20050925/山下達郎のニューアルバムを買わない理由。

さぁ、順位決定。西武、ソフトバンク、首洗って待ってろよ。

脱線…しかし今更ながらに「ダイエー」と言ってしまうなぁ。多分これは「ソフトバンク」という長い横文字だから頭に馴染まないんだな。提案。「福岡ソフトバンクス」にすれば? 「福岡」って気軽に呼べるし。同様に「神戸オリックス」。今後は「京都セラミックス」「愛媛ポンジュース」の新規参入も(笑)。

さて、山下達郎のニューアルバム《SONORITE》が一大プロモーション中。でも9月25日(日)現在、ワタシ、買わないことに決めています。

理由としてまず、家に「たった1回しか聴いていないCD」が多すぎるのです。本当にバカバカしい。引越しのときとかは火付けて燃やしたくなるぐらい。だから無駄遣いはもうしたくない。

それに「ミュージシャンに対する、市井の人々のもっとも単純でかつ実効性の高いメッセージが、CDを買わない(ライブに行かない)ことだ」という事実に気付いたわけです。

だからユーミンは《ラヴ・ウォーズ》で、サザンは《ヤング・ラブ》で終了。達郎はアルバム制作のインターバルが長い分、なかなかベタオリできませんでしたが、結果、《コージー》が最後になりそうです。

山下達郎を、長く永く聴きつづけてきました。で、その結果として得た真理は、「山下達郎とは、自らのオタク性にいちばん誇りを持ちながら、かつそれをいちばん怖れているミュージシャンだ」ということです。

80年代後半に発売されたビーチボーイズ《ペットサウンズ》のCDに入ってた、彼によるライナーノーツ。もう卒倒しますよ。あまりに凄くて。マニアックで。

そんなオタク的音楽性が、初期(シュガーベイブ~《SPACY》)に徹底的に叩かれた。このことが怨念として積み重なっていく。

だから、年齢と経験(と世評と財産)を得てからの作品は、その余裕が「大衆化」「ベタ化」の方向に投下される(《DONUT SONG》とかさぁ)。

「自分の趣味・嗜好を直接モロ出ししても、叩かれるのがオチじゃないか?」

実は知らない間に、ワタシ含めた普通の(?)リスナーのポップスIQはどんどん高まってて、2005年の今、《太陽のえくぼ》よりも、《SPACY》の方に刺激される人々も多くなっているのに、です。

いや、否定をしているのではなく。《太陽のえくぼ》を聴きたい人、買えばいい。ワタシは《SPACY》派(それもLPだったらB面)だから、買わない。

余計な計算やコーティングの無い、産地直送の有機野菜みたいな「山出し達郎」を聴きたい。2005年の、52歳(!)のオヤジの息遣いが込められた「生出し達郎」が聴きたい。あ、コレいちおう駄洒落です。

長くなりましたが、コレコレと一緒のことを書いてしまった気がします。要は、こちらも40歳近くなってきて、変に迎合的な音に付き合う余裕もスタミナもなくなってきているという、オヤジの嘆きなのですよ。

20050919/秋に向けてのもろもろ。

こんな試合、見せられたら、もう身も心もクタクタ。でも行ってよかった。2005年シーズンを語る上で、忘れられない試合。そして、歴史に残る試合になるでしょう。というわけで、今回は断片的に。

(1)ラジオ出演は、来る9/22(木)になったようです。文化放送(1134KHz)、17時57分~19時の『モクモクスポーツ』。既に収録は終了。かなり面白く録れたと思います。

(2)初芝選手、お疲れ様でした。少々キツい言い方をすれば、この10年間、連続Bクラスの、どこかシマリのない「緩い」マリーンズの象徴が初芝だったような気がします。ただ今季、率先してベンチを盛り上げている姿は実に良かった。

(好きなネタ)||渋い唄歌うね、初芝君は。<王@クレイジーケンバンドを見て>||

(3)"REIRA starring YUNA ITO"かなんだか知らんが、歌がウマイ! めちゃくちゃウマイ! ウマイくせに、ちょっと前の「ディーバ系」(おいおい)のように、変な黒人物まねフェイクをしないのが好感が持てます。あーいうの本当にやめたほうがいい。なぜならば田舎臭いから。あ、そういえば、奥村愛子も頑張れ。

