20090927/千葉マリン「横断幕問題」について。

とってもシンプルにコメントしておくと「インプレー中の横断幕」という時点で、横断幕を掲げたほうの負け。野球倫理に抵触している。以上!―――なのだが、内野席派のマリーンズファンとしてはもう少し言いたいことがあるので続ける。

その前に前提論を。前提(1):ワタシはボビー解任に賛成。理由は、これもとってもシンプルで在任6年でBクラス4回、今季5位で残留の方が不条理。

前提(2):しかし(真偽の程は定かでない部分もあるが)社内会議で「千葉のくだらないファンなら(本拠地を)変えようか」と語る社長に代表されるフロントにも賛同できない。それ以前に社内会議の議事録がリークされている時点で組織として腐っている。

前提(3):ただし、話をややこしくするようだが、スタンドにおける批判めいた横断幕自体は、(その書き方には意見があるが=後述=総論として)ワタシは嫌いではないのだ。2004年、球界再編問題のときに、多くの横断幕がスタンドに掲げられたのを観ていた者の意見としては。

という前提の下、上に述べた「インプレー中は倫理外」ということに加えて、その書き方にも意見しておきたい。

野球場は、野球を観るところである。このくだらない現実に疲弊した人々が、一瞬のトキメキとヤスラギをもとめて、なけなしの金をはたいて駆けつけるところである。

だとしたら、すべてにおいてプレー、ゲーム、野球そのものが優先されなければいけない。更に言えば、このくだらない現実に対抗する、ポップでポジティブな野球的価値観が優先されなければいけない。

問題は、メッセージの書き方だ。

「瀬戸山 石川 米田 全員死刑」なんてのは問題外。今回掲げられたこれ以外の横断幕も表現が直接的すぎて、センスがなくって笑えなかった。

ここで「笑い」というキーワードを突然出した。違和感を感じられる向きも多いと思う。が、ワタシ的には「ポップでポジティブな野球的価値観」と「笑い」は、そうとう近いものと考えている。

あれは7~8年ほど前か。低迷するオリックスの応援団が出していた横断幕。当時「行政改革推進本部」かなにかの委員長を務めていた宮内オーナーをネタにし、「宮内さん、行政改革もいいけど、その前に球団の改革を」(細かな文面は忘れたが)。

どうだろう。このウィットは? 笑えるだけでなく、よく読めば、宮内氏の本質をあげつらった、そうとう辛辣で知的な頭脳犯メッセージである。これが「批判めいた横断幕」について、ワタシが考える理想的なかたちである。

もっと直接的に言わなければメッセージは伝わらない、と感じる方が多いと思われるが、繰り返すが優先されるべきは野球的価値観である。《give peace a chance》よりも《imagine》のほうが心に残るのである。要はポップかどうか。

逆に、その直接的メッセージが、西岡剛どころか、他のマリーンズファンまで批判されているじゃないですか。運動の分裂。今、対峙すべきフロントの側にとって、こんなにおいしいことはない。思うツボだ。

インプレー中以外、できれば5回裏終了時、ゲーム終了時に、ウィットに富んだ横断幕をすっと出して、笑いと共感を呼ぶ。敵を作らず、むしろ共闘を呼びかけるのにはこれしかない。

なぜならば、そこが野球場だからだ。

以上、長くなったが、千葉マリンにおける「横断幕問題」についてのワタシの見解である。シルバーウィークに、仙台、福岡、千葉でマリーンズ7試合(8試合中。4勝2敗1分)を生観戦した42歳がいうことだから、少しは信じてほしい。

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20090921/re:「15年前、何してた?」

(昔、ワタシが出演していたFMヨコハマ『Twilight Navigation』が、今週末、最終回を迎えます)

お疲れ様でした。

ワタシのコーナーがはじまったのは、ちょうど15年前、1995年の10月21日(ちなみに第1回の曲は岡村靖幸《チャームポイント》)。そこからなんと181回、1999年の3月27日までつづきました。

