20100925/彼らが教えてくれた。

※吉田拓郎《ビートルズが教えてくれた》風

音楽なんてお笑いといっしょだ
下品でうすっぺらなことがいちばんだ
あのねのねが教えてくれた

無表情でクールに過ごすほうがいい
熟練という爪は隠しとおせ
YMOが教えてくれた

早口でひといきに喋るんだ
すべてを斜めから見てツバを吐け
ビートたけしが教えてくれた

浅はかな自称インテリどもを
本当のインテリジェンスで馬鹿にしろ
タモリが教えてくれた

音楽について知り、語り、分析すること
それはとても愉しいことなんだ
大滝詠一が教えてくれた

けれんみなく王道の笑いを追求すること
それはとてもかっこいいことなんだ
三宅裕司が教えてくれた

コトバにこだわることはダサくない
コトバにこだわることこそがロックなんだ
ブルーハーツが教えてくれた

ロックをプレイすることじゃなく
ロックを語ることもロックに成りうると
渋谷陽一が教えてくれた

過去の膨大な知識のストックを
現実を切り取ることに使うんだ
小林信彦が教えてくれた

すべてのことにチャレンジしてみて
鮮やかにクールに達成してみせろ
いとうせいこうが教えてくれた

冷徹な視点と美しい文章力があれば
コラムも立派な芸として成立する
ナンシー関が教えてくれた

そして四十を越えたらもう迷わない
だまってずんずん進んでいけばいい
沢田研二が教えてくれた

こんな風にサブカルチャーに接し
彼らのことを考えて、慈しむ人生
ビートルズが教えてくれた
ビートルズが教えてくれた

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20100923/けっしてうぬぼれていなかった宮藤官九郎。

TBS『うぬぼれ刑事』がめっぽう面白かった。ずっと中島美嘉の起用が不似合いだなぁと思っていたが(この役は深田恭子だろうと…)、最終回を見て納得。

伝説の『池袋ウエストゲートパーク』から10年。結局「ゼロ年代」は宮藤官九郎のdecadeだったと言っていいだろう(参考:●●of the decade選定委員会)。見事なぐらいに宮藤を追い越す存在が出てこなかった。

宮藤によるドラマはほぼ全部観た。『池袋ウエストゲートパーク』が最高傑作という認識は変わらないが、それでも『タイガー&ドラゴン』『木更津キャッツアイ』は名作だと思うし、おおむね全作品、とても満足した。

彼の場合、映画は正直ぜんぜんダメだった。やはりテレビサイズの方法論なんだと思う。

さいきん、ひとりで家でじっくりとテレビや音楽を堪能するということが出来なくなった。ま、40歳を越えたオッサンは大なり小なりそうだと思う。

あれほど大好きだったラジオもほとんど聴いていない。新曲チェックもほとんど出来ていない状況。そんな中で新しい音楽についてあれこれとここで語るのもおこがましいのだが、それでも僭越ながら 大谷ノブ彦氏(びっくりするほど新しい音楽に詳しい)と意見があったりするわけで、不思議。

じっくり観られない、そんな「流し観(み)」の状況の中でも宮藤作品は愉しめる。ここがミソなのではないか。

乱暴にいえば、結局ストーリーはどうでもいいのである。山のように詰め込まれている小ネタが生命線。「流し観」の場合、ストーリーの詳細は終えないのだが、それでも小ネタ一つひとつを愉しんでいれば、かなり満足できる。

「わかったよ、じゃ俺は『うぬぼれ5(ファイブ)』やめるよ。この人と『現実2(ツー)』つくるよ、いや『げんじツー』だ」
「お前、それ言い換えている段階でダメじゃん」

たしかこんな会話があったと思う。ストーリーにはなんの影響も与えない小ネタなのだが、こういう台詞ひとつひとつが格別に面白い。そしてそれは「流し観(み)」にぴったりだ。

視聴者は、電気を消してじっくりと観てくれているはず―――多くのテレビ制作者はそのように勘違いしているのではないか。だから宮藤を超える才能が出てこない。まったく違うって。じっくりとまったりと観るヒマなんてないんだって。

「視聴者はじっくりと観てくれている」…それこそ、うぬぼれ!

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20100911/HALCALIには「蹴っ飛ばすカバー」が似合う。

渋谷陽一が昔「ギターソロで陶酔して目を閉じているギタリストは不愉快だ。他人のマスターベーションにつきあってるヒマはない」という趣旨のことを言っていた。

カバーという行いもそうなんじゃないかと思う。自分が好きで好きでたまらない曲をカバーするとき、そこに聴き手の存在を忘れてしまう「陶酔」的な感情が生まれ、結果、聴き手は退屈する。

ここでは紹介していなかったが、桑田佳祐の『昭和八十三年度!ひとり紅白歌合戦』というDVDがとても素晴らしかった。ひとりでなんと61曲もの昭和歌謡を歌いきる。それも桑田氏にありがちな、歌詞間違えてグタグタと歌う感じではなく、完璧に歌いこなす。

