20120930/「この曲、めっちゃええやんなぁ!」~1979年大阪の山下達郎に思いを馳せて。

山下達郎ベストアルバム『OPUS』。買わないけど、こういうことを契機として、山下達郎の話題が騒がしくなることは歓迎する。

さて、9月1日の記事でも少し書いたが、山下達郎絡みのエピソードでいちばん好きでかつ興味深いのが、『ぴあ・山下達郎超大特集』にも載っているこの話である。


『BOMBER』が大阪のディスコでかかり始めてヒットしたことによって、それまでとは違うリスナーが現れたんです。『SPACY』まではサブカル好きなオタク気味の人がほとんどだったんだけど、『BOMBER』以降はディスコで遊んでいるような人たちがどんどんライブに来てくれるようになった(山下達郎・談)

もうひとつ。同誌よりこんなエピソードも。

(ライブで我を忘れたことはあるか?の質問に)一度だけある。80年5月、生まれて初めて大阪のフェスティバルホールでやった時。その時は、もう、あまりにもお客さんのノリがすごくて、大阪フェスが巨大なディスコと化していた(同本人談)

《BOMBER》をB面とした《LET'S DANCE BABY》のシングルが発売されたのが1979年の1月。そして全国を席巻した《RIDE ON TIME》のシングル発売が1980年5月。この間、1年と数ヶ月の間、山下達郎ブレイクの導火線が大阪で燃えていたということになる。

当時大阪に住んでいたものの、私はまだ中学生。というわけで、そのときの大阪のディスコなど知るよしもない。ただ、ある程度は想像することは出来る。

アメリカ村の三角公園にたむろするサーファーカットのカップル。レイバンのサングラス、UCLAのTシャツの上に、ボタンをかけず下のところで結んだ赤いアロハ、派手な蛍光ブルーのバキーパンツ、タバコはキャメル……ちょっと違うかな?

ファラ・フォーセットのような髪をして、ブルーのアイシャドウの女の子が、「この曲、めっちゃええやんなぁ!」と言いながら《BOMBER》中盤の田中章弘のチョッパーベースに乗って跳ねるように踊っている姿が目に浮かぶ。


本人が言うように、はっぴいえんど、ナイアガラの流れで山下達郎に行き着く「サブカル好きなオタク気味の人」を第1世代とすれば、第3世代は80年代中盤以降に入ってきた、『ポケットミュージック』以降の理性的な音を崇拝して聴くスクエアな大人リスナー。

その間の第2世代というのがいて、それが上に書いた浪速のファラ・フォーセット。余計な理屈抜きで「めっちゃええやんなぁ!」と言いながら踊り狂っている、ある意味いちばん肉体的で健康的な山下達郎リスナー。そとてそれは大阪から発生していった。

お笑いでは明石家さんま、島田紳助、西川のりおが、ミナミの雑踏の中で声を潜めて飛躍の瞬間を待っていた1979年。同じく大阪のディスコで、当時20代、はちきれんばかりのボーカルを聴かせる山下達郎が、虎視眈々と翌年のブレイクに向けて爪を研いでいた。

繰り返すが、『OPUS』は買わないが(理由:《夏への扉》が入っていないことへの抗議=笑)、もし聴かれる方がいれば、ディスク1の《#8. LET’S DANCE BABY》から《#17. YOUR EYES》までの、やたらとポップでファンキーな第2世代作品で腰をくねらせていた浪速のファラ・フォーセットに思いを馳せてほしいと思う。

(上、大阪フェスティバルホール話の続き)客に煽られまくって、ハッと気づいたら僕は(伊藤)広規のマイクで歌ってたんだよね。そんな経験、後にも先にもない。あれは完全に客に"やられた"って感じだった。本当にすごかった(山下達郎・談)




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20120923/さらば青春の光は笑いのOSが違った(キングオブコント2012評)

「知的」という言葉はやや外れている。「シュール」という言葉はさらにピンボケだ。というわけで上手い形容が見つからないのだが、現段階でワタシの考えをもっとも言い得ている言葉として「笑いのOSが違う」。

同じく出場した他の芸人のコントがWindowsXPとしたら、彼らの作り出すコント(というカテゴリーに入れるのが正しいかどうかも疑わしい)はWindows7。そんな根本的な違いを感じるのである。この表現が分かりにくければ、他のコントが村田修一で、彼らのコントが堂林翔太。いや、こっちの方が分かりにくいか。

さらば青春の光、キングオブコント準優勝!

一夜明けていま観返してみたが、やはり実に画期的でかつウェルメイドである。お薦めは1本目。2本目はまぁ、Windows Vista。1本目「コント・ぼったくりバー」のほうに彼らの本質がある。

ワタシのお笑いに対する評論スタンスを先に語っておけば、「進歩原理主義」である。新しいものは手放しに素晴らしい。古い水夫は新しい船を動かせない。村田修一よりも堂林翔太だ。

だ・か・ら、コントより漫才のほうが好きである。おおよそトークだけで構成される漫才の方がOSの進化を図りやすいためか、実際にこの20年、進化が体感できたジャンルだからだ。

対してコントは進化が遅れていると感じる。だいたい昨夜のキングオブコントでも、たとえば学生を表現するのに詰め襟とか、ツッパリを表現するのにリーゼントとか、80年代で思考停止していると言えなくもない。

漫才界には進化のベンチマークとしてのダウンタウンがいて、M-1という進化のエンジンのような番組があったのに対して、コント界にはそれがない。キングオブコントも、進化の触媒というよりは単に思考停止を映し出す装置に留まっていた。

