20101231/2010年レコード大賞(とMFP)の発表。

さて、今年も例年のように、いちおう選んでおきましょうか。「レコード大賞」。まずはここでざっと過去の受賞作品を振り返っておきましょう。

1992年:吉川晃司《せつなさを殺せない》
1993年:ザ・ブーム《島唄》
1994年:小沢健二《愛し愛されて生きるのさ》
1995年:Mr. Children《シーソーゲーム~勇敢な恋の歌》
1996年:(該当作品なし)
1997年:カジヒデキ《ラ・ブーム~だってMY BOOM IS ME~》
1998年:ゆず《夏色》
1999年:椎名林檎《翳りゆく部屋》
2000年:慎吾ママ《慎吾ママのおはロック》
2001年:ピチカート・ファイヴ『さえらジャポン』アルバム
2002年:RIP SLYME『TOKYO CLASSIC』アルバム
2003年:クレイジーケンバンド『777』アルバム
2004年:大塚愛《さくらんぼ》
2005年:YUKI《長い夢》
2006年:Def tech 《Power in da Musiq ~Understanding》
2007年:くるり『ワルツを踊れ~Tanz Walzer』アルバム
2008年:木村カエラ《Jasper》
2009年:木村カエラ《Butterfly》

昨年は木村カエラV2達成。さて、今回はどの曲にしようかと。

ただし今回は冒頭に書いたように「いちおう」選んでおこうという気分でして、なにかというと、もう本当に最近の音楽を聴いていないので、そもそもワタシは選べる立場なのか、選ぶことにいかほどの意味があるのか、という疑念がふつふつと湧いてきたわけです(自意識過剰も甚だしいですが、気分は小林信彦なサイトなのでお許しを)。

とはいいながら、いざ選ぼうとすると実はかなり悩んだなのですが。 もしかしたら、もっとちゃんと新しい曲を聴いていれば、まったく悩みもなくすっとある曲に固執できたのかも知れない、最近の音楽事情に耳がアップデートしていないからこそ、こんなに悩んだのかも知れない―――おっと文章がイジイジしてきたぞ。ではさっそく2010年「レコード大賞」の発表。

2010年レコード大賞:《好きだから》ベッキー♪#

実は下に掲げた3曲とそうとう迷いました。迷った結果(ワタシが知る範囲の)最近の音楽業界の中でもっとも特異な位置にある曲を選ぶことにしました。

手触りが「ニューミュージック」なのですよ。要するに、いまや死語の「歌謡曲」というまでベタじゃないけど「J-POP」というミもフタもないくくりと比べると、もう少しターゲットが広い。「荒井」後期から「松任谷」前期、昭和50年代のユーミンのようなテイストがいたく気に入りました。

ベッキー本人による歌詞がかなり素晴らしい。とくにこの冒頭の入り方。

「歩く君のスピードが速いのは気のせい?」

そしてダメ押しはサビ頭のこのフレーズ。

「綺麗な景色をみると 君にも届けたくなるよ それが好きだという証拠だよ」

「ウェルメイド」という言葉を思い浮かべました。一億人とは言い過ぎとしても、老若男女3000万人ぐらいを相手にキュンとさせてやろうという意気込み。それが生み出すターゲットの広さ、その延長線上には、たしかにユーミン《卒業写真》があるであろう正しい「ニューミュージック」感。

そんなこんなによる「特異な位置」を尊重してこの曲をレコード大賞を差し上げます。おめでとうございます(?)。とはいえ、かなり悩んだということは以下の曲も僅差だったということです。

2010年準レコード大賞(1):《新しいYES》Salyu

ある意味「天使の歌声」。ありがちな和製「R&B」なんかより、こっちのほうが本質的にファンキーな気がする。あと小林武史の作曲がよい。氏のことがちょっと苦手なワタシとしては悔しいけど。マイクなしの地声で聴きたい曲。

2010年準レコード大賞(2):《浪漫飛行》HALCALI

一時期狂ったように聴きつづけた曲。考えに考えて、このようなカバー曲ではなくベッキーによるオリジナルを優先することにしました。振り付けが素晴らしい。とくに「♪トランクひとつだけで~」のところ。

2010年準レコード大賞(3):《ヘビーローテーション》AKB48

これも「悔しいけど」素晴らしくよくできている。蜷川実花によるサイケデリックなPVもさることながら、歌い出し「♪ドレミー(ドレミー)ドレミー(ドレミー)」の強烈にシンプルな入り方は空前絶後でしょう。あと、これも振り付け(「♪マックスハイテンション」のあたり)。最近の振り付け界(?)はすごい水準まで来ている。

あ、「MFP」(最ファンキー選手)も発表しておきましょう。これもまずは過去のラインナップを。

(年度:パ・リーグMFP/セ・リーグMFP)
2003年:小笠原道大(日本ハム)/今岡誠(阪神)
2004年:新庄剛志(北海道日本ハム)/古田敦也(ヤクルト)
2005年:西岡剛(千葉ロッテ)/下柳剛(阪神)
2006年:森本稀哲(北海道日本ハム)/藤川球児(阪神)
2007年:ダルビッシュ有(北海道日本ハム)/荒木雅博(中日)
2008年:片岡易之(埼玉西武)/該当者なし
2009年:糸井嘉男(北海道日本ハム)/坂本勇人(巨人)

2010年MFP:西岡剛(千葉ロッテ)/前田健太(広島)

ま、当然のセレクションですね。発しているエネルギーの質と量が違った。パ・リーグはまったく迷わずに、セ・リーグは中日の浅尾と悩みつつ、よりベタでより暑苦しいほうを選んでみました。

21世紀のいっとう最初の10年が終了。公私ともにいろいろあったけど、リップスライムと出会えて、千葉ロッテが2回も日本一になり、M-1があり、週刊ベースボールの連載はまさかの10年目を迎え、大学で教えるようになって、と、いろいろ面白いことがあった10年。

政治も経済も、ちっともよくなる雰囲気はないけれど、すくなくとも自分だけは、いろんなコンテンツを面白がりなから生きていきたい。

さよなら「ゼロ年代」、こんにちは「イチゼロ年代」。よいお年を。

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20101229/桑田佳祐、紅白出場に関する妄想。

その登場は衝撃だった。桑田佳祐が紅白にゲストとして呼ばれていることについてはすでに数日前から報道されていたが、中間部のニュース明けすぐに登場することは、関係者にも知らされていなかったため、会場であるNHKホールは異様な雰囲気に包まれた。