あなたのプロフェッショナルなトークと、ワタシのつたないしゃべりが組み合わさって、FM番組としては、それはそれはとっても妙な空気感の数分間がランドマークタワーから発信されつづけました。

ずぶの素人相手のコーナー。いろいろと気を遣わせたかも知れません。お世話になりました。

『トワナビ』が終わり、故郷を失うような気分です。ワタシが出演しなくなっても『トワナビ』が元気にオンエアされていることで、ワタシ自身の、いわば痕跡のようななにかがラジオ界に残っているという手応えがありましたから。

そんなわけで、個人的にはとても残念ですが、10数年つづいた長寿番組。番組がこれだけつづいたこと、あなたがこれだけ愛されつづけたことに、拍手です。

それは、家でデイゲームの野球中継を観ているときや、近所のスーパーで買い物をしているとき、もしくは休日出勤をしているとき。ふと時計で「土曜日の6時35分」を確かめた瞬間、あのころの記憶がよみがえります―――「あのころ、この時間、ワタシの声が、電波に乗って横浜の空を駆けめぐったんだ」

これからは、土曜日の夕方になれば、こう感じることでしょう―――「あのころ、この時間、『トワナビ』という番組があって、10数年間もみんなに愛されていたんだ」

そんな感じでワタシは、この番組とそしてあなたのことを忘れることなく生きていくことでしょう。そしてそれはワタシにとって、圧倒的な誇りです。

長い間、お疲れ様でした。もしリクエストをお願いできるのであれば、ワタシの最終回にあなたからプレゼントされたあの曲~The Three Degrees 《When Will I See You Again》をお願いします。

最後に企画のテーマ『15年前、何してた?』に対するお答え。「生・柴田あずさとの出逢いに、めちゃくちゃ緊張していました」

柴田あずさ様へ。スージー鈴木より。

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20090913/ビートルズ・リマスター盤、聴く前の妄想。

話題のビートルズ、リマスター盤一斉発売。なんとなくまだ買う気になれず、また感想を書いたブログや評論も目にする機会がなく、妄想がふくらむばかり。以下、その妄想。

1.《paperback writer》のベースがそうとう生々しく聴けるはず。

2.同様に、《tell me what you see》のエレピのように、アルバム『HELP!』の曲、それぞれの(4チャンネルのうち1チャンネル与えられている)メイン楽器がクリアになって音の印象を変えるだろう。

3.逆にマスターがダビングにダビングを重ねている『Sgt. pepper's~』は、そんなに大きな驚きはないのではないか?

4.案外、もともとが生々しい音の『white album』がいちばんびっくりするのではないか。《grass onion》のベースとか。

5.『please please me』『with the beatles』のステレオ化はとても好ましい。あの変ちくりんで無理やりなステレオこそが60年代の最先端で歴史的遺産だ。ボーカルとカラオケが完全分離しているからって、驚くなよ若者諸君(まさか、この期に及んでボーカルを真ん中に定位させたりしてないよね?)。

6.逆に言えば、どうして『mono box』なんて出すんだろう? これはそうとうマニアックな商材ですよ。

7.『ビートルズがやってくるヤァ!ヤァ!ヤァ!』『4人はアイドル』という名称が今後なくなるのだろうか。少しさみしい。ちなみに後者は、80年代当時イギリス盤が『4人~』で、アメリカ盤(《another hard day's night》が入っている)は『ヘルプ!』と区分していたことが思い出される。

8.「CD-EXTRA アルバムに関するドキュメンタリー映像(日本語字幕入)」ってなんなんだ? 案外これは大したことないと思われる。

9.でもよく考えたら、いちばん楽しみなのは《the end》のドラムソロ。そうとうヘヴィになってるはず。

10.老婆心ながら、詳しくない人や若者は、こういう企画の場合、価格を考えず日本盤のほうがいいですよ。

というわけで、買うんだったら『アビーロード』から行きますかね。

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20090905/男の子ものがたり。

西原理恵子原作、映画『女の子ものがたり』。大阪、なんばパークス・シネマにて。西原氏の、小学生時代から高校卒業までの自伝を映画化。

映画の感想はここでは省略。深津絵里をここまでブスに撮った映画は初めてじゃないかな? きみこ役の波瑠という女の子がよかった。

さて、なんばパークスとは、大阪球場跡にできたショッピングビル。エントランスの床、当時マウンドとホームベースがあった場所に、ご丁寧にもそれぞれの形を模したデザインがされている。