聴きどころは《五番街のマリーへ》、《シルエット・ロマンス》、《ロビンソン》。ぜひ一度聴いて・見てください。

あと、このサイト1999年のレコード大賞に輝いた、椎名林檎の《翳りゆく部屋》(ユーミンのカバー)。

両者に共通しているのは、「陶酔」ではなく、適度な距離感。原曲に近づこうという幼稚な意志ではなく、自分のものとして完全に咀嚼している感じ。

サンプル盤も手に入れ、狂ったようになんども映像も見、現段階で今年のレコード大賞と言えるのがHALCALIの《浪漫飛行》。

実にあっけらかんとして踊り、歌っているのがいい。パフィーが(たしか)カバーしていたBOOWYの《IMAGE DOWN》やシャネルズ《ハリケーン》にも通じる適度な距離感。あと、バックが完全にアナログな生演奏なのがよい。

盛り上がって、アルバム『TOKYO GROOVE』も買ってみたが、こちらはそれほどでもなかった。《My Sweet Darlin’》、《今夜はブギー・バック》、《やさしい気持ち》、《愛のために》、《すきすきソング》、《You May Dream》。選曲のセンスはいいのだけれど、ヒップホップ色の強さが不要に思えた。

HALCALIは「蹴っ飛ばすような感じ」を大事にすればいいと思う。原曲の権威、チマチマしたデジタル感、一矢乱れぬダンス、ブラック・ミュージックへの過剰なリスペクト。そんなものすべてを蹴っ飛ばせばいい。ポーンと。

というわけで、最後に、そんな考え方に合うカバー候補曲を個人的に選んでみる。こんな曲を生演奏バックにカバーする『TOKYO GROOVE 2』があれば大ヒットする……と思いますが。

■『TOKYO GROOVE 2』仮想収録曲

#1.カジヒデキ《ラ・ブーム~だってMY BOOM IS ME》
#2.沢田研二《晴れのちBLUE BOY》
#3.新田恵利《冬のオペラグラス》
#4.アースシェイカー《ラジオ・マジック》
#5.浅香唯《メロディ》
#6.フリッパーズ・ギター《カメラ!カメラ!カメラ!》
#7.福永恵規《風のインビテーション》
#8.岡村靖幸《19 (ナインティーン)》
#9.バービーボーイズ《なんだったんだ? 7 DAYS》
#10.永作博美《My Home Town》

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20100905/いとうせいこうを好きすぎた頃。

前項、1987年の『浪漫飛行』のことを考えたら、80年代後半の「あの」風景がググっと頭の中で動き出した。つくづくワタシは自分の過去が好きすぎると思うのだが。

あのころ、10代後半から二十歳をこえる多感な、ほんとうに多感だった時代。ワタシが好きすぎたのはいとうせいこうであった。

「やってみりゃなんでもできるんだ」。いとう氏から学んだことは、つまりはこういうことである。ラップ、司会、お笑い、ライター、編集、番組構成、演劇。とりあえず興味あることにすべて手を出して、それが全部、当時の東京の最先端をいってたという奇蹟。

当時っぽい言い方でいえば「マルチ・クリエーター」。思えば60年代の青島幸男もそんな感じだったのだろう。その道一筋の熟成された名人芸なんてクソクラエ。センスと知識さえあれば、なんでもできる。

1985年ぐらいに、彗星の如くあらわれた。はじめて見かけたのは前項にも書いた変な番組『なげやり倶楽部』。そこから『冗談画報』とか『FMブランニューウェイブ』とか。いとう氏を中心に、シティボーイズや中村ゆうじ、えのきどいちろう、ナンシー関などが群としてのしてきた時代。

「やってみりゃなんでもできるんだ」。10代のスージー青年はそう妄想した。音楽もお笑いもトークもできるぞ。そう勘違いした。そして幾多の挫折があり、でも白状すれば、いまでも少しだけそう思っている。

あのころ、そんな勘違いをしたこと、さらにいえば勘違いの果てに、『FMブランニューウェイブ』の流れをくむFM番組『東京ラジカルミステリーナイト』に番組企画のハガキを送らなければ、ワタシの人生はそうとう違った方向に行っただろう。そして、いまサイトでこんなことを書くこともなかったと思う。

個人的にいとう氏への興味を失ったのは、小説『ノー・ライフ・キング』のヒットである。小説の出来がどうこうという問題ではなく、彗星の如くあらわれたときの、あの軽さ、怪しさ、デタラメさが失われたと感じたからだ。

そしてそれは、昭和の終わり、80年代の終わり、そしてワタシの青春の終わり。岡村靖幸とユニコーンを聴きながら、もうすぐやってくる、ひどく退屈な90年代を待っていた。

「なにをしていいのかわからない」と悩む若者と会いました。違うんです。「なんでもできるんです」。げんみつにいえば、そう勘違いして、なんでもやってみるんです。なんでもやってみようと思って、実はできないことに気づく。そこからの判断の仕方はこの『二十歳のころ』を読んでみてください。

と、こんなゴタクを読んでいるのも時間の無駄。さぁ、動きだそう。

【追記】当時発売された、桑田佳祐といとうせいこうのラップ。80年代前半の音楽界を制した桑田に対して、80年代後半の雄となったいとうせいこうが襲いかかる瞬間(2分10秒付近)。大げさに言えば、これが時代の転換点。