昨年発売された新曲を歌うのでは、という大方の予想を裏切って、一曲目は『希望の轍』。原由子の生ピアノと斎藤誠の生ギターのみをバックに淡々と歌われるというアレンジが、カラオケ・口パク全盛の紅白という場の中では異彩を放っていた。

「はじめて『いとしのエリー』で紅白に出たとき(79年)は、当然のことながらぜーんぶ生演奏、生ボーカル。時間がおしたらテンポが速くなったり(笑)。だからNHKさんから話をいただいたときに、まず生演奏・生ボーカルを確約してくれとお願いしました」(桑田)

しかし、世間が驚いたのはここからである。原、斎藤に、松田弘、関口和之が加わり『茅ヶ崎に背を向けて』を演奏。サザンのファーストアルバムに入っている曲で、一説には桑田がはじめて作った曲とも言われている。

画面のテロップには「桑田佳祐&温泉あんまももひきバンド」。アマチュア時代に桑田が組んでいたバンドの名前だ。

「病気をして、自分が若くないことがわかって。だとしたらもう残りの人生は、自分の音楽人生の原点に忠実に、肩肘張らずにやっていこうと思って。だからこの紅白という復活の舞台では、自分の原点中の原点の曲をやろうと」(桑田)

それだけではない。間奏のところでは「♪テレビは1チャンネルに決まっているけど・・・」と、これまたファーストアルバム所収の『いとしのフィート』のフレーズを入れ込むなど、「原点」をことさらに意識した小ネタも効いていた。

エンディングでは、元々の音源に入っている吐き捨てるようなスキャット「♪チキショー、チェッチェッチェッ」も完璧に決め、「温泉あんまももひきバンド」の演奏は終了、aiko『向かい合わせ』の演奏が何もなかったかのように始まった。

「あえて自分で弾いたイントロのコード・カッティング。桑田といえばアレに尽きるんです。これからは派手なタイアップや、スタジアム・コンサートなんかよりも、青山学院時代の気分で『茅ヶ崎・・・』を歌う。そういう人生で行くぞ、と大里クンにも話しときましたよ(笑)」(桑田)

昨夜の紅白歌合戦、それは桑田佳祐の新しい音楽人生の序章だったようだ。
(肉感スポーツ2011年元旦号)

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20101228/M-1通史~画面の向こうで起きていたすごいこと。

「だって、いきなりカメラのフレームの外からダーッと走ってきて、パっと飛び蹴りして、そのままダーッといなくなったり(中略)、ああ、画面の向こうではすごいことが起きてる。世の中は大変なことが起きているって思いましたよ」(高田文夫著「笑うふたり」より、全盛期のコント55号について)

もうこのフレーズは好きで好きでたまらない。テレビがもたらす感動のありようというものを不可分なく伝えているフレーズだと思う。

音楽で言えば、たとえば03年6月、ゲスト出演予定だったt.A.T.u.が突如帰ってしまった『ミュージックステーション』、セットなしの中、急遽演奏したときのミッシェル・ガン・エレファントの姿。「画面の向こうではすごいことが起きて」いた。感動というのか、もっと刺激的な、体内に電流が走る感覚。

ワタシがM-1にハマった感覚もこれに近い。「画面の向こうではすごいことが起きてる」感覚が味わえる数少ない番組、M-1グランプリ。

全10回の中で最初にこの感覚が訪れたのは、02年の第2回大会、ますだおかだの最終決戦ネタ(「漫才師育成ゲーム」)で、ますだが「発泡酒売り上げナンバー1!」と叫んだ瞬間だ。

その前にも(たしか)第1回、ハリガネロック、ユウキロックが「マッチ売りの少女じゃなくって、少女売りのマッチ(近藤真彦)」と言った瞬間、同じような感覚になったと記憶するが、本格的な10000ボルトの電流が走ったのは、ますだおかだのこのネタ、この瞬間。

余談だが、ツイッターやmixiなどで語られるM-1論で、02年ますだおかだの評価がおしなべて低く、そのことに違和感を感じるのだが。

そして。言うまでもなく、03年笑い飯の「奈良県立歴史民俗博物館」。ここからM-1は、単なるお笑い番組を超えて、ワタシの中で強烈な思い入れをもって捉える特別な番組にのしあがっていく。

ここで全10回を俯瞰的に眺めれば、全体が放物線のような軌道を描いていることがあらためて分かる。つまり、平たく言えば04~06年がピークだったということだ。今回で終わりじゃなければこの放物線は見えなかった。見えても見えていないフリをしただろう。04~06年が、言ってみればM-1の「爛熟期」。

アンタッチャブル、ブラックマヨネーズ、チュートリアル。彼らが猛烈なエネルギーと知恵を投入した、魔法のような4分間。ここに説明は不要だろう。

さて、この放物線の頂点の時代においても、この魔法が永遠には続かないことが、みんな、実はうすうす分かっていたはずだ。

確か07年の初頭に、ワタシは大阪NGKでチュートリアルを観ている。そのときのネタは「ペロという名の犬」のネタ。「チリンチリン」とはまったく異なる脱力系のネタ。

そのとき「あっ」と思った。「"チリンチリン"のようなネタはNGKではかけられないよな」。

04~06年の爛熟期にアンタ、ブラマヨ、チュートが暴いたことは、普通の漫才ではなく「猛烈なエネルギーと知恵を投入した」、いわばM-1型に特別にチューンアップされた漫才でしか、M-1に勝ち残ることができないということだ。

ワタシ自身の漫才原体験は、ご多分にもれず「漫才ブーム」である。ツービートや紳助・竜介の漫才、当時としては完全にニューウェーブに見えたが、いまとなってはたいへんオーソドックスに感じるあのような漫才が大好きだった。少なくとも、演芸場で培われ、演芸場で鍛えられていた漫才が好きだったんだ。

演芸場ではなく、テレビ朝日のスタジオだけに照準を合わせたフリークスな漫才、たったの4分間を異常なテンションで押しまくる奇妙な漫才。自分が好きだった漫才と、M-1が少しずつ離れていく。

07~10年の残り4回は、言ってみれば漫才という形式の解体合戦だ。アンタ、ブラマヨ、チュートがこじ開けた「新しい漫才の方法論」探しにみんながやっきとなり、車をチューンアップしているはずが、いじりすぎてバラバラに解体してしまったような。

