泣きながら言うセリフ。

「『いばらき』です。『いばらぎ』じゃなくて、『いばらき』です。谷田部実といいます。私は、私は出稼ぎ労働者を一人探してくれと頼んでいるんではありません。ちゃんと名前があります。茨城の奥茨城村で生まれて育った谷田部実という人間を探してくださいとお願いしてます。ちゃんと、ちゃんと名前があります。お願いします。あの人は絶対に自分でいなくなったりするような人ではありません。お願いします。お願いします。探してください。お願いします」

さて、昭和30年代を「夢と希望に満ち溢れた、素晴らしい時代」とする言説がある。戦禍でめちゃめちゃになった、この極東の島国で、東京タワーはぐんぐん伸び、新幹線が出来て、オリンピックが開かれ、高度経済成長、所得は倍増――あぁ、あの頃は良かった、というもの。

この言説、ワタシは観ていないが、おそらく映画『ALWAYS 三丁目の夕日』あたりが契機となって、広まった格好になっているのだと思う。

そして、この言説について、ワタシはちょっと疑わしく感じるのである。靴の中に小さな石が入っているような違和感を感じるとでも言うべきか。そんなにいい時代だったのか?

更には、そういう言説が広められることの背景に、ある作為のようなものの存在すら、感じてしまうのである。

東京に出稼ぎ労働者がたくさん出てきていた時代。そのうちの一定の人数が「蒸発」した時代、食卓は食品添加物に溢れ、交通事故の死者はうなぎのぼり、そして大気汚染で空気が淀み始めた時代。

注目したいのは、『ひよっこ』が、出稼ぎ労働者の「蒸発」など、「夢と希望に満ち溢れた時代」の闇の部分を書こうとしていることである。闇を描ければ、『ちりとてちん』『カーネーション』『あまちゃん』という奇跡3部作への道が開かれていく。

来週から、オリンピックの聖火リレーの話になるそうなので、油断は禁物なのだが(この時代、オリンピックはさすがにイジれないだろう)。

NHKの朝ドラ班に伝えたいことは、こういうことだ。

「私は、『夢と希望に満ち溢れた、素晴らしい時代』を描いてくれと頼んでいるんではありません。そんな表面的な時代論ではなく、ちゃんと実在したであろう、一人ひとりの人間が生き抜いている、具体的な人間論を描いてほしいとお願いしています。一人ひとりの人間には、ちゃんと名前があります。その人は、夢や希望だけではない、闇の部分も飲み込んで生き抜いたはずです。お願いします。描いてください。お願いします」

追記:「Re:minder」の新作=「効果絶大!オフコースの『Yes・No』は歌い出しからいきなり#転調」、アップされました。



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20170409/『やすらぎの郷』に見るテレビ朝日のイノベーション感覚。

最近、気がついたらテレビ朝日を観ていることが多い。

一般に、テレビ朝日の躍進&フジテレビの凋落の要因を、チャンネル番号の関係に見ることが多いようだが(テレビ朝日が5チャンネルとなり真ん中に移行し、対してフジの8チャンネルが端っこに追いやられた云々)、そんな単純な話でもない気がする。

テレビ朝日の躍進のシンボルとして、ワタシが捉えるのが『しくじり先生』である。それに『関ジャム』も入れていい。

そこに感じるのはイノベーション感覚だ。5チャンネルのいくつかの番組には、「視聴者にとって斬新なことを仕掛けながら、視聴者をしっかりと惹き付ける」という高度な技を感じさせるのだ。

何事も、真のイノベーションは当初、新しくごつごつした手触りを感じさせるものだと思う。そして、先週1週間、5チャンネルのお昼の中途半端な時間帯に、そんな新しくごつごつした手触りが乗っかったのをご存知か。

テレビ朝日が設けるシルバー向けの新・帯ドラマ枠『帯ドラマ劇場』の第1作=『やすらぎの郷』の放映開始。ドラマの内容をWikipediaから引っ張れば、以下のようなものである。

俳優や歌手、ミュージシャン、脚本家などの昭和世代にテレビの世界で活躍した人物だけが入居する、東京近郊の老人ホーム「やすらぎの郷 La Strada」を舞台に、“家族の絆”・“友情”・“愛情”・“死”などをテーマに、ユーモラスかつシリアスに描く。

脚本家の倉本聰が「夜のゴールデンタイムに若者向けのドラマが数多く放送され、大人の観るドラマが少ない」として本作を企画、その企画を受け入れたテレビ朝日が「大人のための帯ドラマ」枠を新たに創設した。本作は2クールを予定している。

出演は、石坂浩二、浅丘ルリ子、有馬稲子、加賀まりこ、五月みどり、野際陽子、藤竜也、ミッキー・カーチス、八千草薫、山本圭、風吹ジュンなど。彼らが、自分自身とかなりオーバーラップしたキャラクターを演じるという、メタな構造となっている。

――5チャンネルの画面の向こう側で、また新しいことが起きている。

まず注目すべきは、「新時間帯開発」という点である。1985年の『ニュースステーション』が、プライムタイムに帯番組のニュースショーを定着させることに成功して以来、テレビ朝日として、30数年ぶりに、久しぶりの大冒険を仕掛けているという感じがする。

それは、未だに堅調なNHK朝ドラへの挑戦状であり、また懐かしのTBS「ポーラテレビ小説」の復活と見ることもできるものだ。

そして内容が、「昭和テレビ黄金時代の葬式」のようなものであることにも注目する。これは昨年の傑作ドラマ=NHK『トットてれび』の流れ。シニア視聴者層に対して、テレビ界としての正しい責任の取り方だと感じる。

さらに、石坂浩二と浅丘ルリ子の共演!