ということは、8階と6階にあるなんばパークスシネマは、だいたい外野席の上空となる。そうか、少年時代に大阪球場で観た門田や野村のホームラン。あの上空で、いまワタシは映画を観てるのかと。

映画を観終わったら難波はもう22時。中央区(むかしの南区)ではなく、こちら側、浪速区側の難波はこの時間、もう静かで寂しい町並み。ふらふらと歩き出す。

このあたりは予備校時代に通った街。大阪府立体育館裏にあったその予備校はもう影も形もなくなっていた。

1986年の春。ワタシより1歳下のライオンズの新人清原和博が、大阪球場で球宴初出場初本塁打を打つ数ヶ月前。某国立大学に落ちた報告をしに、その予備校に行った(同じ時代、同じ世代、同じ場所。しかし決定的なこの格差!)。

特に落ち込んでいたわけではない。どちらかといえば東京で暮らさなければならないことへの緊張感のほうが勝っていたその日。

それは、映画の中のラストシーン、東京に向かうためにバスに乗るときの主人公と同じ気持ちだったのだろう。

で、不合格報告を終えたあとに行った御堂筋沿いのラーメン屋に23年ぶりに行き、「焼きめし」を食べ、宿泊先の天王寺までフラフラと歩く。

ランダム・プレイのmp3オーディオから流れてきたアースシェイカー《ラジオ・マジック》は1986年を思い起こすのにとてもピッタリの選曲だ。

「難波で止まっていた世界観」(前々回記事参照)、世界の中心に見えていたあの頃の難波が消えていく。そして42歳のオッサンは18歳のころの自分を思い出しながら、アースシェイカーを聴きながら、フラフラと歩いていく。

スージー鈴木の、男の子ものがたり。

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20090829/拝啓、堂林翔太さま。

8月25日。中京大中京と日本文理の決勝戦。ワタシは甲子園にいた。

いままで数え切れないぐらいのゲームを観ているが、今回がいちばん印象的なゲームである。みずからの野球観、ひいては人生観まで少し変わった気がする。

この感動、観ているときには整理がつかなかったが、数日たって今、やっと構造的に捉えられる。

10-4で迎えた9回表。ツーアウトツーストライクから、日本文理の怒濤の反撃。10-9まで来たところで強烈なサードライナーでゲームセット。

それは、もっとも美しい結末だったということだ。

9回表の5点は中京大中京のナイン、とりわけ投手の堂林くんの満足度を目減りさせているだろう。ある種の欠落感が伴った優勝。また日本文理は残念な結果となったが、あと一歩まで詰め寄ったという達成感が伴った準優勝だろう。

達成感と欠落感の数値は、両校でほぼ変わらないのではないかと思う。これはとっても美しいことだ。

考えてみられよ。もしあのとき日本文理が勝ち越して、そのままゲームセットとなれば。中京大中京があまりに悲劇的である。逆に9回表がスムーズに三者凡退となっていれば、それはまぁ、平凡なゲームである。

トーナメント制という、勝敗が決定的な意味を持つシステムの中で、今回の結果は奇跡である。どちらも何かに勝ち、どちらも何かに負けた。

さて、考えるのは、中京大中京のエース、9回表にツーアウトツーストライクから、めった打ちにあった堂林翔太くんのことである。

大人になるということは、完全無欠な人生などないということを少しずつ知ること。達成感を求めながら、いつもついてくる欠落感といっしょに生きていくこと。「ひろげる青春」から「打ち消す青春」にシフトしていくことだと思う。