コントのような漫才、異常に「手数」が多い漫才、めまぐるしすぎるテンポ感の漫才、そしていろんなことが一周して、今回のスリムクラブに至る。

M-1は大好きだ。今回もとても楽しく拝見した。が、正直、身体に電流が走るようなあの感覚は、07年サンドウィッチマン「このアンケートをどこで知りましたか?」「おまえだよ!」を最後に体験していない。

その背景には、一年間、M-1のために筋肉増強剤を飲み続けたような無理のある漫才筋肉を見続けることの疲労感があったような気がする。

今回のスリムクラブは、そのような状況へのアンチテーゼとしてのゆるゆるの構成によって高評価を得たと見る。実はワタシにはとっても退屈な漫才だったのだが、この件についてはまた後日。

最後に、話はまた03年笑い飯「奈良県立歴史民俗博物館」に戻る。「画面の向こう」で起きてる「すごいこと」を見て電流が走ったあの日。具体的には2003年12月28日。

それはM-1がこんなに肥大化するなんて思わなかなったころ。M-1が肥大化して、漫才という形式自体を押しつぶすなんて考えもしなかったころ。

そしてそれは、翌年にアンタッチャブルによって強引に引き寄せられるM-1爛熟期に向けて、天国への階段を急ぎ足で駆け上がった瞬間―――いまとなってはあれこそがM-1最良の瞬間だったような気がする。

陽の光をさけながら 栄えているこの街角で
夜の天使たちが スターダムにのし上がる
一歩踏み出せば 誰もがヒーローさ
もしそれが 誰かの罠だとしてもだ
朝が来るまで 君をさがしている

連中の話じゃ こんなはずじゃなかった
誰かに運命を 綾まれているような気がする
でも今夜は いつもの夜とはちがう
君に会えそうな気がするのさ
朝が来るまで 君をさがしている

佐野元春《君をさがしている》

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20101226/M-1最終回終了。

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20101223/冬-spring-

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20101221/今年のM-1の審査員はワタシだ。

そもそも「M-1」という考え方自体が、漫才という、冷静に考えればいまや「古典芸能」と言わざるを得ないジャンルにスポットを当てるというコンセプトによって成り立っていた。

だからこそ審査員は旧世代だったわけだ。(そのあり方がいいか悪いか別として)現在とても旬な存在なので、一瞬、勘違いしがちだが、島田紳助は「漫才ブーム」の人である。1980年代前半の人である。同様に、松本人志も1990年代前半の人だ(この言説がわからない人は『ごっつええ感じ』をちゃんと観ていない人だ)。

その他の審査員も、結局は80年代以前の「過去」「古典」の人たち。逆に、出場者は当然「現在」の人たちだから、彼らが、松本という90年代、紳助という80年代、要するに旧世代を相手にして、旧世代の鼻を明かす。これがM-1の妙味だったわけだ。

2004年のアンタッチャブルが、2006年のチュートリアルが、2007年のアンタッチャブルが、90年代松本、80年代紳助の鼻を明かした瞬間!

2010年大会の審査員:島田紳助、松本人志、南原清隆、大竹一樹、渡辺正行、宮迫博之、中田カウス―――大竹一樹、宮迫博之は違うだろう?

―――と書けば、昨年までの上沼恵美子はどうなんだ?というツッコミが、主に若い筋から来るだろう。あのね、彼女は70年代中盤を席巻した「天才女性漫才師」だったんですよ。単に法律番組でホラ吹いているオバちゃんじゃないんですよ。え?では、昨年の東国原某はどうかって? うん。あれは余計だった。ただ、1人だけならまだ我慢できる。

大竹一樹、宮迫博之は「現在」の人たちである。もっと極端に言えば、参加する漫才師と同年代の人たちである。参加漫才師が乗り越える「過去」にはなり得ない。さらに言えば、大竹、宮迫は参加漫才師と同じ「松本チルドレン」の人たちだ。ということは、松本と同様の価値観で松本と同様の審査をするだろう。松本票に3倍のウェイトがつくだけの話だ。

具体的にイメージすれば、大竹、宮迫は、『リンカーン』のように、松本のほうを横目で見ながら、異常に意識した振る舞いを見せるだろう。そんな馴れ合い、そんなヒエラルキーオリエンティッドな風情はあの番組にはいっさい不要なのに。

何が言いたいかというと、審査員は「過去」「古典」の代表であるべきだ。「現在」の連中がそれを乗り越えるところにM-1の醍醐味がある。今回の審査員の人選は、そのような根本的考え方に背くものだ、ということを言いたいのだ。

ショックなのは、このような決定が下されたことだけではなく、このような決定に関する反論がほとんど目立たないこと。Twitterという文明の利器があるのなら、このような決定に対する反論が大量につぶやかれるかと期待したが、どうもそうではないみたい。残念。

こうなれば、M-1の最終回は、審査員ではなく、自分自身がチャンピオンを選ぶ大会として楽しませていただく。宮迫、大竹票は無視して、ワタシ票を加算させてたいただく。というわけで、昨年同様、Twitter、http://twitter.com/suziegrooveにて、敗者復活から全漫才の得点を発表する予定です。ハッシュタグ「#m1hyouron」もあるので、「自分の審査」「自分の評論」をしたいという奇特な人は、このハッシュタグをつけて盛り上がりましょう。

それが、この10年間、ワタシを魅了し続けた、M-1に対する、自分なりのオトシマエだ。

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20101219/「M-1グランドチャンピオンシップ」構想。

M-1終了の報が伝えられてから、瞬時にぽつぽつとtwitterなどで語られていた企画。この企画、どの角度から見ても、M-1終了を飾るにふさわしい企画なので、冷静にまとめて世に問いたいと思う。

「ザ・M-1ファイナル~グランドチャンピオンシップ」。

話は単純で、過去10年間のチャンピオンが全員出場し、M-1のルールにのっとって、10年間の最高漫才を決めるという企画。ワクワクするでしょう?