本当はロバートやバナナマンが進化のベンチマークとならなければいけなかったのだが、キングオブコントの第1回、彼ら(両者とも素晴らしいネタだった)ではなくバッファロー吾郎が優勝した(させた)ことが、キングオブコント停滞の根本的な要因だったと思う。

蛇足ながら、R-1ぐらんぷりは第7回(2009年)で、バカリズムの地形ネタよりもエハラマサヒロや中山功太を上と評価したことが致命的であった。世の中、案外古いOSにこだわるものなのだなとずいぶん落胆した。

お笑いは、野球や音楽よりも感覚的なジャンルで、人によって評価が多岐にわたることを体感している。さらば青春の光に対するワタシの偏愛も絶対的なものだとは思っていない。ただ、社会全体に停滞という厚いビニールが被さっているようなこの時代、お笑いぐらいはぐんぐんと新しい世界へ突き進んでいってほしいと思うのだ。

最終的に、さらば青春の光は優勝を逃した。キングオブコントの審査員はお笑い芸人。優勝したバイきんぐ(残念ながらすぐに忘れそうだ。昨年のTHE MANZAIにおけるHi-Hiの位置)よりもさらば青春の光のほうに「本質的な恐怖」を感じたのではないか。こんな新しいOSじゃ、俺たちのコントは作動しないぞ、という。

そうだとすれば、逆説的に日本のコント界にはまだ可能性があると言えなくもない―――こんにちは、さらば青春の光。こんにちは、新しいコントの世界。

※ちなみに数の桁の名前については、このIBMの名作CMが忘れられません。

(参考)
20091003/『キング・オブ・コント』必勝法。
20110925/続・キングオブコント必勝法。



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20120917/『桐島、部活やめるってよ』が褒められすぎってよ。

大阪芸大のスクーリングで大阪滞在中に近鉄を乗り継ぎ、喜志→古市→橿原神宮前を経由、京都の「高の原」(という駅)のシネコンで鑑賞。

実は映画自体は楽しく観たのですが、ネットの感想を辿っていくと妙な捉え方が一般的であることを確認したのです―――「リア充対サブカル」の映画。


※以下、嫌いな言葉ですが、話を分かりやすくするために「サブカル」という言葉を多用します。

あぁ、そういうことだったのかぁ、と、私自身そんな考えを持たずに最後まで観てしまったので、改めてその図式に当てはめると、うむ。確かにそう説明できるわと。

で、次に襲ってきたのは、そのような(今や)通俗的な図式に収めてしまうと、なんだかツマんなくなるなぁという冷めた感情です。

ワタシが気になったのはラストシーン(ネタバレ注意)。前田(神木隆之介)と宏樹(東出昌大)が会話をするシーン。あのシーンは必要だったのか。

上記図式に当てはめれば、万能なリア充である宏樹と、サブカルの前田がお互いを理解しあい、対決は融和になり、ハッピーエンドということになるのでしょうが。

せっかくそこまで徹底したリアリズムで来たのだから、なぜそこでサブカルが報われるような甘さを出すのか。そこが不満なのです(逆に言えばそこ「だけ」が不満ということですが)。

ココにも書きましたが、映画『モテキ』でも同様の不満があって、主人公(森山未來)がインタビューをほっぽり出して女(長澤まさみ)追いかけるシーン。それまではやたらと怖かったのに、そのシーンでそれを許してしまう上司(真木よう子)。

なぜそんなにサブカルを甘やかすのだろう。

もしかしたら、ですが、サブカルに甘いストーリーにすることによって、サブカル受けを良くして、サブカル系の方々の動員を増やそうという魂胆なのか?

いや、サブカルを厳しく処罰すべし、とは言ってません。言いたいのは、あの、「ローエングリン」に乗って前田がカメラを回すシーンで終われば良かったのではないかということです(『モテキ』で言えば、主人公は女を無視してインタビューを続けるべきだったのではないか、ということ)。

なぜなら、必要なのは融和ではなく併存だと思うからです。

以上、 シネマハスラーでも大絶賛だったので、ワタシなりにどうしても気になる部分を書いておきました。



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20120908/マリーンズ改革に向けたあるひとつの冴えた方法。

まったく書く気乗りがしないが、意志を振り絞って書く。

いまさっき福岡で7連敗を記録。この瞬間に52勝55敗13分、3位ホークスとは3ゲーム差、5位イーグルスとは1ゲーム差。後半戦に落ち込むことは想定していたが、まぁここまで落ち込むとは思ってもいなかった。

この後半戦、歴史的な転落の背景にはいろいろあろうが、ここまで落ち込むということは、フィジカル面だけではなくメンタル面に問題があるのではないか。

一般にマリーンズは、「マリンガン打線」、つながる打線、いったんノりはじめると手が付けられないという元気系イメージで語られることが多いのだが、ワタシのように年間30試合ほど生観戦していると、それが表面的な解釈であることが分かる。

落ち込みはじめると手が付けられない非リア充系イメージ。「ひきこもり打線」。いま必要なのは、そのようなメンタルの転落を食い止め、反転させるような「精神的支柱」ではないか。

井口の高年齢化(38歳)、キャプテン今江の不振と、本来「精神的支柱」を担うべき2人が機能しにくくなっている気配がある。東洋大学の野球部監督を要請された(実話)という鈴木大地(23歳)がゆくゆくはその立場を担っていくのだろうが、さすがに直近は無理だ。

ワタシにはいいアイデアがある。これを話すのはシーズンオフまで待とうと思っていたが、状況が状況だけにいまここで開陳する。世論形成のキッカケとしてちょっとでも寄与できればと思う。

