20130331/TBS『終電バイバイ』が世間から黙殺されるのであれば。

青春時代にやっておかなければいけないことのひとつに、夜明けすぐ、もう二度と会わないであろう友人たちと、「また会おう」と言って解散することがあると思う。

ワタシにもいちどあった。1989年春、大学時代に手伝っていたFM東京「東京ラジカル・ミステリー・ナイト」の最終回生放送終了後、夜明けの半蔵門で仲間と別れを告げあったときの、あの切なくて、そしてべらぼうに美しい光景は忘れることができない。みんな元気にしているのだろうか。

TBSの深夜ドラマ『終電バイバイ』のことを書いておこうと思う。残念ながらほとんど話題になっていないようなのだが、最終回「東京駅」が素晴らしく、そして、「学生たちの二度と会わないかも知れない解散」を上手に描いていたことに感動したので。

以下、 公式サイト から長めの抜粋。

深夜、東京駅前広場。改装なった東京駅を背景に、缶蹴りに興じるスーツ姿の若者5人の姿があった。彼らは数時間前、とある会社の入社最終面接で出会い、一緒に共同製作をすることになった5人だった。その後、共同製作したオブジェを持ち帰り、反省会を兼ねた飲み会の流れで、各自終電を逃してしまった。仕方なく、オブジェに着いていた缶を「有効利用」しようと、真夜中の東京駅前で缶蹴りをすることになったのだ。

共同製作中に美大出身ながら建設的な意見を言えなかった鈴木(濱田岳)、仕切り役になった川口(柿澤勇人)、就職浪人である大森(高橋周平)、口数の少ない女子・上野(岸井ゆきの)、逆に女子ながら積極的な姿勢を見せる田端(谷村美月)。異なる地元から集まった5人が、東京駅前で缶蹴りをしていた。それぞれが昼間の共同製作のときとは違う表情で、それぞれが様々な思いを抱えながら…

そのとき、5人全員の携帯にメールが入った。そのメールを見た5人は、入社面接がまだ続いていること、共同製作から深夜の缶蹴りという自分たちの行動が何者かに「誘導」されていたことに気付く。そして5人の中に、「試験官」がいることにも…その途端、鈴木はそれまでと同じように缶蹴りを楽しめなくなってしまった。鈴木は「試されると駄目な男」だったのだ。


|| 「予告動画」はこちら ||

ここからいろいろあって、東京駅丸の内口で「学生たちの二度と会わないかも知れない解散」が描かれる。就職活動で地方から集まった学生たちの永遠の別れ。それはもう切なく、美しく。

そもそも『終電バイバイ』の前身、バナナマン日村が主役を張った『イロドリヒムラ』が素晴らしく、その流れでこのドラマを観た。当たりはずれもあったが「南千住」「蒲田」の回あたりから軌道に乗りはじめ、最終回「東京駅」で極みに達する。

上に抜粋したあらすじ、企業の面接でオブジェを共同製作するという設定や、その後の真夜中の缶蹴りが実は面接の延長だった、という奇想天外な、でも妙にリアリティがあるストーリーはどうだろう。TBS月曜深夜から、ちょっとした革命が起きていると盛り上がるのはワタシぐらいのものだろうか。

そして、なんといっても濱田岳が抜群。

NHKの朝ドラ『純と愛』は、やたらとチグハグでギクチャクしたストーリーの果てに、主人公(夏菜)に、長台詞を用意し、すべてを文字で総括するというびっくりするような禁じ手を使って終わってしまった。それでも一定の視聴率と支持層があったと聞く。

『純と愛』が支持され、『終電バイバイ』が黙殺されるのであれば、そんなテレビ界なんかバイバイだ。



||リンク用URL||

20130324/日本プロ野球開幕、あけましておめでとうございます(click!)



||リンク用URL||

20130316/尾崎亜美を聴きながら1978年にタイムトリップ。

タイムトリップできるとすればどの時代に行くか。そりゃあ、大学紛争やニューシネマ、ニューロックで騒然とする中、若者がうなされるように生きていた1969年がまず浮かぶが、ちょっと疲れるかも知れない。また1980年以降は、自分の記憶も確かなので再度行きたいとも思わない。

1978年はどうだろう。70年代前半までの熱気が収まり、かつ「軽薄短小」の80年代のあいだのエアポケットのような時代。男性は長髪だけれども、きれいに整えている。女性はハマトラ、ニュートラあたりか(あまり詳しくない)。

1978年の3月にタイムトリップして、青山あたりを散策するとしよう。そのときBGMで流れていてほしいのは、この曲だ。



尾崎亜美の傑作中の傑作。それにしてもプロモーション・ビデオ(フィルム?)があるとは知らなかった。南沙織がおそろしいほどに美しい。

「ザ・ニューミュージック」とでも言いたくなるような音だ。その音楽性のキーとなっているのはコード進行。こちらで「M7」と書かれているコードの多用。そう、メジャーセブンス。