中川家、ますだおかだ、フットボールアワー、アンタッチャブル、ブラックマヨネーズ、チュートリアル、サンドウィッチマン、NON STYLE、パンクブーブー、そして今回の優勝者、ここでは仮にナイツとしておく。

ただアンタッチャブルが活動休止中なので、そのかわりに優勝以外でもっとも出場数が多い(第2回以降全回)笑い飯に出場してもらう。

前述の通り、基本はM-1のルールにのっとるが、ただ漫才の時間だけは長めに7分ぐらいで観たいと思う。

審査員については「グランドチャンピオンシップ」ということで、さらに最強のメンバーを追求してほしい。島田紳助にくわえて、たとえば、

・松本人志(90年代代表)
・木梨憲武(80年代代表)
・高田文夫(東京落語界代表)
・笑福亭鶴瓶(関西落語界で松竹~非吉本代表)
・三宅裕司(東京喜劇界代表)
・藤山直美(関西喜劇界/女性芸人代表)

たけし、タモリ、さんま、志村けん、談志までいかない、もう少し現役感がある若いところで考えればこんな感じでしょう。

ではこのメンバーで優勝予想をしてみると、

優勝:ブラックマヨネーズ
2.サンドウィッチマン
3.ナイツ
--------------
4.笑い飯
5.フットボールアワー
6.中川家
7.パンクブーブー
8.チュートリアル
9.ますだおかだ
10.NON STYLE

M-1以後も漫才をしている/していそうな/できそうな「漫才現役感」と、優勝時の漫才の「汎用性」、要するにいま再度やっても色褪せていないかという視点で予想してみた。

このような締めくくりがあれば、M-1も安らかに眠れる。ぜひ観たい。来年の12月に観たい。10組には1年間準備して、完璧なかたちで臨んでほしい。

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20101212/ぼくの大好きなM-1グランプリのこと。

現在、2010年の12月12日、19時。ひどく動揺している。ワタシの予想とずいぶんズレがあるかたちでM-1のファイナリストが決まったということもあるが、それよりもなによりも、M-1が今年で終了という一報が入ってきたからだ。

「ひと晩にして、日本の笑いの価値観が変わる瞬間」。M-1の魅力を端的に言えば、これだ。具体的に言ってみる。とても具体的に、ディテールで説明してみる。

2002年、ますだが「発泡酒売り上げN0.1!」と、吠えた瞬間。

2003年、「奈良県立民俗博物館」の人形になり、笑い飯西田がひざまづいた瞬間。

2004年、アンタッチャブル山崎が「お前の人生、ウォウウォウウォウウォウだよ!」と言った瞬間。

2006年、チュートリアル徳井の「何かを求めてインドに行ったよ!」と叫んだ瞬間。

これらの瞬間、日本のお笑いの土壌が、確実にググっと動いた。そしてとても健全な新陳代謝が起こり、古い笑いの膿をその年の内に吐き出し、新しい年のお笑い界に健康的な酸素を送り込んだ。

来年から、このような新陳代謝がなくなり、ワタシが何よりも愛する「漫才」といういちばん愛する形式が枯れて腐っていくのか。

そんなことはないだろう。島田紳助、吉本、ABCのことだ。もっと新しい手口で、もっとエキサイティングな企画を出してくれるだろう。いや、もしイカした企画を出さないのであれば、ワタシがぜったいに許さない。

ただ現行のM-1で、たったひとつ限界があるとすると、それは「結成10年以内」という枠組みだ。

<2010年ファイナリスト(登場順)> *は鈴木予想的中

1:カナリア
2:ジャルジャル*
3:スリムクラブ
4:銀シャリ
5:ナイツ*
6:笑い飯*
7:ハライチ*
8:ピース*
9:敗者復活枠(当日決定)

正直、スケールは小さい。今日の準決勝を観ていないのであまり失礼なことは言えないが、それでも、これまでに観た彼らの漫才、そこから判断する伸びしろの予測距離を最大限に伸ばしてみても、やはり全体に小さくまとまってしまう気がする。

この10年で「結成10年以内」の有望株を刈り取りすぎ、あとに残るはまだスケールに乏しい漫才だけなのだとすれば、たとえば「結成15年以内」に延ばすなどの処置を検討してみてもいいだろう。

ワタシの本音を言えば、実は、「『結成10年以内』の有望株を刈り取りすぎ」ているとは思っていなく、現行のシステムでも十分に勝算があるだろう、と考えているのだが、そう思わない人が作り手の側に多数いるのであれば、ルールを変えてくれ。そしてM-1を延命して、あの愉しみを一年でも多く体験させてくれないか。

しかし、とにもかくにもM-1は今年で終わり。感傷的なことを言っていてもしょうがない。

<2010年当日順位予想【最終版】>

優勝:ナイツ
2:敗者復活枠(当日決定)
3:笑い飯
-------------
4:銀シャリ
5:ハライチ
6:ピース
7:ジャルジャル
8:スリムクラブ
9:カナリア

<2010年敗者復活者予想・可能性順【最終版】>

1.POISON GIRL BAND
2.我が家
3.タイムマシーン3号
4.ゆったり感
5.モンスターエンジン
6.ウーマンラッシュアワー

こうなればナイツに賭けてみる。さらにはナイツvsPOISONの対決を信じてみる。輝かしいM-1、10年間のフィナーレに、もっとも知性的なバトルを勃発させてくれ。

そして本音を言えば、そんな素人の予想にたいして、あさっての方向から斬り込んでくる若手に暴れてほしい。

これから10年分の日本の笑いを引き受ける新陳代謝を。うむ、書いていてやっとポジティブになってきた。以上、ぼくの大好きなM-1グランプリのこと。

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20101211/2010年S-1(suzie-1)グランプリの発表。

【TV番組部門】
グランプリ:「空から日本を見てみよう」(テレビ東京)
最優秀バラエティ:「どれみふぁワンダーランド」(NHK BS)
最優秀ドラマ:「うぬぼれ刑事」(TBS)

【CM部門】
グランプリ:「earth music&ecology」

準グランプリ:「15歳の君へ/関西電力」

【俳優編】
主演男優賞: 長瀬智也(「うぬぼれ刑事」TBS)
主演女優賞: 戸田恵梨香(「SPEC」TBS)
新人賞:橋本愛(映画「告白」)

【その他】
漫画部門:「僕はビートルズ」(かわぐちかいじ)
パーソナリティ部門:小島慶子(TBS「キラキラ」)
ダンス部門:HALCALI「浪漫飛行」
脚本部門:NHK「てっぱん」

※レコード大賞とMost Funky Player:後日発表

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20101205/日本一はやいM-1結果予想。

早いものでもう12月。12月といえばM-1グランプリの季節。ということで個人的にも「M-1評論月間」に突入。

最初にいっときますが、「M-1評論家」とかいう謎の肩書きで、昨年はラジオなどに出させていただきましたが、「評論」のために芸人のライブに足を運んだり、M-1の予選に足を運んだりなど、本格的な「研究」はいっさいしていません。その意味では「エア評論家」です。