(4)スカパー!夏フェス10日間連続ぶっとおしオンエア"。我が愛するスカパーが放つ久々のヒット企画。明日から3日間、ロックインジャパン全部録画しようと思ってます。

さぁ、激動の秋へ。

20050910/「映画邦題ライター」としてデビュー。

かねてから映画や音楽の「邦題」というものに興味を持っておりました。

世の中の英語への関心が高まっていくにつれて、邦題不必要論も高まってきているような気がします。が、やっぱり気になるわけですよ。原題のカタカナ表記は。

『ロード・オブ・ザ・リング』 ⇒"road of the ring(s)"⇒「指輪街道??」

かなりの割合の人間が「指輪街道」と思いながらその映画を観ているという事実が放置されているのも気に入らないし、また「いやあれはroadじゃなくってloadだよ」としたり顔で喋る奴らがいるのも気に食わない。

これはジョージ・ハリスンの《マイ・スウィート・ロード》 ⇒"my sweet road"⇒「俺の甘味横丁」でも起きた問題ですがね。

また、『リバー・ランズ・スルー・イット』 みたいに、何のアイデアもなくそのままダラダラとしたカタカナにしているやつとか、『ホワイトナイツ~白夜』みたいな同語反復、薄っぺらな情緒主義も大嫌い。

いい邦題を作りたい。《to know him is to love him》⇒「会ったとたんに一目ぼれ」みたいな端的で、美しくて、かつ分かりやすいのを作ってみたい、と思っていました。TOEIC600点ながら。

というわけで、スージー鈴木「邦題ライター」作品第一号が世に出ています。本当は『パパはファンタジスタ』がイチオシだったのですが(笑)。さてさて、ご興味あらば、観てみてくださいね。

20050906/たまには大阪メディアを怒ってみる。

またまた大阪に。横浜の自宅では日刊スポーツを宅配してもらっているものの、大阪だとそうはいかないので、毎朝、駅で「日刊」を買う。そして目を疑う。

阪神阪神阪神。もう、勝っても負けても阪神の記事ばっかり。

といって、実は怒っているわけではないのでス。偏向報道、大いにオッケー。いや新聞はオッケー。TVはダメ。なぜなら後者は許認可事業で、自由に参入が出来ないから。逆に新聞は極論すればワタシだって発行できるし、偏向して、受け入れられなければ廃刊という未来が待っている。

あ、ここで脱線。TVについては地上波放送局だけでなく、スカパー!やCATVチャンネルの野球中継であっても、「偏向」はある程度にとどめてほしい。っていうか、スカパー!300ch「sports-i ESPN」のホークス偏向解説。ちょっと行き過ぎ。

で、話を戻します。そんで、土曜日か日曜日か忘れたが、札幌ドームで、赤星含め、阪神の選手数人が好走塁を見せた、らしい。で、「日刊」でそんな記事がご丁寧にカラーで2ページ(2面と3面)ぶち抜きで、それもカラーで書かれている。その見出しが…。

「札幌 run men」。繰り返す。『札幌 run men』!!!!

言いたかないけど、あえて説明しておけば、「札幌ラーメン」のシャレなわけですよ。でも、センスのかけらも無い!

誤解なきように言っておきますと、ダジャレ自体は否定しません。むしろ、ちょっと無理があるぐらいのダジャレの方が面白いという認識も持ってるつもり(例:「ホメイニ師たこたしたばってん」by景山民夫)。

ただ、「札幌…」については、まず、それ以前の問題として、ダジャレにもなっていないのですヨ。

また長くなるなぁ。結論急ぐ。で、これは、結局「所詮、大阪の連中は、阪神の記事を大きく出しときゃ問題ないだろう」という編集側の甘え。もっと言えば読者を見くびった発想。

昨年からの球界再編騒動で、プロ野球ファン、特に関西方面のファンの"野球IQ"はどんどん上がっている、はず。ナメちゃいけない、のに。

いや、"野球IQ"はともかく、せめて"ギャグIQ"だけはキープしてくれ。カルーセル麻紀の追突事故時の「日刊」の見出し、「カルーセル麻紀、オカマ掘られる」。あの水準をキープしてくれ。

稲垣吾郎と中居正広が入れ替わるお菓子のCF。また自分たちで「完結」している。そんな中、メッケもんはアナログフィッシュというバンドの《Hello》って曲。カッコよすぎ。