タイトルは《春の予感 -I've been mellow-》。「メロウ」は当時の流行語。そしてメジャーセブンスの複雑な響きは、「メロウ」という感覚を表すのに実にふさわしい。

さて、ここで研究したように、日本ポップスにおいてのメジャーセブンスの歴史は浅く、60年代後半あたりから、かまやつひろしや加藤和彦がおそるおそる使いはじめたもの。それが荒井由実の登場で一気に市民権を得て(《ベルベット・イースター》のサビの印象的なこと!)、そして、尾崎亜美のこの曲が決定打になったと思う。

同年の6月には、「スター誕生」出身の金井夕子という新人歌手に、尾崎亜美がこの曲を提供する。これも大傑作。サビの「♪(パステル・)ラヴ&(ブルー)」のコード、「B7(♭9)」のなんとおしゃれな響き。



要するに、ニューミュージックとは、荒井由実から尾崎亜美という、パフィーに先駆けた「アミ・ユミ」によって形作られたものであり、また「M7」や「7(♭9)」のような複雑なコードであり、「メロウ」という感覚であり、そしてその最高峰が《春の予感》だということ。

1978年の3月の青山通りはまだちょっと寒くて、青山学院では、すでにスターダムに登りつめた原田真二と、デビュー間近の桑田佳祐がたむろしている。4月に行われるキャンディーズ解散コンサートの話題でもちきり。そんな時代の空気の中で尾崎亜美が書いた傑作の数々。

スタジアム・ジャンパーの襟を立てて、耳にかかった長髪を指で撫でながら、こう言ってみたい―――「なんだかとっても、メロウじゃん!」



||リンク用URL||

20130310/さいきん読んだ本と、あれから2年。

まずは手抜きでスイマセン、さいきん読んだ本のリンク。



そして、あれから2年。あのときは、ほんとうに焦りながら、微力ながら、いろんなことを訴えていました。









||リンク用URL||

20130303/いま時代には、『パッチギ!』が足りない。

ワタシは東大阪というところに生まれ育ったので、在日朝鮮人問題というものを皮膚感覚で知っている。いや、この言葉は変だ。「問題」という「概念」はよく知らないが、在日朝鮮人という「ヒト」については、皮膚感覚でよくよく知っているつもりだ。

さて、いままでいちばん感動した映画は何かと聞かれたら、『パッチギ!』だと答える。こんな回答をするのはワタシだけだと思っていたら、野球評論家の小関順二氏もそう答えたのでビックリしたことがある。



この映画には、強烈な台詞がいくつか埋め込まれている。代表的なのは、放送禁止だった『イムジン河』のオンエアを上層部から止められたときに、大友康平演じるラジオ番組のディレクターが叫ぶ台詞、「世の中に歌っちゃいけない歌なんてねぇんだよ!」。

しかし、いちばん強烈だったのは、ココにも書いた、在日朝鮮人の長老が発するこの台詞だ。

「お前、生駒トンネル作ったんは誰か知ってるんか?」

生駒トンネルは東大阪と奈良を貫くトンネル。少年時代に近鉄電車で、なんどもなんども通ったところ。繰り返すが、そういう環境の中で、在日朝鮮人という生身の「ヒト」たちといっしょに生きてきた。

確かに、差別やいがみあいなど、それはもう飽きるほどあった。白状すれば、ワタシ自身がそれらに加担したこともあったし、逆に脅されたこともある。そういう風土、そういう時代だったということだ。いまさら否定も肯定もしない。

ただ、それでも、生身の彼らと同じ空気を吸って、学び、遊び、暮らしていた。70~80年代の東大阪という殺風景な街並みの中で、彼らとワタシが、独特な距離感を置いてはいたものの、でも確かにいっしょに生きていたのだ。

いま、起きている問題を見ていて感じるのは、あのような行動に加担している人たちは、「在日」を生身の「ヒト」ではなく、メディアとネットを通してしか知らない、言わば「概念」として見ているのではないかということだ。

そうでなければ、「良い韓国人も悪い韓国人もみな殺せ!」のような言説を振り回すことなどできないだろう。

いま時代に足りないのは、『パッチギ!』である。松山康介(塩谷瞬)がリ・キョンジャ(沢尻エリカ)に会いに行くように。松山が、長老(笹野高史)の生駒トンネルの話に耳を傾けるように。「ヒト」と「ヒト」として、触れ合い、語りあい、分かりあうことだ。

日本でもあのような動きがあり、韓国にもあると聞く。そういう動きを知りながらも、冷静な大多数の人たちが、翻弄されず、超然として、触れ合い、語りあい、分かりあう。そのときこの国は『パッチギ!』を、はじめてきちんと総括することとなる。