ほかの仕事で忙しいこともあるし、また売れない音楽ライター時代に、アーチストとファンが気持ち悪くつながりあう閉鎖的なライブを数多く見せられたトラウマからくる「ライブ嫌い」ということもあるのですが。

ただ、「評論」はしたいのです。言いたいことは漫才、お笑いというジャンルでも、いやそのようなとても大衆に開かれたジャンルだからこそ、分析的に、理屈っぽく語り合うことは楽しいよ―、ということです。

だんだんこのような考え方が浸透してきたのか、ソーシャルメディアの普及もあってか、「M-1評論」というムーブメントが浸透してきた気がします。とてもいいことです。

というわけで、そのようなムーブメントのさらなる活性化のために、批評的議論のたたき台として、不肖ワタシが例年のごとく「日本でいちばん早いM-1予想」をしてみましょう。みんなツッこんでくださいね。

今年はどうもシステムが違うらしく、かなり人数を絞った「準決勝」が行われます。昨夜発表された「準決勝」選出者はこの面々。

・アーリアン(よしもとクリエイティブ・エージェンシー 大阪)
・マヂカルラブリー(よしもとクリエイティブ・エージェンシー 東京)
・ウーマンラッシュアワー(よしもとクリエイティブ・エージェンシー 大阪)
・ピース(よしもとクリエイティブ・エージェンシー 東京)
・笑撃戦隊(ワタナベエンターテインメント)
・囲碁将棋(よしもとクリエイティブ・エージェンシー 東京)
・カナリア(よしもとクリエイティブ・エージェンシー 東京)
・銀シャリ(よしもとクリエイティブ・エージェンシー 大阪)
・磁石(ホリプロコム)
・ジャルジャル(よしもとクリエイティブ・エージェンシー 大阪)
・スリムクラブ(よしもとクリエイティブ・エージェンシー 東京)
・タイムマシーン3号(アップフロントエージェンシー)
・チーモンチョーチュウ(よしもとクリエイティブ・エージェンシー 東京)
・千鳥(よしもとクリエイティブ・エージェンシー 大阪)
・東京ダイナマイト(よしもとクリエイティブ・エージェンシー 東京)
・ナイツ(マセキ芸能社)
・ハライチ(ワタナベエンターテインメント)
・パンクブーブー(よしもとクリエイティブ・エージェンシー 東京)
・プリマ旦那(よしもとクリエイティブ・エージェンシー 大阪)
・POISON GIRL BAND(よしもとクリエイティブ・エージェンシー 東京)
・モンスターエンジン(よしもとクリエイティブ・エージェンシー 大阪)
・ゆったり感(よしもとクリエイティブ・エージェンシー 東京)
・我が家(ワタナベエンターテインメント)
・笑い飯(よしもとクリエイティブ・エージェンシー 大阪)

M-1当日に行われる「敗者復活戦」に関しては、彼ら含む準々決勝進出者全員が出場するらしいのですが、まぁ順当に考えて、M-1の本チャンに出られる敗者復活枠に進出するのも上記のメンバーからでしょう。

あ、その前に昨年の予想を振り返ります。

<2009年版決勝戦進出者および当日順位予想>

1.パンクブーブー(よしもとクリエイティブ・エージェンシー 東京)*
2.ナイツ(マセキ芸能社)*
3.NON STYLE(よしもとクリエイティブ・エージェンシー 東京)*
4.敗者復活
5.U字工事(アミーパーク)
6.モンスターエンジン(よしもとクリエイティブ・エージェンシー 大阪)*
7.磁石(ホリプロコム)
8.ハライチ(ワタナベエンターテインメント)*
9.ダイアン(よしもとクリエイティブ・エージェンシー 大阪)

<2009年版敗者復活者予想・可能性順>

1.オリエンタルラジオ(よしもとクリエイティブ・エージェンシー 東京)
2.笑い飯(よしもとクリエイティブ・エージェンシー 大阪)*
3.銀シャリ(よしもとクリエイティブ・エージェンシー 大阪)
4.ヘッドライト(よしもとクリエイティブ・エージェンシー 大阪)
5.とろサーモン(よしもとクリエイティブ・エージェンシー 大阪)
6.タイムマシーン3号(アップフロントエージェンシー)

優勝は的中。ほか「*」印がファイナリストとして的中。ただし笑い飯ではなくNON STYLEが敗者復活枠として進出。また、最終決戦はパンク、NON STYLEを当てているので、まぁなかなかのもんかと。では今回は。

<2010年版決勝戦進出者および当日順位予想>

優勝:POISON GIRL BAND(昨年の敗者復活でのあの爆発をもう一度)
2.ナイツ(「言葉の笑い」の未来を彼らに託す)
3.パンクブーブー(安定的な品質だが連覇を拒む機運が発生するだろう)
----------------
4.ピース(昨年のハライチ枠。風がいま吹いている)
5.笑い飯(必要以上に気負うような気がする)
6.敗者復活
7.ウーマンラッシュアワー(M-1のために人工的に作られた漫才)
8.ハライチ(新しい方法論がなければ伸び悩むだろう)
9.ゆったり感(本音を言えばもっと上位にきてほしい)

<2010年版敗者復活者予想・可能性順>

1.ジャルジャル(個人的には苦手。伸びてほしくないがここにも風が吹いている)
2.モンスターエンジン(下品に見えて損をするかも)
3.銀シャリ(逆に彼らには伸びてほしい。ただ東京人にはうるさく聞こえるかも)
4.我が家(昨年からの「漫才の解体」という方法論が受け入れられれば)
5.磁石(崖っぷち。がんばって)
6.タイムマシーン3号(上手すぎる不幸。デブネタは禁止で)

以上、よかれと思い「予想」なんてしちゃいますが、本音を言えば「外れてほしい」のです。ラジオでも話しましたがM-1の醍醐味は「一晩にして、日本の笑いの価値観がガラっと変わること」なのです。予想もつかない異変が起きてほしいし、それがあってこそのM-1。

というわけで、がんばれPOISON、ゆったり感、銀シャリ。この退屈で閉塞した日本に新しい笑いの風を。

※勝手に「M-1評論」のためのハッシュタグを作りました。「#m1hyouron」。M-1を分析的・批評的に語りたい方、ご活用くださいませ。

※スージー鈴木の手による昔懐かしい「M-1小説」

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20101128/和田アキ子に植村花菜を批判する権利があるならば。

