20111230/2011年レコード大賞(とMFP)の発表。

さて今年も、「週刊文春」における小林信彦と近田春夫の後釜目指して、暑苦しいコラムを一年間書きつづけました。自分で自分をほめてあげたいと思います。そして今年最後の寄稿、恒例の「レコード大賞」。まずはここでざっと過去の受賞作品を振り返っておきましょう。

1992年:吉川晃司《せつなさを殺せない》
1993年:ザ・ブーム《島唄》
1994年:小沢健二《愛し愛されて生きるのさ》
1995年:Mr. Children《シーソーゲーム~勇敢な恋の歌》
1996年:(該当作品なし)
1997年:カジヒデキ《ラ・ブーム~だってMY BOOM IS ME~》
1998年:ゆず《夏色》
1999年:椎名林檎《翳りゆく部屋》
2000年:慎吾ママ《慎吾ママのおはロック》
2001年:ピチカート・ファイヴ『さえらジャポン』アルバム
2002年:RIP SLYME『TOKYO CLASSIC』アルバム
2003年:クレイジーケンバンド『777』アルバム
2004年:大塚愛《さくらんぼ》
2005年:YUKI《長い夢》
2006年:Def tech 《Power in da Musiq ~Understanding》
2007年:くるり『ワルツを踊れ~Tanz Walzer』アルバム
2008年:木村カエラ《Jasper》
2009年:木村カエラ《Butterfly》
2010年:ベッキー♪#《好きだから》

2011年レコード大賞:桑田佳祐《月光の聖者達~ミスター・ムーンライト》

今年の最高傑作アルバムは(『週刊ベースボール』でも書きましたように)『MUSICMAN』だと思いますし、その中でも今年を代表する曲として《月光の聖者達~ミスター・ムーンライト》を選びたいと思います。

「日本で初めてビートルズを血肉化した曲」だと思うのです。たしかにビートルズのスタイルだけを借用した曲は山ほどありましたし、またビートルズを手放しで賞賛している曲も山ほど。ただ、この日本という国でビートルズをちゃんと客観視し、血肉化し、「日本人の日本人による日本人のための」ビートルズ関連曲と胸を張って紹介できるのは、この曲をもって初めてではないでしょうか。

逆に言えば、日本でこのような曲が出来るまでにビートルズ来日から45年かかったということです。いきなり余談ですが、ビートルズ来日時、彼らが宿泊していた赤坂のヒルトンホテルに加山雄三が訪問、スパイダースがカバーした《ミッシェル》(歌:井上順)を聴かせたという情報を知って少年時代の桑田佳祐が激怒したという話があります(わかるわかる笑)。それから45年かかって、ということですね。

解説します。まずタイトルの「ミスター・ムーンライト」は同名のビートルズ・ソング。ビートルズ来日時に日本テレビで流れた以下の映像、バックで流れた《ミスター・ムーンライト》(2分27秒~)が当時の日本人にとてつもない衝撃を与えたといいます。そのことを歌詞でも歌っています。「夜明けの首都高走りゆく 車列は異樣なム一ドで 月光(つきあかり)の聖者達(おとこたち)の歌が ドラマを盛り上げる」

その上で歌詞は桑田氏の青春時代に舞台を移します。「ひとりぼっちの狭いベッドで 夜毎 涙に濡れたのは 古いラジオからの 切ないYeah(イェ)Yeah(イェ)の歌」。そして歌詞は最終的に、現代の桑田氏、現代の日本のことを歌います。「今はこうして大人同士に なって失くした夢もある 時代(とき)は移ろう この日本(くに)も変わったよ 知らぬ間に」。

「ビートルズ世代」ど真ん中の団塊世代ではなく、ビートルズをもう少し冷静に受けいれた桑田氏の世代ならではのビートルズ論が展開されている感じがしました。だから、桑田氏よりもっと下の私のような「ビートルズをもっと冷静に受け容れた」世代にも響いてくるのだと思います。

ちょっとした諦念、2011年の現実を見て「なんでこんな風になっちゃったんだろう」という感覚。ビートルズに奮えたあの頃からいっしょうけんめい歯を食いしばって生きてきて、最後にこれかよという諦念。それでも、「現在(いま)がどんなにやるせなくても 明日(あす)は今日より素晴らしい」!

実は、桑田氏にとってのビートルズの位置は、ワタシにとってのあのバンドに当てはまるのです。自作のアンサー・ソングを再掲します。

勝手な聖者達~ミスター・シンドバッド

夜更けのライブハウス 客席は異様なムードで
"勝手な聖者達の歌"が 番組を盛り上げる

知らずにすめば良かった 聴かずにおけば良かった
"さらば、背を向け茅ヶ崎!"って 胸が張り裂けた

ひとりぼっちの狭いベッドで 夜毎 涙に濡れたのは
古いラジオからの 切ない"Ya Yaの歌"

今はこうして大人同士に なって失くした夢もある
時代(とき)は移ろう この日本(くに)も
変わったよ 知らぬ間に

二度とあの日の僕には 戻れはしないけど
瞳(め)を閉じりゃ煌めく季節に
みんなが微笑(わら)ってる

ひとりぼっちの狭いベッドで 夜毎 涙に濡れたのは
海の近くの球場(アリーナ)
巨大(おおき)な陽が燃え尽きるのを見た

現在(いま)がどんなにやるせなくても
明日(あす)は今日より素晴らしい

月はいざよう秋の空
勝手な聖者達(ミスター・シンドバッド)
Come again, please
もう一度 抱きしめたい

2011年準レコード大賞(1):《カーネーション》椎名林檎

2011年準レコード大賞(2):《サンタさん》ももいろクローバーZ

「MFP」(最ファンキー選手)も発表しておきましょう。

(年度:パ・リーグMFP/セ・リーグMFP)
2003年:小笠原道大(日本ハム)/今岡誠(阪神)
2004年:新庄剛志(北海道日本ハム)/古田敦也(ヤクルト)
2005年:西岡剛(千葉ロッテ)/下柳剛(阪神)
2006年:森本稀哲(北海道日本ハム)/藤川球児(阪神)
2007年:ダルビッシュ有(北海道日本ハム)/荒木雅博(中日)
2008年:片岡易之(埼玉西武)/該当者なし
2009年:糸井嘉男(北海道日本ハム)/坂本勇人(巨人)
2010年:西岡剛(千葉ロッテ)/前田健太(広島)
2011年:ダルビッシュ有(北海道日本ハム)/宮本慎也(東京ヤクルト)

「現在(いま)がどんなにやるせなくても 明日(あす)は今日より素晴らしい」―――よいお年を!



