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20160924/もしビートルズが数年早く来日していたら、日本のロックはどうなっただろう。

映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK』を観た。ビートルズのライブに焦点を絞った奇妙な映画で、マニアにとっては食い足りなく、ビギナーにとっては消化不良になりそうな感じがした。

ただし見どころがあって、それは初期のライブにおけるリンゴ・スターのドラムの素晴らしさである。ここで何度も書いているが、ドラミングが、エイトビートでありながら、スウィングしているのだ。

※参考「20150531/スウィングとビートのせめぎ合い(2)~リンゴ・スターが生んだ『スウィングするエイト・ビート』の功績」

偶然面白い映像を見つけた。ビートルズの初期楽曲の中で、もっともノリがいい曲の1つ、《I Saw Her Standing There》について、普通のビートルズと、リンゴ抜き・代役ジミー・ニコルのビートルズの違い。

上の方=リンゴの方が、俄然スウィングしているのが分かる。「スウィング」の概念が分かりにくければ、腰が自然に横に動くリズムと言い換えてよい。

そして、この映画を観て思うのは、日本公演における、あの残念な演奏である。

これが上の《I Saw Her Standing There》を演奏したバンドと同じかよ?と驚く。スウィング云々どころか、人前で演奏をすることへのモラル自体を失っている演奏である。

(1)長年のコンサート活動の疲労による、上記モラル低下

(2)PAシステムが無い中で、会場が極端に「大箱」化し、ちゃんと演奏がモニターできない状態の演奏であったこと(特に、初のコンサートであった武道館ではひどい状況だったと推測)

(3)ビートルズ自身の黒人音楽志向が薄まり、スウィングに絶対的な価値を置かなくなったこと

などが、その理由として考えられるが、それにしてもグダグダな演奏だった。そしてこのグダグダな演奏をまなじり決して見つめて、スパイダースが、タイガースが、その他グループサウンズは音楽を志したのである。

で、今回私が書きたいのは、もしビートルズの日本公演が数年早く、例えば、新宿厚生年金会館などで行われたとしたら、日本の音楽シーンはどうなっただろうということだ。

大げさに言えば、日本のロックは、数年早く根付いたのではないかと思われるのである。はっぴいえんどが60年代後半に、サザンオールスターズが70年代の初めにデビューしたかもしれない。

それぐらい、63~64年頃のリンゴ・スターの、ひたすらスウィングするエイトビートは凄かった。逆に言えば、それぐらい、ビートルズの日本公演の演奏はグダグダだった。

リズムとは、ロックンロールの本質だと思う。この映画は、ビートルズの本質が、初期のリンゴのドラミングにあるということに気づかされる映画である。見るときには、ぜひリンゴに注目・注耳していだきたい。



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20160918/フェスの時代には史家が必要だ。

『週刊ベースボール』誌の連載コラムで、「甲子園フェス」という造語を使った。ここ数年の夏の甲子園の盛り上がりへの形容。高校野球自体というより、いわゆるロック・フェスのように、そこ(甲子園)に行くこと自体が、目的化している感じを表現するための造語。

正直、多少否定的なニュアンスを込めてはいるが、それほど否定したいわけでもない。むしろ「甲子園フェス」としてやってくるライトファンは、高校野球界にとってのチャンスだと思う。考えるべきは、ライトファンの盛り上がりをどうビジネス化して、高校野球界の発展につなげるかである。

というわけで、ロック・フェス、「甲子園フェス」、そしてプロ野球の「フェス」(カープ・フェス、ベイスターズ・フェス……)。ライトファンが支えていそうな盛り上がりは、結構なことではある。しかし、それだけに留まっているかぎり、盛り上がりは永続化しない。

フェスはいつか終わるのだから。

次なる論点は、ライトファンのヘビーファン化である。ライトファンの中から、マニア、フリーク、ヘビーなファンを生み出し、永続的なビジネスソースとすることである。

ライトファンの獲得は、マーケッターの仕事。そして、ライトファンのヘビーファン化は、史家の仕事ではないかと思うのだ。

「史家」という言葉は、水道橋博士がたまに使う言葉。ヘビーファンになるきっかけは、歴史への関心だと思う。歴史への関心こそが、目の前のコンテンツの見方に対して奥行きを与え、ヘビーファンへのきっかけとなる。

たとえば、その水道橋博士による史家揃いのメルマガ=『水道橋博士のメルマ旬報』における、ワタシの連載『1984年の歌謡曲』で取り上げた秋元康。何かと否定的に取り扱われやすい秋元だが、松本隆を蹴っ飛ばした「1980年代中盤の秋元康」を知っていたら、AKB系の作詞だけで彼を否定することが、いかにツマラないかがよく分かる。

同じように、山田哲人を見るときに、2005年の今岡誠を比較対象としてみれば、山田の価値にくっきりとした輪郭が与えられそうだし、今年躍進したカープの野村祐輔を見るたび、2007年の夏の甲子園の決勝戦、明らかなストライクをボールと判定され、泣きそうになった広陵高校の野村くんを思い出して、深く感じ入ったりするのである。