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20100903/1987年の《浪漫飛行》、2010年の《浪漫飛行》。

米米クラブ《浪漫飛行》がヒットしたのは1990年。いやな形容だがわかりやすいので使ってしまえば「バブル景気」が最高潮に達したころにヒットした曲である。

ただしこのヒットは、JALのCMソングとして使われたことによるもので、実際この曲が発売されたのはその3年前、1987年発売のアルバム『KOMEGUNY』の中の一曲として。

やけに覚えているのは、1988年だったと思う、大学3年生時の「ゼミ合宿」。軽井沢のザコ寝部屋で深夜、誰かがもってきたカセットで聴いた『KOMEGUNY』。ゼミの同期と「この《浪漫飛行》って曲、めっちゃええ曲やなぁ」と言い合いながら何度も聴いたこと。

さて、米米クラブをはじめて見たのは1985年。関西人の一部には強烈な印象を残しているであろう、読売テレビの『なげやり倶楽部』という、土曜夕方に1クールだけ流された変な番組、いとうせいこうや中島らも、松尾貴史(キッチュ)らが出ていたと記憶する。神戸のライブハウスみたいなところから中継をしていたような。

変な番組に出てた変なコスプレバンド。

10年区切り、5年区切りで時代を見ていくのはなんらかの説明力があるようで、ワタシにとって1985~1989年の5年間は、ひとまとまりに見える。自分自身が東京に出てきて、大学生という特殊な身分だったという個人的事情が大きいのだが。

いとうせいこうが出てきて、ダウンタウンやウッチャンナンチャンが出てきて、そして音楽でいえば、米米クラブや、バービーボーイズ、大江千里、渡辺美里、ドリカム…CBSソニー、EPICソニーの全盛時代。バブルとは無縁の大学生にも、なんだかものすごいスピードで上に向かって駆け上がっていくように感じていたキラキラした5年間。

そんなときに《浪漫飛行》を聴いていた。繰り返すが、1990年に、タイアップシングルといういかにも当時っぽい感じで完全ブレイクした《浪漫飛行》ではなく、変な番組に出てた変なコスプレバンドが、アルバムの中でひっそりと出していた名曲、1987年の《浪漫飛行》を。

奇妙なアレンジ。特に盛り上がるボーカルと裏腹にまったく機械的に動いていくベースライン「♪ドド・ソソ・ファファ・ドド」はちょっとした発明だと思う。情緒先行型で実験性に乏しい《君がいるだけで》とは格が違う。

1990年以降の、もう変でも妙でも奇天烈でもないメインストリームの米米クラブではなく、実に変で妙で奇天烈で、みんな怪訝に「マイマイくらぶ?」と呼んでいたころの彼らが歌った《浪漫飛行》が大好きだ。

以上、長すぎるイントロ。このカバーが最高、ということを言いたかったのでした。

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20100828/日本のロック/フォーク・アルバムベスト10(60~70年代版)を作ってみる。

『レコードコレクターズ』誌、08月号の『日本のロック/フォーク・アルバムベスト100(60~70年代篇)』にインスパイアされ、好評だった(?)スージー鈴木版「80年代アルバムベスト10」につづき、「60~70年代日本のロック/フォーク・アルバムベスト10」を作成。

【8/29追記】各アルバムを代表する「Best track」を上書き。
【9/4追記】「Best track」の音源を掲載。

1.風街ろまん(はっぴいえんど)

※Best track: #1《抱きしめたい》→解説

2.ミスリム(荒井由実)

※Best track: #2《瞳を閉じて》

3.熱い胸さわぎ(サザンオールスターズ)

※Best track: #1《勝手にシンドバッド》

4.黒船(サディスティック・ミカ・バンド)

※Best track: #10《塀までひとっとび》→解説

5.燃えつきる~キャロル・ラストライヴ(キャロル)

※Best track: #3《グッド・オールド・ロックンロール》→解説

6.スパイダースNo.1(ザ・スパイダース)

※Best track: #2《ノー・ノー・ボーイ》

7.紀元貳阡年(ザ・フォーク・クルセダース)

※Best track: #6《オーブル街》→解説

8.ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー(イエロー・マジック・オーケストラ)

※Best track: #3《ライディーン》

9.ソングス(シュガーベイブ)

※Best track: #1《SHOW》

10.シングルマン(RCサクセション)

※Best track: #7《ヒッピーに捧ぐ》

次点.ジャックスの世界(ジャックス)

※Best track: #1《マリアンヌ》

【9/1追記】以下、12~20位追記。

12.元気です。(吉田拓郎)

13.ひこうき雲(荒井由実)

14.生聞59分(憂歌団)

15.はっぴいえんど(はっぴいえんど)

16.氷の世界(井上陽水)

17.JAPANESE GIRL(矢野顕子)

18.生まれたところを遠く離れて(浜田省吾)

19.電撃的東京(ハルヲフォン)

20.ザ・フィフス・ジェネレーション(ザ・ゴールデン・カップス)