―――「僕らは笑顔で歴史を塗り替える」(ユニコーン《車も電話もないけれど》)



||リンク用URL||

20130224/さいきん注目している10のテレビ番組。

第1位:フジテレビ「最高の離婚」
つねづね思うのは、コメディを演じるときに求められるのは演技力よりも運動神経だということ。会話や動きの的確なテンポ感こそが笑いには重要で、尾野真千子の運動神経こそがこのドラマを引っ張っていると感じる。真木よう子の鬼気迫る演技や台本の作りもさることながら、尾野が、山口智子、財前直見の後継であることを確認するドラマ。

第2位:TBS「終電バイバイ」
掘り出し物。同時間帯前作「イロドリヒムラ」が圧倒的だったので(特に、劇的に奇天烈な「日村大岩」の回が忘れられない)、期待薄だったが、濱田岳というタレントの発掘、そして彼にペーソスを演じさせるという企画が正しかった。次回(明日)の溝ノ口の回など、楽しみでしょうがない。細かなことをいうが、音楽(遊助)はない。そういうことじゃないのですよ。

第3位:BSジャパン「空から日本を見てみよう+」
安定した高品質。「大人も子供も楽しめる」とはよく聞くフレーズだが、こんなに正しく、それを体現している番組はないだろう。

第4位:東京MX「ニッポン・ダンディ」(水曜日)
いつも怒っている岩上安身の「怒り芸」を堪能する。懐かしのTBSラジオ「アクセス」(あの頃の小島慶子は良かった)における田中康夫の「怒り芸」の後継とも言え、田中同様、岩上もテンションが上がれば上がるほど面白くなる。なお、下記「5時に夢中~」も含め、町亞聖が、玉袋、岩上などの野獣を一生懸命フォローしていく姿がキュート。

第5位:TBS「とんび」
番組全体が「昭和のテレビドラマ」のパロディになっている感じ。内野聖陽は「昭和のオヤジ」を、「昭和のドラマ」の中にいる「昭和のオヤジ」のように濃厚に演じきっている。それだけだとかなりギリギリなのだが、柄本明や麻生祐未(数回前の、別れた子供に対する演技の秀逸さ)の抑えた演技でバランスを取る。佐藤健と福山雅治(音楽)のアミューズ・コンビがやや軽くて、「昭和」と不釣り合いか。

第6位:NHK「書店員ミチルの身の上話」
髪の毛を切った戸田恵梨香を堪能するドラマ。映画「阪急電車」あたりから、心に何か重いものを抱えた女子がハマリ役になっている気配。言葉は悪いが、病的な痩せぎすさも奏功し、やたらと貧相な女子役を見事に演じている。「2010年代の工藤静香」のポジション。

第7位:NHK BS「西方笑土」
「踊るカマドウマの夜」 がハズレ。若手の漫才を愉しむ「トップギアライブ」 もいいが、それ以上に「上方漫才師列伝」 の回がよい。ザ・ぼんちや、酒井くにお・とおるの回を観たが、彼らが爪を研いでいた70年代の上方演芸界の臭気が立ちこめる感じがする構成がよい。

第8位:東京MX「5時に夢中サタデー!」
土曜日の朝11時~、MXで放映されている、ライムスター宇多丸と玉袋筋太郎のニュース解説(?)番組。玉袋の「うまいことを言う」才能を確かめる番組で、「ジョージ・ルーカスが25歳下のスタバ取締役女性と婚約」のニュースに対して「山田洋次がアパホテル社長と結婚するようなもんか?」や、米兵が漫画喫茶で全裸・放尿の記事に対して「これがほんとの米軍のオス(♂)プレイ」などの傑作を残している。

第9位:NHK教育「歴史にドキリ」
中村獅童が歴史上の人物にコスプレし、その人物の人となりを紹介する番組なのだが、中村のとぼけた演技と踊り、そしてヒャダインによるパロディ音楽がやたらと面白い。中村が冒頭に「こんにちは(渋沢栄一)です」(カッコ内可変)という瞬間の味わいに注目されたし。

第10位:NHK BS「笑う洋楽展」
みうらじゅんと安斎肇が、過去の洋楽のプロモーション・ビデオ(PV)を観て突っ込むだけの番組。それでも番組が成立するのが、主に60年代のPVの内容が、音楽×映像の組合せ作法が確立せずにとっちらかっているから。それにしても、みうらじゅんの「あげつらい芸」は完成されている。



||リンク用URL||

20130217/矢野顕子、清志郎に向けて、清志郎を歌う。

今年に入っていちばんの音源はこのアルバムに収められている、ザ・タイマーズ《デイ・ドリーム・ビリーバー》のカバー。矢野顕子は、その独特の粘着的な節回しやピアノがやや苦手なのだが、このカバーについては文句なし。

じっと耳を澄ませていると、「彼女」が「アイツ」、つまり「清志郎」に、そして、「クイーン」が「ロックンロール・キング」に聞こえてくる。

つまり、恋人との別れの歌が、清志郎との永遠の別れのように聞こえてくる。いや、矢野顕子はあきらかにそう歌っている!