史家は、単にマニアックな歴史知識を披露するだけでなく、目の前のコンテンツの楽しみ方に、奥行き・深みを与えるようなプレゼンテーションをしなければならない(それを「批評」という)。そして、その結果としてのヘビーファン拡大によって、そのコンテンツビジネスの、永続的な発展に貢献しなければならないと思う。

ロック界・野球界・お笑い界には、史家が必要だ。ロック界・野球界・お笑い界には、史家が足りない。このままだと、いつかダメになってしまう。フェスはいつか終わるのだから―――



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20160911/映画『シング・ストリート』評~NOKKOとシャケのラブ・ストーリー映画が観たい。

つい、この間まで『シン・ゴジラ』で大騒ぎしていたかと思ったら、今はすっかり『君の名は。』一色である。

さすがの私も両方観たけれど、どちらもとてもよく出来ていて、大満足したのだが、アラフィフの私にとっては、語らなければならない映画がもう1つあった。

『シング・ストリート』。1985年のアイルランド・ダブリンを舞台に、海の(ちょっとだけ)向こうのロンドンから運ばれてくる最新のロックに憧れる男の子と女の子の物語。

洋画で、いい音楽映画を見ると、必ず思うのは、「こういうのが日本で出来ないのかなぁ」ということ。

20160305/映画『レッキング・クルー』評~松原正樹のドキュメンタリー映画が観たい。

20141025/果たして、日本で『ジャージー・ボーイズ』のような映画を作ることはできないものか。

『レッキング・クルー』のときには、日本に置き換えて、ギタリスト・松原正樹の伝記映画が観たいと思い、『ジャージー・ボーイズ』のときは、グッチ裕三とモト冬樹を主人公にした「ビジー・ボーイズ」を妄想した。

そして今回。今回思い出したのは、レベッカのNOKKOと、レッド・ウォーリアーズのシャケ(木暮武彦)のラブ・ストーリーである。

『ROCKIN' ON JAPAN FILE vol2』という本がある。1989年の5月に発売されたもので、物持ちのいいワタシは未だに持っている。そして、その中の木暮武彦のインタビューがもう最高で。

こんな感じのいかにも渋谷陽一っぽいイントロから始まる「2万字インタビュー」。

80年代の前半、埼玉近辺のアマチュアロック界で出会ったNOKKOとシャケが、恋仲になり、ロス・アンジェルスに逃避行、向こうで、なぜか布施明に会って、日本料理屋で働いて、バンドをやろうとするも、金が無くなり、傷心のまま帰国するスラップスティック・ストーリー。

その後、2人はレベッカとしてデビューするも、後藤次利とぶつかってシャケは離脱。NOKKOとシャケは別れ、そしてレベッカとレッド・ウォーリアーズは、それぞれブレイクしていく―――

面白そうでしょう? ご興味ある向きはぜひ読んでいただきたい。特に、映画やテレビの脚本を書いている人!

映画に限らず、テレビも含めて、80年代の青春シーンを描いた作品が少ない気がする。それは、60年代や70年代に比べて、80年代が文化的に貧困だったというわけではなく、今の映画・テレビ業界の「80年代をさかのぼるチカラ」が貧困なのではないか、と思う。



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20160910/カープ優勝に寄せて~今季のカープをめぐる最も美しい言葉。

20160903/大沢誉志幸『そして僕は途方に暮れる』の聴き方。

今回は、『水道橋博士のメルマ旬報』で連載している「1984年の歌謡曲」からの抜粋です。これくらいの筆圧の連載が、毎月約50本読めて、月500円は激安。ぜひ、下のリンクから、ご購読ください。

■大村雅朗による「ナインス」(9th)の音が、80年代後半を呼び寄せる大傑作。

作詞:銀色夏生
作曲:大沢誉志幸
編曲:大村雅朗
84年9月21日発売
売上枚数:28.2万枚
最高位:6位
1984年・年間ランキング:37位
名曲度:★★★★★
84年象徴度:★★★★☆

名作、というより傑作、そして意欲作。「名曲度」は文句なく5つ星だが、細かく刻めば、4.5~4.9を四捨五入繰り上げての「5」ではなく、5.0~5.4を繰り下げての「5」である。つまりは「1984年の歌謡曲」を代表する傑作であり、この連載の1つのヤマであるとまで言い切れる。決して盛っているつもりはない。

作曲家として「デビュー前に100万枚売った男」と言われた大沢(現大澤)誉志幸が、自身の歌う曲で28.2万枚売ったという話。資生堂のタイアップが付いて大ヒットが見込まれた、4月発売の『その気×××』が11万枚にとどまったことを考えると、起死回生のヒットと言える。

当然それは、歌詞やメロディ、歌の功績も大きいのだが、ヒットへの最大の貢献者は、アレンジの大村雅朗である。そのあたりの話を、先日発売された雑誌『昭和40年男6月号』(クレタパブリッシング)に掲載された、大沢本人のインタビューから拾う。

