「横濱ベイスターズ」構想・企画書(2008年作品)


1.私の問題意識を

まず2004年冬に『週刊ベースボール』誌に寄稿した文章を紹介させていただく。私の基本的な問題意識はここに集約されている。なお先に述べた"Cultural Review"の項は毎回1曲、野球に関する楽曲を紹介するコーナーであり、ここでは当時(今でも?)横浜ベイスターズの応援歌として活用されていたクレイジーケンバンドfeaturing小野瀬雅生『BE A HERO』の紹介文として書いたものである。

「爽やかな西海岸風ハードロックは横浜スタジアムに似合わない」

手前味噌で恐縮だが、この春、本欄に寄稿した拙文を引用。

「横浜ベイスターズの球団ソングをクレイジーケンバンド(CKB)が作ることが決定した。大変素晴らしいニュースだ」 「横浜という街を仮に『横濱』と『ヨコハマ』に分けるとする。前者は伊勢佐木町、日の出町、長者町などのディープでダークな街。後者はみなとみらいやランドマークなど、家族で楽しめる埋立地のイメージ。言うまでもなくCKBは前者の『横濱』を歌にしてきたバンドである」

野暮を承知しながら、たまには批判めいたことを書かせていただく。期待は、裏切られた。

CKBのイメージからは程遠い、西海岸風ハードロック。爽やかで、明るくて、とても『ヨコハマ』な響き。横山剣氏がガナリたてるコブシの部分に一瞬『横濱』なグルーヴが顔を出すが、聴くべきところは、そこだけ。

だが、本質的問題はCKBの側ではなく、このような音楽性を求めた球団側にある。

スマートでクールな”ヨコハマ・ベイスターズ”を目指したいのも分かるが、伊勢佐木町に程近いスタジアムや種田のガニ股打法を見るにつけ”横濱ベイスターズ”の方向性こそが、ファンの求めるところだと思う。

理論派の皮を被りながら、実は浪商出身の「河内のオッサン」である牛島新監督。ディープでダークな『横濱野球』を目指すべき機は熟した。

スタジアムを『横濱』のニオイが包むとき。そのときこそがCKBの出番だ。

2.なぜ「ヨコハマ・ベイスターズ」がいけないか?

ここで前後するが、本レポートのテーマを確認しておく。「横浜スタジアム観客誘致に向けた、横浜ベイスターズのブランディング方向性について」としたい。「横浜スタジアム観客誘致」=漠然としたイメージアップなどではなく具体的な数値目標としての集客アップを狙うという実戦的なスタンスに立ちながら、そのソリューションとして、スタジアム内でのイベントや施設改善という末梢的・近視眼的「戦術」ではなく、大もとである『横浜ベイスターズ』というブランド・のれんのイメージと価値を、どの方向に形成していけばいいかを論じてみる。

さて。今でも忘れられないのが、1988年の横浜(神奈川)を席巻した「トキメキ」である。翌年に開催される「YES’89~Yokohama Exotic Showcase 横浜博」への期待。さらにいえば「来年、桜木町駅前に"東洋一"の観覧車ができる」というニュースの衝撃。当時川崎市高津区溝口に住んでいた私は、もしや自分の下宿からその観覧車が見えるのでは、と真剣に考えた(事実としては……見えるわけはなかった)。

横浜博は大成功を収め、みなとみらい計画は華々しく発進した。しかし、その後バブル崩壊。ご存知のようにみなとみらいは空き地にあふれた殺風景な土地となった。しかし、横浜ベイスターズにとっては、それ自体が問題なわけではない。

問題は、みなとみらいに代表される横浜の「モダン化運動」が、バブル崩壊のあおりを受け、みなとみらいの埋立地の枠を超えることができなかったことである。景気が堅調であれば、桜木町から関内、そして石川町、本牧へと、発展・刷新が広がり、かくて横浜は新しい「ヨコハマ」として輝いたであろう。しかしそれは成しえなかった。

結果、関内、山下町、中華街、伊勢佐木町、横浜公園、そして横浜スタジアム周辺の雰囲気は変わることなく、その昭和な風情が温存されることとなった。否、むしろみなとみらいはおろか横浜駅西口などと比べても、猥雑で、ディープな風情。

つまり、おしゃれでキレイで垢抜けてスマートな(という意味をもつレトリックとしての)「ヨコハマ・ベイスターズ」は、「横浜スタジアム観客誘致に向けた」という前提と結びつけるのは、かなりの無理があるような気がするのである。