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20111226/やっぱり沢田研二のように生きていきたい(沢田研二コンサート評)。

ライブで泣きながら歌われる曲といえば、ご存じ、美空ひばり《悲しい酒》などいくつかあると思うが、スタジオ録音で泣きながら歌われた曲は、少なくともワタシが知る範囲ではこの曲だけだ。

1975年のちょうど今ごろに発売された沢田研二のアルバム『いくつかの場面』のタイトル・チューン。2番最後の「出来るなら~抱きしめて欲しい」のところ(下線部)を聴いてみてほしい。沢田研二が確かに泣いているのを確認することが出来るだろう。

いくつかの場面(詞・曲:河島英五)

いくつかの場面があった まぶたを 閉じれば
喜びにくしゃくしゃになった あの時 あの顔
淋しさに震えていた あの子
怒りに顔を引きつらせ 去って行った あいつ
泣きながら抱き合っていた あの人とのこと

まぶたを閉じれば 数々の思い出が 胸を熱くよぎる
そしていつも 心を 離れない いく人かの 人達がいた

出来るなら もう一度 僕のまわりに集まって来て
やさしく肩たたきあい 抱きしめて欲しい

いくつかの場面があった まぶたを閉じれば
いつも何かが 歌うことをささえ
歌うことが何かをささえた
ヤジと罵声の中で 司会者に呼びもどされた
苦い思い出の あの街
有頂天になって 歌ったあの街
別れの夜に歌った 淋しいあの歌

まぶたを閉じれば 数々の思い出が 胸を熱くよぎる
そしていつも 心を 離れない いく人かの 人達がいた

出来るなら もう一度 僕のまわりに集まって来て
やさしく肩たたきあい 抱きしめて欲しい


「怒りに顔を引きつらせ 去って行った あいつ」はタイガースを脱退した加橋かつみのことか。「ヤジと罵声の中で 司会者に呼びもどされた」のはタイガース解散後に結成したPYGでの経験か。

そして「出来るなら もう一度 僕のまわりに集まって来て やさしく肩たたきあい 抱きしめて欲しい」で泣いたのは、タイガースのメンバー、サリー、タロー、ピー、トッポ、シローのことが沢田研二の胸をいっぱいにしたのだろう。

2011年12月23日、パシフィコ横浜、沢田研二コンサートに岸部一徳(サリー)、森本太郎(タロー)、そして長らく芸能界から身を引いていた瞳みのる(ピー)が41年ぶりに集結したコンサート。

これが単なる凡庸な再結成コンサートにならないと直感したのは、解散してすぐの段階ですでに、泣きながら「出来るなら もう一度 僕のまわりに集まって来て」と歌ったことを知っていたからだ。

そしてそこから36年という果てしない時間が過ぎ去った。再結成への想い、その総量が段違いなのですよ、他の「再結成コンサート」とは。

ここにも書いたが、沢田研二は自らを絶対化することがない。尊大にならず、かといって卑屈にもならず、途方もなく長いキャリアを粛々と歌いつづけてきた。そして還暦を越えたいま、想いを遂げて(全員ではないが)昔のメンバーで集まってツアーを楽しそうにこなしている。

まぁ、改めて感じるのだ。「こうでなくっちゃいけない」と。大地が揺れ、放射能が噴き出し、経済が崩れ去った2011年。感情は起伏し、人々は尊大か卑屈かの乱暴な二者択一の方角いずれかに進みがちである。いやいや、いまこそ沢田研二のように、粛々と毎日を生きていくべきだ。

ただ、熱い想いは心の中に忘れない。ずっとずっと忘れない。勝負はまだまだ先だ。もしかしたら還暦を超えるかも知れない。そしていつ来るか分からないその勝負の時までコンディションを整えつづけること、それが生きるということだろう。

と、前回もそうだったが、沢田研二のコンサートに行くとぐんぐんと生きるチカラが湧いてきて、そしてこんな前向きな文章を書きたくなってくる。そして 「立川談志は死んだが、日本には沢田研二がいる。だから大丈夫だ」とまで言いきりたくなる。

読んでいる人は聞きたくなるだろう。なんでそんなにおめでたい気分になれるのかと。その質問にワタシはこう答えたい。

「てめぇら、俺をだれだと思ってるんだ、俺はあの沢田研二のファンなんだぞ」

参考:20081207/沢田研二の「相対性理論」



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20111218/「THE MANZAI 2011」総括~漫才の番組ではなく、番組の中の漫才。

「THE MANZAI 2011」、みなさんどう見ましたか? ワタシは正直「M-1」ほどの高ぶりは最後まで戻ってこなかったのですが、一応、リアルタイム審査をやりましたよ。

タイトル=ツイッターの自作ハッシュタグを「ザマンザイ評論」としました。「評論」です。「評論」がないジャンルは死滅します。漫才やお笑い、演芸には「評論」「批評」が(ほとんど)存在しません。「理屈なんて要らない、おもしろければいいじゃん」と思われがちです。

でも、「何が面白いか」「こう見ると面白いぞ」、逆に「こう考えたら面白くないぞ」などの意見を戦わせることは、ある意味、お笑いそのものよりも面白いのです。

さらに言えば、「評論」によって、パフォーマンスの権利は作り手から受け手に渡されます。「評論」とは、作り手のパフォーマンスに触発された受け手が今度は作り手となって自らパフォーマンスする権利なのです。ワタシがナイツに、ハマカーンに、囲碁将棋になるのです!……と、思わず熱くなってしまいました。

リアルタイム採点と所感の一覧表です(エクセル形式はこちら)。

以下、本日朝にツイートした「総括」です。

総括(1):時間を置いていろいろと分かってくる。「THE MANZAI」と「M-1」の決定的な違いは、強烈な漫才愛を持ちながら、あのような緊迫感ある場を天才的に的確に仕切れる「今田耕司」という精密な調整弁の有無ではないか。

総括(2):M-1が終わり「THE MANZAI」となったのがパンクブーブーに幸運。二年前のM-1における彼らの漫才を審査員の多くは見ていなかったので新鮮に映ったはず。逆に言えば、M-1好きの視聴者が彼らの優勝に不満なのはその既視感から。

総括(3):「ワラテンシステム」は愚の骨頂。笑いの総量=面白いと判断するのはあまりに幼稚。面倒だから反論理由を書かないが、簡単に言えば、極端だが、夢路いとし喜味こいしはあのシステムで20点以下になる。