本日の「アッコにおまかせ」、紅白歌合戦で植村花菜《トイレの神様》を9分間も歌わせるなと和田アキ子が批判していた。

この番組、冒頭の芸能ニュースを批評するコーナーはわりと好きで、よく見ている。ますだおかだなど、周りを固める人選にも好感が持て、現在のTBSの中ではドラマ『SPEC』とならんで数少ない好きな番組だ。

だがこの番組、和田アキ子が「自分が歌が上手い歌手である」という立場からコメントをするときだけ、独特の臭気が発生することがある。今回はかなりの臭気だ。

たとえば和田アキ子のレイ・チャールズ好きとか、例のアポロシアターでのライブなど、「R&Bシンガー」としての記号をフル活用するのに騙されてはいけない。少なくともこの10年、ワタシは和田アキ子が「R&B」を歌っているシーンを見ていない。

ちょっと話がずれるが、日本人(の多く=ワタシも含む)はほんとうに黒人音楽が苦手なんだなぁと思う。淡谷のり子を「ブルースの女王」、和田アキ子を「R&Bの女王」と信じている感性はどうだろう。音楽的には、ぜんぜんブルースでもR&Bでもなんでもない。その上、日本が世界に誇るべきブルースバンド、憂歌団をそんなに尊重しない。苦手だからこういう勘違いをするんじゃないか。

しかし和田アキ子の歌唱力は認める。もう少し具体的に言えば、「昔の和田アキ子の歌唱力」は「認めていた」。

例の1972年のレコード大賞、最優秀歌唱賞《あの鐘を鳴らすのはあなた》の絶唱は素晴らしいし、1988年の『ミュージックフェア』で歌った《Me and Mrs. Jones》は忘れられない。

ただ現在は、当時に比べて声量が格段に落ちている感じがする。比較するのもどうかと思うが、和田よりも年齢が上の沢田研二や森山良子にくらべてトレーニングを怠っているのではないか。

なにが言いたいかというと、「自分が歌が上手い歌手である」という前提は実際どこまで確固たるものなのかということ。その前提に危うさがあって、危うさの隙間に生えたカビから臭気が出ているのではないか。

さて、転じて植村花菜の歌は上手い。ワタシの好きな「自動的に音程が合(ってしま)うタイプのシンガー」であり、また自然な発声で「イヤな感じの上手さ」(ex.布施明)じゃないのもいい。

ここで繰り返すが「歌が上手い/下手」は世の中が思うほど抽象的・感性的の指標ではない。それどころか比較的客観的に検証しやすい指標だと思う→ここ参照。

『トイレの神様』、確かに歌詞はウェットに過ぎるが、植村花菜の歌唱力は9分間たっぷりと堪能してみたいものである。それに対して和田アキ子にイチャモンをつける権利があるとすれば、それはあと一ヶ月間で当時の声量を取り戻した上で、誰も知らない新曲ではなく堂々と《Me and Mrs. Jones》で勝負するという決意をしたときだ。

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20101123/《アン・ドゥ・トロワ》の「G+」。

昨日の深夜、敬愛する石黒謙吾さんがTOKYO FMに出演、3時間に渡ってキャンディーズについて語った番組がとてもよかった(お疲れ様でした)。そもそもTOKYO FMがきれいに入らないところに住んでるので、CATVのアンテナ線をチューナーにつないで、それをHDDレコーダーで録音するという、なんだかよくわからない複雑なオーディオシステムが発動。

その番組を聴いていたら、キャンディーズのことが気になりはじめ、部屋の中を探してみたら、あ、出てきました「古文書」。そしてその中に《アンドゥトロワ》の楽譜がありました。

 

吉田拓郎による不思議なメロディ。当時、小学5年生だったワタシは、なんとなくですが、その不思議さを、大人っぽさと読み替えていたような気がします。あれから33年。いまここで楽譜を確認すると、その不思議さがある程度構造的に分析できます。

あなたの胸に 耳を当てれば・・・(A)
それは真夜中の 時計のひびき・・・(B)
こきざみに ときめくころ・・・(B')
時のたつのも 忘れなさいと・・・(C)
寒い国から 駈けてきた・・・(C')
恋という名の ピエロが踊る・・・(B'')

このA→B→B'→C→C'→B''という4×6=24小節がまず不思議ですね。とくにB→B'。同じようなメロディをこんなに冒頭で繰り返しますかね?

つづいて下線部のコードがまた凝ってる。楽譜によれば画像にもあるようにひとつめが「G+」(Gのオーギュメント)、ほぼ同じメロディなのにふたつめは「G+」ではなく、ご丁寧にも「A♭」に変えている。

さらに細かい話をすれば、(A)はペンタトニック、CとAmの超ベタなメロディとコードで入り安心させておいたところで、(B)ではDm7でファやシを入れてすこしモダンになり、(B')の「G+」でおお、ジャジー、都会の大人!となる。この変化感。

やや結果論的に後づけ的に観すぎているかも知れませんが、とても謎が多いつくりになっています。で、それはアカデミックに計算されたものというよりも、拓郎氏の思いつきで偶発的にできたものと思われます。

76年から解散(78年4月)までに彼女たちが放った、ちょっと大人っぽい「フォーク歌謡」の輝き。日吉の街角、ダンガリーシャツ、キャメルのタバコ、木造風呂なしのアパートに同棲しているロングヘアの彼女とテクニクスのラジカセで聴くキャンディーズ。

石黒さんは金沢の街から彼女たちを追いかけ、奥田英朗は解散コンサートを水道橋の橋の上で聴き、小学生のスージー鈴木少年は大阪の街外れで、なにも考えずにただ「なんだか妙に大人っぽいなぁ」と思いながらラジオを聴いていた。

そんなあれやこれやの中心にあって、解散への大騒ぎをぐるぐるとまわしていたのは、この「G+」の和音だったのかもしれない。

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20101120/「外の人」ならではのみずみずしい批判精神を。

いうまでもなく水道橋博士、そして先ごろご紹介したラサール石井の本、最近では『東京ポッド許可局』という変わった本。

お笑い芸人の中にとても素晴らしい批評眼と文章力を持った方が何人か出てきており、彼らが書くお笑い批評がたいへん面白いのである。

芸人=バカという図式が、ビートたけしの登場で崩れ落ち、上記のような「インテリ芸人」が書く文章のクオリティにつながっている。この流れの中には、伊集院光や、太田光、ダイノジ大谷氏も入ってくるのかも知れない。

お笑い業界の「中の人」の書くことは面白い。当たり前だ、「外の人」とは情報量とリアリティが違うのだから、ということになる。うーむ。

うーむ、というのは、だとしたら「外の人」は立つ瀬がない時代じゃないかということだ。お笑い、音楽、野球、「中の人」にこんなに面白く書かれたら、「外の人」の存在価値は? 小林信彦、ナンシー関の流れは終わっちゃうのかよ、と。

そして、だとしたら、「野球評論家」「音楽評論家」「M-1評論家」のはしくれ、スージー鈴木も必要ないじゃないか、と。

ま、ワタシの場合、もともと必要とされていないフシもあるが、それはともかく、ひとつだけ「外の人」の存在価値への糸口があるとすれば、それは「批判」だ。

「中の人」には批判しにくい対象があるだろう。具体的に言えば、「インテリ芸人」は松本人志を批判できないんじゃないか?