だとしたら、堂林くんがこれから踏み出していく大人への第一歩として、今回の欠落感はとても大きな意味を持つだろう。

繰り返すが、完全無欠な人生などない。このことを堂林くんは今回の強烈な体験の中で気づいたはずだ。そして大人というものに向かっていくタフさを得たはずだ。

欠落感はエネルギーとなる。気持ちの中にいつも巣食っている欠落感をエネルギーに変えることができれば、新しい達成感に向かっていける。

堂林くん。次はプロ野球だ。どの球団に指名されても拒否せず、勢い勇んで向かっていってほしい。新しい達成感はそこにしかない。

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20090824/大阪写真日記(2)

ブログごっこ、楽しい!

阿倍野の街が消えてなくなっていた! 再開発もここまでやるとある意味美しい。子供のころからお墓参りで来ていた街。当時、どこか猥雑で畏怖の念をもって訪れていた街の風景がきれいさっぱり無くなっていた。阿倍野出身の人たちはどのような想いでこの写真を見るだろう。「風街」と呼ばせてもらおう。

お墓参りで身を清めて、一路、甲子園に。噂通り、近鉄と阪神がつながっている! これは甲子園駅の料金表示板。「俊徳道」と「甲子園」がひとつの表に。子供のころの「世界」は難波で止まっていた。コロンブスもガリレオもびっくりの、難波中心の小さな小さな世界観。あのころ、近鉄が甲子園や三宮につながっていたら……もしかしたら少しばかり人生が変わっていたかも知れない。

中京大中京vs日本文理の決勝戦は、大げさに言えば、少し野球観が変わった。9回裏ツーアウトからの日本文理、怒濤の反撃のときに、一塁側スタンドに自然発生的に起こった手拍子と声援のうねりは一生忘れないだろう。でもこの話はまた後日。

さぁ「熱闘甲子園」最終回まであと1時間。ハイライト映像のバックは今年も秦基博か?

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20090823/大阪写真日記。

新携帯で撮った画像をいくつか。まだ使い方が要領を得ず、画像容量に違いがあることご容赦(シャレではありません…)。なんか普通のブログみたいで新鮮だわ。

天王寺のホテルでは地上波(サンテレビ)とYahoo!動画で2試合観戦。「終戦」後もやはり気になるのは人情。

「南河内芸術大学」(仮称)の板書。広告を通して考える現代史、みたいな話。「吉永小百合→ 深津絵里」は、「美人」という観念の拡大という話をしています。

杉山登志のお宝CM映像も流れます。

京セラドーム大阪。観客席が黄色い原因は……

このTシャツの無料配布。この、PCで打ったのそのままのようなフォントは狙いなのか、なんなのか。

明日、甲子園を経由して帰ります。中京大中京、吉田義男、ライト・ライトル、町田町蔵、スージー鈴木。同語反復5人衆。

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20090822/夏の読書は楽しい!

生きることは、読むこと。読むことは、生きること。

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20090815/もうひとつの敗戦記念日。

8月15日は終戦記念日。いやこの「終戦」というのは、「満州事変」「日韓併合」と同じく日本史をある方向から改ざんする動きからのネーミングで、素直に表現すれば「敗戦記念日」。

そして2009年8月15日は、我がマリーンズの「敗戦記念日」だ。それぐらい昨日、本日の試合はひどかった。ミスの連続。勝てる試合を落としている。

今季のパ・リーグはファイターズで決定。野球の質がまったく違う。今のファイターズはジャイアンツをも圧倒するだろう。

冷静に考えて、これからのマリーンズは来季を見据えた若手の登用を考えるべきである。同時に働かないベテランを幽閉するべき期間でもある。

<希望スタメン>
(1)西岡(遊)……どこかが痛い、休みたいと言い出したら高橋慶彦がきちんと叱るべきだ。
(2)今江(三)……本来は2番じゃないか。小技も上手いし。いや他が下手すぎるのだが。今江復帰までは細谷圭で。
(3)サブロー(中)……衰え知らず。チームリーダーを兼ねた存在になれ。
(4)大松(右)……全試合4番に。2010年代のマリーンズの支柱となる。
(5)竹原(左)……左投右打。大松とならぶ「松竹砲」として売る。
(6)神戸(一)……さよなら福浦。いい夢をたくさん見させてもらった。次世代は神戸だ。
(7)井口(D)……前半戦MVP。しかし限界が見えた。この位置で.260、15本打ってくれればよい。
(8)田中雅(捕)……本職に戻そう。さよなら里崎、橋本。いい夢をありがとう。
(9)根元(二)……イップス発生中。二塁ならどうか。