「イントロはもともとシンプルなコードだったのですが、大村さんは原曲にナインスという音を加えました。(中略)この音を加えることで、イントロに独特の浮遊感が生み出されました。この曲を聴いてくださった多くの方が、イントロが印象に残ると誉めてくれますが、そのイメージを決定したのは大村さんの編曲が大きいと思います」

「ナインス」とは「9th」のことで、簡単に(乱暴に)言えば、「レ」の音のこと。この曲のイントロの1小節目は、ドミソの和音で「♪レレ・レレレミ」という音が鳴っている(キーはC)。それどころか、「♪レレ・レレレミ」は、全編にわたって鳴り続けている。

このアレンジは「攻めている」。同じく大村の手による薬師丸ひろ子『メイン・テーマ』よりも、大胆に攻めている。大成功するか、大失敗するかのギャンブルだったはずだ。結果は当然、超が付く大成功だったのだが。

その「ナインス」を駆使したカラオケは、おそらく、ほぼ全編打ち込み(コンピューター演奏)で作られていると思われる。イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)は前年に「散開」。彼らが遺したデジタルサウンドは、大村らの手によって、いよいよ市民権を得て、中高生の自室のラジカセを経て、お茶の間へと浸透していく。

そんなデジタルで無機質なカラオケに対して、大沢の動物的なハスキーボーカルが乗る。このデジタル演奏+アナログ歌唱のミスマッチ感覚は、当時、全盛期を迎えていたホール&オーツの方法論に等しい。言わば、「ブルー・アイド・ソウル」に対する「イエロー・スキンド・ソウル」のテイストだ。

歌詞は銀色夏生。『昭和40年男 6月号』によれば、このころ銀色はまだアマチュアで、「詩の断片のようなもの」をレコード会社に送っていた。それを見た大沢側から複数の詩を依頼し、その中にあった「途方に暮れる」というフレーズを核に、この曲が作られたらしい。これを契機に、銀色はブレイク。90年代には、文庫本の棚の一角を占め続けることとなる。

個人的に好きなフレーズは、タイトルの「そして僕は途方に暮れる」に加えて、「♪君の選んだことだから きっと大丈夫さ」。歌詞の世界は、大沢が所属していた渡辺プロの大先輩にして、大沢の楽曲を多数歌った、沢田研二の代表作『勝手にしやがれ』に近しいが、『勝手に~』の歌詞(阿久悠)にあった情念のようなものが削ぎ落されていて、カラッと乾いている。

ざっくり言えば「コピーライター感覚の歌詞」ということになるが、コピーライター出身・売野雅勇の歌詞よりも商売っ気がなく、まるで無色透明な言葉づかいである。

大村雅朗、大沢誉志幸、銀色夏生。このトリオが生み出したこの傑作は、84年の秋口までたどり着いたこの連載の中で、これまでの楽曲にはない異彩を放っている。言い換えれば、80年代後半の音が前倒しで、ここに置かれている感じだ。80年代後半を制覇したソニー軍団=渡辺美里が、尾崎豊が、小室哲哉が、そして岡村靖幸が、もうそこに待ち構えている。手ぐすね引いて待っている。

―――という傑作、意欲作が、日清食品カップヌードルの、これまたよく出来たCM映像の背景に流れ、ヒットしたという次第である。というわけで、この曲を改めて入手するには、『カップヌードルCMソングコレクション』(ソニー)というコンピレーションがいい。実にお買い得な収録曲。

1.日清カップヌードルハッピーじゃないか/笠井紀美子
2.ボーンフリー・スピリット/ロブバード
3.そして僕は途方に暮れる/大沢誉志幸
4.翼の折れたエンジェル/中村あゆみ
5.ff(フォルティシモ)/ハウンドドッグ
6.ガラス越しに消えた夏/鈴木雅之
7.地図をください/遊佐未森
8.太陽と埃の中で/CHAGE&ASKA
9.CHANGE YOURSELF/布袋寅泰
10.ONLY YOU/プラターズ

この中では、鈴木雅之『ガラス越しに消えた夏』も大沢の作曲。84年秋。大沢は、途方に暮れることなく、ガラス越しに見える80年代後半の音楽シーンを、しっかりと見据えていた。

(映像)というわけで、オリジナル音源は『カップヌードルCMソングコレクション』で聴いていただくとして、今回は、『そして僕は途方に暮れる』をタイアップで使った日清カップヌードルのCMを3本まとめて。



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20160827/いとうせいこうフェスに寄せて~その日本一コトバが聴き取りやすい声について。

「いとうせいこうフェス」というイベントに行くことにした。コンサートやライブには、年に数度しか行かないという、変わった「音楽評論家」なのだが、今回は行かせていただく。

ワタシとせいこう氏の関係があるとすれば、それは1988年にFM東京(現TFM)でオンエアされていた『東京ラジカルミステリーナイト』という番組である。ただ、その関係性はうっすらとしたもので、せいこう氏はメインMC、ワタシは、その番組に巣食う大学生サポート集団=「AUプロジェクト」の一員。