「ヨシヒコ2013」。高橋慶彦現ヘッドコーチの監督就任。

村上龍の小説(『走れ,タカハシ! 』)の主人公になり、それどころかあのスージー鈴木の曲( 《supersonic speedstar》)の主人公にもなった野球人。この卓越した存在感を、マリーンズのひきこもり選手陣のど真ん中に注入しない手はない。

ガタガタの芝を転がりまわる
背番号2のSolidstate shooting star
メチヤメチャ速い弾丸ショートストップ
輝いてるよ Supersonic Speedstar

《supersonic speedstar》

監督としての能力があるのかないのかよく知らない。っていうかそんな観点から高橋慶彦を推しているわけではない。重視しているのは、メンタルの転落にくさびを打ち込めるパワーがあるかどうか、つまりは「ロックンロールかどうか」。

「ただコード弾いてブーンって鳴って、そうしたら音楽だ」(シド・ヴィシャス)という言葉があるらしい。ということは「ただバット振ってブーンって走って、そうしたら野球だ」。こういう言葉がいちばん似合う男が監督の座に就けば、マリーンズが変わる。いや日本野球が変わる。



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20120901/山下達郎のベスト盤、ワタシが選曲してやる。

山下達郎のベスト『OPUS ~ALL TIME BEST 1975-2012』のジャケットが良くない(後日談として、達郎ファンとして有名なとり・みきさんの作品とのこと。しかし達郎氏のジャケットにこのテイストは違う。違うもんは違う)。

サザンオールスターズ/桑田佳祐のジャケットがまぁ、散々な出来なものばかりで(そのダサさが大衆受けしていると言えなくもないが)、それに対して達郎氏のジャケットはかなり頑張っていたほうなのだが、今回は非常に残念。その上4枚組55曲というのもしまりがないことこの上無い。

えいっ、しょうがない。世のため人のため。世直しとして、ここでワタシが 選曲をし直してみる。かなりの独断になるがお許しいただきたい。逆に皆さんも、ワタシのような勝手選曲を楽しんでみるのも一興かと。

【スージー鈴木セレクション「極私的山下達郎ベストアルバム」企画案】

・タイトルは原点回帰、デビュー前の自主制作盤をもじって『ADD SOME MUSIC TO YOUR LIFE』。アナログLPで1枚ぽっきり、2500円。計14曲収録。ただしボーナスシングル付。

【side A】

1.SHOW:
文句なし。『OPUS』は《DOWN TOWN》からのようだが認めない。こういう企画はやはりこの曲から始まらないと。いやほんとに。

2.スプリンクラー:
ここにこれを持ってくるところがこの企画の真髄。批判も多かろうが《Sparkle》と《Loveland Island》の「FOR YOU 2トップ」をあえて外してこの曲で代用。

3.ヘロン:
21世紀からの達郎氏の作品は、それまでの曲とは別ブランドと考えた方がいいと考える。というわけでこれがある意味「最新作」。桑田佳祐における《波乗りジョニー》の位置にある。

4.ゲット・バック・イン・ラブ:
ほとんどバラードを無視したこの選曲だが、4曲目にそっとこれを挟んでおく。80年代後半を、これと《マーマレイド~》で代表させるという、まぁ多くの達郎ファンから失笑される発想だろうが。

5.BOMBER:
「この曲が大阪のディスコで支持されたことが山下達郎のブレイクにつながった」というエピソードは、ロック関係のエピソードの中で最も好きなもののひとつ。ブルーのアイシャドウの「ギャル」(現在50代)がアメリカ村三角公園で「あの曲、ええやんなぁ!」とはしゃいでいる姿が目に浮かぶ。

6.夏への扉(The Door into Summer):
ベスト・オブ・山下達郎ワークス。いや、キング・オブ・Jポップ!

7.RIDE ON TIME:
《夏への扉》と同アルバムからの選曲となるが、A面の締めにはやはりこれ。これは外せない。後半ア・カペラ付のアルバム・バージョンで。

【side B】

1.マーマレイド・グッドバイ:
この企画最大の問題選曲。『OPUS』には当然収録されていないが、全盛期(だと思う)の突き抜けるようなサビのボーカルは「B面1曲目」にとてもふさわしい。えーと、この「B面1曲目」論は要するに、《Here Comes The Sun》的意味合い。

2.CHRISTMAS EVE:
すいません。ここはやや媚びを売りました。まぁ、これを抜く手はないと判断。ただ、つなぎとして、《マーマレイド~》のフェイド・アウトが終わって、そこからこの曲のイントロが重なる瞬間はかなりイケてるはず。イントロにア・カペラの《We Wish a Merry Christmas》を入れてもよい。

3.DOWN TOWN:
ここでこれ。次の《土曜日~》と並べて「ひょうきん族つなぎ」。

4.土曜日の恋人:
「変態ポップス」(と思う)の名曲から怒濤のエンディングに突入。これはサザンで言えば《Melody(メロディ)》の位置。やたらと切羽詰まった作曲・編曲が聴きどころ。

5.The Theme From Big Wave:
歌詞が英語だからか、やたらと軽んじられている感じがする傑作。《JODY》なんかよりずっといい。ここから次の曲は「夏だ、ビーチだ、達郎だ」つなぎ。

6.夏の陽:
『OPUS』未収録。そりゃそうで完成度もイマイチな曲だが、『CIRCUS TOWN』から一曲と考えるとこれ。やたらと艶っぽく、張り詰めた若き達郎氏の「原石ボーカル」がひたすら素晴らしい。