<先発ローテーション>
・清水直
・小野
・成瀬
・唐川
・大嶺
……上の2人が存命中に、下の3人がちゃんと独り立ちするように。とくに大嶺。

<中継ぎ>
・渡辺俊
・内
・川崎
……試合の途中にアンダースローが出てくる違和感はどうだろう? 荻野と伊藤はちょっとまだしんどい。この2人で。

<抑え>
・小林宏……1イニングなら150km/h出るだろう。フォークもワンバウンドしないだろう。

思えば優勝の前年、2004年は、4位ながらも西岡などのイキのいい若手がじわじわと出てきていた年であった。これから残り試合はそんなじわじわとヤングが芽を出しはじめる時期になってほしい。負けてもいいから最下位でもいいから。

だって、冷静に考えて数学的に統計的に、クライマックスシリーズは無理だから。だとしたら来季にいい思いができることに賭けた方がいいよ。

あ、そのときの監督は、レンサカタか高橋慶彦で。繰り返すが西村徳文じゃない。ビジターユニフォームは1995年のもの(グレーに"Marines"表記)に変えよう。

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20090808/2009年の70年代。

酒井法子については、昔から特に興味は無かったし、捕まろうが何しようがどうでもいいのだが、今回の事件でとても気になるのが、あのダンナである。

(自称プロ)サーファー、千葉にサーフィン用別荘、写真で見せている「サーファー・カット」、そして覚醒剤。これらはすべて70年代後半の登場人物だ。

なんだか分からない感じで、日本の若者がアメリカ西海岸にあこがれていた頃。雑誌ポパイ、UCLAのTシャツ、イーグルス、桜田淳子《サンタモニカの風》、大阪アメリカ村。

70年代後半、ワタシはまだ小学生だったからこれらのムーヴメントにハマりはしなかった。ただ80年代に入った瞬間、このムーヴメントが一気にダサくなったことは強烈に覚えている。

それはフジテレビでYMOの武道館ライヴを見た瞬間であり、関西テレビ『誰がカバやねん』でプラスチックスを見た瞬間だ。

暑苦しい70年代から、軽やかな80年代へ。

どうでもいい話だが、当時西海岸風の自転車の写真を見て、自転車の泥よけを外した。それで雨の日に乗ったら背中に泥が付いて困った。これが当時、自らが実感した日本と西海岸(="It Never Rains In Southern California")の距離である。

で、それから30年。いろんなことが、ほんとうにいろんなことがあったはずなのに、酒井法子の周りでは70年代が冷凍保存されていたということだ。

西海岸幻想やドラッグ幻想なんてものがカスだということは、他ならぬイーグルスの《ホテルカリフォルニア》で完全に証明されたことである。そして日本の若者は、そんなカスを乗り越えたはずだったのに。