デイ・ドリーム・ビリーバー ~Day Dream Believer~

もう今は アイツはどこにもいない
朝はやく 目覚しがなっても
そういつも アイツとくらしてきたよ
ケンカしたり 仲直りしたり

ずっと夢を見て 安心してた
僕は Day Dream Believer そんで
アイツはキング

でもそれは 遠い遠い思い出
日がくれて テーブルにすわっても
Ah 今はアイツ 写真の中で
やさしい目で 僕に微笑む

ずっと夢を見て 幸せだったな
僕は Day Dream Believer そんで
アイツはキング

「ベイエリアから リバプールから
多摩蘭坂から
このアンテナが キャッチしたナンバー!」

ずっと夢を見て 安心してた
僕は Day Dream Believer そんで
アイツはキング

ずっと夢を見て いまもみてる
僕は Day Dream Believer そんで
アイツはキング

ずっと夢を見て 安心してた
僕は Day Dream Believer そんで
アイツはロックンロール・キング

ずっと夢見させてくれて ありがとう
僕は Day Dream Believer そんで
清志郎だけが 清志郎こそが ロックンロール・キング!



||リンク用URL||

20130212/ダウンタウンとブルーハーツのことは、しばらく忘れよう。

ダウンタウンとブルーハーツの話をしてうっとりとすることは、さすがに、もう控えたほうがいいのではないか。とりわけ我々40代のオヤジどもが。

この2組、具体的には、松本、浜田、ヒロト、マーシーの4人が「現人神」、つまり現役なのに神として特別にリスペクトされる状態になってからの年月が長すぎるのではないかと思ったのだ。

ここで「リスペクト」という言葉を使った。要するに今風の若者用語のニュアンスを出したかったからで、たけしもさんまもタモリも志村けんも「現役」で「神」なのだが、神として時代を作り、その神の治世が今でも続いているという意味では、やはり、松本、浜田、ヒロト、マーシーの4人は特別である。

80年代後半から90年代前半にピークを迎え、そこからなんと20年間も「現人神」でありつづけ、『SWITCH』や『QuickJapan』で特集される感じは何なのだろう。

やすしきよしのデビュー20年後は80年代半ばで、きよしが立候補するとか、やすしの奇行が目立つようになっていた時期。紳助竜介などは10年も持たず解散。そして、サザンの20年目はかなり退屈なタイアップ曲を量産していたあたり。

要するに、この松本、浜田、ヒロト、マーシーの20年間の治世は、途方もなく長い安定政権なのだ。そして、それがお笑いと音楽にとって、本当に豊かなことなのかと考えたのである。

もし、それが、新陳代謝を阻んでいるのであれば、その責任の一端は、80年代後半から90年代前半に青春時代を過ごした我々が、あまりに声高に、しつこく、そしてうっとりと彼らのことを語りつづけて、若い才能にフタをしたからかも知れない―――

音楽も、お笑いも、若い才能のほうが絶対的に素晴らしい。そういう前提があるべきなのだ。いや―――こんな話が嘘っぱちであることは重々分かっているのだが、すくなくとも―――そういう前提が是なんだというフリをして、たえず、もっと新しい笑いと、もっと新しい音に首を突っ込んでいくのが、大衆文化のオーディエンスの矜持だと思う。

そして、そういうオーディエンスが、あたらしい音楽とお笑いを育てていく。それが、音楽市場の混迷を超えていくための、そして新しい笑いのムーヴメントを生んでいくための、たったひとつの冴えた方法。

死ぬまでにもう1度ぐらいは、「♪僕 パンクロックが好きだ!」の感動に出会いたい、「『あっ評論家』の西中島南方先生です!」の衝撃に出会いたい。だとしたら、ダウンタウンと、ブルーハーツの話をしてうっとりとすることはもう止めよう。

と、久々に自分のサイトを読んで、この13年間(も書いてます)、ダウンタウンと、ブルーハーツの話ばかり書いていたことへの違和感と、『SWITCH』や『QuickJapan』のダウンタウン関連の号がそんなに面白くなかったことが、珍しく平日の夜にこういうことを書かせました。