7.GOD ONLY KNOWS(LIVE):
最後は意表をついてライブで締め。「日本人が歯を食いしばって頑張って、そして咀嚼してきた洋楽」の最高峰。この曲のボーカルは、カバーでありながらカバーを超えている。超えることが出来た理由は、神のみぞ知る。

※ボーナスシングル(蔵出しライブバージョン)

【side A】
Let's Dance Baby:
80年頃、FM東京『マクセル・ユア・ポップス』だ流れたバージョン(葉山マリーナ?)。お約束のクラッカーの後に達郎氏が爆笑して「ほんと、みんなよくやるよ」と言っている。

【side B】
MY SUGAR BABE:
「sings SUGAR BABEコンサート」時の弾き語りバージョン。たしか「皆さん、格好良く年を取りましょう」というドラマチックなMCがあったと記憶する。そのときの録音で。



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20120825/FMヨコハマ『GOLD HITS』~「聴いたことのないヒット曲」の快感。

久々に気楽な話題でもひとつ。最近のワタシのラジオ・エアチェックリストです。「関東地区でもっともラジオを聴いているオヤジ」の一人、かも知れません。

『ビートゴーズオン』『オトナのJAZZ TIME』『全米トップ40 THE 80'S』(ラジオ日本)、『菊地成孔の粋な夜電波』『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』(TBS)、『キユーピー・ハート・オブ・サンデー』『山下達郎のサンデーソングブック』(TFM)、『ミュージックプラザ(月・木)』(NHKFM)と。まぁこれくらい聴いていれば街中をうろうろするときのBGMには困りません。

その上、今回やたらと強力な番組を発見したのですよ。FMヨコハマ『GOLD HITS』。

『GOLD HITS』(MON-WED 深夜 2:00~5:00 THU 深夜 2:30~5:00)

FMヨコハマが平日深夜にお送りするミッドナイト・ノンストップ・ミュージックゾーン。曜日別に選曲をカテゴリー分けして、音楽の波をたっぷりお楽しみ頂きます。月曜日と木曜日は1960年代から90年代の洋楽ヒットチャートからセレクト。火曜日はHouse,Electro,Dubstep,Drum'n'bass,Trance,Technoなど、現在の世界の音楽シーンの中心になりつつあるダンスミュージック。水曜日は2000年以降の洋楽及び邦楽の隠れた名曲からヒット曲までON AIR!音楽好きの方はぜひチェックを!!

当然、火曜と水曜は無視、『ミュージックプラザ(月・木)』(NHKFM)と同様、月曜・木曜(の深夜)狙い。上記リンクの選曲リスト(月・木に限って)を見てください。びっくりするぐらいに無思想のオールディーズ垂れ流し選曲となっています。その上DJもいません。

「こんな番組、待ってました!」

要するに、オールディーズのコンピレーションCDを百枚ぐらいランダム演奏しているような番組。こういう番組があればいいなとずっと思っていました。

「じゃあ、オールディーズのコンピレーションCDを百枚、買って聴けばいいじゃないか」というツッコミもありそうですが、それは違うのです。

知らない曲、忌野風に言えば「聴いたことのないヒット曲」を聴くことの快感。これがラジオ音楽番組を聴く歓びなのです。何万曲をiPodに入れたとしても、自分が購入し一度でも聴いた曲であれば、その曲からは「聴いたこともないヒット曲」の快感がもう二度と発生することがない。

たとえばそうですね、ニール・セダカ《LAUGHTER IN THE RAIN》とか。これは残念ながら(?)曲名まで覚えてしまいましたが、これくらいのクラスの曲をラジオで、曲名を知らずに、「いい曲だなぁ」と思いながら聴くのが良いのです。


思えば20代のころは、音楽に対してやたらと濃密な関係を築いていたと思います。一生懸命レコードも集めて、「聴いたこと『がある』ヒット曲」の数を積み重ねようとしていました。

これからは「聴いたことのないヒット曲」をいくつ積み重ねることができるか、それが豊かな音楽生活の尺度だと感じはじめています。

だからこのヨコハマからの深夜の電波を丹念に録音するのです。



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20120819/WBC不参加という「節度」を発動しよう。

上手く表現できないのだが、何というか、世の中がこれだけ節電に励んでいる昨今、野球ファンもそろそろある節度をわきまえなければいけないと思うのだ。

そもそも、野球ファンなら世界大会を観たいのは当たり前だと思う。規模こそ違え、ワールドカップのような世界と世界のぶつかり合いが楽しくないわけがない。ただしそれに至る経緯に問題があれば、節度を発動するべきだ。

私は選手会の全面的な支持者ではない。今年初頭に判明した巨人軍の契約金問題で選手を守るためか口をつぐんだ選手会の姿勢には強い疑問を感じる(「選手の利益代表」以上の存在感が求められるだろう)。

ただ、 ここに書かれている、選手会によるWBCの問題点の指摘はよく分かる。簡単に言えば「アメリカによって日本球界がダシに使われている」ということだ。

やはりこういうことは良くないんじゃないか。そしてこういうアメリカの横暴さに憤るのであれば、節度を発動して、WBC不参加を支持するべきでないのか。

どうも、一部の論客(評論家、解説者、ライター)の間に「野球ファンは(バカで節度なんてわきまえられなくて)WBCをどうしても観たいとだけ思っている」という観念がありそうだ。いや本人が「(バカで節度なんてわきまえられなくて)WBCをどうしても観たいとだけ思っている」のかも知れない。