20050830/ラジオ・リハビリテーション2005。

久々のラジオ番組出演です。2002年のFMヨコハマ『トワイライト・ナビゲーション』以来。電波媒体に広げても、昨年のスカパー!『伊集院光の野球バン!』以来。毎週FMに出ていた頃に比べると隔世の感ですがね。

来る9/1(木)、文化放送(1134KHz)、17時57分~19時の『モクモクスポーツ』。バンド仲間の(?)小関順二氏や立花龍二氏の並びです。ありがたいことです。

この時間にAMラジオを聴ける環境に無い人も多いでしょうが、ご興味あれば。

【緊急!】本日、放映予定変更で、スカイマーク・スタジアムでのオリックス=西武の中継が入りまして、今夜の出演予定は延期です。また詳細決まりましたら、この場でご報告いたします。(スージー鈴木)

20050829/読書感想文『毎日かあさん』。

木曜(8/25)夜は<人生の師匠>と飲み、金曜(8/26)夜は四谷「あぶさん」でNY行きの「姫」の送別会で 野球話に花を咲かせ(手帳は家宝にします!)、日曜(8/28)は幕張で感動的なジョニーの復活に居合わせる。

そんな身辺雑記の中で、土曜日だけは完全オフ。たまりにたまった本を読む。

っていうか、実は本を読むために生きているんじゃないか、私は。決して音楽を聴くためではないな。

西原理恵子。面白い!

出会いは10年程前の『まあじゃんほうろうき』。あれから10年。サイバラ氏は止まらないな。

今回の作品は、離婚して「女手ひとつ」で息子と娘を育てるドタバタ漫画。しかし相変わらずの知性で。

そう。知性。ま、親馬鹿的なシーンがないではないが、それはまだ好感が持てる範囲にとどまっていて、面白いのは例えば娘のオヤジ殺しテクを揶揄するところなど。

世の中でもっとも客観視しにくい対象=自分の子供=を冷徹に捕らえる視点、とでもいいましょうか。

安野モヨコが追いかけてくる中、サイバラ氏は先へ行く。先へ先へ。ナンシー関亡き今、リリーフランキーとサイバラ氏が私を慰めます。ホイ。

20050822/読書感想文『東京タワー~オカンとボクと、時々、オトン』。

ここの最近の駄文でもお分かりのように、やたらに少年時代のことや、故郷大阪のことを思ったり、考えたりしている。

理由はよく分からない。たまたま、大阪に行くことが多かったり、当時を思い出すようなソフトが発売されたり、などのことがキッカケだろうと思うが。

信頼出来る知人、 この方 この方などが絶賛する…いや、世の中的にも絶賛の嵐(多分)である『東京タワー~オカンとボクと、時々、オトン』。面白かった。正直。

私には、怒涛の後半部よりも、福岡での少年時代のパートがグッときた。70年代後半から80年代初頭の風景。大阪の町外れと、福岡のさびれた炭鉱町の違いこそあれど。

前半部は、見事なまでに何も起こらない。ただリリー氏の見事、あまりに見事な文章で、当時のその町の風景がリアルに浮かび上がる。

ここではないどこかへ、志向し続ける少年。その悶々とした日々が語られていく。

そして、他の誰でもない自分のことを考える。

同じような時代に生まれ、同じような町のにおいをかぎ、同じように「ここではないどこか」を志向していたとして。

ただ、ひとつ才能のようなものが決定的に違って、リリー氏のような文章は書けないという歴然とした事実を目の前にして。今。

そんな私が、少しばかり世の中に出すことが出来た売文や喋りに、どこまで意志を込めていたかどうか?

"あんたたちが大笑いするような原稿を書いてやる。やっぱりあいつに書かせて正解だったわぁと言わせてやる"(390P)…こんな想いでパソコンに向かったことが一度でもあったか?