最後に。何度か書いたけれど、松本人志が(10歳ほど上の)三宅裕司を「毒も華もない」と批判したコメントを放った、80年代後半の『月刊明星』をワタシは持っている(探せばどこかにある)。今の松本に対して「毒も華もない」と一蹴する若手芸人が出てきたとき、上に書いた計画は完遂する。



||リンク用URL||

20130209/ザ・タイガースの再結成は沢田研二の「普通性」のたまものだ。

ワタシは沢田研二が好きだ。好きすぎると言っていい。沢田研二のことを忘れたことは1日たりともない。どこが好きなのかと言われたら、その「普通感」だと答えたい。

尊大にならない。大言壮語しない。徒党を組まない。それでいて、あきらめたり弱音を吐いたりしない。粛々と歌いつづける。要するにその「普通の人」としての責任の取り方が好きなのである。

芸能界のスターとして長く生き続けてきたことから勘違いされがちなのだが、じっさい本人の「普通感」は非常に高い強度と純度を持つもので、そしてそれは、一度でもコンサートに行ってMCを聴いてみればよく分かるものだ。

今年の年末、ザ・タイガースのオリジナルメンバーが再結成するという。今回は加橋かつみ(トッポ)も加わった正真正銘の再結成である。ワタシはこのニュースがとても嬉しい。

「すべての再結成はゴミだ」と思うほど、音楽業界の再結成商売が大嫌いなワタシだが、今回は心から祝福する。なぜなら、沢田研二が何十年とこの再結成を待ち望んでいたことを知っているからだ。

沢田研二は、ザ・タイガースを解散したくなかったのではないか。京都の幼なじみとずっと音楽を続けたかったのではないか。ただ状況的に、自分がソロとなって歌わざるを得ないと判断したと思うのだ。「普通の人」としての責任を取り方とはそういうことだ。

そこからの、再結成に向けた途方もない時間。

1975年に発表された《いくつかの場面》。 4分20秒あたりからの「出来るなら もう一度 僕のまわりに集まって来て やさしく肩たたきあい 抱きしめて欲しい」の歌詞のところで、明らかに歌いながら泣いている(東京ドームの「ジュリー祭り」でもここで泣いていた)。



1982年には「ザ・タイガース同窓会」を行うが、この「同窓会」という言い回しには、慶応高校の教師となり、メンバーとの関係をいっさい断ったドラムの瞳みのる(ピー)がいないのだから決して再結成ではないという意志が込められている。

状況が動き出すのは、2008年。その瞳みのるに捧げた《Long Good-bye》をリリース。 「君は今は 東京の何処かで暮らしているんだ ほんとうに ほんとうに君のこと いつも いつも 気にかけている 永遠の今が続きならば 一度酒でも 飲まないか」

驚くのは、この曲を発表してから沢田は、瞳が通う居酒屋に足繁く通っていたというのだ。なんでも、偶然を装って瞳と再会することを目論んでのことだったらしい。

そして、瞳は一昨年の沢田研二のツアーに参加。そして沢田研二は、ついに加橋かつみにアプローチをはじめる。

「沢田さんは“やっぱりオリジナルメンバーでもう一度やりたい”と、改めて思ったそうです。それで、沢田さんは、勇気をふりしぼって、加橋さんに“会えないか?”とメールを送ったんです」

加橋は、ほかのメンバーからも説得され、沢田と会うことを了承。そして再会したふたりは、とことん話し合ったという。

「“自分がタイガースにいたせいで、不快な思いをさせて済まなかった。トッポに歩み寄る姿勢を見せなかった”と沢田さんがまず、頭を下げたそうです。それから沢田さんは、“皆が揃ってこそザ・タイガースなんだ。全員が揃ってザ・タイガースをやるのがオレの夢なんだ”と熱く語ったそうです。その思いに、これまで抱き続けたわだかまりが消え、加橋さんもついに心を開いたようです」

―――今回の再結成の深すぎる意味あいが分かっていただけるだろうか。そしてそれは、世の「再結成商売」とは根本的な部分がまったく異なる、「普通の人が普通に想いを遂げた再結成」であることも。

瞳みのる、岸部一徳、森本太郎が参加した一昨年のツアーでは、意外にも60年代洋楽カバーが良かった。《Mr. Moonlight》、《Do You Love Me》、《Time Is On My Side》。

「ストーンズの新しい曲、『タイム・イズなんとか』、聴いたか? MBSラジオで聴いたけど、あれええなぁ、沢田、歌えるか?」

なぜならそれは、おそろしく長い時間をバラバラに歩いてきたメンバーが、「京都の普通の音楽少年」に戻れる曲だからだ。



||リンク用URL||

20130202/体罰問題の本質は日本語力の欠如じゃないか。

スポーツ界の体罰問題の本質は、指導者が「指導する日本語力」を持っていないことだと思う。言葉で伝わらないから手を出す。スポーツ界に足りないのは「健全な体質」なんてふわっとしたものじゃなく、日本語力という具体的なスキルじゃないかなぁ。

―――と思うのです。推測するに、例の高校の体罰教師も、あの柔道代表の体罰監督も、そもそも暴力が好きというよりも、「勝ちたい」「強くなってほしい」という思いは強烈で、それが勢い余って暴力に至ったと思うのだ。