だから「野球ファンが観たいのだからWBCに出るべき」という乱暴な意見が出てくる。目に余るほど出てくる。

MLBが最強選手を出してこないという事情も上乗せされていることもあり、「今の条件のままなら、今回はWBC不参加でいいんじゃないか」という野球ファンの声はかなり強いと思う。これは一部の論客には見えていない事実である。

いくぶん刺激的な書き方だが、敬愛するグリーンバーグ氏はこう書いた。 「日本の黄色い猿どもは、俺たちアメリカが大好きで、憧れて、文句言えねぇから、TPPもオスプレイも米軍基地も、最後には受け入れるさ。あ、WBCも!ハハハっ!」

そう、TPPやオスプレイや、今日も報じられていた米軍兵士の日本人レイプ事件とWBCを、まっすぐの並列で捉えることが出来る野球ファンもいるのだ。

繰り返すが、「野球ファンが観たいのだからWBCに出るべき」という意見は、「野球ファンはバカで難しいことなんて分からないから、とりあえずWBCに出ときゃいいじゃん」に聞こえる。

野球ファンをなめんなよ。ほんとに。



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20120805/続・歴史に残るボーカリストはなぜ広島から高確率に輩出されるのか。

いつか書いた 「20120528/『広島風ボーカル』の歴史的意義について」で提起した問題、吉田拓郎、矢沢永吉、浜田省吾、奥田民生など、歴史に残るボーカリストがなぜ広島から高確率で輩出されるかをしばらく考えていました。まだ結論には至らないものの、重要な共通項が浮かび上がってきたのです。

これは彼らの中でも特にビッグネームの吉田拓郎、矢沢永吉に特に顕著なのですが、(1)身長が高く男前、(2)能弁、(3)メジャー指向、(4)音楽を語らない、などの共通項。

いちばん重要なのが「(4)音楽を語らない」というポイント。これの意味するところは「自分が誰に影響されたか、自分の楽曲がどの曲を目指したか」などの種明かし・理論武装をしないということです。

人生についてひたすら熱く語っても(特に矢沢氏)、音楽について比較的クールな印象があります。もしくは「音楽について語る言葉を持っていない」のかも知れません。

という(1)~(4)、これらはすべて、東京のミュージシャンの対極となります。たとえば東京ロック界の権化、はっぴいえんど・ティンパン系がその極みなのですが、(1)身長が低くブサイク、(2)寡黙、(3)マイナー指向(メジャー指向もいるが吉田拓郎、矢沢永吉の比ではない)、(4)音楽については語りまくる(寡黙なクセに)など、見事な対称を見せます。

で、吉田拓郎、矢沢永吉にこのようなセンスが備わった背景には何があるのか、それは毛利元就から続く県民性なのか、原子爆弾なのか、もしくは東京からの距離感なのか、まぁいろいろとあるでしょう。

それはともかく、何度も書いてきたように、東京偏重のロック史観からの脱却が必要で、さらに言えば、吉田拓郎、矢沢永吉、浜田省吾、奥田民生と続く、広島ロックの歴史こそが日本ロックの正史だと言っても過言ではない気がします。

あと、「音楽を語らない」ことが重要だとも思います。ワタシはミュージシャンへのインタビュー雑誌が嫌いで、というのは、聞かれたら音楽家は語りますよ、「自分が誰に影響されたか、自分の楽曲がどの曲を目指したか」をとうとうと。

でもそれは多分に理屈で、言い訳で、何が言いたいかというと、ポップスは曲こそがすべて。言葉を添えてはいけないでしょう。その意味からも、理屈と言い訳に溢れた東京偏重のロック史観を、広島の方角にキュっと整体しなければいけないとも思うのです。

さらに研究を重ねるとして、最後に思わせぶりに追記すれば、日本ロック史の最大のキーマン、桑田佳祐は、東京ロックと広島ロックの両方を受け継いだと思っています。



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20120729/ポールの生歌・生演奏に見た大英帝国最後の威厳。

ロンドン五輪の開会式が予想以上に良かった。演出を手がけたダニー・ボイルも、音楽監督のアンダーワールドもよく知らないけれど、いい形の協働が出来ていたのでしょう。

とりわけ映像パートが素晴らしく、セックス・ピストルズ《ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン》(!)やクラッシュ《ロンドン・コーリング》を使いながら、イギリスの様々な風景をバード・ヴュー(ビートルズ《フリー・アズ・ア・バード》のPVを彷彿)でぐんぐん進んでいく、冒頭の映像や、次の女王陛下/ジェームス・ボンドの映像はもう空前絶後。

そして圧巻だったのが、エンディング、ポール・マッカートニーのコーナー。


これは北京五輪のエンディング、次回のロンドンからの使者としてジミー・ペイジが登場したシーン。よく観て、聴いてみて下さい。このギターは明らかに事前録音。つまりカラオケ。なぜなら(長らくのファンとして断言しますが)ジミー・ペイジはこんなに正確なギターを弾く人ではない。

ショーの演出として、カラオケのほうが楽ちんなことは言うまでもありません。生演奏だと走ったりモタついたりして演奏時間が前後する可能性がありますが、カラオケだと時間が事前に正確に計算できるので構成がしやすい。

余談ですが、紅白歌合戦がいつのまにか全曲がカラオケになりました(たぶん)。昔の生演奏時代はよく、前半が時間が押してしまって、後半の曲がやたらと焦ったアレグロの演奏になっていたことを思い出します。

さて、ポール・マッカートニー。これが何と生歌・生演奏。それも、ポールのボーカル&ピアノに加えて、ギター、ベース、ドラム、加えて、画面の奥にいたスキンヘッドがよく分からなかったけれどたぶんシンセ。つまりたった5人という、非常に質素な、いや、このような、世界に向けて音楽を生演奏するというシビれる場面で5人とは……ちょっと衝撃的な質素さです。