カスを掴んでしまったのは、結局酒井のセンスのなさだろう。同じくサーフィン仲間と言われる、木村拓哉や工藤静香のズレ方も、同種のセンスのなさに起因していると思う。

もう70年代なんて、軽やかに乗り越えていこうよ。

あのダンナ、たぶんヘビースモーカーだと思う。それもCAMELを吸っている感じがする。憶測だけれど。

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20090802/「マイケルジャクソン出世太閤記」

自宅にmp3録音できるラジオチューナーを買い、AMラジオの動向に目を配っておき、そして日々の行いに気をつけていれば、ラジオの神様はほほえんでくれる。

7月15日ニッポン放送でオンエアされた2時間番組、「あの『マイケルジャクソン出世太閤記』をもう一度」、捕獲成功。

パーソナリティ - 小林克也、ゲスト - 大瀧詠一、マイケルジャクソンを豊臣秀吉に見立てたマイケルの出世物語。原案 - 小林信彦、脚本 - 藤井青銅、プロデュース - 大瀧詠一、マイケル・ジャクソン - 片岡鶴太郎、父 - ビートきよし、3人の博士 - シブがき隊、謎の紳士 - 由利徹、ダイアナ・ロス - 高見知佳、我嘲禅師 - 谷啓、ジャクソン兄弟・その母・波止場のごろつき・その他 - 片岡鶴太郎、グラミー賞実況アナ - 古舘伊知郎、紅白司会者 - 小川宏、レポーター - 梨元勝、グラミープレゼンター - 田原俊彦、ブルック・シールズ - 堀ちえみ、ナレーション - 芥川隆行

それにしてもなんと豪華な出演者。まさに「ラジオの黄金時代」! 聞き逃した人のために、まだネットに音源が公開されています。

1984年のニッポン放送30周年で放送されたラジオドラマ。詳しくはこちらを参照のこと。

小林信彦+大滝詠一。神と神の組合せ、ってモンスターエンジンみたい。上の動画(音のみ) 、忙しい方は「第4章」だけお聴きください。笑えます。素晴らしい馬鹿馬鹿しさ。

1984年か。まだワタシがまだ『ロングバケーション』も『風街ろまん』も聴いていなかった頃。できればオンエアで、リアルタイムで楽しみたかった。ま、当時ワタシはまだ大阪の高校3年生だったので、ニッポン放送は聴けなかったわけですが。

マイケルジャクソン死去に際して垂れ流されたろくでもないコメントにお嘆きの貴兄も多いかと。この馬鹿馬鹿しさがそんな貴兄の心を癒やす、かも。

追記:『マイケルジャクソン出世太閤記』の14年後に神との出逢いがありました。

追記2:筋金入りのSMAP嫌い、スージー鈴木でも認めざるを得ない。これ、カッコ良すぎる!

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20090725/誰か島田紳助を止めてくれないか。

もうこんなことを言うのは、このサイト的にはあたりまえすぎて、ちょっと気が引けるのですが、言ってしまえば。

島田紳助、誰か止めろ。

「26時間テレビ」の番宣番組を不幸にも見てしまった。そこで島田紳助が歌詞を書いた(作詞名義:カシアス島田=泣)《泣いてもいいですか》という曲を、26時間の生中継の最後に合唱するということを言っていた。

この曲がひどい。歌詞もメロディもあまりに低いレベル。ただそのレベルの低さを問題にしたいわけではない。

「島田紳助とGreeeeNは、不景気を商売にしている」

これはワタシが週刊ベースホール誌上で書いた名言。さらに紳助の場合は、その「不景気商売」の方法論が狡猾だから嫌なのです。

『行列…』でその見事な話術を見せること、『M-1』で漫才界の権威の位置をキープすることで、保険をかけておいて(=ワタシのような論客?のシンパシーを得ておいて)、気がついたら『1分間の深イイ話』のような不景気商売=貧乏人騙し=に手を付ける狡猾さ。

《羞恥心》などの罪のない曲(しかしメロディはたいへんよくできた歌謡曲)を作っておいて、アラジン《陽は、また昇る》あたりから徐々に臭味を増し(♪がんばれ日本、ですから)、そして今回の《泣いてもいいですか》で決定的に不景気商売をする狡猾さ。

それは《白い恋人達》のカップリングを《アミダばばあの唄》にする桑田佳祐の狡猾さとつながる。

「俺らは私立高校やから体育館なんかもお金持ちのPTAの寄付で建てるねん。竜介のとこなんかは貧乏たれの公立高校やから、サッカーボールひとつ買うのにも一生懸命ベルマーク集めよんねん」