ちなみに、その番組が出していたフリーペーパー「ラジカル文庫」が、ワタシのライター活動の第一歩である。そこで書きはじめてから、自著処女作の出版(上記ギター本)までには、25年かかっている。

さて、話はちょっとだけ横にそれるが、そのフリーペーパーに書いた原稿。テーマは「邦楽チルドレンとボーカルスタイル」。私が28年前、1988年に書いた「研究論文」。

思えば日本のロックボーカリスト史(?)は、日本語を歪めていく過程であった。大滝詠一、矢沢永吉、桑田佳祐、佐野元春らが、一つの音符に言葉を詰め込んだり、カ行やタ行の発音を強めたり、また歌詞に英語を導入したりして、少しでも洋楽の雰囲気をだそうと努力してきた歴史なのである。

で、なぜ彼らがそこまでして洋楽に近付きたかったかというと、それは勿論、彼らが感動し、触発された音楽が洋楽であったからだ。リトル・フィートが好きだった桑田佳祐はローウェル・ジョージの歌い方を日本語でやってみた。「サムデイ」の佐野元春の歌い方(曲調)はもろスプリングスティーンである。

今の若いロッカーたちだって、基本的にはほとんどが邦楽より洋楽に強い影響を受けているはずだ。だからこそ、言葉を歪めた歌い方や、英語のフレーズが未だに残っているのである。

しかし、今の邦楽ロックの聞き手の主な層である中高生は、20代(特に後半)とは比べものにならないほど、洋楽を体験していない。というよりも彼らにとっては、気がつけば邦楽ロックがそばにあったという感覚だろう。

そうなればわざわざ洋楽なんて聴こうとは思わないはずだ。たとえ歌詞に英語のフレーズがあったとしても、とりあえずは意味の分かる日本語をビートに乗せてくれるロックが身近にあるのだから。

このようにして育ってきた彼らのセンスは、未だに洋楽志向のミュージシャンたちのセンスとはかけ離れてきている。「邦楽チルドレン」がより増えるであろう90年代以降は「洋楽的カッコよさ」はもっともっと聞き手に通じなくなっていくはずだ。

とすれば、例えばブルーハーツの方法論などがこれから主流になっていくのではないか?ほぼ日本語のみの歌詞を、意味が分かるように歌い上げるヒロトのボーカルは、今の、そしてこれからの邦楽ロックの聞き手のニーズに非常にあっていると思う。

私などは「基本的に邦楽ロックで育ってきたが、少しは洋楽も聴いてきた」世代に属すると思うのだが、その私でも必要以上に言葉を歪めた歌い方や、いきなりサビで意味の分らない英語になってしまう歌詞には強い嫌悪感を覚えはじめている。

歌っている本人が洋楽に憧れてきたことなんて、私(たち)には関係のないことだ。求めているのは、いきいきとした日本語のメッセージなのだ。だから言いきってしまおう。ブルーハーツに比べると、桑田や元春が生み出したボーカル・スタイルは古い。完全に古いのである、と。

勿論、ロックが海の向こうで生まれたものである限り、邦楽ロックにとって洋楽は「前提」である。しかし「前提」は「結論」ではない。前提を簡単にくつがえしてしまうのも、ロックの持つ魅力じゃなかったか?

話を戻すと、私にとってのせいこう氏とは、「日本一コトバが聴き取りやすい声を持つラッパー」である。後のスチャダラBOSEもいい線まで行くが、時期的に早かったせいこう氏の方が圧倒的にショッキングだった。なぜなら、上で書いたような「意味が分かる日本語のリリックの時代の到来」を、強烈に予感させたからである。

音楽作品で言えば、まずは《東京ブロンクス》のライブバージョン(アルバム『BODY BLOW』)、そして《噂だけの世紀末》。すべて、コトバが極めて明快に聴きとれる。そう、あの声は、ちょっとした事件だった。

そして、最もショッキングだったのは、桑田佳祐とのコラボレーション《ジャンクビート東京》。何がシヨックだったかと言って、上で書いた「進歩史観」の中で、「日本語とビートの関係性の最前線」が、桑田佳祐からせいこう氏に、手渡された瞬間と感じたからだ。

日本語をを歪めまくった桑田佳祐のラップ(?)の途中で、歯切れのいい明快なコトバで割り込んでくるせいこう氏。そして、その割り込むときのリリックが、これがまた。

♪You Know Me Do You Know Me You Know Me 湯のみ 茶わん 土瓶 なべ かま こげちゃった おぼん

その後、上の「進歩史観」の予言通りに進んだかどうかは、何とも言えない。むしろラップは、聴きとりにくくなった、もしくは聴き取れるが、ライムを優先することで、「聴き取れても意味がよく分からないコトバ遣い」(ということは聴き取れても意味がない)になっているものが多くなった。

それでも、80年代末、つまりは、ワタシの青春時代ど真ん中に、明快な日本語がビートに乗ることを、体感したことは大きい。コトバを大切にして音楽に向かおう。そんなスタンスは、今になっても、何ら変わることはない。

