20130629/国民的バンド、サザンが国民に背を向けていたころ。

勘違いしないでいただきたいのは、ワタシは「ポップ」が大好きです。「ポップ原理主義者」と呼んでいただいて結構。大衆受けバンザイ。売れないエンタテインメントなんて全部クズじゃ。

だから、ここから「サザン活動再開」騒ぎに関して、否定的な話を書きますが、基本的なところで、「国民的バンド」としてのサザンを十分認めるという前提があることを確認しておきます。

ただ、この騒ぎ、ちょっとバランスが悪くないか?と思うのです。なぜなら、サザンには一時期、お茶の間に浸透した状況をとても居心地悪く思って、そこから抜け出そうとした時期があり、そして、そのころのサザン「も」最高だったからです。

1981年頃のFM東京土曜日「AIWAサタデーアドベンチャー」で、ハイ・ファイ・セット相手にビリー・ジョエルの歌い方を指南していた桑田佳祐。

同時期、NHK FMの平日夜19時台の番組でサザンが、ビートルズ「ゲット・バック」をクラプトン風にアレンジして演奏したことがあったと思う。

そういうノリの結晶が、桑田氏自身の好きな洋楽を同好会ノリでカバーしたアルバム『嘉門雄三 & VICTOR WHEELS LIVE!』(このアルバムはつまらなかったが)。

何が言いたいかというと、「(いとしの)エリー以後チャコ(の海岸物語)以前」、ある程度売れて、自身の、洋楽オタクとしての趣味性を強く押し出したエアポケットのような時期があったということです。

それは、「国民的バンド」の真逆、「青山通りにたむろする、洋楽オタクの大学生バンド」という時代。その時代のシングルは、たとえばこんな感じです。



テレビに出演するのを控えて、シングル制作に専念していた時期。タイトルを見れば分かるように、「おーい、洋楽好きのお兄ちゃん、聴きとくれ」という感じの楽曲群。しかし、残念ながらこれらの曲はあまり売れなかった。

ここで一念発起した桑田氏が、「やっぱり売れねば」ということで怒濤のどポップ、《チャコの海岸物語》をリリース、強烈なプロモーションをかけて、「国民的バンド」への道筋を昇りはじめたのは周知の事実。すごくざっくりいえば、そうして現在に至る。



「サザン活動再開」騒ぎのバランスの悪さはいくつか指摘できますが、第一に「楽曲がつまらない(つまらなそう)」で、次に、「こういう楽曲を持って『国民的バンド、サザン最高』というのは、(実は)サザン自身の存在を矮小化していないか」ということです。

「みんな、そんなんでええんか?」という感じ。

それくらい「青山通りにたむろする、洋楽オタクの大学生バンド」の楽曲は鮮烈で、逆に、それくらい、「国民的バンド」サザンとしての、とりわけ最近の楽曲がつまらないということです(桑田氏のソロ『MUSICMAN』が傑作すぎたこともあり)。

―――と、若い世代にとっては、「ジジイ、また言ってるよ」という感じに聞こえると思います。はい。それ大いに結構。ただワタシは、FM東京土曜日「AIWAサタデーアドベンチャー」で桑田氏のビリー・ジョエルのモノマネを聴きましたよ。《さらばハリウッド》を聴きましたよ。全然、似てなかったのを聴きましたよ(笑)

悔しかったら、聴いてみな。

(6/30追記)「やっぱり売れねば」と割り切って、サザン(桑田氏)が《チャコの海岸物語》に踏み切れた理由のひとつに、このアルバムの存在があると思います。20代の桑田氏が、自身の洋楽嗜好をすべて詰め込んだ大傑作アルバム。そのクオリティは、同年の大滝詠一『ア・ロング・バケーション』に比肩。これが出来たからこそ「次はセールスだ」と割り切れたのでは。





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20130622/『あまちゃんオープニングテーマ』の聴き方。

「桑名正博《哀愁トゥナイト》の聴き方」 に継ぐ「聴き方シリーズ」は、2日前にこちらに書いたものの増補版です。

全体的にユニゾンを多用。つまりコード楽器が少ないということで、どういう感じかというと、スティービー・ワンダー《サー・デューク》の傑作イントロ、もしくは、もっとベタに言えば、ほとんどユニゾンだけで演奏される、高校野球の応援吹奏楽のよう(この夏、この曲は甲子園で何度も演奏されると思う)。