やや細かい話に入れば、島田紳助批判は彼らにもできるかも知れないのである。紳助は、いまやお笑い業界とはちょっと違う座標にいるから。

ただ松本人志については、現在のお笑い価値観を作った存在でもあり、またインテリ芸人たち本人も一定の影響を受けているはず。だからその批判は、自らが新しい価値観を呈示しているというよっぽどの自信がないとできないだろう。

ぶっちゃけていえば、彼らは「松本人志、最近、つまんねーじゃん」と言えないということだ。だったらお前はどうなんだ?というツッコミが発生するから。

ただ、小林信彦、ナンシー関、そしてワタシには言える(そして正直ワタシはそう思いはじめている)。

ネットやソーシャルメディアが普及しても、ワタシが昔思い描いたような健康的な「批判システム」が普及したという感じがまったくしない。「炎上」とか、そんなきな臭い話ばかりで、「批判(批評)」の時代が来たという実感はない。

エンタテイメントは受け手のほうが偉い。エンタテイメントは受け手が好き勝手言う権利がある。ただし、受け手はエンタテイメントへの強烈な愛を持って語らなければいけない。

テレビの中の人たちとなんの利害関係のない純然たる受け手として、好き勝手言っていこう。権威やヒエラルキーからも自由に森羅万象を批判していこう。それが「外の人」の存在価値なのだから。

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20101115/ワタシがマリーンズを好きになった理由(日本一に寄せて)。

それは1995年のこと。いっしょうけんめい追いかけてきた音楽というカルチャーがどうにもこうにもツマらなく思えてきたときに、イチローがさっそうと登場。少年時代にすこしだけハマった野球というものに再度目覚めた。

90年代の球界には、80年代までの球界風情、パンチパーマとセカンドバックな、昭和の香りがまだ残っており、それとの対比でイチローがキラキラと輝く新しいムーブメントに見えた。

ただ、選手ではなくチーム全体で見れば、やはりどこもかしこも昭和な香りがして、思い入れようにもそのことが強烈なネックとなった。その中では、千葉ロッテマリーンズがそういう昭和臭からもっとも遠いところにいると感じた(イチロー属するオリックスブルーウェーブも昭和臭弱めだったが神戸ということで地理的に遠かったことが敗因)。

千葉ロッテマリーンズのファンになろう。

バレンタインがいて、伊良部、ヒルマン、小宮山の三本柱。初芝、堀、フリオ・フランコ。ピンストライプのホーム用ユニと、グレーのビジター用ユニ。それらすべてが、ずいぶんソフィスティケートされているように見えた。

ここでかるく「ソフィスティケート」というコトバを使ってみた。もうすこしコトバを継ぎ足すと、歴史のしがらみなく、過去から自由で、その分ちょっと軽薄短小で、カラっと明るく、そしてなによりも若々しい。そんなイメージ。

だからオリオンズ・川崎的なるものとは無関係に見ていたのだ。よく「川崎時代からのファンですか?」と質問されるが、そのときには毅然と「いえ、幕張以後なんです」と答えることにしている。

2010年、千葉ロッテマリーンズ、日本一。05年も格別だが、今回も感無量である。ある意味では今回のほうが強くココロが揺さぶられた。

話はかわるが、ワタシのいちばん好きなコトバは「快活」。すべては快活でなければならない。ActiveやPositiveに、もうひとつ、Comfortableの意味が入ったコトバ、快活。

吉田拓郎は《ビートルズが教えてくれた》という曲で歌う―――「もっと陽気であっていいじゃないか」と「ビートルズが教えてくれた」。

そう。ビートルズはそういう価値観を世界中にまき散らしたんだ。そして、明るく自由な方法論で、明るく自由な方角へ、世界を導いたんだ(ここを分かっていない評論家が多すぎる)。

まずは笑ってフィールドに立とうじゃないか、いい球が来れば初球か打っていいじゃないか、場合によってはノースリーから振っていいじゃないか、8回終了4点ビハインドでも下を向くんじゃない、でも最後の最後はバットを極限まで短くもって渾身の力で速球を振り抜き、前進守備のセンターを越える予想外の長打でいっきに三塁まで駈け抜けるんだ・・・そして最後は、応援団といっしょに肩を組んで、笑顔で、大きな声で歌うんだ。

誤解のないように言っておけば、昭和の野球、眉間にしわを寄せてコツコツと攻めていく野球も大好きだ。ただし、もうここまでくれば、野球は人生観そのもの。ワタシ自身が「快活」に生きることを選んでしまったのだから、野球にもそれを求めさせてもらうよ。

繰り返すが―――歴史のしがらみなく、過去から自由で、その分ちょっと軽薄短小で、カラっと明るく、そしてなによりも若々しい―――そんなことをいちばんたいせつに考える人生を歩むことに決めた。だから千葉ロッテマリーンズなんだ。だからマリーンズの奔放な若者たちの闊達な活躍にシビれるんだ。

西岡がメジャーに行くという。西岡は今季のMVPだと思うし、その初本塁打を富山で観たという因縁もあり、マリーンズの中で、もっとも思い入れがある選手である。しかしワタシは引き留めたいとは思わない。

西岡の後も、また(まだ見ぬ?)快活な若者が出てきてその穴を埋めてくれる。そして適切な新陳代謝が行われ、さらに快活なマリーンズになり、眉間にしわを寄せる野球を高らかにあざ笑う。

それが、マリーンズ。ワタシが好きな、マリーンズ。―――ワタシがマリーンズを好きになった理由。

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20101114/野球の合間に読んだ本。

お疲れ様です。マリーンズで異常に盛り上がった記念すべき秋は、読書も異常に盛り上がっていたのです。昨日で野球も終了。読書で冬眠する冬に向かって。

■笑いの現場―ひょうきん族前夜からM‐1まで(ラサール石井)