いとうせいこうフェス。公式サイトにあるように。多数のゲストが来るようだが、正直、特に若いゲストの「リスペクト」などどうでもよろしい。年季が違う『東京ラジカルミステリーナイト』出身のワタシとしては。まずはとにかく、せいこう氏のラップを堪能したい。

しゃべる言葉ひとつひとつが
そのままでビートを打ち出す
俺の寝言にみんな驚く
全部4小節に区切れてる

《マイク一本》(アルバム『MESS/AGE』収録)

(参考)サイト過去作「20100905/いとうせいこうを好きすぎた頃」



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20160820/SMAPは、オンリーワンの歌によって、ナンバーワンの重圧を背負い込んだと思う。

SMAPの楽曲(シングル)が、圧倒的なオリジナリティとクリエイティビティを持っていたのは、94年から97年あたりだと思う。この輝かしいラインナップ。

・1994年9月9日《がんばりましょう》
・1994年12月21日《たぶんオーライ》
・1995年3月3日《KANSHAして》
・1995年9月9日《どんないいこと》
・1995年11月11日《俺たちに明日はある》
・1996年7月15日《青いイナズマ》
・1996年11月18日《SHAKE》
・1997年2月26日《ダイナマイト》
・1997年5月14日《セロリ》

このクオリティの連発は、日本のポップス史上でも、画期的なことではないだろうか。

思い出すのは、阪神大震災や、地下鉄サリン事件など、きわめて物騒な1995年の風景である。あの風景に対して、SMAPのやんちゃな姿と、抜群の楽曲たちはよく映えた。ワタシは熱心なリスナーではなかったものの、これらの楽曲、特に《がんばりましょう》あたりは好んで聴いていた。

・1998年1月14日《夜空ノムコウ》
・2000年8月30日《らいおんハート》

このあたりは、シングルCDも買って、好んで聴いて歌ったものの、徐々にやんちゃ感が失われてきたという感じは否めなかった。あとは、小泉純一郎のメルマガのタイトルとしての「らいおんはーと」(あの騒ぎは一体何だったのか)。思えば、あのメルマガの件は、SMAPの「ある利用のされ方」の端緒だった。

・2003年3月5日《世界に一つだけの花》

ワタシが思うのは、この曲以降、上で書いたような圧倒的な楽曲パワーが失われた感じがしたことである。

言い換えれば、この「オンリーワンの歌」に反して、ナンバーワンである重圧を背負わされ、《がんばりましょう》から《セロリ》までの楽曲にあったオンリーワン性が失われたのではないか、という読みだ。

とにかく、《世界に一つだけの花》は、いろんな場所で持ち上げられ、利用された。これはすなわち、一億人による一億通りの想いを託されたということ。

それくらい「ナンバーワンよりオンリーワン」というメッセージは便利で、都合がよく、そして、一億通りの多様な解釈ができるほどに、中身が無かったと思う。

そしてその結果、《がんばりましょう》のような軽やかな楽曲を歌いにくくなった、もしくは、歌っても、聴き手が、そういう軽やかな捉え方をしにくくなったということではないか。

《世界に一つだけの花》が無ければ、SMAPはずっとオンリーワンで居続けることが出来たかも知れない。

最近のSMAPに関する報道は、ひどく重苦しい。メンバー間の確執、事務所とのいざこざ、それに対するファンの哀しみ。あのやんちゃボーイズたちが、どうして、こんなに重苦しい存在になってしまったのか。

つまるところ、ナンバーワンになることより、オンリーワンで居続けることのほうが、はるかに困難なのだと思う。そしてワタシは、圧倒的なオンリーワンだった、《がんばりましょう》から《セロリ》あたりの楽曲と、あのころのSMAPを愛する者である。



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20160815/『熱闘甲子園』的なるものが、夏の甲子園の変革を遅らせているのではないか。

ここ数年そうだが、テレビで見る限り、夏の甲子園の観客動員がいよいよ凄いことなっている。

ワタシも毎年足を運んでいたが、今年は予定が合わずに行けなさそうだ。でも気持ちの半分は、「別に行かなくてもいいか」という気持ちにもなっている。その1つの理由が、立錐の余地もない観客席である。

では、そんなに「甲子園マニア」が増えたのだろうか。目測でいえば、そういう感じはしない。スコアブックを付けたり、打撃フォームを解析したりはしない、あんがい普通の、いわば「甲子園ファン」を吸引しているからこそ、あれだけの動員ができていると見る。

では、その「甲子園ファン」を育成しているものは何か。ワタシはその1つの要因として、『熱闘甲子園』があるのではないかと思うのだ。もう少し抽象化して、「『熱闘甲子園』的なるもの」と言い換えてもいい。

その本質を一言でいえば、「バックストーリー主義」である。プレーそのものではなく、性格や、生い立ち、家族環境、ひいては、ご飯何杯食べるかなど、プレーの背景にある(些末)事象を軸に、夏の甲子園を愉しむというものである。

と、客観的に書くが、かくいうワタシも、数年前までは『熱闘甲子園』的なるものが大好きだった。だが、昨年今年と、そういうセンスが、決して「夏の甲子園のためにならない」という気がしてきたのだ。