イントロ冒頭はいきなり「♪ドレミファソラシド」と、小学生の音楽教科書のようなとっつきやすさ(その上もキーはC=ドミソと、何ともけれん味ない)。 ビートルズ《ハロー・グッドバイ》チャットモンチー《風吹けば恋》と並ぶ「ドレミファ音階駆け上がりメロディ」(上リンク「♪ドレミファ~」の部分、頭出し済=以下同様)。

「♪ドレミファソラシド」の次は、「♪ミードーラーラ♭ーソソソソソソソ」。「ミードーラーラ♭ー」のくだりはオッフェンバックの喜歌劇《天国と地獄》の借用。そもそもこのオープニングテーマが属するジャンルは、《天国と地獄》や『8時だョ!全員集合』のコント終了時の音楽と同類のもの。

続くメロディ(Aメロ)が怒涛のユニゾン、「♪ソドッドッドッドッドッドレドレミ」。スカ風だが、ベース(チューバ)は「♪ドッソッドッソッ」と行進曲風。ここはやたらと威勢がいい。思わず鼻歌で歌いたくなるようなメロディ。子供が「♪スチャッチャッチャッチャッチャッチャッピロリロ~」と歌っている姿が目に浮かぶ。

中間部(Bメロ)はうってかわって「2拍3連」(2拍に入る三連符)でまくしたてる。ドラムスがかっこいい(ここの演奏は難しそう)。同時に映像は、ここで三陸海岸の空撮に切り替わり、とても美しい(東京編になると上野あたりの風景に変わるのだろうか、残念)。コードはAmやEm、Dmあたりを行き来する、ちょっと80年代歌謡風のせつない胸キュンコード進行。たとえば吉川晃司《モニカ》のこのあたり

2拍3連の余韻を引きずるCメロの最後に、月曜に流れるロング・バージョンでは、その次に、 チェッカーズ《涙のリクエスト》のエンディングのようなコード進行(A♭→B♭)をはさむ。この部分の映像で一瞬インサートされる能年玲奈の困ったような表情は可愛い。



そのまま《涙のリクエスト》同様、A♭→B♭→Cと解決すると思いきや、A♭→B♭→Bと立ち止まり、奇妙な雰囲気を残しつつ、そのままなんとCの2音上のEに転調して、冒頭のメロディが繰り返される(ちなみに、火~土のショート版では転調なし)。そしてエンディングの不思議な和音は「Emaj7」。ハイ・テンションの演奏を終え、ホっとする感じを醸し出す。

初期クイーン風に言えば「No Synthesizer」「No Computer」。この曲だけでなく、サントラ全曲がアナログ生演奏。それゆえ、この曲でもちょっと音程が狂うところがあるが(冒頭「♪ドレミファソラシド・ホワホワホワホワ・ベベベベベベベベ」の「♪ベベベベ」のところのピッコロ?が少し高い気がする)、毎朝聴いていると、その手作り感が、少しずつ自分に馴染んでくるのが分かる。

『梅ちゃん先生』を観なかったのは、堀北真希の能面演技もさることながら、SMAP主題歌の歌い出しがびっくりするほど稚拙で(中居正広か?)、聴くに堪えなかったから。『純と愛』の主題歌は良かったが、いちばんいい大サビがオンエアで使われていなかった。そしてドラマ同様、椎名林檎《カーネーション》は素晴らしかった。紅白での歌唱は忘れられない。

ただ今回は、インストであることも奏功したと思う。歌詞がつくことによる過剰な意味性が朝には重く感じるときがある。そういえば『ちりとてちん』のピアノ(松下奈緒)も少々味気ないメロディだったが、聴いている分にはなんとなく心地良かった。

音楽を手掛ける大友良英という人が、デート・コース・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデンの人とは知らなかった。真夜中の香りがする、そういう方面の方の音楽を毎朝聴いて盛り上がっているのだから面白い。いや面白いのはドラマの内容だ。

と、いろいろ書いたけど、いちばんいいのはこのジャケット。抜群。じぇじぇ。



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20130616/TBS「放課後グルーヴ」で聴いたアナログフィッシュ。

TBS「放課後グルーヴ」 が素晴らしい。TBSの月曜深夜のドラマ枠はこれまで「イロドリヒムラ」 「終電バイバイ」 と来ているがすべて、とてもよく出来ている。

その中でも「放課後~」は屈指の出来である。特に車いすの少女、本田千夏役の萩原みのりの演技が劇的に素晴らしい。「2020年代の永作博美」になるだろう。名前を憶えておきたいと思う。