アビー・ロードのB面ラスト(つまりビートルズのラスト曲でもある)の《ジ・エンド》のエンディングをヴァースとして、ポールの紹介があり、《ヘイ・ジュード》に突入。これも余談ながら、《ジ・エンド》冒頭の、ポールが叩くピアノのAのコードのしょぼい響きが、生演奏であることを示していました。

《ヘイ・ジュード》の冒頭では謎の機材トラブルがあるも、それを乗り越え、全く老けを感じさせないポールのボーカルは最高音である「上の上のF」をシャウト、スキンヘッドのシンセがどうも調子が悪かったようですが(エンディングまで殆ど鳴っていなかった)、最後は例のコーラスで大団円。繰り返しますが、演奏者たった5人、シンセを抜けばたった4人の、ザ・ポール・マッカートニーズ・質素編成・クラブバンド!

開会式の底辺に流れていたのは「大英帝国・ザ・グレイテスト」というコンセプトでしょう。産業革命、帝国主義、幾多の戦争という歴史を持ち出して、ある種時代錯誤なこのコンセプトを表現する。ただしその帰着は、悲劇的で喜劇的な結論につながります。

「1948年、前回のロンドン五輪から現在の間、一気に老体化した大英帝国の威厳を世界的に誇示できるグレイテストな輸出物は、ビートルズを核とするロックンロール産業しかなかった」ということに。

ほとんど丸腰の質素編成バンドで世界に向けて生演奏を発信したポール・マッカートニーは、言ってみればキャバーン・クラブ時代から数万回繰り返したその生演奏能力で大英帝国の最後の威厳を誇示したと考えることが出来るのです。

―――と、こういう「ええ話」で終えようとしたのですが、今朝、衝撃的な事実を発見。

英国色を前面に出したセレモニーの最後に真打ち登場。「ジ・エンド」から「ヘイ・ジュード」につないだポールだったが、実は演奏直前に機材トラブルが発生。事前録音の音源が流れない状況だったが、顔色ひとつ変えず生演奏に切り替え、歌詞のメッセージを選手たちに伝えた。

歌い終えたポールは、ツイッターで感想を披露。「五輪が始まったよ。楽しんでくれたかな?」とつぶやくと、トラブルに触れ「問題はあったけど、僕らは決めたんだよ。生、生、生でいくってね」。最後には「女王陛下があんなに優れたパラシュート乗りだったなんて信じられないね」と英国ジョークをかましている(2012/7/29 スポーツ報知)

なんだと!?やっぱ、事前録音してたんじゃん!

ただ、明らかにボーカルや楽器のマイクはオンになっていたから、これはカラオケ口パクではなく、カラオケに生演奏を重ねるという算段だったのでしょう。

しかしトラブルがあって、カラオケは流れず、「生、生、生」で行くことでポールは大英ロックンロール帝国の威厳を示すことが出来たという結果オーライ。こりゃ、このトラブル自体がロックの神様による天からの配剤だな。

あ、「女王陛下があんなに優れたパラシュート乗りだったなんて信じられないね」は、ビートルズの本当のラスト曲《ハー・マジェスティ》の中、「女王陛下はイカした女」へのアンサーです。



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20120722/中村紀洋へのささやかなシンパシー。

さる7月20日の夜は京セラドーム大阪にいた。そして久々に球宴に選ばれた横浜DeNA中村紀洋のホームランを観た。ただそれだけのことだ。

思えば、2001年、「9.11同時多発テロ」の沈む空気の中で大阪近鉄バファローズは劇的な優勝をし、その立役者が彼だった(余談だが「9.11」のその日、ワタシはアメリカにいた)。

奔放な態度やプレースタイルに非常に共感するものを感じた。同時に、イチローや松井秀喜など、どちらかと言えば優等生的なキャラクターが目立つ中、中村が日本球界にのさばることはバランス的にも好ましいと思っていた。

ただ、そこからは幾分度が過ぎたように語られることとなった。ヒッチする独特なフォームは変えないまでも、法外な年俸を手にし、そして近鉄球団が瓦解に向かってフラフラふらつく中、「中村紀バッシング」が始まる。

バッシングの対象となった主たるキッカケは「金髪・モヒカン問題」である。ただこの話も、事情を整理すると単なる「度が過ぎたような行動」とは異なる、なんというか「痛快」な要素が潜んでいる。

2002年の中村FA時、候補として巨人が浮上したときに、ナベツネ氏が「モヒカン、金髪は大巨人軍のカラーに合わない。子供が真似したらどうする」「巨人に来るのなら、髪を黒く染めろ」と吠えたというのだ。そしてその翌日、中村の髪の色は派手派手しく金色に染まっていたという顛末。

まぁ大人げないといえばそれまでだが、逆に言えば「公的にナベツネを批判した数少ない現役選手」だったと言えなくはない。

一事が万事である。メジャーとの軋轢についても「反骨精神」のような立派な「思想」があるわけではなく、中村の、ちょっと大人げなく、調子に乗る傾向が話をややこしくしていて、事の本質は、中村が純粋すぎるということに尽きるような気がするのだ。

そのあおりを受けて、素行が疑われたのであろう。日本球界での相当な苦労があった上で、今回の京セラドームのホームランに至る。

さて、ワタシがここで言いたいのは「度が過ぎる」「大人げない」「調子に乗る」「素行が疑われる」でも「痛快」で「純粋」というのは、一部の大阪人のデフォルトのキャラである。さらに言えば、多くの大阪人が一様にシンパシーを感じるキャラでもある。