問題はここにあって、思いが強烈すぎて暴力になるというプロセスが動物的すぎるのである。もうここでハッキリさせたほうがいいと思うのは「スポーツにおいて教えるということは、言葉で伝えることだ」ということである。

当然、監督やコーチが目の前で実際にやってみせるという指導法もある。ただそれは2つの意味で問題がある。ひとつは、言語化されない視覚的情報は(おそらく)抽象的すぎて長期記憶になりにくいこと。

そしてもうひとつ(こちらのほうが大きい問題)は、年齢的・技術的問題などから、その選手に指導したい内容を自らがうまく「やってみせ」られる可能性はかなり低いということだ。

語れないし、やってもみせられない、だから暴力で、というプロセスに今回の事件の本質的原因があるのではないか。だとしたら事態の本質的な収拾に向けてやることはたったひとつしかない。

指導者の日本語力の強化。これだ。

ワタシたちは、スポーツ選手の指導において、優れた日本語力が画期的な役割を果たした事例をいくつでも知っている。

昭和43年9月6日、後楽園球場で東映-東京戦が行われた。その試合、右翼方向に凡打をくり返していた右打者・大杉勝男(東映)が延長11回、打席に入る前に飯島滋弥コーチがダグアウトからやってきた。

後楽園球場で時期は9月、時刻は夜10時前、左翼席上空に中秋の名月が仰角30度あたりにぽっかりと顔を出していた。 バットの先端がくるりと回転するように、わかりやすいように、具体的に、そして情緒豊かな、この球史に残る名言を飯島は大杉に耳打ちした―――「月に向かって打て」 ( このサイト からの引用)

逆に言えば、ここでいう「日本語力」は、このような事例に象徴される、要するに「選手にピンとくる言葉を選び納得させる表現力」である。

スポーツの指導者は優れた日本語力を持たなければいけない。そして今回の体罰・暴力問題もこの視点から解決されなければならない。「体質の浄化」などのよく分からないお題目ではなく。

そういえば、球界では「プロ・アマの雪解け」が報じられている。たいへんいいことだと思うが、元プロがアマ野球部の監督になるのに数日の講習だけでOKというのは乱暴だろう。

ワタシなら読書感想文を課す。それも100冊。アマの監督には少なくともそれくらいの読書経験が必要だ。それも提出すればいいというものではない。野村克也と小関順二と、不肖スージー鈴木先生が採点してやる。



||リンク用URL||

20130127/ここ数ヶ月の間に糸井嘉男についてつぶやいたこと。

移籍報道前。

2012年11月19日(月):青木に続きイチローもWBC欠場。確かに残念ですが、でもおかげで糸井嘉男や、千葉ロッテファンとしては角中勝也が、世界と戦う姿を拝める確率が上がったということをラッキーと思っている。私はそういう野球ファンです……

2012年12月09日(日):大谷翔平、日本ハム入団表明。一時期メジャー行きを希望したことへの批判を危惧していたようだが、大谷くん、我々パ・リーグ・ファンの中には、そんな●●の穴が小さい輩は殆どいないよ。3番(右)糸井、4番(左)中田、5番(投)大谷でどうだ。日本ハムへ、パ・リーグへ、日本プロ野球へようこそ!

移籍報道直後。

2013年01月23日(水) :まったく釣り合わないトレードの理由として、まさかとは思いますが、こういう仮説を立ててみました。「日ハムはポスト糸井を、大谷翔平が十分に担えると判断した」。もうひとつの仮説は、「オリックスのフロントは、糸井、坂口、T-岡田の三バカ外野陣による演芸的可能性が大阪での人気獲得に有効と判断した」。

2013年01月23日(水) :と、冗談めかして気持ちを落ち着けているが、私は今回のトレードを非常に残念に思っている。少しばかり怒りに近い心情すら感じている。当たり前のことを言っておくが、日ハムは決して糸井嘉男を放出してはいけなかった。なぜならば―――あいつを誰だと思ってるんだ?糸井嘉男だぞ。

2013年01月23日(水) :今日の糸井関連ネタでいちばん笑ったのはこれだな。
→「車がファンタで走った #糸井トレードの衝撃度を野球ファン以外にわかるよう表現してくれ」

2013年01月23日(水) :と、一日お騒がせしました日ハムの糸井嘉男という選手とは、こういうプレーをする人です。



移籍報道3日後。

2013年01月26日(土):糸井嘉男獲得を契機にオリックスの人気を一気に拡大する方法を考えた。本拠地をほっともっと神戸に戻す。糸井、坂口智隆、平野恵一による完全無欠の外野陣を天然芝の上でぴょんぴょん躍動させるのだ(この場合T-岡田は一塁)。そもそもこの3人にあの硬そうな京セラドームの人工芝は全く似合わない。