さて、前回のカラオケのシーンで歌われたアナログフィッシュの《Sayonara 90's》。不勉強を恥じるがこのドラマで初めて知った。このサイトでは2005年の9月に 「メッケもんはアナログフィッシュというバンドの《Hello》って曲。カッコよすぎ」 と書いているが、そこから追っていなかった。

というわけで、それでは久々にパロディ・リリックに挑戦してみよう。

Sayonara 00's(サヨナラ・ゼロ年代)

星のない夜に 星が見えた
君がいなくても 君に会えた
希望がないってことに 希望があった
大地が揺れるまでは

さよなら00's 思い出はso sweet
僕らは 急に変われなくて
それでもgirl friend 悲しまないで 
その胸の中に 希望はあるよ
たとえばLOVE

星のない夜空を 見ていたら
君がいたころを 思い出した
終わらないものが 終わってしまった
彼女(ナンシー)が消えてからは

さよなら00's 時代は猛スピード
僕らが タフになるより前に
それでもmy friend 嘆くことないぜ
探せば結構 希望はあるよ
たとえばLOVE

「小泉純一郎」
「欧米か!」
「リップスライム」
「池袋ウエストゲートパーク」
「ダルビッシュ有」
「奈良県立民俗博物館」
「バンプ・オブ・チキン」
「バッチギ!」
「木村カエラ」
「チリンチリン」
「AKB48」
「クレイジー・ケン・バンド」
―――「リーマン・ショック」!

どこにいったんだHOPE!!!

サヨナラ00's こんにちは新decade
僕らは 前に行くしかないね
それもまたgirl friend 悪くはないぜ 
トンネルの奥に 光が見えるだろう
たとえばLOVE

さよなら00's



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20130608/「AKB総選挙」に思うこと。

ワタシは、いわゆるコンサートが苦手です。特に大ホールやドーム級の大規模なコンサート。なにが苦手かと言えば、強烈な思い入れを持ったファンが多数集まっているさまが苦手。

たとえば、1曲目から「総立ち」になるじゃないですか。あの「総立ち」には、「1曲目から『総立ち』にふさわしいパフォーマンスが繰り広げられる」という、よく考えたら、実に奇妙な了解事項が前提となっているわけです。

逆に言えば、そういう了解事項に喜んで捺印する思い入れを持つ方々の集まり。パフォーマーとオーディエンスが対等ではない空間。つまり、ハナからパフォーマーの勝利が前提となっている。こんな不平等な話はないと本気で思うのです。

だから逆に、駅前とかで行われる無料お笑いライブとかは好きですよ。対等だから。内容が良ければ惜しみなく拍手をするし、悪ければその場を立ち去るだけですから。

まずもって、パフォーマーとオーディエンスが対等、いやオーディエンスのほうが上であるべきと考えるものですから、コンサートには、よほどのことがない限り足を運びません。

さて、「AKB総選挙」は、「AKB48の32枚目シングルの選抜メンバー及びカップリングメンバー、合計4グループ総勢64名を、ファンの皆様の投票によって決定」するもの。

つまり、AKBのパフォーマンスを愉しむ場ではなく、むしろファンの側が応援というパフォーマンスをしに行く場。対等どころか、むしろファンの側から、不平等条約に捺印しにいくようなイベント。

まぁ、元おニャン子ファン(福永恵規)としては、そのようなイベントに行きたくなる若者の気持ちも分からないではないけれど。

それでも、エンタテインメントの先達としてオヤジ層は、若者にウザイと思われても、ちゃんと、しっかりと言ってあげなきゃいけないんじゃないでしょうか。

「パフォーマーとオーディエンスは戦うんだよ。パフォーマーがしくじったら、オーディエンスはNOを突きつけて立ち去るんだよ」

実は、言いたいことは、「AKB総選挙」批判というよりも、いい年したオヤジ「文化人」が 「前田敦子とはなんだったのか」などと語っていい気になって、あわよくば若者に受け入れられようとしているさまに感じる不愉快さなのです。

そういうことじゃないでしょう。そんなことより、オヤジは、パフォーマーと戦って、そしてめった撃ちにされた経験を語るべきです。ビートルズや、長嶋茂雄、サザン、ビートたけし、ブルーハーツ、ダウンタウンに撃たれた日の話を……

そしてその後に、福永恵規《風のInvitation》のシングルを買った日の話を、そっとはさみこむのがいい―――以上、「AKB総選挙」の日に考えたこと。



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20130602/《瞳を閉じて》を見つめに行った五島列島の旅。

仲間と行く、年に一度の恒例の西日本旅行。今回は五島列島へ。言うまでもなく、荒井由実《瞳を閉じて》の石碑を見に行くため。仲間にはかなり無理を言ってコース設定してもらった。ありがたいことこの上ない。

かなり有名な話だが、この曲は、五島列島の県立奈留高校(当時は五島高校奈留分校)の生徒からユーミンのラジオ番組に来た、「校歌を作ってほしい」という依頼から作ったもの。アルバム『ミスリム』A面。《生まれた街で》《瞳を閉じて》《やさしさに包まれたなら》と続く怒濤の3曲の真ん中。

そして、ワタシのザ・ユーミン・フェイバリット!