さらにさらに突っ込んだ話をすれば、全国的にそのようなキャラで想起される大阪人は清原和博なのだが、清原は首尾良く巨人に入って「泥水を飲む覚悟で…」なんてことを話して球団に好かれようとしていた。

この一点において清原と中村は大きく異なる。PL学園という野球私立高校からのエリートと、渋谷高校という、ワタシもよく知らない府立高校からの叩き上げの違いではないかと考える。

京セラドームのホームランを、(関東人が被せたであろう)つまらないヴェールを外して、中村という一選手を冷静に捉えるキッカケにするべきではないだろうか。特に、中村の「痛快」性と「純粋」性が理解できる大阪人、それも府立高校出身の野球ファンから。

以上、大阪府立清水谷高校出身者として、同志に提案させていただきます。



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20120714/21世紀のロックンロール批評入門。

ちょっと妙な本を読んでいる。小谷野敦(こやの・とん)という人の『21世紀の落語入門』。この人は某誌で「喫煙擁護論」みたいな立場で語っていて、苦手なタイプの人だなぁと思っていたのだが、この本の中にちょっと共感する考え方が呈示されている。

「近ごろ多い、落語を聴くなら寄席に行け、落語会へ行け、といった、現物を見なければいけない、という言説への大いなる疑問がある」(11ページ「序言」より)。

この人は、むやみに現場に行くよりも、まずは昔の名人の音源を聴く方がいいと主張しているのである。ここ、とってもよく分かる。いや落語ではなく音楽に置き換えて、ワタシはこのポイントを「分かる」と感じるのである。

コンサートに行きゃいいというものではないと思う。それに(この記事ではここからを問題にしたいのだが)、せっかく行ったのならもっと多様な意見を戦わせるべきだと思うのだ。

「今回のコンサートは実につまらなかった、最悪だった」という感想を耳にすることがないのはなぜか。高い金を払って行ったのだから「満足した」という自己暗示をかけたい気持ちはよく分かる。ただそのような一般人だけでなく、チケットを融通してもらったはずで、かつ冷静な意見を言うべき評論家でさえ、そのような感想を書くことがめったにないのはなぜなのだろう。

落語評論家という人種はよく知らないが、「林家三平(旧いっ平)の落語は聴くに耐えない」という意見を何回か文字で目にしているので、まだマシなのではないか。それどころか映画界などはそうとう健康的な意見交換が行われていると思う。

あと、感心するのはグルメの世界。ワタシの知人などを見ていても、美味しい店探しにどん欲だし、また批評眼も持っている。味盲のワタシにしてみれば知人がみんなとても優秀な「グルメ評論家」に見える。

やはり味覚という肉体的なジャンルでは、自らの感覚を研ぎ澄ませれば正しい批評眼が成長していくのだろう―――いや、待てよ、音楽もかなり「肉体的」なジャンルではないか!

昨夜の『ミュージックステーション』で観た、再結成プリンセスプリンセスの奥居香のボーカルが耐え難くテレビを消した。ただ、このことがあまり話題になっていないようなので、上のようなことを考えた次第。

音楽というジャンルでも、もっと肉体的・直感的な批評があるべきではないか。一応、このサイトや売文活動で過去に書いた批判的コメントをまとめておけば……

・桑田佳祐がシングルで発表する曲は5分で書いたような安易さ。
・山下達郎はここ数年、作曲能力がかなり落ちてきている。
・松任谷由実はさすがにもう歌わない方がいい。
・ユニコーンの再結成アルバムはやはりつまらなかった。
・和田アキ子は声量も音程も全盛期の半分以下の実力。

逆に、こんなホメ言葉も。

・木村カエラの声、特に低音の魅力は圧倒的。
・ベッキー♪#の《好きだから》はユーミン全盛期に匹敵する名曲。
・世界に出して恥ずかしくない日本のバンドは憂歌団。
・今、日本で最も歌が上手い歌手は、夏川りみ。
・お笑い界では友近やタカ(&トシ)のボーカル、フットボールアワー後藤のギターがいい。特に友近にはちあきなおみ《喝采》をカバーしてほしい。

「顧客はボスである」。音楽なんて、いやエンターテイメントというものは、金を払う受け手のほうがエライ。いや、実際は作り手を尊敬しつつも、そういう風に思いながら、自らの肉体的な判断を信じて、もっと色々とあけすけに語ろう。

現在の、桑田佳祐のシングルや山下達郎の作曲、ユーミンのボーカルを愛している人がいても良し。そういう人と意見を戦わせるのもまた楽し―――以上、スージー鈴木の『21世紀のロックンロール批評入門』。



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20120707/増田英彦はなぜスージー鈴木の心を惹きつけるのか。

あっ、増田英彦はますだおかだの「ますだ」氏のことです。そして、タイトルは この本からいただきました。標題のことについて、我ながら理由が分からず長い間脳内放置していたのですが、この度、すこし整理がついたのでここに書いておこうと思います。

昔、山下達郎が言っていた印象的な言葉。「ポップスにエクスキューズ(言い訳)はあってはいけない」。つまり、理屈や説明、言い訳が必要な音楽はポップスとして完成度が低いということでしょう。

ワタシはこれ、とってもよく分かるし、共感するのです。でワタシは、増田英彦氏についても、「エクスキューズのない人」という印象が強いのです。

ただ、ここでいう「エクスキューズ」は達郎氏のポップス論におけるそれとはちょっと違っていて、「俺はお笑いやっているけど、それだけじゃなくって、これだけ知的に分析しながらお笑いを作っているし、それにお笑い以外にもこれだけ知的なんだぜ」ということを言わない人、という意味です。