観客動員が増える。それは世論の支持を受けたということにつながる。そういうことが「女子マネージャーは決してフィールドに入れない」という保守的な考えの容認につながらないか。そういうことが「いちじるしく不快な関西の炎天下の中で野球をさせる」という、一種の「暴力」の容認につながらないか。

炎天下に甲子園の客席で観ていると、ギラギラした陽射しの中でボーッとしてくる中、一種の麻薬が身体に浸透していく感覚に陥る。「ここで行われていることはすべて美しい。すべて青春だ。かげがえのないものだ」と思わせる・思い込む麻薬。

転じて、今年の『熱闘甲子園』のテーマソングはAKB48。彼女たちに代表される昨今のアイドル界も、「バックストーリー主義」が横行している。曲やパフォーマンスそのものではなく、それらに向けて、健気に努力をしている「素顔」のフィーチュア。

逆に言えば、そんな時代の中で、『熱闘甲子園』側は鉱脈をつかんだのかもしれない。そして事実、観客動員は伸び、満員御礼状態が続いている。その結果、夏の甲子園の変革が、一年一年遅れていくのだとしたら―――

「高校野球女子マネ問題~参加、反対が大勢 高野連の委員会」(毎日新聞)

「熱闘」しなれはならないのは、こういうことを温存する勢力とではないのか。

というわけで、今年は少し、甲子園と距離を置くことにする。常習性を断てば、麻薬なんて怖くない。

【参考】
20140728/夏の甲子園を15時開始にできないか?
20150810/夏の甲子園は教育の一環なのだからこそ、もっとビジネス化するべきである。
20110605/夏の甲子園に「節電タイム」を。



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20160730/スージー鈴木の「思い出の東京レコード店ベスト3」。

上品な仕上がりの本。楽しく読んだ。

行きがかり上、このワタシも、レコード・コレクターみたいに取り扱われることが多くなってきたが、そういう方面で、何人か、「この人には負けます。降参」と言いたくなる人がいる。この本の著者、鈴木啓之さんもその一人。ワタシなど足元にも及ばない。

日本有数のレコード・コレクターにして、「アーカイヴァー」の鈴木さんによる、レコード店を軸とした東京散歩本。この本を読んで、東京のいろんな街に思いをはせ、東京のいろんなレコード屋を思い出した。

ワタシにとって、思い出深い東京のレコード屋、ベスト3と言えば・・・

【3位:秋葉原・石丸電気のレコード売り場】

この本でも取り上げられているが、とにかく品揃えが充実していて、そして歌手名順を細かに分類・陳列していた印象がある。つまり、サディスティック・ミカ・バンドのLPが、「サシスセソ」ではなく、「サディスティック・ミカ・バンド」という独立コーナーにあったのだ。

なんでそんなことを覚えているかというと、上京してすぐ(1986年)、ここでミカ・バンドの『黒船』を買ったことを、強烈に覚えているからだ。

【2位:早稲田大学生協のレコード売り場】

通っていた早稲田大学本部キャンパスの地下にあった、生協のレコード屋。たしか、生協会員の学生だとレコードは2割引だったはず。ただし、2割引だからか、レコードを包むビニール袋は非常に薄かった。

ここで買ったのは、こちらも上京すぐ、はっぴいえんどの『風街ろまん』。要するに、ワタシの日本ロック史研究は、早大に入学してすぐ、東京で始まったのだ。

【1位:高田馬場タイム】

1位は中古レコード屋。高田馬場駅から、早稲田通りを早大方向に少しだけ行ったあたりの右側にある、名門中古レコード店。ここのレコードを包むビニール袋は、生協とは逆で、ものすごく厚かった。それで時間が経つと裂けてくる。とにかく沢山買った。店もまだあるはず。以下は2011年6月のツイート。

追記:高田馬場タイムは、今年の1月をもって閉店していました。残念→公式サイト

写真は、石丸電気で買った『黒船』、早稲田大学生協で買った『風街ろまん』、タイムで買った荒井由実『コバルト・アワー』を、ビニール袋付きで。

なお、スージー鈴木と鈴木啓之さんがコラボレーションした、1999年発売の野球音楽コンピレーション、『野球小僧』はまだ入手可能。ぜひ、お買い求めください。高田馬場タイムで(笑)



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20160724/『熱闘甲子園』と秋元康。

『熱闘甲子園』の季節がやってくる。『熱闘~』と言えば、何といっても2009年版。それも最終回のエンディング。

これにヤラれたものだから、その後も楽しみに観ている。残念ながら、内容、選曲ともに、2009年を上回る年は無いけれど。

そして、今年の『熱闘~』公式サイトを見る。驚いた。テーマソングはAKB48で、ご丁寧に、秋元康のコメントが掲載されているのだ。

【秋元康コメント】高校野球が好きだ。甲子園のテレビ中継を観ているだけで、なぜか、涙が出てくる。 白球は夢だ。全員が、その夢を必死に追う姿に感動する。AKB48のコンセプトを説明する時に、何度も高校野球を例に使わせていただいた。『夢は1日にして成らず』(後略)