とにかく、シニア層が、輝かしい昭和の繁栄を、日々清算しているような日本の現実に対して、シニア層に向けたこのようなドラマが始まることは、正しいイノベーションだと思うのだ。シニア層に片足突っ込んだ立場より。

ただし、第1週目だけでは、新しくごつごつした手触りが強すぎて、まだ冷静な判断はできない。今後に期待したい。

なお、フジテレビが未だに囚われているように見える「トレンディドラマ」の亡霊を振り払うには、まず、日本の現実として、「OL」がいなくなっていることを直視するべきだと思う。



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20170401/『関ジャム』に期待したい理論的・体系的なグルーヴ論。

はい。まずは新連載のお知らせです。「80年代音楽エンタメコミュニティ」の「Re:minder」で連載を持たせていただきます。ぜひご一読下さい。

テレビ朝日の日曜深夜にやっている『関ジャム 完全燃SHOW』という番組が面白い。NHKでやっていた『亀田音楽専門学校』に近い音楽解析番組なのだが、より実戦的で、具体的で、毎回面白く仕上がってくる。

で、前回(3/26)のテーマはベース。告知に矢沢永吉の名前もあったので、かなり本格的・本質的なベース論になるかと期待して観た。ゲストは、根岸孝旨、KenKen、ハマ・オカモト。

ただし残念だったのは、スラップ奏法などの「テクニック論」が中心で、対して「グルーヴ論」が貧弱だった印象を受けたこと。ワタシは、ベースによる「グルーヴ論」を、彼らから聴きたかった。

また、キャロルにおける矢沢永吉のベースについても、しっかりと語られず、こちらも残念だった。

さてここで、ワタシが語りたいのは、キャロルに加えて、ザ・スパイダースによる「伝説的なグルーヴ」についてである。

まずキャロルで言えば、何といっても75年の解散コンサートにおける《グッド・オールドR&R》である。同じことをすでに何度も書いているが、大切なことなので何度も書く。この「安定しながらぐんぐん前に進む」グルーヴは素晴らしいと。

今の日本のバンドの演奏は、当時から比べたら、飛躍的に上手くなっている。また音響設備は比較にならないだろう。しかし、キャロルのこの演奏には、そういう時代的要素を蹴っ飛ばして、現代のリスナーの腰を動かさせる何かが注入されている。

シンプルに言えば、人前で演奏する場数が、このグルーヴを培ったと思う。矢沢永吉『成り上がり』(角川文庫)で語られている、まるでビートルズのハングルク時代のような生活。1日に何回も何曲も演奏する・させられる生活。

そういう経験が、このグルーヴの背景にあるのだろう。そして今のバンドは、そこまでの過酷な演奏体験をしていないはず。なので、このグルーヴに届かない。人前(じゃなきゃダメ)での演奏を繰り返すことによってしか得られないグルーヴがあると思うのだ。

そして、同じく「伝説的なグルーヴ」が完成していると思ったのが、、ザ・スパイダースの《ジョニー・B・グッド》である。

この爆発的なグルーヴはどうだろう。残念ながら音の分離が悪く、渾然一体となって聴こえてくるのだが、その分、キャロルよりも熱気が保存されている気がする。これもジャズ喫茶での演奏体験が生んだもののはずだ。

この点については、かまやつひろし自身の、実に興味深い発言がある。かまやつひろし『ムッシュ!』(文春文庫)において、当時、ロックンロールのスタンダード=《ジョニー・B・グッド》の演奏に目覚めるシーン。

「ロックンロールはシャッフル(八分音符を跳ねさせるリズム)だったのだ。それを、ほとんどのバンドは、(四分音符*だけの)エイト・ビートで叩いていた。それでは単調なスリー・コードだからもたないし、気持ち的にだんだん遅くなって白けてしまうのである。そこで、ギターだけエイト・ビートで、ドラムはシャッフル・ビートでたたいてみた。すると『おお、前に行くぞ!』ということになった」

*鈴木註:「八分音符」の誤記と思われる。

いかにも感覚的にしか語られない「グルーヴ論」に、理論的な奥行きを与えたいと思う。肉体的にはピンと来る、この「腰が動く」感覚は、どのように形成されるのかを、体系的に知りたいと思う。『関ジャム』にはそういう分析を期待したい。

そんな「グルーヴ論」のヒントが、かまやつひろしの先の発言の中にあると思う。そして、そういうグルーヴの真ん中に、ベースがあるということだけはよく分かっているつもり。



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