30年前にこれだけのギャグが残せた人間は、一生笑いを追求しつづける責任がある。笑いにくらべたら不景気商売なんて、なんと安易でイージーなことだろう。

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20090719/東京泥酔日記。

あまりにもひどく飲み続けた一週間。というわけで、以下、伊集院静のノリで。

発端は2週間前の水曜日。ひっさびさにある縁で大学時代の、それも一般教養のクラスの同級生と邂逅し(あの異常に大きな高田馬場大学では、こんなことは砂漠で針を探し当てるような確率)、カラオケへ。同席していただいた某大手レコード会社の役員の方が歌う、麻生よう子《逃避行》に感激。歌詞の大意は、男性が泥酔して女をほってらかすというもの。これが「泥酔週間」の導火線となる。

つづく日曜日は同僚の結婚式。同僚の親戚筋に、さきごろ盟友のボーカリストを亡くした超有名ギタリストが出席しており、ワタシの挨拶を褒めていただく。結婚式のおめでたさに加えて、その方に褒められたという不思議な喜びでワインが進む。

その酔いもひかない月曜は、懐かしのメンバーとカラオケ。先の麻生よう子《逃避行》の会で筒美京平話をしたことを思い出し(その役員の方は本人に会ったとのこと!)、郷ひろみ《恋の弱み》を歌う。イントロ最高!

火曜は昼間の仕事の比較的オフィシャルな宴席。20代前半の若者たちと。さすがに筒美京平の話は出来ないが、ブルーハーツと漫才ネタは鉄板ですね。

水曜日は仲間の送別会。キャロルと荒井由実の話で盛り上がり、またカラオケへ。主賓の希望で、生まれて初めてユーミン《紙ヒコーキ》を歌う。お幸せに。

木曜日はこれも懐かしの仲間の快気祝。この日は歌わず。しかし劇的に楽しい会でした。

金曜日は胃も限界だったのでひとりで久々のマリンへ。バーナムJrの2ランを見る。ちなみにバーナムのフィアンセも見た。これで通算成績8勝4敗。ちなみにワタシは「BOBBY2010」ではなく「レンサカタ2010」「高橋慶彦2010」。

読んでいた本はコレ。ちなみにvol2の巻末、青田昇の項、さよなら平和台球場イベントの帰りの飛行機の中、高橋由伸の逆指名と青田昇死去のニュースが同時に飛び込んでくるシーン、ワタシが隣にいました。

で、明日は大阪へ。また新たな泥酔週間のはじまり。ご自愛のほどを、オレ。

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20090711/新曲についてスージー氏大いに語る(7)

―――待望のスージー鈴木の新曲がまたまた発表された。題して《ファンキーミンチーベニー》。しかしなぜいま、キャロル?
「もうとにかく、キャロル解散コンサートの《グッドオールド・ロックンロール》なんですよ。とにかく騙されたと思って聴いてください!」

―――あぁこれは凄いですねぇ。なんでしょう?このグルーヴは。
「でしょう? これは世界的なレベルに達していると思うのですよ。それであまりにもノリが凄いので、よーく分析的に聴いてみると、やっぱり矢沢永吉のボーカルとベースがとんでもないんですね。特にベース。なんで誰もこの凄まじいベースプレイを評論しないんだろうと思って、こんな記事も書いたりしたんですけど。」

―――スージーさんが考える、日本ロック史上最高のベース?
「あー、それはどうですかね。ライバルがいるとすると後藤次利でしょう。ミカバンド時代の《塀までひとっとび》のロンドンライブ。ただ意味が違うでしょう。ここで問題にしたいのは後藤次利のようなデコラティブなプレイではなくって、あくまでエイトビートのロックンロールで、それも歌いながらあのノリを出しているということですよ。」

―――なるほど。で、今回の新曲はキャロル時代の永ちゃんへのオマージュと。
「そうです。千葉ロッテファン、かつキャロルファンがこの世の中に何人いるか知りませんですが、《ファンキーモンキーベイビー》を元ネタとして《ファンキーミンチーベニー》ということで。」