3.「横濱」へのいくつかの手がかり

ベイスターズが優勝した98年は、スポーツ界において「神奈川の年」だったと記憶する。正月の箱根駅伝で神奈川大学が優勝し、松坂大輔を擁する横浜高校が春夏連覇。そして横浜ベイスターズ38年ぶりの日本一。神奈川スポーツ界におけるこの年の熱気は、当時、しゃべり手としてFMヨコハマに通っていた私としては、リアルに覚えている。

で、問題はこれが「ヨコハマ」かどうかということである。駅伝というとても昭和なジャンル。松坂という、これも昭和な野球人キャラの少年。そして、(大魔神佐々木のように)スマートとは言いがたい横浜ベイスターズの選手キャラクター。

さらに。神奈川スポーツ栄光の98年以来、横浜という街のスポーツ、文化、経済はまったくの停滞に入ることになる。局地的に見れば「横浜ベイサイドマリーナ」がちょっとしたブームになったりといった小さな動きはあったものの、マクロ的視点で見れば、なにも起きなかった。

新しいことが何も起きないときには、アナクロニズムやポストモダンの動きがかならず起こる。横浜に新しいことは起きなかったが、横浜が「新しかった」時代、つまりは昭和への回顧ムーヴメントが突如起こるのである。まずは、ゆず。伊勢佐木町松坂屋の入口前で演奏していた路上デュオ。神奈川スポーツ界が盛り上がった98年に『夏色』で大ブレイク。アコースティック・ギターだけをバックにした時代錯誤感の強いフォークな編成。

そして、そのムーヴメントの決定打が、先に述べたクレイジーケンバンド(以下CKB)である。

「長者町ブルース」

ハングル文字のネオン管
異星(ほし)からやってきたホステス
長者町の夜

コリアンにフィリッピンにタイランド
国籍不明のダンサー
バンドが始まれば喧嘩も始まる

片言で「タンシヌル・サランヘ」
あの女に伝えたかった

長者町 雑居ビルの宇宙ステーション
あの人は月へと飛んでいった
アッサー!

TBSドラマの主題歌となった『タイガー&ドラゴン』に続いて有名な『長者町ブルース』。横浜スタジアムにほど近い長者町における、昭和の猥雑な『横濱』シーンを歌った曲。アプローチとしては完全にアナクロニズムなわけだが、これが若者のハートを捕らえ、CKBは時代の寵児にのぼりつめた。

また関連した動きとしては、60年代後半に全国を席巻した、本牧出身のゴールデンカップスの再結成と、ドキュメント映画のヒットという事象もある。「横浜が東京よりもオシャレだった頃」の、横浜最先端、つまりは日本最先端のR&Bバンドの再結成。

つまり、98年以降の停滞の時代、横浜という街に起きた刺激的な事象は昭和への回顧の文脈の中にあり、逆に言えば、横浜モダニズムの崩壊を象徴したものである。と、こういってしまうとミもフタもない感じだが、少なくとも横浜市民に、いま横浜を誇りに思わせようとしたら、ゴールデンカップス、CKB、ハマトラ、ミハマ、キタムラなどなど、結局は往年の昭和の横浜、東京よりも先進的だったころの横浜をネタにしなければならないということは、歴然たる事実なのである。

そうだとしたら、この事実を横浜ベイスターズの求心力を高める目的に適用できないか。

4.ここまでのまとめ

(a)横浜スタジアム観客動員に結実するための、『横浜ベイスターズ』というブランド・のれんの方向性を考える。
(b)「みなとみらい」幻想の崩壊。横浜ベイスターズ、横浜スタジアムをとりまく空気は猥雑でディープな「横濱」感覚である。
(c)加えて、98年以降横浜に起こった現象も、クレイジーケイバンドに代表される、時代錯誤的な、昭和回顧的なものであった。
(d)総じて言えば、往年の昭和の「横濱」への回帰こそが、今、横浜市民のプライドを引き起こし、横浜ベイスターズへの求心力をもたらすと判断する。

5.「横濱ベイスターズ」構想

ここで結論を急げば、提案したいコンセプトは、『週刊ベースボール』での拙稿どおり、また本章のタイトルどおり、「横濱ベイスターズ」構想である。みなとみらい構想から一線を画した立地、横浜市民のプライドのよりどころとなる昭和の「横濱」、ひいては村田を核としたスマートとはいい難いプレー内容、などを総合し、トラッドでファンキーな球団としてマーケティングしていく。