総括(4):例えばT-岡田が球宴で大振りするのを喜ぶ感じだったのではないか、千鳥を見る関西人は。高須・木村が決勝で彼らに投じたが、その行為は、東京で見るデイリースポーツのような過剰なローカリズムと思った。少なくとも私には判らない。

総括(5):最悪の2011年を漫才で総括するのならそこに毒や悪がなければ不自然だ。ナイツが毒を吐き爆笑問題が立ち上がって喝采するというサイトに書いた夢(これ)が実現した。それで満足。優勝はナイツ。

ひとことでいえば、「漫才の番組ではなく、番組の中の漫才」という感じでした。言葉を補足すれば「漫才をちゃんとリスペクトする漫才の番組=M-1と、バラエティ番組の中のひとつの具として漫才を割り切ったTHE MANZAI」という違いを感じたのです。

大阪朝日放送とフジテレビの精神性の違いが如実に出たと思いました。根本的なところでお笑い愛がある朝日放送と、エンタテインメントのひとつの具として割り切っているフジの違い。番組の途中で最高顧問がいなくなることや、それをネタとして割り切って使うのも、大阪朝日放送ならあり得ないはずです。

また、賞金なしでフジテレビのレギュラーが賞品というのも、よく考えたら、漫才という文化を見下している設定だと思います。漫才は漫才で評価しないと。「テレビに出してやるぞ」って、キャバクラでキャバ嬢を口説いているテレビマンじゃないんだから(笑)

あとやはり4時間は長い。決定的に長い。途中、「ワラテン」で振り返るコーナーや冒頭のドタバタを抜いて、せめて3時間でしょう。「THE MANZAI」と「紅白」、そしてプロ野球の試合は3時間でちょうどいいですよ。

最後に、個人的な審査結果を挙げておくと、優勝はナイツ。迷いがありません。個人的に不満を言えば、酒井法子程度のタブーなんて、ナイツは日常的にいじるべきです。爆笑問題や初期ますだおかだの意志を受け継ぐべきです。

技能賞としてはHi-Hiです。よく知らなかったのですが、あの「パンク漫才」は見事です。こちらは、毎年、M-1の敗者復活で我が家がやろうとしていた「意味の解体」への意志を受け継げばどうでしょう。好きになりました。

敢闘賞は「テスト」で出てきたダイノジ。今年に入ってからの、大地氏の爆発ぶりとそれを斜めから抑制する大地氏の「知的な自虐」が好きなのです。今回もある意味いちばんの重責を華麗に完遂しました。お疲れ様でした。

番組の中の漫才から、漫才がもっと大切に扱われ、漫才が番組全体を制しているような3時間番組へ。それが「THE MANZAI 2012」に期待したいことです。

それにしても―――漫才はやっぱり、素晴らしい!

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20111210/「静岡DeNAベイスターズ」を構想する。

横浜DeNAベイスターズについては、中畑新監督就任というニュースがインパクトをもって伝えられており、その陰でそれほど話題になっていない気がするのですが、このニュースはかなり重要だと思っています。

大ピンチ!DeNA、ハマスタ追放危機 (サンケイスポーツ)
「私の気持ちは、ベイスターズは横浜から出ていってほしいという思いだけ。ベイスターズは、すべてを白紙に戻し、別の土地でスタートを切って出直すべき。一度、ホームレスになればいい」(藤木幸夫横浜スタジアム会長)

昨年のリクシルグループのときに話題になったのが、ベイスターズと横浜スタジアムの間で締結されている「不平等条約」です。

この小島克典氏のサイトに詳しいのですが、「球場と球団は45年間の長期契約を結び、チームはスタジアムで試合を行う毎に年間席・当日券売上の25%を球場使用料として支払うほか、広告・物販収入はすべて球場の収入となるなど、球団サイドから見ると不平等に感じる契約が今なお続いている」らしい。

こういう話はできるだけリアルに考えてみるべきです。ベイスターズの観客動員は約110万人。横浜スタジアム以外のゲームもあるのでここを単純に100万人と考えて、1人2,000円の入場料とすれば、入場料収入が合計20億円。その25%は5億円。また観客延べ100万人が1,000円程度の飲食・グッズ購入をするとして、その売上10億円。要するに15億円程度が球場側に毎年流れているわけです。

さらには看板などの球場広告料もそのまま球場側に入っているようです。ここの金額は分かりませんが、まぁ億単位でしょう。ベイスターズがいるからこそ球場広告の価値が上がるのですから、球団の取り分がゼロというのも無理があると思います。

この記事によれば、ベイスターズは年間20億円の赤字となっていた模様。上の総計もだいたい20億程度。「不平等条約」を撤廃して、もっと健全な関係の球場と手を結べば一気に赤字はなくなる。DeNAはぜったいにそう考えたはずです。

推測するに、そのような考え方からもっと「平等」な契約をとDeNAが申し出、キレた藤木会長がマスコミにぶちあげたという経緯ではないでしょうか。

ワタシの考えを言えば、この契約、そしてこの横浜スタジアム社のメンタリティを考えれば、移転やむなしではないかと思っています。

もちろん球場側にも言い分はあるようで、この記事によれば「77年設立の横浜スタジアムは、45年間の年間内野席と引き換えに、550人の市民株主から出資を募って球場を建設。完成後は市に施設を無償譲渡し、維持管理と運営を担ってきた。『市も出資者だが、税金だけの第三セクターとは成り立ちが違う』と鶴岡博社長(註:横浜スタジアム社)。球場の安定的な存続こそ出資者への義務で、剰余金は長年の蓄積だという」。

550人の株主さんはほんとうにスタジアムに足を運んでいるのでしょうか。もし形骸化しているのなら、あと10年の内野指定席券を放棄してくれませんか。もしくは、ちょっと遠くなりますが、静岡の球場でも我慢していただけませんか?―――そうです。「静岡DeNAベイスターズ」構想。

横浜スタジアムとの関係もさることながら、横浜という街が地域密着に不向きと考えます。野球愛のないコンサルタントの方々は、「商圏人口」などの概念を持ちだし、球場からの同心円の人口を数え、横浜は大きく有望な市場 だと言うでしょう。