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20100822/拝啓、高野連のオッサンの方々。

※【3時間後に追記】めずらしくtwitterでいろいろとご指摘いただきました(ありがとうございます)。
・「監督部長ベンチ入り選手の交通費と滞在費は高野連負担」だそうです。
・また高野連の大会収支は新聞で発表しているとのこと→昨年版
・上記リンクを見る限りでは「放映権」をもらっているのか、「甲子園賃貸料」を払っているのかは不明(項目がざっくりしずきてます)。特に前者に関しては、その存在有無がネット上でちょっとした話題になっている模様。
・ただし、高野連が交通費などを負担してようが、放映権、賃貸料がどうであろうが、選手をちゃんと休ませるべきという主張に変わりません。また上記についての追加情報もお待ちします。

ふと思いつき、twitterでこのようにつぶやいたら思いのほか多くの方の賛同を得、たくさんのリツイートをいただきました。

「【緊急動議】今年に限り、二試合の日は午前と夕方開催、せめて決勝戦は夕方開催にしてあげよう。大人のサディスティックな快感のために球児を猛暑で殺さないでください。今からでも遅くはないはず。」

具体的に、このようにしてはどうでしょうか?

(1)13時~15時の間はゲームをなしにして、午前中と夕方以降に実施する。

(2)準々決勝、準決勝、決勝の間はそれぞれ1日ずつ空ける。具体的には、休日=準々決勝(1日目・2試合)=準々決勝(2日目・2試合)=休日=準決勝(2試合)=休日(2日程度あってもよい)=決勝戦、とする。

(3)決勝戦に関してはナイターとする(それのほうが喜ぶ野球ファンが多いだろう)。

このルールにした場合、考えられる批判(とそれへの回答)は以下。

(a)学生は勉強が本分だ。長くは拘束できない(→甲子園に出るレベルで野球をやらせている段階でそもそも勉強なんてそっちのけだろう?)

(b)昼間の空白時間や、休日が出来ることによって、人々が甲子園で観戦しにくくなる(→そんなことより、まずはいい環境で野球をやらせてあげることを優先しましょうよ)

(c)甲子園球場の利用契約期間が延びることで費用面がかさんでしまう*

*そもそも甲子園にショバ代を払っているかどうかは不明

この(c)への批判を考えるとすれば、そもそも高校野球の経営収支がどのよう構造になっているかを考えなければなりません。

ただし、いろいろ調べてみると、イベントとしての最大の貢献者=出場校には一銭も払っていないらしく(!)、観客動員と放映権料、グッズ収入でかなりのボロ儲けと言われています→参考サイト(1)参考サイト(2)

ということは多少甲子園の利用契約期間が延びても、収支的には大丈夫と判断できるのではないでしょうか?

むしろ、今大会のものすごい観客動員を見る限り、新ルールによる動員低下はそれほど決定的なレベルではなく、むしろ夜のゲームや、決勝戦を待たされ期待値が増すことによて視聴率が稼げ、結果放映権料も上がりそうな感じ。

とにもかくにも、いちばん大事なことは、健康的な環境で野球をやらせてあげることです。

今年の決勝戦のスコアが13-1、去年が10-9、一昨年が17-0。もう野球自体が崩れ落ちるギリギリのコンディションで決勝戦が行われていて、そのことが夏の甲子園という濃密な体験を、やや大味な読後感にしている気がします。

高野連のオッサンや、タイガースの「死のロード」のこと(京セラドームがあるからいいじゃないですか!)なんてどうでもいい。まずは球児に健康なコンディションで、思い切り試合を楽しませてあげることです。

※ほんとうは札幌あたりでやるのがいちばんいいと思うのですが、やはり甲子園でなければ、という気持ちが球児の本音でしょう。だとしたら上記のようにすればいい。むしろ、しなければならないと思います。

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20100815/紋切型に頭をかかえて眉をひそめる。

購読新聞を東京新聞と日刊スポーツにした。それまでは毎日新聞とスポーツニッポン。両方とも変えてみた。東京新聞は木曜日の金原ひとみのコラムなど、なかなか面白い(でも一部の噂ほどではない)。

問題は日刊スポーツ。またこんなこと何で気にするんだ?とツッコまれるかも知れないが、気になることがひとつある。

「…と眉をひそめた」「…と腹をかかえて笑った」「…と唇を噛んだ」「…と耳を傾けた」「…と口を尖らせた」「…と頭をかかえた」―――「紋切型」!

実際に記事に使われていたコトバをチェックしているわけではなく、上にあるのもいま適当に書いたものなのだが、とにかくこのような「紋切型」が目について仕方ないのだ。特に野球関連の記事において。

腐ってもジャーナリズム。スポーツジャーナリズム。ジャーナリズムに「紋切型」は不要。なぜならば、その瞬間、ほんとうに実際に「眉をひそめ」てないでしょう?「腹をかかえて」ないでしょう?