2013年01月26日(土):糸井嘉男の移籍報道で違和感を感じたのが彼への評価。概ね「日本の外野手の中でベスト3に入る」みたいな言われ方だった。え?いやいや、総合力で言えば「日本一の外野手」だろう?他に誰がいる?2013年になっても世の中はあんがい札幌の広いライトフィールドをちゃんと観ていないのではないか。

2013年01月26日(土):この写真、糸井嘉男にオリックスのユニフォームが似合っていて驚いた。そういえば野球ファン同志で「似合わない選手×ユニ・ランキング」を作ったことがある。そのときの1位は工藤公康の巨人のビジターユニ(当時)だった。



||リンク用URL||

20130120/《ダンシング・ヒーロー》で盆踊りの衝撃。

最近やや重め(?)の話が続いていたので、たまには軽めの話を。

昨夜、回転寿司屋で、荻野目洋子の大ヒット曲《ダンシング・ヒーロー》がかかりました。でも老化なのか曲名がとっさに出ず、 Facebook にて「この『♪今夜だけでもシンデレラボーイ』という曲のタイトルなんでしたっけ?」と書き込んだら、「週ベ」の盟友、同一ページの上下で久しく書きつづけている しゅりんぷ池田さん からコメント。

「ダンシング・ヒーロー~愛知県尾張北部地域や岐阜県美濃加茂市の盆踊り大会でしばしば使用される定番ナンバー」

ありがとうございます。「ダンシング・ヒーロー」でしたね。で、ちなみにこの盆踊りの件は本当ですか?と返すと、「本当です。テレビでもやってました(笑)」とのことで、検索するとこんな映像が出てきたわけです。



この映像、大げさに言えばカルチャー・ショックでした。これはすごい。そして、これまた大げさに言いますが、この盆踊りは「洋楽ダンス・ミュージックがはじめて日本に根付いた瞬間」なのではないかと。そして、さらにさらに大げさに言いますが、これ、感動してちょっと泣けてきたのですよ(笑)

そしてこっちはもっとすごい! こりゃ盆踊りじゃなく暴動だ(笑)



ご存じのように80年代以降、我々が耳にする洋楽(つまり「英米楽」)のトレンドは、ずーーーっとダンス・ミュージックでした。ただ、それが日本の地で血肉化されたことはなかったと思うのです。

ワタシは、ディスコやクラブなどほとんど行ったことはないのですが、垣間見たかぎりでいえば、借り物の振り付けを踊らされている、もしくは単に騒いでいる感じの光景しか知りません。

テレビ越しには、おそろしくダンスが上手い若者が次々と登場していくのを目の当たりにしましたが、でもそれはやはり一部の動きであって、一般の人々の生活の中にダンス・ミュージックが溶け込んだ感じはしない。

逆に、大規模コンサートなどで、歌い手といっしょに、頭の上で手を左右に振りながら聴いている若者たちの姿を見るにつけ、「なんと身体性・肉体性に乏しい聴き方なのだろう!?」と、残念に思っていました。

そんな、いろんなフラストレーションを、この盆踊り映像は一気に吹き飛ばすパワーを持ってます。正直に白状すれば―――名古屋に行きたい!そして、この場で踊ってみたい!

盆踊り×《ダンシング・ヒーロー》については、この 「ダンシング・ヒーロー盆踊り文化圏」 のサイトに詳しく、また振り付けについては 「盆踊り『ダンシングヒーロー』の踊り方」 に詳しい。

そして音楽的には、「♪ラララララッララドッシッラ」のイントロと、和太鼓の重い音の上でも浮遊する荻野目洋子の高音ボーカルがポイントであることも付け加えておきます。



||リンク用URL||

20130114/ワタシが二十歳になった頃(もしくは、はっぴいえんどとの日々)

二十歳になった年は1986年。一浪して、東京の大学に入学。生まれてはじめてのひとり暮らしを始めた年。そのときのことを思い出してみたら、もう本当に「カス」のような事柄ばかりでびっくりした。



大学の入学式に並ぶ列の横では、見知らぬ同級生が「土曜の『オールナイトフジ』観たか?野坂昭如ととんねるず石橋との喧嘩、凄かったなぁ」と言っていた。

下宿にはしばらくテレビがなかった。文化放送を聴いていたら岡田有希子自殺の第一報が流れた。電話インタビューに出た近藤真彦が吉田照美に、「照美さんも気をつけてくださいね」と意味がよく分からないことを言っていた。

一週間ほどして、とても小さなテレビを買った。日曜日の夕方だった。TBSを付けた。山田邦子が出ているコント番組が流れていて、その中で笑福亭笑瓶がデーモン木暮風の化粧をした「サーモン木暮」というキャラで受けていた。