と、久々に感化されて文体まで影響を受けているようだ。明日入稿のものをいつもよりちょっとだけ丁寧に構成してみた。

20050815/プラスチックな1980年を懐古する。

先々週になりますが、年に数回のお勤めである大阪芸大のスクーリング、行ってきました。そこで昔のCFをガンガンに見せるわけです。

1975年と1980年のCFを続けて見せたわけです。で、「70年代から80年代に変わるときに、色んなことがガバっと変わったんですよ」と教えるわけです…ま、なかなか伝わりづらかったとは思いますが。

長くて、重くて、暗くて、強くて、渋かった70年代から、短くて、軽くて、明るくて、弱くて、薄っぺらでペラペラな80年代への転換。ワタシは中学2年生。

何度もこのサイトで書いていますが、当時の関西テレビ、金曜日19時からの30分番組「誰がカバやねん」。これであるバンドを観た。なんだかよく分からない衝撃を受けた。

プラスチックス

あのねのね、がきデカ、せんだみつお、マカロニほうれん荘、笑福亭鶴光、所ジョージ、そしてプラスチックス。うむ、人生がある程度決定されたな。あの頃に。

プラスチックス関連の作品が、この期に及んでどんどん発売されています。新作(!)入りCDも実に素晴らしき、なのですが、それよりもコレとか コレとか「動くプラスチックス」を観れる作品が発売されるなんて!

長生きはしてみるもんだ。

イメージよりも、案外演奏が上手くって、音楽的にもしっかりしてて、パワフルで、そしてロックンロールで、そして、やっぱりカッコよかった。25年も経っているのに。

当時、学園祭絡みかなんかで、近所の女子大の近くにプラスチックスのコンサートポスターが貼っていたことがある。行きたかった!けど、中2のワタシは当然、行くことなどは許されず。

「動くプラスチックス」をあの頃生で観ていたら、どんな人生を歩んでいたんだろう。生で観て、感激して、東京に家出したりして、原宿ピテカントロプスとか行ったりして…妄想は膨らみますが。

結局、鈴木少年はビートルズやツェッペリンやはっぴいえんどの方角に進んで、普通に恋愛して勉強して、普通のサラリーマンになったわけです。

そんなワタシがいちばんニューウェーブだった時代。1980年は私にとって、とってもプラスチックな時代でした。

20050807/オマエらで勝手に完結するなよ。

ちょうど1週間、お休みしました。また大阪に出かけていました。知らぬ間にアクセスが80000超えてました。もう8月ですね。

さて、愛用のPDAが壊れまして、携帯でPCメールが見られるよう転送サービスを申し込みました。ま、予想はしていましたが、迷惑メールの多いこと。

腹が立つのは、迷惑メールの多さもそうなのですが、迷惑メールの送信主のアドレスが、変にふざけてて、実に不愉快。

「***@mentaico.com」「***@pakkun-cho.com」「***@ikura-chan.com」「***@kappa-no-yu.com」「***@getthevenus.com」「***@mammoth-nishi.com」「***@ganseki-otoshi.com」。

多分、アドレスを設定した当人(たち)は「なんだか洒脱で遊び心のあるドメインを取得できたぜ」と悦にいっているのでしょうが。ハッキリ言って面白くもなんともない。

また別の話。「だから…」で終わる文章ってあるじゃないですか。アレも嫌いです。って分からないか?

「いろいろ言われてはいるが、高校野球はこれからも永遠に続いていくことだろう。なぜならば、それは少年たちにとってたったひとつの青春なのだから…(完)」…みたいなやつ。

書いている当人は「すんごく情感入った泣ける文章だぜ!」と盛り上がっているのです。こーいう文章は。でも、それがひどく恥ずかしい。

言いたいことは「おいおい、本人で完結するなよ」。

さて、SMAP『BANG!BANG!バカンス!』の歌詞。作詞は宮藤官九郎。これ、クドカンが、っていうか、SMAPが本人たちで「完結」している感じがします。

「男前だね木村くん」とか稲垣がどうしたこうしたって、嫌だなぁ。SMAPぐらいになればこーいうのも許されるんだという方もいらっしゃるとは思いますが、ワタシ、その考え方、違うと思う。

っていうか、そーいうのに甘えなかったからこそ、『がんばりましょう』や『SHAKE』がカッコよかったのに。

「熱っちい地球を冷ますんだっ。」みたいな言葉づかいも含めて、今の日本ポップス界の両巨頭が、自分たちの世界に閉じこもっているのは、それはポップなことじゃないなぁ。

20050724/大阪朝日放送のように生きてみよう。大阪人は。

22日(金)から大阪イン。23日(土)は二日酔いの朦朧としたアタマで関西テレビ12時からの『たかじん胸いっぱい』という番組を観ていました。

内容は「他県出身の人から見た大阪人のイヤなところランキング」みたいな(よくある)ネタで、例えば「大阪人は"アホ"いう言葉を使いすぎて失礼や」という意見を紹介する。