ただ、球団経営を考えれば、エリアの有望性を測定する尺度は「人口×地元愛×野球愛」だと思います。横浜の「地元愛×野球愛」の数値は高くないと思うのです。前者は、行政区分として大きすぎる「拡散性」と「横浜都民」の存在(かくいうワタシもそう)。後者は、高校野球のレベルなどを考えれば一見高そうですが、サッカーはじめさまざまなスポーツ・エンタテインメントが集積している実態を考えれば、ある意味「すれっからし」とも言えるはずです(ここにも少し書きました)。

このような論は横浜市民のベイスターズファンの異論を買うことは必至です。ただ、経済での敗北は本業の野球での敗北につながります(数学的に言えばこの話は「逆・裏・対偶」すべてに真実)。目の前で汲々としているチームと、ちょっと離れて伸び伸びとやっているチーム、どちらが魅力的でしょうか。そしてワタシの周囲では、北海道の大地に根を下ろしたファイターズを、東京時代からのファンも変わらず応援しているのですから。

本音を言えば、松山や新潟のほうがNPBとしての潜在市場開拓という意味ではふさわしいと思っていました。ただ、今回は静岡(草薙球場)だと考えます。ひとつには現フランチャイズ横浜から至近であること(電車で約2時間、ワタシが幕張に通う距離とほぼ同じ)、そして草薙球場が工事を経て、近代的な球場になりつつあること。

そして何より、松山や新潟には「ベイ(湾)」がない―――

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20111204/妄想小説「もしM-1グランプリ2011が行われたら」

(以下の「小説」は完全フィクションであり、実在の漫才師や芸能人とはまったく関係ありません)

昨年で終了と一時は報道された『M-1グランプリ』だが、「『THE MANZAI』のルールがよく分からない」という漫才ファンの声と島田紳助事件で傷ついたイメージを復活させたい吉本興業の思惑が一致し、急遽開催されることとなった。

従来のM-1同様「結成10年以内」というルールの下、突然行われたオーディションに参加し、勝ち残った漫才師は下記の7組。

・ウーマンラッシュアワー
・囲碁将棋
・銀シャリ
・さらば青春の光
・ゆったり感
・ナイツ
・ハライチ
・我が家(エントリーナンバー順)

そして本日12月4日(日曜日)の19時より、東京六本木のテレビ朝日スタジオにて生放送が行われた。例年よりも早い開催となったのは、12月17日に行われる『THE MANZAI』との差別化を図ったものであろう。

「紳助イメージの払拭」を掲げていた局側は、審査員に新たな人選を導入。松本人志の審査委員長任命は順当としても、それ以外のメンバーの絶妙なセレクションは世のお笑いマニアをうならせた。そしてその構成における吉本比率の少なさ(7人中2人)、東京比率の高さ(7人中3人)が本番におけるある「事件」につながっていく。

・松本人志(審査委員長)
・高田文夫
・オール巨人
・太田光
・笑福亭鶴瓶
・水道橋博士
・藤山直美

全漫才師とも、震災のイメージやこの激動の2011年の残像を引きずっていた。露骨に震災のイメージを避けようとしたコンビ、薄っぺらい「がんばろう日本」的な話をつかみに持ってきたコンビ。そして「事件」は起きた。

―――ナイツ。

「M-1評論家」のスージー鈴木氏がダントツで優勝候補に挙げたコンビ。ルール上は今回が「ラストイヤー」になる。「メンバー的に『THE MANZAI』の方が楽勝だと見ました。逆にこちらは我が家が怖かったのでちょっと冒険をしてやろうと」とは塙の弁。

塙「ヤホーで検索したんですが、みなさん原発ってしってますか?」
土屋「おまえ、そのネタ、アウトだろ」

まさかの原発ネタである。ある意味、2003年第3回大会の千鳥によるエロネタよりもインパクトは高い。2010年のスリムクラブなど、この前で比べれば「普通の漫才」となろう。

塙「原発は日本に沢山あります。事故を起こした福嗣原発に静岡の今岡原発、北海道のオマリー原発」
土屋「また全部野球じゃねーか」

塙「枝野さんの名言もありました。『田淵に栄養を与えるものではない』」
土屋「それは枝野じゃなくて阪神第一次吉田義男監督の発言だろ」

塙「シーボルトという単位まで有名になりまして」
土屋「それシーベルトだろう、シーボルトさんはとっくに有名だよ」

塙「タージン建屋が壊れまして」
土屋「タージンは関西の芸人だよ、壊れそうもないすごいガタイだよ」

塙「セシールがあちこちで検出されました」
土屋「それセシウムだろ、通販のカタログでも見つかったのか!」

塙「有名な原発事故としてはソ連のちくわぶ入り原発の事故ですとか」
土屋「チェルノブイリだろ、おでんだよ、ちくわぶ入れちゃ」

塙「はい1号機、2号機、ひとり飛ばして4号機」
土屋「3号機はべっぴんさんじゃねーのかよ」

塙「というわけで福島原発のメルトスルーは世界で5本の指が入る大事故になりました」
土屋「5本の指レベルじゃねーよ、地球に穴が空く寸前だったんだよ」

塙は決して審査員席のほうを見なかったという。このような緊張感のあるネタはどうしてもウケないだろう、特に松本人志はこのような社会ネタを嫌うだろう、だから審査員を無視してやろう。

しかし状況は塙の予想をハッピーな方角に裏切った。高田文夫、太田光、水道橋博士が大ウケ、審査員の立場としては考えられないスタンディングオベーションを見せ、圧倒的な高得点をつけたのだ。そして松本も意外にも評価。コメントでは「ストロンチウム」を「ストロング小林」と言い換える小芝居を見せた。

「吉本の吉本による吉本のための大会」と揶揄されたM-1。「紳助イメージの払拭」を掲げた吉本が審査員に非吉本比率、東京比率を高めた結果として大会に呼び込まれたものは、東京勢ナイツによる超社会派ネタだった。

最終決戦結果。東京勢が上位を占める中、ナイツが優勝。ラストイヤーの戦いを制して第11代チャンピオンに輝く。

・ナイツ:5票(松本、高田、太田、鶴瓶、水道橋)
・我が家:2票(巨人、藤山)
・ハライチ:0票

実は、この番組がキッカケとなり、原発問題に関する放送局側の自主規制が大幅に緩み、「脱・原発」運動が一気に加速することとなる。ただそれはここでは別の物語だ。

いちばん重要なこと。それは、震災と原発の年に急きょ開催された『M-1グランプリ』が、震災と原発から逃げずに、まっこうから立ち向かって笑いに昇華したことだ。思えば2011年のお笑い界の締めくくりとして、こんなにふさわしい結末はなかった。