―――スージーさんのベースが聴きたかったですけどね。《ミ・ナ・ミ・ム・レ》みたいななんだかよくわからない乱暴なベースを。
「いやぁ、あのときのベースの弦はなんと20年ぐらい変えてなかったんですよ。それで今回気合い入れてベースの弦を買い換えたら切れてしまいまして。残念ながらアコースティックセットになりました。」

ファンキーミンチーベニー

作詞・作曲:スージー鈴木

ファンキー・ミンチー・ベニー
ファンキー・ミンチー・ベニー
ファンキー・ミンチー・ベニー
fallin' love
君はファンキー・ミンチー・ベニー
君はファンキー・ミンチー・ベニー
飛んでいるのさ
君はファンキー・ミンチー・ベニー

君はファンキー・シコースキー
君はファンキー・シコースキー
腕をまわせば
君はファンキー・シコースキー

好きなんだ 好きなんだ 逆立ちしたいほど
ないものねだりのI want you
接してもらさず no no no no no no no!

君はファンキー・パスクチ
君はファンキー・パスクチ
イタリア代表
君はファンキー・パスクチ

好きなんだ 好きなんだ 逆ムケしたいほど
Lucky Chanceをもういちど
接してもらさず no no no no no no no!

君はファンキー・ランビン・バリー
君はファンキー・ランビン・バリー
踊りたいのさ
君はファンキー・ランビン・バリー

君はファンキー・ミンチー・ベニー
君はファンキー・ミンチー・ベニー
飛んでいるのさ
君はファンキー・ミンチー・ベニー

というわけで、新曲を発表したスージー鈴木氏への単独インタビューをお届けした。次回の新曲も待ち遠しいところである(編集部)

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20090705/1998年の自己顕示欲。

ひょんなことから1998年12月に発行された白夜書房『野球小僧vol.1』(つまり創刊号)を手に取る。これがずいぶんに面白く、読み応えがある。

当然、同誌の目玉であるドラフトスカウティング・レポートも満載なのですが、それ以外の文化系の記事に読み応えがあるわけです。色川武大、えのきどいちろう、永沢光雄(名文!)、佐山和夫、虫明亜呂無……。

この号は知る人ぞ知るスージー鈴木野球音楽評論のデビュー号でもあるのですが(まさか11年後も野球音楽評論をやっているとはオドロキ)、それも含めて、文化的視点から野球を語ろうというスタンスが良い。

ちなみに文化といえるかどうかは別として、巻末にある「ダジャレン坊将軍」というコーナーにあった「♪内ノ倉前からどうぞー」には笑った。

そういえば先週月曜には、98年当時にレギュラー出演していたFMヨコハマのディレクターの送別会、っていうのがあり、雨の中、高樹町に駆けつけました。

そうなんです。横浜ベイスターズが優勝した11年前は、まだ30代の痩せぎすのスージー鈴木君が野球にラジオに大活躍(?)をしていた時期なんですね。

あれから、ニューヨーク世界貿易センターに航空機が突っ込み、千葉ロッテが優勝し、世界的な不況が訪れ、と、考えもしなかったことが次々と起こって。スージー君だけはあまり変わらずに、ただ少しばかりオヤジ面になってひっそりと地味に生きている。

松坂、新垣、杉内、久保、東出、藤川、福留、上原、二岡、里崎、古木……。『野球小僧vol.1』のドラフトレポートに出ている、なんと蒼々たる名前。彼らが日本球界だけでなくメジャーまで席巻するなんと豊かな時の流れ。

そういえば、98年夏の甲子園、横浜高校対京都成章の決勝戦はたしかとても暑かった土曜日。FMヨコハマのロビーで観た松坂のノーヒットノーラン。

異常な自己顕示欲、表現欲求に突き動かされた11年前の自分にちょっとジェラシーしながら、当時を思い出してTFMの『山下達郎サンデーソングブック』を聴いた日曜の昼下がり。

人生の残り時間が少しずつ減っていく。もっと話して、書いて、伝えなければ。

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