対極に太田光を置けば分かりやすいと思います。ちょっと斜めにずれますが、水道橋博士も置いてみましょうか。それでも分かりにくければ、増田の横にタカアンドトシのタカや三宅裕司を置いて比べてみればいい。

さらには、小説を書いたり、映画監督をやりたがる芸人を太田、水道橋の後ろに置けば完璧な対称図が完成します。要するにプリミティブにお笑いだけを追求する増田(タカ、三宅裕司)とそれ以外という構図。

いや、「理屈」や「分析」、「評論」を否定するわけではないですよ。むしろそれだけが趣味のワタシですから。ただ、ここで言いたいことは、ポップスと野球と、そしてお笑いの作り手は「ノー・エクスキューズ」であってほしいということです。

少し「ええ話」をしちゃいますが、市井の人々は仕事で「エクスキューズ」なんて出来ないのですよ。ただひたすらに現実と格闘しています。結果を出せなきゃそれで終わりなのです。

だからワタシは、理屈や知性に「逃げずに」(とあえて書きます)、増田やタカ、三宅裕司のように、市井の人々と同じシビアさで、決して理屈をこねずにただひたすら、健気にお笑いだけを追求する姿勢を尊ぶのです。

あっ、言うまでもなく、日本ロック界最高の「ノー・エクスキューズ・シンガー」は沢田研二です。



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20120701/「サウンド・イン・サム」が閉店した大阪の夜。

この週末、大阪に行って参りました。京セラドームでオリックス対千葉ロッテのしょっぱい引き分け試合を観て、その後、繰りだそうと思ったのです。

―――「サウンド・イン・サム」に。

そこは北新地の名店。じゅんとネネのマネージャーをしていた、ザ・ゴールデンカップスのメンバーだった、原田伸郎のラジオ番組の放送作家だった、という真偽不明の経歴を持つ「サム」さんが一人で経営しているバーで、売り物は(もともと狭い店の中に)ところ狭しと並んでいるカセットテープ群。

レコードから、テレビから、ラジオから、サムさんが録音し、編集した膨大な歌謡曲のカセットテープ。昭和40~50年代の歌謡曲なら、かなりマニアックな音源のリクエストであっても見事に応えてくれる。それを水割りを飲みながらひたすら聴く店。

CDの時代になって、過去の音源が一気にデジタル化し、昭和40~50年代の歌謡曲に妙に詳しい若者がたくさん増えた時期がありました。それを煙たがるような狭量な感性はワタシにはありません。むしろ、沢田研二の話が出来る若者と出会ったときの楽しさを愛します。

ただ、iTunesでダウンロードしてiPodで当時の歌謡曲を聴くのではなく、東大阪市小阪駅前のレコード屋でシングル盤を買って、それをTDKのカセットテープ「AD」にシコシコと録音していた世代は、それぞれの音源に対するコミットの度合いが違うのです。

その曲に対する当時のみずみずしい思い入れが、時の経過とともに赤サビに変わり、そしてそれが年に数回、新地の閉鎖的空間の中でツンとある悪臭とともに溢れる場所、「サウンド・イン・サム」。

まぁ、最近の歌謡曲耳年増な「若者」とワタシの関係は、サムさんとワタシの関係と同様。1966年生まれのワタシは、そのディープ歌謡曲ワールドの中では生涯ペーペーなのですが。

さて。京セラドームの前で電話をして、番号が使われていないことを確認。スマホで「サウンド・イン・サム」を検索すると、このさとなお氏のサイト 「あの幻の名店『サウンド・イン・サム』が閉店…」 が出てきたときのショックたるや。

上記のサイトの中で、さとなお氏は、ちあきなおみ《夜間飛行》のフランス人機内放送付きバージョン(!)を、この店を代表する曲として書いてらっしゃいます。

ワタシはですね、岡崎友紀《風に乗って》なのです。1973年にTBSテレビで放映されていた『ラブ・ラブ・ライバル』の主題歌。ピチカート・ファイヴの30年先を行く渋谷系なメロディ。それも『ラブ・ラブ・ライバル』のテレビ番組を録音したもので、冒頭に岡崎友紀のセリフが入っているという珍品。1992年に初めてこの店を訪れて、この曲を聴いたときの感動は忘れることは出来ません。

そしてあれから20年……最後にさとなお氏にならって、ワタシも「サウンド・イン・サム」でよく聴いた&歌った曲を並べてみたいと思います(金井夕子がダブってますね、不滅の尾崎亜美メロディ)

・岡崎友紀《風に乗って》
・岡崎友紀《おくさまは18歳》
・YUKI《ドゥ・ユー・リメンバー・ミー》
・ゴールデンカップス《銀色のグラス》
・沢田研二《君をのせて》
・モップス《たどりついたらいつも雨降り》
・金井夕子《パステル・ラヴ》
・キャンディーズ《夏が来た》
・郷ひろみ《恋の弱味》
・島倉千代子《愛のさざなみ》
・甲斐バンド《氷のくちびる》→《ホテル・カリフォルニア》との聴き比べ

さぁ、これからは来阪(帰阪)したとき、夜はどこに繰り出しましょうか。

君のこころ ふさぐ時には
粋な粋な歌をうたい
ああ 君をのせて 夜の海を
渡る舟になろう

《君をのせて》 作詞:岩谷時子 作曲:宮川泰



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