風がやんだら 沖まで船を出そう
手紙を入れた ガラスびんをもって

遠いところへ行った友達に
潮騒の音がもう一度 届くように
今 海に流そう

ここは、卒業して、「遠いところ」~長崎市内や福岡に就職で出て行く友だちのことを想う気分を語っている。メールも携帯もない時代の気分がよく表されている。

霧が晴れたら 小高い丘に立とう
名もない島が 見えるかもしれない

ここは、今回訪れたときの発見。五島列島は、名もない島がたくさん点在しているところ。福江から奈留島まで「水上タクシー」で進んだが、海上を突き進む視界に見えるのは、数々の小さな無人島。そして無人島を左右に置いて、奈留島が見えてくる。

小さな子供にたずねられたら
海の碧さをもう一度 伝えるために
今 瞳を閉じて 今 瞳を閉じて

やがて奈留島の高校生は、いろんなところで親になる。そして、そのとき、もしかしたら海の蒼さが損なわれているかもしれない。そのときのために、瞳を閉じて、視界を永久保存しておこう―――そんな内容の歌だと解釈している。

さて、ユーミンは、プロコル・ハルムの影響下にあることがよく知られている。それは、単なる教会音楽的な曲作りだけではなく、実は、このような海に関する歌を多く作っていることにも表れている。プロコル・ハルムは実は、海の歌の帝王で、あの有名な《青い影》も実は船酔いの歌なのである。

そして、とっても変わった独特なコード進行を持ち味としていたユーミンだが、この曲は比較的オーソドックス。F→Gm7→Am7→B♭と、ひとつひとつ階段を昇っていく進行はボブ・ディラン《ライク・ア・ローリング・ストーン》の影響かもしれない。

アルバム『ひこうき雲』ではすこしチグハグだった、ユーミン&キャラメル・ママのコラボレーションもいよいよ最高潮。そしてコーラスは山下達郎、大貫妙子のシュガー・ベイブだから、70年代後半のキーパーソンが全員、この曲に集結していると言っていい(ちなみに同アルバムの《あなただけのもの》では。加えて、矢野顕子と吉田美奈子!)。

そして、もっとも素晴らしいと思うのがアレンジ、とりわけイントロである。後のユーミン亭主による、Cの音だけを指1本で弾きつづけるオルガンの美しさたるや。それは海上の船に飛びかうモールス信号のよう。「もっとも簡単でもっとも美しいオルガンイントロ」と呼びたい。

このアルバムの、その怒濤のA面に寄せられている《海を見ていた午後》あたりから、コマーシャリズムの香りが濃厚になり、続くアルバム『コバルト・アワー』の《卒業写真》 《ルージュの伝言》あたりからは、超然と時代を席巻するユーミン黄金時代がはじまる。

ただ、それとは別の物語が、『ひこうき雲』『ミスリム』にはある。天才少女が、天才性のままを発露し、それを周りの優秀な大人とぶつけあい、高めあい、こしらえられた、精巧なガラス細工のように不安定な大傑作。

そしてその頂点に、《瞳を閉じて》があるということ。

最後に、残念な話。この曲は実は奈留高校は校歌ではなく「愛唱歌」となっている。この件も有名で、昔からのれっきとした校歌を変えないためにそうなったのかと思っていた。

実は、そうではなく、ユーミン《瞳を閉じて》の後に、新しく校歌が作られているのだ。 奈留高校のサイトによれば、この《瞳を閉じて》のエピソードを取り上げたドキュメンタリー、「新日本紀行」を見て感動した某・超・大御所作詞家が奈留高校に送ったものだという。

詳しい事情はよく分からないが、《瞳を閉じて》のエピソードに感動したのなら、それを校歌にする運動をするならまだしも、それを結果的に「愛唱歌」に固定化するような新校歌を作らなくてもよいだろう。