(参考)
20101228/M-1通史~画面の向こうで起きていたすごいこと。
20100620/処女小説『M-1東西頂上決戦』

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20111126/死ぬ前に遺しておくべきコトバ~西本幸雄に捧ぐ。

四谷の野球居酒屋「あぶさん」で「近鉄フリーク作家」の佐野正幸さん、「野球シンガー」の立花夢果さん、「スポーツカードライター」のしゅりんぷ池田さんという、他では見ることのない肩書きのメンバーが一堂に集まったことがある(というワタシも謎の「野球文化評論家」なのですが)。

メンバーとしてはもうひとり、CSで放映されていたフジテレビの『プロ野球ここだけの話』のスタッフの方がいた。会合の目的としてはたしか、ワタシとしゅりんぷさんが出演した同番組の打ち上げ、および次回出演する佐野さんを含めた軽い打合せのようなものだった。

そこで近鉄バファローズの名シーンを番組内で流すとすれば何かというテーマになり、ワタシが強硬に主張したのが、1979年の平野光泰「涙のバックホーム」。ワタシは観たことがなく、ぜひ観てみたいとおもったのだ。

スポニチアネックス「日めくりプロ野球6月」より

【近鉄1-1南海】大阪球場の3万2000人の観衆から一斉に悲鳴に似た声が上がった。8回裏、二死一、二塁。南海の代打・阪本敏三内野手が近鉄・村田辰美投手から放った一打は、ピッチャーの足元を抜けセンターに達した(中略)

平野が打球をキャッチしたとき、定岡はすでに三塁を回っていた。悠々生還? 近鉄ベンチ、関係者、ファンの目はあきらめの眼差しで見つめる中、平野だけは怒りと悲しさの感情がこみ上げてきた。

「何のために苦しい練習をしたんや。こんなヘナチョコのヒットで優勝できへんのか!」。そう思うと涙がこみ上げてきた。手荒く握った白球をホームで待つ梨田昌崇捕手に返球した。ダメだと分かっていても、それが外野手の習性だ。

矢のような送球、とはよく形容される野球の常套句だが、平野の気持ちが乗り移ったバックホームは矢だった。大阪・明星高時代は投手として甲子園に出場した男の渾身の送球は、梨田が構えたキャッチャーミットへダイレクト、ドンピシャリのストライク。これ以上ない返球が定岡の目の前を通った。

「何のために苦しい練習をしたんや。こんなヘナチョコのヒットで優勝できへんのか!」の言葉の厚み、重みはどうだろう。言うまでもない。その苦しい練習を強いていたのが西本幸雄である。他にも―――

「知ってるよ。おまえらがいるから来たんや」=1973年12月、日生球場内の近鉄球団事務所で出くわした梨田昌孝(現日本ハム監督)、羽田耕一(現オリックス営業部)からの直立不動のあいさつに返した言葉。高卒2年目の2人が名将の言葉に感激した(同スポニチアネックス「西本幸雄氏名言集」)や、昔、西本に育てられた阪急の選手が、そのとき西本の手によって力を蓄えてきた近鉄のナインを焚きつけた「親父(西本)を男にしてやれ」というコトバも実にいい。

結局、平野の「涙のバックホーム」の映像は見つけることができなかったらしく、番組内で流されることはなかった。いま残された手がかりは「何のために苦しい練習をしたんや―――」というコトバだけ。

当時ワタシは東大阪の近鉄沿線に住んでいて、1975年や79~80年の近鉄バファローズの浮き足だった感じをライブで感じていたのだが、記憶はどんどん薄まっていき、映像すらも満足に残されていない当時のパ・リーグ、いま西本の監督時代のことを偲ぶにはコトバを通して、しかないのである。

その、まっすぐで、純粋で、熱い人柄は、まっすぐで、純粋で、熱いコトバを遺した。ワタシはそのコトバを愛しむことで西本幸雄のことを間接的に記憶していくだろう。

さて、本日45歳の誕生日を迎えました。立川談志が亡くなり、さらには昨日、西本幸雄が亡くなりました。この年齢になりますと、「人の死」に対して、いちいち鼻のあたりがツンとします。なぜかといえば、ここで縁起でもないことを言えば、自分自身の死が刻一刻と近づいているからだと思います。

早稲田大学で受け持っている授業ではいつも冒頭に「懐メロコーナー」と題して、大画面にロックや歌謡曲の「懐メロ」映像を流すのですが、そんなことをするのも「自分を感化した音楽を若者に受け継いでおきたい」という気持ちがあるからで、その背景にはやはり自分自身の死への意識があります。

当たり前ですが、ワタシは必ず死にます。そしてそれはある焦燥感を発生させます―――ワタシはコトバを遺せるのか。ワタシの周囲の人たちはワタシに感化されたコトバを遺すのか。

このサイトや「週刊ベースボール」、そして大学の授業などで暑苦しいコトバを発しつづけるのは、ワタシの存在確認であり、自らのコトバを研ぎ澄ませる行為です。要するに自分のために、自分に向かって書いて話しています。

書くこと、話すこと、それこそが生きることだと思います。年をとるごとにその思いは強まります。なんだかどんどん面倒くさい熱弁ジジイのようになっていきますが、懲りずにお付き合い下さいませ。Facebookなどでたくさんのメッセージ、感謝いたします。

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20111119/今年の日本シリーズは最高である。

レッド・ツェッペリンの全アルバムの中でどれが好きか? どうでしょうか、『ツェッペリンⅡ』か『Ⅳ』が最多得票を争うのでしょう。

ただ『プレゼンス』派が、たぶん1割ぐらいはいるのですよ。私もそうです。『プレゼンス』、それはそれは地味なアルバムで、一切の虚飾や遊びを排して、非常に求道的で質実剛健な印象のアルバムなのです。代表曲はあの《アキレス最後の戦い》。

なぜこんな話をしているのかというと、今回の日本シリーズがなんとも『プレゼンス』なわけです。一見地味な投手戦。だけどその深みにはまると抜け出せないような魔力がある。つまりは素晴らしい日本シリーズだということです。

いや、昨年の日本シリーズなんて、マリーンズファンのワタシは心から楽しみましたよ(→「ワタシがマリーンズを好きになった理由(日本一に寄せて)」)。ただし、昨年のシリーズをいま俯瞰的に思い出すと、それは派手だけど大味な、緩い印象となるのです。