それに対して、やしきたかじんが「いや、大阪人の"アホ"には愛がこもっている」みたいな(これもよくある)返しをして、おそらく関西人が大多数を占めている観客のおばちゃんが喝采するという番組。

ワタシ、こーいうの、かなり嫌いです。何が嫌いかっていうと、田舎臭いと思うからです。もっと具体的に言えば、「大阪人であるということの選民意識」と「東京へのコンプレックス」という、どちらも田舎臭く、気持ち悪い要素のミックスだから、いよいよ不愉快。

あ、ここまではイントロ。枕。つかみ。ここから「大阪朝日放送」の話をします。

ホテルから外出して、35℃はあるかと思われる温度の中、天王寺区長堀通のあたり(我が愛しの母校清水谷高校の近く!)を歩いていて、ボーッとラジオを聴きながら歩く。

そこで耳に飛び込んできたのが、朝日放送1008khz土曜15時~『大西ユカリのハッスル歌謡曲』(どやねん?このリンク)

大西氏についてはココにも大絶賛しましたが、この番組も大絶賛したい。オモロイ! 毎週コレが聴ける関西人は実に幸せだ(しかし、毎週日曜に『伊集院光・日曜日の秘密基地』TBSラジオ13時~が聴ける関東人も幸せ)。

とにかくランダムに古い歌謡曲をかけるのだが、途中ソウルミュージックの特集コーナーがあって、今回はアレサ・フランクリン。

で、生い立ちを紹介。この原稿が笑えました。なんでも、アレサの実家は教会で、有名なゴスペルシンガーがいつも入り浸っているという絶好の音楽環境で育ったという話があって、それを実に大阪的に説明するわけです。

「つまりですね、朝起きたらチャンバラトリオがハリセンの稽古してて、奥の居間では横山やすし師匠が昼寝してて、玄関では、米朝師匠とオヤジが将棋してる、ま、そんな環境ですわ」だって(笑)

ちょっとこちらが興奮気味だったのもプラスしているかも知れない。なぜならば、その日、ワタシは甲子園に向かっていたのだから。

で、その甲子園のオールスター。テレビ中継は同じく大阪朝日放送。本日帰宅して、前日のテレビ朝日、インボイス西武ドームでの中継と録画を見比べてみました。

っていうか、比べるまでもない圧倒的なクオリティの差。大阪朝日放送の野球中継のクオリティは最近にも書いたけど、テレ朝中継の東尾の解説の低劣さはなんとかならんのか? こちらは、もうずっと昔にココでも書いたけど。

そして、極めつけは、同じく先週テレビ神奈川で放送された、朝日放送制作『探偵ナイトスクープアカデミー大賞』。モウ・ワラッタワラッタ。

M-1グランプリも含めて、大阪朝日放送を激賞します。そして、冒頭の議論のまとめとして…

大阪人だからといって、すべての大阪的なるものを支持するわけではない。一部にそんな大阪人もいるかも知れないが、それは大阪人というアイデンティティに必要以上に依拠する田舎者の連中だ。

そしてワタシは、東京vs大阪、大阪vs他県みたいなくだらない枠組から超然として、『ハッスル歌謡曲』『(ハイクオリティの)オールスター中継』『探偵ナイトスクープアカデミー大賞』のように、分かりやすく、面白く、でも新しいアプローチを堂々と呈示しつづける大阪朝日的価値観を支持したいし、自分自身もそんな風に生きていきたい。

…と思いました。以上。

20050718/サザンの旧作シングルCD化に思うこと-2

ワタシは今回、すごくいい文章を書けるような気がする。なぜならば千葉ロッテが調子悪いこともあり、サザンの1983年の傑作アルバム《綺麗》を聴きながら家で泥酔しながら書いているから。久々の泥酔原稿や。シバクぞボケ。