「紋切型」の文章は容易に文字数が埋まるから、話を希釈してふくらませるのに最適なのでしょう。ただ読み手には、薄っぺらな文章を「読まされた」という不快感が強く残る。

ただいま大阪。大阪のスポーツ新聞の阪神礼賛は異常だが、「紋切型」の乱発は、それ以上に恥ずかしいことと思ってください。

そういえば最近の芸能面、AKB48と女子アナへの傾倒も不愉快だなぁ。若い女を出しておけば世の中のオヤジが喜ぶだろう、という考え方。間違ってはいないが話が粗雑だ。高田文夫の復活を希望します。

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20100805/『風街ろまん』は本当に日本ロック最高の名盤?(2)

前回の結論:安易に漠然としたイメージで『風街ろまん』を名盤と語るなかれ。その凄さを分解し、箇条書きすれば、実は決定的に突出した要素はないのだが、それらが全部、満遍なく満たされている「数え満貫」の名盤なのである。

今回は、前回箇条書きにした『風街ろまん』の凄さポイントをひとつ抜き出して、その意味と価値を探ってみたいと思います。ワタシが考える『風街』の凄さの最上位ポイント……「(1)大滝詠一による、日本語のロックな歌い方の発明」。

※「凄さ」定義=独自性+周辺・後世への影響度(前回同様)

日本のロックの歴史は、言い換えてみれば、日本語をどう英語っぽく発音して歌うかという苦闘の歴史でした。で、「英語っぽい発音」への近づけ方も、大きく分けて箇条書きにしてみるとこの3つになります。

(1)破擦音(特にカ行、タ行)を強める:カを「クァ」、タを「ツァ」と歌う
(2)母音の発声にバリエーションを持たせる:たとえばアとエの間の中間的発音で歌う
(3)文字と文字の間をつめる:16分音符などを多用し文字をつめこんで歌う
→たとえば、3つの四分音符があるとして、英語では「I LOVE YOU」が入るが、日本語では「あ・い・し」だけで「て・る」しか入らない。このように英語のほうがひとつの音符に込められる音的・文字的・意味的な情報量が豊かであることへの対応として

この中の「(2)母音の発声」について、大滝詠一の功績が大きいと思われます。ファースト『はっぴいえんど』の#1《春よ来い》から、本来の日本語にはない母音でシャウトしているボーカルを聴くことが出来ます。

このような視点(聴点?)で、改めて聴いてみてください。強烈に母音をゆがめて歌っていることに気がつかれるはずですから。

《春よ来い》以外にも『風街』の《空いろのくれよん》のヨーデル唱法など、さまざまな母音発声にチャレンジしている若き日の大滝氏の先進性。

そして、はっぴいえんど解散後、キャロルの矢沢永吉によって、日本語母音ゆがめ唱法はぐぐっと進化し、そして桑田佳祐によって、ほぼ完成されます。

ちなみに(1)については、萩原健一(テンプターズ)あたりをゆるやかな起源として、鈴木ヒロミツや大滝詠一も絡んだ上で、キャロルの矢沢永吉、そして桑田佳祐が一気に推し進めました。その後、吉川晃司、氷室京介によって限界まで突き詰められます。

(3)はその佐野元春がイノベーターとなります。《SOMEDAY》の「♪まちのうたがきこえてきてー」の「♪まちの」の16分音符がその代表例ですね。あとは小室メロディ(ex.《My Revolution》)や大江千里などなど、EPICソニー系周辺で定着させられた方法論。

と、このように包括的に考えると、日本語ロック史の立役者として、はっぴいえんどもいいけれど、矢沢永吉や佐野元春の功績がもっと語られたほうがいいのではないか、ということを強く思います(桑田佳祐はある程度そのように語られていると思うので)。

また、繰り返しになりますが、ただ漠然と『風街』を名盤というのではなく、大滝詠一の日本語発声の視点から、具体的に『風街』の凄さを語らなければとも改めて感じ入るわけです。

それにしても不思議なのは、矢沢永吉です。大滝、桑田、佐野各氏は、とてもマニアックに音楽を聴いていた人たちで、それゆえに、日本語ロックの先達から学び、進化させたことに不自然さはないのですが、キャロル矢沢永吉の登場は明らかに「突然変異」。

いくつかの書籍を読んでも、キャロル・矢沢永吉のボーカルスタイルが誰を参考に、どのように開発されたかがよく分からない。ここは研究のしがいがあるというものです。

今回は以上です。最後に、なぜこんなことをクドクドと書いているかというと、日本ロック史や『名盤』の語られ方がとても情緒的・文学的なことが多すぎて、そこに対する気持ち悪さが背景にあります。できるだけ具体的に捉えたいという個人的欲求がベースにあります。

また、今となっては、上記(1)~(3)のような歌い方が完全に定着してしまっているので、ここに至った歴史的経緯がとても見えにくくなっています。なので、誰かがこういう話を書いておかないと、という責任感?もありまして。

とはいえ、上に書いたことはあくまで「試論」の域を出ません。ご意見、じゃんじゃん(ナイアガラ用語)いただければと思います。

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20100731/『風街ろまん』は本当に日本ロック最高の名盤なのか?