【池上義博楽曲担当(ABC)コメント】晴れやかな衣装に身をまといハツラツとした振り付けで熱唱するAKB48の華やかなステージ。その影には、人知れぬ努力と涙、葛藤があるはず。また、仲間でありライバルでもあるチームメイトと切磋琢磨する彼女たちの姿が、まさに高校球児と相重なり、今回、AKB48に高校野球応援ソングを依頼しました(後略)

ワタシは正直、けっこうな違和感を感じたのだ。その違和感は3つに分解できる。

(1)「1986年の秋元康」を知っている人間としての違和感
(2)AKBが「夢・努力・涙」で美化されていることについての違和感
(3)その「夢・努力・涙」で、AKBと夏の甲子園が一緒くたにされていることについての違和感

(1)は、若いころにこういう帯の本を読んだ身としての違和感である。何、いい話してんだよと。ただ、この本から30年後の話である。まぁ、大目に見てもいい。

※余談だが、ワタシほど「1986年の秋元康」を称賛している評論家はいないと思う。この音源の10分くらいを参照のこと(ニッポン放送『キキマス!』出演音源。ダイノジ大谷ノブ彦氏、マキタスポーツ氏と)

(2)については、AKB(系グループ)が、ここで指摘した「物語消費」に支えられていることへの違和感でもある。ワタシ自身は、アイドル、大衆音楽全体に対して、「夢・努力・涙」などの「物語」(経緯)ではなく、コンテンツ(結果)そのもの(だけ)と向きあっていきたいと思っている。

が、しかし、個人的に強烈な違和感=ショックだったのは(3)だ。というのは、よく考えると、(3)の違和感を感じるのは、実はごくごく少数で、世の中は、AKBと夏の甲子園を、かなり近いものとして捉えているんじゃないか、ということに気付くからだ。

AKBの「夢・努力・涙」物語=高校野球の「夢・努力・涙」物語。それぞれのファンは、そこに耽溺(たんでき)している。同じじゃないか。そして、その構造の中に、『熱闘~』好きのワタシも入っているじゃないか。

まぁ、冷静に考えてみれば、AKBはビジネスだからまだいいとして、夏の甲子園は、教育の一環なのである。なのに、(何度も書くが)関西地区の真夏の炎天下という殺人的な環境でプレーさせられるという、サディスティックな側面が、「夢・努力・涙」物語の名の下で美化され、問題が温存される。

そして、そんな構造の旗頭として、『熱闘~』がある。

こんな、よく考えたら当たり前のことに気付いた、いや、気付いてはいたが、気付いていないフリをしていたのだが、秋元康の言葉で、気付いていないフリが、もう出来なくなったというべきか。

とはいえ、今年も『熱闘~』は観てしまうだろうと思う。ただ、その中で、AKBの曲が流れるたびに、鋭いものが突きつけられるような感覚に陥るだろう。



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20160716/アンダークラスのためのロックンロールと政治家を。

新サイトに引っ越しました。アドレスは「http://suzie.boy.jp/」とシンプルになっております。17年を超えて、まだまだ「手書きHTML」形式で更新していきます。よろしくご愛読のほど。

さて、選挙に関連した書き物の中で、もっとも合点がいったのが、これ。

「若者は、選挙にもフジロックにも行かない」(田中俊英)

以下抜粋。

「7月の参院選も、年に一度のフジロックも知らない、というか『別世界』という若者も多数存在する。アンダークラス(「下流」階層)若者に多いのであるが、20年前と異なるのは、これらのアンダークラスが、この日本に大きなボリュームをもった固定階層として存在しているということだ」

「年に1回バイト代を貯めこんでフジロックに参加するバンド野郎などは、音楽生活を通して経済的には貧困でありながら文化資本だけは充実している若者がいたりする」

「アンダークラスで非正規雇用という階層で生活していると、多くは『文化資本』(習慣やモノや知識等)まで貧困になるから、グローバリゼーションや最新の社会科学議論は当然知らない」

「『ロックを聴く』ということは、実はロックという文化資本を通してさまざまな文化言語を習得することでもあり、僕が貧困高校生に知ってほしいのは、おカネはなくとも『文化』から生活の幅を広げていく、ということだったりする」

「非正規雇用は全労働者の4割を占めており、これをそのままアンダークラスと捉えていいと僕は思う」

「25才以下でみると、男女ともに非正規雇用が多くなる。この意味で階層社会とは、女性全世代と(25才以下の)若者全体の問題ということになる」

「今年のフジロックでスピーチするというSEALsの奥田氏はアンダークラスではないだろうし(大学等から勝手に推測しています、間違ったらスミマセン)、それを批判的に論じる人々も、メディアで登場できるだけの学力を積み重ねることができたという時点でミドルクラスより上だと思う」

「そんなミドルクラスや文化資本補強組が想像できないたくさんのたくさんの若者がアンダークラスに組み込まれており、彼女ら彼らは『選挙』を自分とは別世界のものだと捉えている」