たとえば第2戦は「中日12-1千葉ロッテ」、第5戦は「千葉ロッテ10-4中日」と「壊れた」ゲームがありました。しばらく話題になった第6戦、延長15回引き分けとなったあのゲームも結局はバント失敗合戦、ナゴヤドームで観ながらワタシは「世紀の凡戦」と思いましたよ。

いつも引き合いに出される「8-7がもっとも楽しい野球だ」という理屈、本当にそうなのでしょうか。ワタシは統一球で本塁打がガクっと減って、ふた桁安打が困難になり、守り勝つ野球でしか勝てない今季の野球が正しい・楽しいと思います。そうですね、「3-2」ぐらいがもっとも楽しい野球だという感覚になっています。

たぶん日本シリーズがナイター開催になった94年あたりから、なんだか浮ついた感じになっていった気がします。始球式や解説ゲストに芸能人を呼び、観客はウェーブをし、「ON対決」なんて前時代的な形容がされ、あっという間の4連勝、そして挙げ句の果てに、地上派で中継しなくなっていったこの10数年間。

「カエッテコイ カエッテコイ アノ キヒント フウカクアル ニホンシリーズヘ」と、野球の神様がいざなっている気がします。ドラゴンズ吉見のあの、右打者の外角にスポっとハマる(という感じです)スライダーは芸術の域、浮つこうとする気持ちへの「おもし」となった気がします。

さて、明日、泣いても笑っても明日が最終決戦、《アキレス最後の戦い》です。ワタシはホークスを応援します。なぜならばマリーンズを代表しているのですから。 先発はホークス杉内、ドラゴンズ山井でしょうか。

「あなたは球界を代表するエースなんだから、最終戦のマウンドで超然としていなければいけない義務がある。万が一打たれて降板するとしたとしても顔面蒼白でうなだれてはいけない。むしろ、『みゃーみゃー言ってんじゃねーよ、名古屋人がっ』と胸を張っていなさい」、この土壇場で杉内に言っておきたいことは、こういうことです。

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20111113/スポーツ・ドキュメンタリーの金字塔。

前回の『1976年のアントニオ猪木』は壮大な序章に過ぎなかった。これぞスポーツ・ドキュメンタリー。「調べない人間、適当にしか調べていない人間は書くな。本を書くということは徹底的に取材をするということなのだ」と大声で言いたくなる。息を呑む二段組み全701ページ!

この表紙の圧迫感、装丁の良さ、タイトルの抜群さ。なお、この本の略称を通称「キムコロ」と決めました(笑)。お見知りおきのほどを。

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20111106/2011年秋に読む「1976年の猪木」。

この秋は、読書的にはたいへん大当たり。以下のような本を雑食的に読みあさっておりますが、この中でひとつだけ選ぶとすれば、この本。

こんなに面白い本は久しぶりです。40代の日本人(特に男性)なら、喉の奥に刺さった魚の骨のように気になりつづているはずのあの、1976年、異種格闘技戦、モハメッド・アリ対アントニオ猪木。

あの一戦の背景に何があったか、それ以外にも、あまり多くを語られることのなかったウィリエム・ルスカ戦から始まり、パク・ソンナン戦、アクラム・ペールワン戦についての徹底した取材によって「1976年のアントニオ猪木」を描き出す。

ワタシ自身にとってのアントニオ猪木は、「ジャイアント馬場のB面」のイメージ。土曜の夜という超ゴールデンタイムに日本テレビ系で放送される、やたらに派手でキャラ立ちのする全日本プロレスの「B面」として、金曜夜に地味にがんばっている、強いかも知れないが面白みのない新日本プロレスのリーダー。そんなイメージ。

申し訳ないけれども、当時の全日本、ブッチャー、シーク、ザ・ファンクス、ビル・ロビンソン、ミル・マスカラスなどの派手派手しい外国人選手に比べたら地味な新日本でした。この本によればそのころは新日本の低迷期。1976年の異種格闘技戦の「失敗」によって必然的にやってきた低迷。新日本が底を打っている時期。

この本が与える最高の衝撃。それは、あの「世紀の凡戦」と言われたモハメッド・アリ対アントニオ猪木のあの試合こそが、台本無し、設定なしの「リアル・ファイト」(ガチンコ)だったということ。

スージー少年が、ザ・ファンクス対ブッチャー、シーク、テリー・ファンクの流血に興奮し、また田園コロシアムのミル・マスカラス対ジャンボ鶴田のあまりに美しい一戦に陶酔していたころ、世界的な規模で話題と名声を金を手中におさめながら、それをそのままするすると吐きだした男、アントニオ猪木のリアル・ドキュメント。

その他にもいろいろと読みました。

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20111030/ドラフトにまつわる高潔な言葉たち。

―――この衝撃の1位指名は会議前に日本ハムのフロントから匂わされてもいたのだ。「誰を指名するんですか」と彼らに気軽に声をかけると、厳しい表情で「プロ野球としてあるべき指名をします」と言われた。「えっ、どういうこと」と聞くと、同じ言葉を繰り返された。真意がわかったとき、背中を悪寒に似た衝撃が走った―――

ご存じ、小関順二氏のドラフト会議レポートより。この冒頭の文章はなんど読んでも深く胸に突き刺さる。「プロ野球としてあるべき指名をします」。この日ハムフロントの言葉は、地味ながら球史に残る名言として記憶されていくのではないか。

『ドラフト緊急生特番~お母さんありがとう』はドラフトの夜にTBS系列で放映された生番組。堀尾正明、徳光和夫、泉ピン子、大友康平と、まったく期待できない面々の出演だったので何気なく早送りして観ていたが、そこに映るある少年の姿を確認し、早送り再生を通常再生に変えた。

「難病を克服し甲子園出場 奇跡の左腕が夢のプロ入りへ~柴田章吾」。柴田章吾との出会いは、この『熱闘甲子園』2007年のエンディング映像の冒頭である。

中学時代にベーチェット病という、国の難病(特定疾患)に指定されている慢性再発性の炎症性疾患を患い、医者から野球をするのは無理と言われたのを努力によって克服、愛工大名電で甲子園出場、そして明治大学に進学し、野球部でプレーをしていた柴田。

細かな話は省略するが、その柴田が巨人の育成枠3位で指名され、上番組の中で、母親に対して手紙を読むシーンがあった。以下に挙げた言葉は、そこでのやりとり。言い回しとしては鮮度がないものだが、それを涙で語る柴田の姿、涙で聞く母親の姿を通して聞けば最高の名言として輝くものだ。