2010年「読書の秋」の最高傑作。平成版「日本の喜劇人(小林信彦)」の味わい。「中の人」が文章力を持てば、鬼に金棒。「外の人」は違うアプローチを考えねば。

■『お笑い』日本語革命(松本修)

「マジ」「みたいな」「キれる」「おかん」…演芸用語が一般に広がっていくさまを実に地道で丹念な研究でたどっていくマッド・サイエンティックな本。

■M-1戦国史(ラリー遠田)

ラリー氏がついにその本領を発揮した圧倒的な内容の本。M-1というビッグ・コンテンツに対して、真正面から格闘し、分析した快作。M-1各回の分析が読み応え十分。

■フクシ伝説~うちのとーちゃんは三冠王だぞ!(落合福嗣)

編集の勝利。とにかくバカバカしく、しかしヒロミツとの親子対談のパートはちょっとほろっときた。CSのUstream中継でも見せたように、福嗣氏、実はコトバを持っているインテリと思う。ラジオを聴いてみたい。

■キッドのもと(浅草キッド)

彼らともなれば、(これまで出した異常な完成度の文章ではなく)このような軽めの筆致の文章でもしっかりと読ませる。面白いのはビートたけしへの入門前後の大騒ぎの毎日のあたり。

■2択思考(石黒謙吾)

最後は、尊敬する石黒謙吾さんからいただいた氏の新作。一見ハウツー物の体裁ながら、内容は知識論、人生論に及ぶ深い内容。ありがとうござい真下このみ。

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20101107/日本一。

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20101105/もっと陽気であっていいんじゃないか。

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20101103/僕らは笑顔で歴史を塗り替える。

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20101102/レンジャースよりマリーンズ。

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20101030/まずそこにいること。

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20101023/彼らの分まで。

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20101020/CS優勝決定!

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20101018/最終戦前日。

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20101017/"終わらない歌"

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20101016/"ブルーハーツのテーマ"

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20101015/"Walls Come Tumbling Down"

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20101013/「はっぴいえんど」

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20101011/最高の野球体験は、痛い。

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20101008/西岡剛をシーズンMVPに。

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20101002/ロックンロールとしての吉田拓郎。

怒濤の吉田拓郎マイブーム到来。70年代前半の全アルバムがiPodで回り続けている毎日。具体的には『青春の詩』『人間なんて』『オン・ステージ!!ともだち』『元気です』『伽草子』『LIVE'73』。

白状しますが、実はちゃんと聴いていなかったわけです。先入観とは怖いもので、どうせフォーク、どうせはっぴいえんどの足元にも及ばない音楽性だろうと。

びっくり。素晴らしい。目ウロコとはこのこと。先入観で見くびっていた自分を恥じました。

そもそも、1970年に発売された実質的デビュー作『青春の詩』、紙ジャケCDで、当時の帯まで復刻されているのですが、そこに書かれたフレーズ…「☆ロック・フォーク・ボサノバを歌いまくる☆」。つまり、フォークに加えて、ロックでボサノバと銘打っていまして。

じっさいに聴いたら《雪》なんていう本格的にボサノバが入っているわけです。当時にしてこのクオリティはそうとうに高度だと思います。

全体的に、(1)作曲能力、(2)歌唱力、(3)演奏力、すべてに優秀。(2)はあまり語られませんが、この人も天賦の才として音程が外れないという能力を持っている人ですね。(3)に関しては『伽草子』の後藤次利のタイトなベースに象徴されます。

『オン・ステージ!!ともだち』の中で「我々ははっぴいえんどのようないい音が出せない」と発言していますが、どうしてどうして。『LIVE'73』の生演奏は当時のティンパンアレー軍団の比じゃない(オルガンが松任谷正隆でダブってますが)。

こうなってくると、「日本ロック史」的には、吉田拓郎の過小評価がとても気になってきます。このランキングでも拓郎作品がたったひとつ、それも72位というのがおかしいなぁと。 その要因を単刀直入に箇条書きすれば、

(1)作詞を人に任せることが多く(ex.岡本おさみ)、自作詞が案外少ないこと
(2)当時としては破格の売れ方をして商業主義的に見られたこと
(3)見た目が良く、アイドル的なイメージが持たれていたこと
(4)明るく快活なトークが出来たこと(MCやパーソナリティで)
(5)東京出身ではないこと

(1)→(5)の順番で内容はどんどん瑣末になっていきますが、要因としては逆に(1)→(5)の順で大きくなっていく感じがします。逆にはっぴいえんどの場合で言えば、

(1)松本隆の都市文学な作詞
(2)まったくといっていいほど売れず
(3)いっちゃあなんだがイマイチな外見
(4)ほとんど無言
(5)東京出身(大滝氏除く)

イマイチなマスクの陰鬱な表情で小難しい歌詞を歌う東京人が過度に評価され、吉田拓郎を過小評価するゆがんだ雰囲気、評論家と呼ばれる連中にあるでしょう? ないとは言わせません。

で、実は矢沢永吉(およびキャロル)というもうひとりの広島出身のキーパーソンにも、まったく同様の理由で同様の力学が働き過小評価されているのではないでしょうか?

はっきり言ってこれは差別です。

ま、「レコードコレクターズ」という、いまや時代錯誤の象徴とも言っていい雑誌(編集部も自覚しているはず)に巣くう「評論家」と敵対してもしょうがないわけですが、でも不健全なことは指摘しておきたい。

あと、こういうことを書くと「お前ははっぴいえんどをおとしめるのか」といった勘違いの指摘を受けたりしますが、ほんとうに申し訳ない、そういうことを言う人の百倍はっぴいえんどを聴いている自信がありますから(上記ランキングの1位『風街ろまん』については異論ありません→ココ参照) 。

ただワタシは「イマイチなマスクの陰鬱な表情で小難しい歌詞を歌う東京人」を「過度に評価」するという雰囲気自体が、田舎くさくうさんくさい前世紀の遺物だと言いたいのです。

とにかく個人的に吉田拓郎を「日本ロックの背骨」に入れることにしました。背骨=スパイダース→はっぴいえんど→吉田拓郎→キャロル→サザンオールスターズ→ブルーハーツ。

当時の吉田拓郎から一曲だけ選ぶとすればこの《高円寺》。アコースティック・ファンク。P-FUNKならぬA-FUNK。「この曲がロックであること、なぜ世の中は分からないんだ!」という怒りがかいま見える素晴らしいギターリフ。ほんとうに悔しかったろうなぁ。

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