『レコードコレクターズ』誌、08月号の『日本のロック/フォーク・アルバムベスト100(60~70年代篇)』。1位ははっぴいえんど『風街ろまん』。ま、この結果は当然かなと思い、そんなに違和感を感じたわけではないのだが、『風街ろまん』の説明の中で、強くインスパイアさせられる一文に出会った。

ではこのアルバム『風街ろまん』が現在に与えた巨大な影響とはなんなのかというと、『風をあつめて』に象徴される漠然としたアルバムのイメージ、ではないでしょうか(田口史人)

なるほど。日本語のロックの始祖と言われ、また若者にもリスペクトされつづけるはっぴいえんど/『風街ろまん』の評価は、「漠然としたイメージ」によって構成されていると。うんうん。わかるわかる。

たしかに、もっと具体的に、唯物論で『風街ろまん』を語らなければいけない気がする。このアルバムが、そしてはっぴいえんどの何がすごかったのか。

(1)おそろしく自由なコード進行の発見・発明
(2)ハイテクニックで緻密なコーラスワーク
(3)クラシックからブルースまで様々なジャンルとロックを融合
(4)スタジオ録音技術のイノベーションを推進
(5)演奏能力、とくにポールマッカートニーによるベース

これはワタシが考える、ビートルズの凄さのポイント(「凄さ」定義=独自性+周囲や後世への影響度)、上から順。いろいろと凄かったのだが、ロック史においてもっとも独自でかつもっとも大きな影響を与えたことは「コード進行における革命」ではないか。コードの彩りを極端に自由で鮮やかなものにしたこと。

このような、箇条書きではっぴいえんど『風街ろまん』を考えてみる。

(1)大滝詠一による、ロックな日本語の歌い方の発明
(2)松本隆によるレトロで都市文学的な作詞
(3)細野晴臣によるベースとギターの演奏能力
(4)ジャケットなどの徹底したアートワーク
(5)8チャンネルによる生々しい音でのレコーディング

(1)(2)がとくに大きいと思うのだが、でも(1)は独自性においても、影響度においても、キャロルの矢沢永吉やサザン桑田佳祐の比では無かろう。(2)はあきらかに独自なのだが、影響度がそれほどでもなく、むしろすこし後の吉田拓郎作品の歌詞世界の影響度のほうが大きい。

また(3)について、単なる演奏能力だけでいえば、はっぴいえんど以上のバンドはたくさんいるだろうし、(4)(5)もまぁ比較が難しいのでこのような論議には適さない。

要するに、「漠然」と評価されている『風街ろまん』だが、よーく見ていくと実は個別の項目で圧倒的に凄いところはないのである。また、これも「漠然」と、「日本語ロック」がこのアルバムからはじまったとされるが、それには当然、『風街』以前の、ジャックス『ジャックスの世界』やフォークル『紀元貳阡年』はどうなるんだ?というツッコミが発生する。

じゃ、『風街ろまん』のどこがすごいんだ?

ひとつだけいえることは、上記の(1)~(5)それぞれを個別に見たら、言われているほど凄くはないにしても、この5つがすべて万全に用意されたアルバム作品は『風街』しかないということだ。いわば「数え満貫」のような凄さ。『風街』はそれ以上(国士無双)でもそれ以下(タンヤオのみ)でもない。そしてそんなに単純ではない。

だから安易に「日本語のロックの始祖」と言ってはいけない。「漠然」とした《風をあつめて》的渋谷系イメージで語ってはいけない。もし『風街』を語るのならば、1曲目の《抱きしめたい》を語るべきだ。

イントロのドラムのスネアの音の重さ→上記(5)、跳躍するような細野のベース→(3)、「淡い光が吹きこむ窓を」という歌詞の文学性→(2)、「淡い光が吹きこむ窓"を"」の「を」の口をしぼめた発声→(1)。そして目の前にあるそのジャケット→(4)。

《抱きしめたい》、イントロから1コーラス目のアタマを聴くだけで。上記5つの要素がすべて詰まっている。これらすべてが『風街』の凄さである。「数え満貫」の『風街ろまん』。これ今回の結論。

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20100725/いちばん好きな曲《サークルゲーム》を訳す。

桁外れの数の曲を聴いてきたという自負がありますが、その中からいちばん好きな曲をあえてひとつ挙げるとすれば、ジョニ・ミッチェルの《サークルゲーム/The Circle Game》です。

今回、思うところあって、この曲の翻訳にチャレンジします(むかし一度意訳はしましたが)。既存の訳がどうにも腑に落ちないところがあって、個人的なトライアルとしてやってみます。「circle」「round」「wheels」「revolving」という「ぐるぐる」単語群のニュアンスが出せればと。

サークルゲーム(J.Mitchell)

トンボをつかまえてびっくりしたり
カミナリの音にびくびくしたり
流れ星を見つけてしくしく泣いたのは
つい昨日のことのよう

それから十回の四季がめぐり
凍った川でスケート遊びをしながら
大きくなったら、とはずむ胸をおさえて
いつかきっと、と思いつづけた思春期の夢の数々

季節はぐるぐるめぐって
かわいい木馬は上がって下がって
ぼくたちは
時間というメリーゴーラウンドにつかまって
引きかえすこともできず
通りすぎた場所を振りかえりながら
ぐるぐるまわりつづける
「サークルゲーム」のように生きていく

十六回の春と夏が過ぎさって
草の上の側転はクルマのホイールになって街を走りまわる
大人たちが少年にいうことは
「いまのうちに楽しんでおくのさ 若いときは長くない
足を傷めたらそんな風にぐるぐると走れなくなるぞ」