柴田「生んでくれてありがとう」、母親「生まれてきてくれてありがとう」。

野球は数字のスポーツでありながら、言葉のスポーツであるともつくづく思う。思い出せば今季は東北楽天嶋のあまりに高潔なスピーチで始まった。「見せましょう、野球の底力を」。そして今、ドラフトで「プロ野球としてあるべき指名をします」「生んでくれてありがとう~生まれてきてくれてありがとう」という、勝るとも劣らない高潔さをもった言葉が聞こえてきた。

そう。「プロ野球としてあるべき」姿か否かで考えるべきなのだ。

球団は優れた選手を指名できる権利がある。優れた選手はプロ野球界に参加できる権利がある。そしてファンは、その優れた選手のプレーを楽しめる権利があるのだ。

柴田章吾は血反吐を吐いて、這いつくばって、「育成枠」という底辺の小さなゲートウェイから忍び込むようにプロ野球界に参加する権利を手中におさめた。

話をクリアにするために、上の文章を「義務」で書き換えてみる―――球団は優れた選手を指名しなければならない義務がある。優れた選手はプロ野球界に参加しなければならない義務がある。ファンはその優れた選手のプレーを楽まなければいけない義務がある。

言いたいことは、むろん、菅野くんのことである。ワタシは現在のドラフトシステムはそうとう好きなので、それに対して合法的な動きである限り文句を言うつもりはない。社会人や浪人、自分の判断で考えてほしいと思う。

ただ、正直言って、「叔父さんの球団じゃなきゃ行きたくない」という話は、ここまで書いた物語とそれにまつわる高潔な言葉たちの中では、抜群に程度が低いのではないだろうか。

それは「プロ野球としてあるべき」姿なのか。私たちプロ野球ファンには、実は、それを判断する権利さえも付与されている。

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20111023/椎名林檎《カーネーション》!

なんだ、震災に揺れた2011年は音楽的には大収穫の年じゃないか。桑田佳祐『MUSICMAN』に春、盛り上がり、そして秋にはこんなに素晴らしい曲に出逢えることができた。

NHK朝ドラという国民的な枠において、毎朝この曲が聴ける驚きと歓び。印象としては2009年の個人的レコード大賞に輝く木村カエラ《Butterfly》と同じく「器楽曲を歌っている感じ」。まず歌いこなすこと自体が困難なメロディ。アレンジはもしかしたらNOKKO《人魚》の影響があるかも知れないが、筒美京平の通俗性を超えてこちらのほうが張り詰めた緊張感があっていい。

そして枯れたような、途切れそうな椎名林檎特有のボーカル。このディズニー『ファンタジア』のオマージュのような映像も素晴らしい。歴史に残る傑作と思います。

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20111016/加藤和彦の自害から二年なのにワタシはまだこだわります。

ある俳優が亡くなると、小林信彦が「週刊文春」で、死亡報道の偏りを指摘し、その俳優に関する正しい情報、正しい捉え方を訴えるコラムを必ず発表する。どうしてここまで執拗にこだわるのだろう?と長らく思っていたが、今日に限っては、ちょっとその気持ちが分かる。

NHKハイビジョン特集「早過ぎたひと 世紀の伊達(だて)男 加藤和彦」を観た。加えて今日オンエアしていたTBSラジオ「爆笑問題の日曜サンデー」の中でも加藤和彦を特集したコーナーがあって、それも聴いた。

言いたいことは、「加藤和彦を持ち上げすぎではないか」ということである。死んでしまった人に刃を向けないのが日本人の習性なのかもしれないが、持ち上げすぎることは、真の加藤和彦を価値を見えにくくするという意味で犯罪的である。

ここから書くことは個人的な意見。一部の加藤和彦ファンには耐え難い見方かも知れない。ただ、音楽家に対して色んな捉え方があり、それを戦わせることでしか、日本の音楽の進歩はないと真面目に思うので。

ワタシは何度も書いているように、ミカバンドやフォーククルセダーズの「再結成」、坂崎幸之助とのコラボレーションを認めない立場に立つ。晩節を汚したとさえ思う。

NHKの番組の中で語られていた内容、加藤和彦は、「和幸」(まずこのネーミングが嫌だ)最後のアルバム『ひっぴいえんど』をいたく気に入っていて何度も聴いていたというくだり。

《花街ロマン》《タイからパクチ》《ナスなんです》…こんな二流、いや三流のダジャレソングで「はっぴいえんど」を借用するアルバムに満足していたなんて、要するに、加藤和彦のクリエイティビティが枯渇していたということではないか。

いつか書いたように、ワタシは加藤和彦を こういう視点で認める。絶賛する。それどころか、そのような視点で一時期は加藤和彦のことばかり考えていたのだ。だからこそミカバンド解散以降の活動は基本的に認めないし、2000年代の活動は一切認めない。

と、過激的ですいません、でもこういう加藤和彦論を戦わせないと、本当に彼が浮かばれないと思うのです。

柳ジョージが亡くなった。スポーツ新聞に「和製クラプトン」と書いていた。おそらく古くからの柳ジョージファンは怒っているはずである。そもそも「和製クラプトン」なんていつ言われてた?それ以前に彼のデビューはベーシストじゃないか。

同じく、爆笑問題太田が加藤和彦のことをしきりに「天才」「天才」と繰り返しているのも乱暴にすぎる。ワタシの見立てでは加藤和彦の天才性なんて吉田拓郎の半分程度だ。

とにかく、なんだか曖昧なままで加藤和彦を葬ろうとするムーブメントはこりごりだ。いつも思うが、彼のファッションのこだわりとかどうでもいい。NHKの番組タイトル「世紀の伊達(だて)男」、なんですか?それは。そんなことよりも加藤和彦の音楽の本質を語ろう。いっぱいいっぱい語ろう。

最後に、上のリンクから再掲――――

ミカバンドでロンドン公演を行ったときの報道より。34年前(注:今日からは36年前)の今日。自害した日のちょうど34年前に、彼はロンドンにいた。

「リード担当の男性シンガーはおそろしく着飾っており、おそらく英国人が見た中で一番背の高い日本人だろう」(レコードミラー誌。1975年10月18日)

このフレーズは、今夜からマスコミに溢れるであろうとても凡庸な追悼文のどれよりも、彼の本質を捉えているはずだ。

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20111008/映画『モテキ』でどうしても気になったこと。