小林信彦の『日本の喜劇人』に感激し、あまりに感激したので、大阪に残った友人に手紙を書いた。

大学の生協で、はっぴいえんどのLPを3枚全部買った。20%引きだった。取り寄せてもらった。SMSレコード版だった。秋葉原の石丸電気のレコード売場の広さには感動した。サディスティック・ミカ・バンドの『黒船』は売場に普通に並んでいた。

当然、彼女などいなかった。ただ1回だけ、横浜山下公園にデートをした。馬車道でビーフシチューを食べた。日曜日だった。家に帰ってテレビを付けたら、テレビ朝日の『日曜ロードショー』で『アマデウス』をやっていた。

早慶戦があり、その流れで新宿で同級生と飲み、そして歌舞伎町のディスコに行った。とにかく、そこでかかったジェネシス《インヴィジブル・タッチ》の鮮烈だったこと!

あるサークルに属していて、その夏合宿に向かった。場所すら覚えていない。宴会があって、そこに舞台があって、そこで気の利いた同級生が歌うバックで、チェッカーズ《Song for U.S.A.》のギターを弾いた。

その合宿の帰りのバスでは、AIWAのポータブル・カセット・プレイヤーではっぴいえんど《風にあつめて》ばかり聴いていた。隣に座った友人に、この曲の何がそんなにいいのかと聴かれて、「♪蒼空を駆けたいんです」の「たいんです」という表現がいいんだ、と返していた。よく分からないと言われた。

そのサークルは、それっきりで辞めてしまった。

秋口になってもまったく状況は好転しなかった。授業にはまじめに出席したのだが、それ以外の時間は部屋にこもって、三宅裕司のラジオとはっぴいえんどばかり聴いていた。

秋の大学祭では、キャンパスでレベッカが熱唱していた。でも体調が悪かったので途中で帰った。東西線→有楽町線→半蔵門線(当時は半蔵門駅が終点)。例のAIWAのプレイヤーでサイモン&ガーファンクルの《Homeward Bound (早く家に帰りたい)》を聴いた―――



本当に「カス」のような毎日。人間関係と経済関係が網の目のように張り巡らされているのが社会だとすると、その中に存在しないも同然だった。「二十歳になると社会人の一員」とするなら、少なくともあの頃のワタシは、確かに20年は生きてきたけれど、「二十歳」ではなかったということになる。

あれから26年経って。たしかに、守るものや誇れるものもすこしばかり携えているような気はするのだが、根本的には、あの「カス」だったころと何も変わっていないような気もして、それはそれでとっても不安になる。

だから、成人式だからといって、新成人に対して、大人が上から目線で虚勢をはるなど、ほどほどにしておいたほうがいいと思うのだ。唯一、ワタシが新成人に伝えることがあるならば―――「♪蒼空を駆けたいんです」の「たいんです」という表現がいいんだよ!



||リンク用URL||

20130107/あの「唄」がくれたもの(新年の挨拶にかえて)

2012年12月31日。大みそかも22時30分を過ぎたころ、あの「唄」が流れて―――

ひさびさにダイニングテーブルを囲んだ家族のにぎやかな会話が一瞬やんだ。

場末の中華料理屋で飲んだくれていた老人はいそいでテレビの方へ振りむいた。

マンションのリビングでつまらない口論をしていたカップルが声をひそめて耳をすませた。

狭い自室に寝そべってワンセグでながめていた少年がヘッドフォンの音量を上げた。

疲れてうとうとしていたシングルマザーが飛び起き、息子と娘の身体をぎゅっと抱きしめた。

雪深い林間道路、ラジオで聴いていたトラックドライバーがマールボロを消して聴きいった。

そして、その歌声と威容が、デジタルの電波にのって、世界中を駈けめぐっていった。



2012年12月31日。大みそかも22時30分を過ぎたころ、あの「唄」を聴いて―――

ある人は、取りたててなにも感じなかっただろう。しかし、

ある人は、いままで感じたことのないさざ波が、心の中にざわつくのを察知しただろう。

ある人は、ひたすら悔いてきた半生を、ただしく捉えなおそうと思っただろう。

ある人は、心をずっと覆ってきた、人を卑(いや)しむ想いを捨てさっただろう。

そしてある人は、自らを殺(あや)める手を止めた、かもしれない。



2012年12月31日。あの「唄」が終わって―――

ある人は、いや、私は、

ディスクジョッキーのトークや、ライナーノーツ、そして歌詞の中で、なんどもなんども繰りかえされた、ある薄っぺらい観念に、血と肉と息吹が吹きこまれるのを目撃した。

―――The Power of Music~オンガクノチカラ―――

それが、2012年12月31日、「ヨイトマケの唄」がくれたもの。

このチカラをたずさえて、2013年へ。





||リンク用URL||



suziegroove@nifty.com

Copyright © 2012 Suzie Suzuki & Attackammo office