そんな、明日を夢見た少年は今二十歳
夢はいくぶん輝きをうしなったけれど
その先にはまた新たな夢や豊かな夢があるはず
ぐるぐるまわるメリーゴーラウンドが止まるまで

季節はぐるぐるめぐって
かわいい木馬は上がって下がって
ぼくたちは
時間というメリーゴーラウンドにつかまって
引きかえすこともできず
通りすぎた場所を振りかえりながら
ぐるぐるまわりつづける
「サークルゲーム」のように生きていく
「サークルゲーム」のように

人生の無常観と諦観、でもその中にあるかすかな、でも確実な夢。

この曲を捧げます。オールスターでいまひとついいところが無かったT-岡田にも、地区予選で負けた高校球児にも、そしてちょうどいまから2年間米国に旅立つ同僚にも。

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20100717/難解な文章を捨て去る勇気を。

1980年代中盤、青春まっただ中のスージー少年を悩ませたのはご多分にもれず受験勉強。とくに国語の点数が低くって困っていました。そこでZ会に加入し、たしか「LA」といういちばん難しい国語のコースに入り、送られてくる問題を解こうとするのですが。

問題として取り上げられている文章がヒドい。何を書いているか分からない。

時代はニューアカデミズム。もうこの言葉も死語なので説明しておくと、浅田彰の登場以降に出てきた、ちょっと軽めの学者連中のことを表していて、栗本慎一郎とか、中沢新一とかのことを意味していた……と思います。

1985年の大阪の夏、阪神が優勝に向けて快進撃し、暴力団の抗争があった賑やかしい夏は、Z会のテキストに掲載された、異常に難解な山口昌男の文章を読まされて、自室でイライラしていた夏でした。

あと、「新人類」といわれた中森明夫、田口賢司、野々村文宏。ペイパーバック『週刊本』。また「新人類」という言葉を多用して若者にすり寄っていた筑紫哲也編集長時代の『朝日ジャーナル』。センスも知識もないひ弱な連中が、なぜか上から目線でビートたけしや小泉今日子やとんねるずについて語っていたあのころ。

あれ、なんだったんだろう?

無性にイライラしていたのです。知性派ぶっている連中が、やたら難解な文章を撒き散らすことがなんだかカッコイイという勘違いや、私がこよなく愛していた、ビートたけしやとんねるずを(小泉今日子はそんなに好きではなかった)「評論」している感じがイヤでイヤでしょうがなかったのです。

そんな中、本屋で見つけた景山民夫『極楽TV』や、田中康夫『ぼくたちの時代』、大滝詠一『ゴーゴーナイアガラ』によってスージー少年は救われ、正しい(?)道を歩むのですが。

ちょっと目を離すと、一見難解で、よーく読んでみるとたいしたことを語っていない文章に未だに出くわします。そのほとんどは自己保身から来ているはずです。わかりやすく、明快な文章を書いて、自分のレベルの低さがあからさまになってしまうことから自分を守りたい。その結果、ちょっと難しげに「うまいこと」言っておいてお茶を濁すという。

そんなの時間と労力の無駄だからやめましょうよ。わかりやすさを最強のかっこよさと定義しましょうよ。

ビートたけしの「コマネチ!」はテレビという虚飾の中における一時的な価値構造を一瞬にして転換するためのいわばスキゾキッズのためのプラグマティックな装置である。

こんな感じの文章を未だにたまに目にする。80年代のカスは80年代のゴミ箱に捨てていきましょう。

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20100710/1976年の夏が来た!~または「フォーク歌謡」の懐かしさ。

いま無性に聴きたい曲、そしてキャンディーズの中のfavoriteといえば《夏が来た!》(1976年5月)である。

夏が来た! 作詞・曲:穂口雄右

緑が空の青さに輝いて
部屋のカーテンと同じ色になっても
少しどこかがちがうのは
きっと生きてるからだろうなんて考えて
なぜか君にあいたい

砂の上に髪をひろげて
ねころんで夢を見て
こんな不思議な出来事が
あっていいものかと思うくらい
幸せな雲が風に踊るよ

とても不思議な曲。歌詞も、夏が来る爽快感こそ感じさせるが、なんとなくポイントが掴めないし、歌も、「キャンディーズ必殺のハーモニー感」が乏しく、ユニゾンが多いアレンジ。

ただひとつ言えることは(当時の意味での)フォークっぽいということである。まず語り手が男性であり、そのうえ相手を「君」と呼び(ex.イルカの《なごり雪》)、また「髪をひろげて」という長髪感や、あと全体的に情景描写が過多な感じもずいぶんフォーク的だ。

この流れは前年12月に発売され、長きにわたりチャートに君臨した太田裕美《木綿のハンカチーフ》に端を発したもので、キャンディーズ自身も76年3月に発売した《夏が来た!》の前作《春一番》で加速させたものである。

いわば「1976年のフォーク歌謡」。で、フォークということはもっと具体的に言えば大学生が中心的リスナーだったということ。

そもそも60年代、歌謡曲は演歌やムード歌謡であり、つまりはサラリーマンがスナックで聴く大人の音楽だった。つぎに南沙織によって小中学生が聴くアイドル歌謡が出現し、それが新御三家と花の中三トリオでさらに発展、ピンクレディでアイドル市場が爆発。