この前書きかけた現在のサザンに対する違和感を再整理。

昨夜は幕張まで行きましたよ。で、帰り道、車の中でTFM『キヤノンFMワンダーランド~素敵な夜遊び』を聴きながら考えたのですよ。

ちなみに、この番組の桑田氏はもうグダグダなわけです。殆ど酔っているような感じ。まさに今のワタシ。

で、そのグダグダな感じにも、やはり意図があると思うんですよ。意図。つまりは、「俺は日本ナンバーワンのロックンローラーなのに、こんだけくだけた、ギャグっぽいトークができるという遊び心に溢れてるだろ? その辺が矢沢やユーミンや達郎とは違うだろう? ヘヘイ?」みたいなことを伝えたいという意図。

で、重要なことは、そんなグダグダさがですね、全くもってツマラナイわけです。つまらない。

ここまで読んでいただいた段階で、ココの原稿も読んでみて。ついでに桑田氏の所属事務所を揶揄したココも見てみて。

そう。桑田氏にとって、(つまらない)笑いが逃げの装置として機能していないか?

今、泥酔しているワタシの後ろで流れている《綺麗》、最高なわけですよ。桑田氏は、このような絶品を世に送り出して、日本のロックのレベルを上げた。確かに上げまくった。上げまくりまくった。

《赤い炎の女》でラテンを知りましたよ。《星降る夜のHARLOT》でレゲエを知りましたよ。《EMANON》で最高のコンテンポラリーポップスを知りましたよ。アタシャ。

でも、その当時サザンが喚起したリスナー(例えば、つまりワタシ)は、目覚めちゃって本格的に洋楽を聴いちゃったわけですよ。

それで、ガキの頃からサザンがいた下の世代は、もうサザンに頼らず自分たちで情報かき集めて、リップスライムみたいな「恐るべき子供達」になっちゃったわけです。

で、当時、喚起されなかった、目覚めなかった人たち(でもそれは少なく見積っても3000万人はいる平均的なオッサンオバハン)が今の「メガサザン」を支えている。

そんな事実をよーく分かっている優れたマーケッターである桑田氏は、どんどんベタな作品を発表していく(ex.今回の新曲"なんとかNo.5"=調べろよ)。でも反面、やっぱりセンシティブな人だから、ラジオではグダグダなギャグトーク、CDでは全く笑えないカップリングでお茶を濁して、精神のバランスを取る。

「こんな曲、本気で作っているわけじゃないよ~ん。でももう《綺麗》みたいな一所懸命なアルバム作る時代じゃないよ~ん」…そんな感じじゃないかなぁ?>どうですか?元所属事務所A出身の課長さん?(私信)

アルバム《KAMAKURA》に《吉田拓郎の唄》っていう曲があります。ちょうど20年前に桑田氏が、拓郎をやんわりと批判した曲。今、まさにソレが自分自身に突きつけられようとしている。

なんて、そんなことを考えさせるぐらい、《綺麗》はいい。最高。でもこのアルバムから22年経っている事実に、また、泥酔。(泥酔のため校正なし)

追記:「岡村靖幸への手紙」。まだ君の人生は終わるどころか、始まってもいねぇ。

20050711/オリンピックに野球はいらない。

結論から。2012年のロンドンオリンピックから、野球なくなるらしい。別にいいんじゃないですか。

かねてから、オリンピックの野球とか、ワールドカップとか、なんかよく分らんが「世界」とやる野球。全く興味ありません。

あの「世界」を相手にしたいというモチベーションはどこから来るんだろう? サッカーと違って野球の参加国数が全然少ないという問題を言ってるんじゃなくって、それ以前の問題として、「スポーツというものは世界を相手にせねば」という訳のわからん論理。

オリンピックに野球がなくなることを嘆いている連中って、日本のプロ野球を球場に観戦に行ってるのか? 本気で野球が好きなら、数年に一回、遠い国でやる「世界」相手の野球よりも、毎日、近くでやってる野球を真剣に観るはずじゃない?

(この問題は、ワールドカップで盛り上がる日本代表サポーターと、Jリーグとの関係にもつながるが、サッカーの場合は、野球とはちょっと違う背景があると思うから、ここではあえて比べない)

そうそう、オリンピックでの試合経験を必要以上に美化する日本代表経験選手の発言、ワタシあれ大キライです。

「プロ野球では感じられない緊張感」「国を背負っているプレッシャー」「長嶋監督の意志を無駄にしてはいけない」。プロ野球でも緊張しろよ、国じゃなくても自分とこの(プロ野球)チームを日々背負っているんだよ、自分のチームの監督の意志は無駄にしてるんちゃうか?