映画「モテキ」を観ました。たいへん面白く観たのですが、ひとつだけどうしても気になることがあったので書いておきます。【注】ややネタバレしますので、今後鑑賞予定の方はご注意下さい。

それはエンディングのところ、長澤まさみの彼氏が主催するロック・フェス、サブカル情報サイトのライターとしてバンドにインタビューする森山未來。そこに長澤が現れる。長澤のことを忘れられない森山はインタビューを止めて長澤を追いかける。そんな森山を応援する上司、真木よう子。で、エンディングへ。

(1)雇われ雑用ライターであっても自分の都合でインタビューを途中で止めるなんてもってのほか。
(2)それに、あの話の流れでいえば、ライターとしての責務を実直にこなすほうが長澤の好意を得られるはず。
(3)真木よう子はそれまで厳しい先輩の設定だったのに、あの場面で森山を応援するのはおかしい。

(2)(3)は補足的な話で、特に言いたいことは(1)です。

ええ、ワタシはいまから精神論を書きますよ。古くさい感度の話と思われるかも知れません。ただワタシは「ライター」など「サブカル」の「業界」全体が軽々しくいい加減に扱われることや、そう扱われてもおかしくないほど、軽々しくいい加減な奴が多いことに我慢ならないのです。

「20100306/〆切無視を自慢するライターを軽蔑する」で書いたことです。もっと言えば、勉強不足、日本語が変、誤字脱字、そしてWikipediaの間違った情報を確認せず書いてしまうライターたち。

また、打合せに遅れる、ギャラの額を事前に明示しない、掲載誌を送らない、勝手に文章を改ざんする、そして最悪なことに結局ギャラを払わない編集者たち。

書いていて怒りのテンションがだんだん上がってきました。ライター業界の底辺で、このスージー鈴木様がどんなにヒドい扱いをされてきたか!

編集者の問題は措くとして、少なくとも「ライター」(実はこの形容もなんだか軽くて好きではないのですが)たるもの、たとえ雑用的なインタビューであっても、時間通りに参上し、テキパキと準備をして、ちゃんと発言を拾い、確実なテープ起こしをして、そして記事を書かなきゃいけないと思うのです。

そういう倫理観がないから、サブカル系ライターが、いつまでもメインカルチャーから馬鹿にされ、その上、メインカルチャーよりもギャラが一桁少ないままなのですよ。

「てめぇ、サブカルだからっていい加減な根性でいいと思うなよ」

このあたりでさらっと書きますが、TBSが実施しているラジオ・パーソナリティ・オーディションの一次選考を通過しました(ありがたいことです)。40代半ばで、デモ音源をラジオ局に送る筋金入りのサブカルオヤジ。業界に対する怨念も筋金入りなのです。

「あんたたちが大笑いするような原稿を書いてやる。やっぱりあいつに書かせて正解だったわぁと言わせてやる」(リリー・フランキー『東京タワー』390P)。大切なのは、サブカルオヤジ界の最高峰に君臨するこの方が書いたこの根性だと思います。あっ、森山くんの上司だ。

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20111002/スージー氏、旧作《Supersonic Speedstar》を大いに語る。

知る人ぞ知るマニアックな野球サイト、「野球浴」の中の「野球音楽の殿堂」で、ひさしぶりの新曲《Supersonic Speedstar》を発表したスージー氏に独占インタビューを敢行した。


―――前作《2011年の桜》からまた間が空きました。もう創作意欲が枯れているのですか。

そうそう、あ、今回は新曲じゃなくって旧曲、2000年にインディーズで発表したものですから。

―――あら、それは古い。っていうか単なる流用?

まさに。確か当時の『野球小僧』にも制作プロセスを書いた記憶があります。そもそもはもっと前、1986年ごろ、ワタシが東京に出てきた直後の作品です。

―――20世紀、昭和、懐メロ。

当時、ワタシはご他聞にもれず、佐野元春にハマっていたのですよ。1986年ですから、時代的には『カフェ・ボヘミア』のころですが、それよりも《アンジェリーナ》や《ハッピー・マン》など、ちょっと前の佐野元春を聴いてましたよ。

―――I wanna be with you tonight!

そうそう。NHK-FM。で、そんな80年代初頭の佐野元春と高橋慶彦がダブるのですよ。イメージとして。アリスとかツイストとかの重たい感じのする「ニューミュージック」から、軽く高速な佐野元春の世界へ。王、張本、田淵のセ・リーグから、疾走する高橋慶彦へ。

―――そういえば佐野元春モロですね。

ギターがやたらに入っているのは、新しい8トラックのマルチトラック・レコーダーを買った嬉しさからですね。2000年のその『野球小僧』に、「大学時代に使っていたカセットテープの4トラックに比べるとイチローと松永浩美ぐらいの違いがある」と書きました。8トラックの使い方は、PCが演奏するドラム、ベース、キーボードで1~2、3がサイドギター、4~6がリードギター、あとの残り2つがボーカル。ダビング無し、I wanna be with you tonight!

―――??、では聴きどころは?

暑苦しい「トリプルリード」のギターと、その後のギターソロでツェッペリンの《Good Times Bad Times》がモロに出てくるところ、あとはエンディングのギターソロ、あ、ギターばっかりだ。エンディングはチェッカーズ《涙のリクエスト》や、爆風スランプ《うわさになりたい》などで出てきた「C→D→E」です。

Supersonic Speedstar

作詞・作曲:スージー鈴木

ガタガタの土を走りつづける
背番号2のSolidstate shooting star
メチヤメチャ速い弾丸ランナー
憧れてるよ Supersonic Speedstar

道行く人は冷たく白い光の中に身をうずめ
青白い顔して歩いてるまるで模型のように足並みそろえて
そんな汚れた空気を切り裂く君を見に行こう
ヒロシマへ ヒロシマへ

ガタガタの芝を転がりまわる
背番号2のSolidstate shooting star
メチヤメチャ速い弾丸ショートストップ
輝いてるよ Supersonic Speedstar

ネクタイの詩人はアスファルトに自分の居場所を見つけられずに
高速道路とビルとの谷間へ飛び降りようとする
そんな汚れた空気を切り裂く君を見に行こう
ヒロシマへ ヒロシマへ

―――分かりました。ではスージーさん、あなたにとって佐野元春とは?

数学的に音楽を作る人。音譜に対する日本語の乗せ方がとても数学的な感じがするのです。

―――では最後に、あなたにとって高橋慶彦とは?

千葉ロッテの監督にいちばんふさわしい人!

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