そんな賑やかしい中で大学生が聴きそうな、ちょっと大人っぽい「フォーク歌謡」が存在していたということは注目に値する。《木綿》《春》《夏》以外には、南沙織《想い出通り》(1975)とか、岩崎宏美《ファンタジー》(1976)。アイドル歌謡の爆発の影で、やや地味に、でも確実に評価をされていたムーヴメントではなかったか。

そしてこの「フォーク歌謡」と「アイドル歌謡」、さらにはニューミュージックなどもすべてぐいっと飲み込んで生まれたのが、そう、松田聖子の楽曲である。

しかし、松田聖子のど・メジャーな楽曲にはない、もっとサブカルチャーで、もっと都会的で、 たとえば、長髪にヒゲ、ダンガリーのシャツとテニスシューズで、キャメルのタバコ片手に日吉の街を歩いていそうなお兄ちゃんが聴いていそうな「フォーク歌謡」。《夏が来た!》が持つ、その独特な感じが妙に懐かしく、いま無性に聴きたく感じているのだ。

季節が僕の背中にやきついて
白いサンダルが似合うようになったら
今日はそうだよ少しだけ
大人のふりしてみようなんて考えて
君に電話かけるよ

波の上にからだうかべて
おもいきり背のびして
こんな不思議な出来事が
あっていいものかと思うくらい
爽やかな雲が空におどるよ

以上、全キャン連(全国キャンディーズ連盟)代表、石黒謙吾氏とのホルモン焼ナイトからの連想。

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20100703/2010年上半期のマスメディアMVPを選ぶ。

(ひさしぶりに小林信彦な気分で)

テレビで言えば、もう圧倒的に支持したいのがテレビ東京『空から日本を見てみよう』(木曜19時58分~)。

ヘリコプターで上空から撮影し、気になるポイントになると地上撮影に切り替わり、マニアックな視点で、その土地を探訪していく。公園の動物型遊具をチェックする「公園アニマルズ」や、建物のとんがっている部分の角度を計測する「測れ!トンガリ計測部」(リンク必見)など。

エンターテイメントの質は、そこから提供される情報の量ではないかと、最近思いはじめた。つまり、毛沢東的に言えば、調査研究なくしてエンターテインメントなし。この番組は膨大な情報をバックボーンにしている気がする。

あと瑣末な話ながら「くもみ」役の柳原可奈子のナレーションは天才的。テレビ界のMVPとしておこう。

その他HDDレコーダーで録画予約してあるのは、東京MX『探偵!ナイトスクープ』(日曜19時00分~)、フジ『爆笑レッドカーペット』(日曜19時58分~)、NHK『ゲゲゲの女房』(月~土08時00分~)。もう終了しましたが、坂本龍一の『スコラ』と、ますだおかだの増田英彦がギターを学ぶ番組は面白かった(両方ともNHK教育)。

相変わらずMP3オーディオでラジオを録音する毎日。最近の録音ラインナップはこう。

(1)ラジオ日本『ミュージック・パワーステーション』(月~木12時00分~)
 ・ 冒頭(12時00分~12時30分)
 ・ 特集のコーナー(13時20分~13時45分)
 ・ カウントダウン・トップ40(14時15分~14時35分)

(2)NHK第1『ラジオ深夜便~ロマンチック・コンサート』(月~日02時00分~03時00分)

(3)ラジオ日本『ザ・ビートルズ10』(土曜25時00分~)

(4)NHK-FM『ミュージックプラザ』(16時00分~)
 ・月曜:つのだ☆ひろ(邦楽ポップス)
 ・木曜:矢口清治(懐かしの洋楽ヒット)

くわえて、ポッドキャストでニッポン放送『高田文夫のビバリー昼ズ』(清水ミチコの木曜と松村邦洋の金曜のみ)TBS『キラキラ』(吉田豪と生島淳を中心に)など。ま、これだけ録っておけば一週間はゆうに持つ。最近のMVPはTBSの小島慶子アナ。フリーになる前の断末魔、好き勝手に弾けている感じが好感が持てる。

『ラジオ深夜便~ロマンチック・コンサート』はまた極端な選択かと思われるかも知れないが、これはニッポン放送『オールナイトニッポンR』から変更したもの。『オールナイト~』はあまりにCMが多すぎるのと中間部のコーナーやゲストが不要だと思ったので。

定期購読雑誌は『週刊ベースボール』にくわえて『女性セブン』『週刊文春』『日経ビジネス』『週刊金曜日』『野球小僧』など。MVPは『週刊金曜日』に出てくる「マーケティング・プランナー」の谷村智康氏。どちらかといえば古めのラディカリズムが席巻する同誌の中で、きわめて冷静でかつ新しい。

宅配紙は、毎日新聞を止めて、東京新聞と日刊スポーツ。東京新聞の木曜朝刊、金原ひとみの悪意がこもったコラムがすごい。日刊スポーツは高田文夫の月曜のコラムが終わった(?)ので残念。

と言うわけで、2010年上半期MVPは柳原可奈子、小島慶子、谷村智康、金原ひとみ。うむ、女性優位。

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