トラッドは「横濱」の歴史性、伝統性に加え、「ハマトラ」「ニュ-トラ」につながる「横濱」美意識の基本。加えてファンキーは、たとえばゴールデンカップスやCKBのような、60年代に横浜で花開いた最先端の黒人文化(ex.ゴールデンカップス)およびその時代への憧憬(ex.CKB)を示す。

この構想は「横濱プライド」を是認する多くのミドル、シニア層の市民=「横濱原住民」をコア・ターゲットとする。12球団を取り巻く、「地域密着」→「地域の子供への密着」という固定化された連想、その結果としてプロ野球全体が「サンリオ化」している流れに唯一棹さすマーケティングを展開する。

ただし当然のことながら、一見ミドル、シニアをコア・ターゲットとしたこのコンセプトこそが実はヤング層を惹きつけるのであり(CKBのように)、逆に他球団と同様の「サンリオ化」戦略で埋没するよりもずっと輪郭がはっきりした戦略となる。

6.「横濱ベイスターズ」戦術例(1):ユニフォームについて

他球団がユニフォームをころころ変える中、93年以来基本的なデザインを更新していないことには好感がもてる。ただし前述のようなコンセプト変更を前提とするなら、方向に沿ったユニフォームの変更が必要だろう。基本的にはシンプル&ベーシックな昭和のユニフォームテイストへの回帰である。

海とのリンケージから青基調であることを変える必要はないが、よりダークなブルー(横浜大洋時代のキーカラーに変えることで大人感を高める。セカンドカラーとしては黒やグレー。いずれにせよ若干「サンリオ臭」もある現在のユニフォームをより、シンプル&ベーシック方向に転換することで「横濱」感を高め、「横濱プライド」を醸成する。

7.「横濱ベイスターズ」戦術例(2):エリア・マーケティング/ターゲットについて

限られたマーケティング予算を効率的に、の視点より、重点エリアを絞り込む。コンセプト合致度より、新興住宅地ではなく、「横濱プライド」が高そうな=「横濱原住民」が多い=昔ながらの港町、漁師町をねらう。具体的には、そのような街をつないでいる京急沿線を重点エリアとする→(川崎市川崎区)、鶴見区、神奈川区、西区、中区、磯子区、金沢区。

その中でも人口集積とスタジアムへの距離を勘案し、「京急川崎」(川崎球場時代からのシニアも想定)「京急鶴見」「神奈川新町」「上大岡」「金沢文庫」の5駅とその周辺を重点的なプロモーションエリアとする。

同時に京急「日ノ出町」駅からスタジアムへの導線を活性化する。その「横濱」な風情を「臭い・汚い」ではなくCKB的なカッコよさと認識してもらえれば、その道をあるくことがゲーム前のプレ・イベントとなる。

8.「横濱ベイスターズ」戦術例(3):スタジアム音楽について

ここまでの論の流れでフィーチュアしたのが音楽。「横濱」のシンボルとして、音楽がもっとも分かりやすい。スタジアムの中で、いろいろな「横濱音楽」を流し、MLB的なアメリカンロックを垂れ流している他球場との差別化を図りたい。また、スタジアム内FM局の復活、リクエスト方式も採用したい。

・ゴールデンカップス:『銀色のグラス』『愛する君に』『本牧ブルース』
・クレイジーケンバンド:『タイガー&ドラゴン』『葉山ツイスト』『長者町ブルース』
・他:『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』ダウンタウン・ブキウギバンド、『ツッパリHIGH SCHOOL ROCK'n ROLL』横浜銀蠅、『ルイジアンナ』キャロル、『ビューティフル・ヨコハマ』『真夜中のエンジェルベイビー』平山みき

9.最後に

「98年の優勝のころは嬉しかったけど、なんかそれっきりで。どうも地元の球団って感じがしなかったんです。それはマリノスもそうだけど、横浜ってとても広いから、横浜っていわれても自分たちのチームっていう感じがしなかたんです。でも実は横浜市民って、すごいプライドがあって、それこそ東京よりも進んでる、グローバルに開けているっていう。今回ベイスターズが、東京追随の子供っぽい路線じゃなくって、私たちに向けて古き良き"横濱"のプライドを呼び起こさせる感じになってくれて、何度も足を運ぶようになったんです。とにかく、いつかの巨人戦で、球場に入った瞬間、カップスの『愛する君に』が大音量で流れて、大画面に"YOKOHAMA beats TOKYO"って出た瞬間、もう本当に鳥肌が立ちました。そうだそうだ。横浜って、東京なんかより全然イケてたんだっていうプライドが甦ってきたんです。また行こうと思ってます。」(横浜市金沢区在住48歳男性)

こう思わせることができれば、大成功である。

以上



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