「たくさんのたくさんの声なき層(日本のサバルタン)の声を吸収できる政党がないことも悲劇だ」

長く引用したのは、この田中俊英という書き手が優秀だと思ったからで、かつ、今回の選挙に関するモヤモヤした部分(の一部)がすーっと晴れたから。

全体の4割(若者ではそれ以上)を占める「アンダークラス」は選挙どころではない。そして「アンダークラス」のための政党がない。ここが問題の本質ではないかと。

「アンダークラス」という言い方に、抵抗感がある人もいようが、ワタシは、彼らの問題を可視化するために、「アンダークラス」という言葉が普及していくのはいいことだと思っている。

で、結論としては、この筆者と同じく、ワタシも、「おカネはなくとも『文化』から生活の幅を広げていく」、つまり「ロックを聴く」ことを強く勧めたいと思う。

でも、ここで政治と同じ問題に突き当たる―――「アンダークラス」のためのロックバンドがない! 強く思うのは、いつか書いたように「日本のクラッシュ、平成のブルーハーツよ出でよ」ということだ。

そして政治の話に戻れば、「アンダークラス」のための政策メッセージを、「アンダークラス」のためのメディアを使って、伝えることが出来る政党・政治家が求められていて、かつ、そういう政党・政治家がいなかったことが、今回の与党の圧勝につながっていると思うのだ。

「俺は俺の死を死にたい」(ザ・ブルーハーツ/作詞:真島昌利)

誰かの無知や偏見で
俺は死にたくはないんだ
誰かの傲慢のせいで
俺は死にたくはないんだ

果たして、「アンダークラス」のこういう気持ちに火をつける、ロックンロールと政治家はいないものか。



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20160703/山田太一チルドレンとしての宮藤官九郎。

目からウロコの文章を書く人は、世の中にまだまだいる。同志(と、僭越だが、勝手に呼ばせていただく)の近藤正高氏によるこの文章。「これでもくらえ」と言いたくなるような劇的な分析である。

「ゆとりですがなにか」は2016年の「ふぞろいの林檎たち」なのか(近藤正高)

で、この文章の冒頭で紹介されている『KAWADE夢ムック 総特集山田太一』を読むと、そこには、確かに宮藤官九郎が登場していて、「My Favorite」として、『ふぞろいの林檎たちⅡ』について熱く語っている。

ここでふと、新しい仮説に至るのだ―――「宮藤官九郎は山田太一チルドレンではないか」。

そのコミカルな見てくれで目くらましされるのだが、よく考えたら、クドカンドラマの主人公は、そのほとんどが「孤立する個」であり、それは山田太一ドラマの系譜でもあるのだ。

それはまず、『ゆとりですがなにか』のゆとり世代3人(岡田将生、柳楽優弥、松坂桃李)と、『ふぞろいの林檎たち』の3人(時任三郎、中井貴一、柳沢慎吾)や、古手川祐子、田中裕子、森昌子(『想い出づくり。』)が図式的に対比しやすい。

それ以外にも、たとえば、落語界で孤立する長瀬智也・岡田准一や、アイドル界で孤立する能年玲奈の像は、家族の中で孤立する国広富之(『岸辺のアルバム』)、鶴見辰吾(『早春スケッチブック』)と符合していくような気がする。ただし『ゆとりですがなにか』の3人の方が、より山田太一ドラマ的である。

語られるのは、時代や社会からの「孤立」。ただし、「孤立」という言葉から想起されるニヒリズムやハードボイルドさはなく、もう少し、うだつの上がらない、可愛げのある、つまりは、感情移入しやすい「孤立」である。

すなわち、誰の気持ちの中にもある「孤立」感と言い換えてもよい。

ただし時代のズレがあって、山田太一の全盛期(昭和50年代)は、時代や社会にまだ共同体幻想のようなものがあって、そこからの孤立は、まだ単純な構造であったが(仮にここでは「一次的孤立」)、今この時代は、そもそも共同体幻想が破綻している中なので、そこからの孤立は「二次的孤立」「n次的孤立」となる。

つまりは、山田太一時代に比べて、話がややこしい。そのややこしさ・複雑さに対応するのが、宮藤官九郎独特の、伏線を張りめぐらせて、屋上に屋を重ねるような構造的プロットである。

まぁ、そんな「孤立論」があったとして、そして最終的に、宮藤官九郎は、山田太一は、その「孤立する個」に対して―――ブルーハーツ的に言えば―――「がんばれ」と言ってくれる。ここも大きな、というか一番大切な共通点。

宮藤官九郎は、「山田太一チルドレン」として、『ゆとりですがなにか』で第2ステージに入ったのではないか。今や、誰の気持ちの中でも育まれている「n次的孤立」感に向けて―――

最後に、近藤さんの見立てに対して、ワタシも対抗してみる。本日、宮藤官九郎の脚本・監督映画『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』を観た。『ゆとりですがなにか』が2016年の『ふぞろいの林檎たち』なら、『TOO YOUNG TO DIE!』は、2016年の『異人たちとの夏』ではないかと。



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