一塁に駆け込んで怪我をした谷佳知。そのエネルギーをシーズンで出してれば、当時のオリックスはもっと強くなってたろうに。

「世界」という耳障りのいい言葉の裏で、日本のプロ野球への愛を持たないマスコミや評論家、そして選手自体が開きなおっている。見苦しい。

多分も野球ファンの中ではかなり珍しい意見だと思いますが、言わせてもらいます。オリンピックに野球はいらない。

20050704/サザンの旧作シングルCD 化に思うこと。

幕張に行くのを諦めて(なんとなくイヤな予感がしたんで=笑)、遅めに起きていつものニッポン放送『三宅祐司のザ・ベスト30"スゲェ!"』がサザンオールスターズ特集。

あ、そうか、サザンの旧作シングルが一気に発売されたわけだ。と思い出して、オリコンチャートを確かめてみる。

こういうことになってましたか。ほほう。なるほど。《ボディ・スペシャルII》《Tarako》《メロディ》《わすれじのレイド・バック》なんてのが30位以内にチャートインしてるんだ。素晴らしい。

「ロックお兄さん」としての桑田佳祐を懐古する原稿を昔ココに書きました。要するに《みんなのうた》以前の、適度に啓蒙的で適度にポップな頃のサザン(80年代前半)を愛するという。

NHK-FMで《ゲットバック~エリッククラプトン・バージョン》(!)を演奏したり、FM東京『AIWAサタデー・アドベンチャー』でビリージョエルの物まねをやったり。「ロックお兄さん」桑田氏の思い出は、ティーンの頃にかじりついて聴いていたFMラジオとともにあります。

そんなころの("大"ではなく"中")ヒットが今一度チャートインするなんて、それはそれは素晴らしいことだ。特に《わすれじのレイド・バック》!

そこにicydog氏の"Musical Baton"。では、ここはひとつ、サザン旧作発売記念として、サザン限定でお答えしましょう。

①今、コンピュータに入っている音楽ファイルの容量:
サザンに限れば、ファーストアルバム《熱い胸さわぎ》だけしか入っていないと思います。あ、そうだ、入れてみよう。アルバム《Young Love》までは全て持っていますから。《人気者で行こう》あたりが聴きたくなりましたね。

②今、聴いている曲:
正直、サザンは今聴いていないですね。上の話と関連して、ワタシの中ではもう完全にサザンは終わっているわけです。全然否定する気はないですし、知れば知るほど桑田氏の功績の大きさを感じ入る次第ですが、《みんなのうた》以降のサザンはワタシにとってはすべて"惰性"です。

③最後に買ったCD:
アルバム《Young Love》。ただし野球場DJ用に《波乗りジョニー》は買いました。悔しいけれど、よく出来ていました。

④よく聴く、または特別な思い入れのある5曲:

1.《いなせなロコモーション》:よく聴き、またベストだと思うのがコレ。1980年夏、中学2年のスージー君はひざをケガして、ほぼ毎日三ノ瀬の病院への道(別名"the way to san jose")を歩いていました。そのときに流行っていたのがこの曲。三ツ矢サイダーのCFソング。ビーチボーイズもシュープリームスもフランキーヴァリも、すべてこの曲の歌詞で知りました。

2.《シャ・ラ・ラ》:これが「お兄さん」っていうか、"啓蒙的"なサザンの代表曲。すごく大人な響きがした。加えて『ふぞろいの林檎たち』でもよくかかってて、それがまた「大人へのいざない感」に拍車をかけたなぁ。

3.《勝手にシンドバッド》:あまり語られませんがこの曲の松田弘のドラムってのは、日本ロック史でも屈指のプレイなんじゃないかしらん?

4.《メロディ》:「ザ・ベストテン」でコレを歌ったときのカッコよさは忘れられません。"♪雨のseptember"の部分をはじめて聴いたときの感銘。こんな日本語の歌い方、乗せ方もあったのか!

5.《わすれじのレイド・バック》:という以上5曲。ポップとラディカルの狭間で悩んで悩んで苦しんで、そんな中で出てきた断末魔のような作品。適度に啓蒙的で適度にポップで。そんな作品はもうワタシの血の中、遺伝子の中に組みまれています。



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