そして、高校の側も、大御所からの提供とはいえ、それを受け入れるのであれば、《瞳を閉じて》を校歌にすればよいだろう。念のために、その大御所による凡庸な歌詞も記しておく。

「長崎県立奈留高等学校 校歌」

たくましく しぶきが躍る
海は果てない みどりの庭だ
奈留高校は みんなの母校
ここで学んだ 喜びを
分けあう友の 思い出よ
校舎の窓に 花と咲け

ただし、そんなつまらない尾ひれが付いたからといって、《瞳を閉じて》の名曲性はなんら変わることがない。日本のポップスはこの曲によって火ぶたが切られ、そして極まった。



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20130519/ちょっと軽薄で、でも創造性にあふれた、ぼくたちの80年代。

NHK「あまちゃん」が相変わらず面白いのだが、その面白さを構成する要素のひとつに、「80年代カルチャーいじり」というべきシーンがある。

1984年が温存された天野春子(小泉今日子)の部屋にある、「肩幅が広い」吉川晃司、「変な髪型」のチェッカーズ。宮藤官九郎はさらに細かなネタを張りめぐらせていて、雑誌「BOMB」のつちやかおりの表紙や、ジャガー横田のシングル、果ては、80年代テイストでいっぱいの架空曲『潮騒のメモリー』。

若い世代が見るとどう思うのだろう。それこそ、80年代のワタシたちが70年代カルチャーに感じた違和感、「髪が長い」「服装が汚い」「ズボンの裾が広い」というような感じなのだろうか。

ただ70年代のような「濃厚」な変さというより、なんだか、もっと「軽薄」な感じ、「奇妙」な感じの変さに映ると思うのだが、どうでしょう。若い方々、いかがですか?

昔、別冊宝島から出た80年代総括本のタイトル、『80年代の正体!~それはどんな時代だったのか ハッキリ言って、カスだった!』というタイトルに衝撃を受けた日を思い出す。この本、内容はイマイチだったが、このタイトルはイケている。

そして、この表紙に出会って以降、自らの青春時代を彩った「軽薄」カルチャーと「カス」という言葉の微妙な距離感を検証しながら生きてきたつもり。

ワタシは、80年代をこう捉える―――「日本において、エンタテインメントの自給率が格段に向上した時代」。

以下、スペースの都合で音楽の話だけ。テレビでも、お笑いでも、野球でも、同様の説明が出来ることを先に付け加えておく。

洋楽のシェアがどんどん下がり、邦楽がマーケットの中心となった時代。そして、邦楽の中でも、サザンによる日本語のロックを、大滝詠一による日本語のポップスを、普通の若者が聴くようになった時代。

80年代の幕開けはYMO。まだ英米ロックが汚らしい長髪で溢れているころに、短髪を切りそろえて世界を席巻。巨大なコンピュータを並べる演奏スタイルはまさに日本オリジナル。その後「テクノ」は世界共通語に。

そしてとりわけ、松田聖子。レイヤードカット、ぶりっこ、少女性、松本隆による都市文学的な歌詞、松任谷由実他、当時の最高の音楽家によるニューミュージックと歌謡曲の高度な融合……と、そのどれをとっても英米にはない、日本オリジナルのカルチャーセット。

吉川晃司の肩幅も、チェッカーズの髪型も、つまり、海の向こうの影響からではなく、この狭い日本の中から、狭い日本の若者に向けて作られた「自給カルチャー」だったのだ。

その結果としての「軽薄」で「奇妙」な感じ。ただその背景には、日本と英米のカルチャー要素の差分として大きい、「可愛さ(未成熟の愛玩)」「清潔さ」「ハイテク」「リミックス性」があるの思うのだが、その話はまた次回以降に。

たしかに一見「カス」だったのだが、その背景にある「自給率の向上」、英米の猿真似ではない、日本オリジナルのカルチャー創生運動だったというポイントにドキドキしてほしいと思う。そして当時、ドキドキしていたのは、他の誰でもない、ワタシだ。

90年代に入り、いわゆる「ディーバ系」の女性シンガーたちが、黒人ボーカルの猿真似(にしか見えない)をするムーヴメントがひどく不愉快だった。

どうしてそんなことをするのだろう。そういうことをするから、80年代が「カス」になってしまうのではないか。そしてそんな歌よりも、チェッカーズの変な髪型のほうがよっぽどカッコいいんだよ、と。

80年代の幕開けを告げた本のひとつに、田中康夫『ぼくたちの時代』がある。いいタイトル。そう。80年代―――ちょっと軽薄で、でも創造性にあふれた、ぼくたちの時代。

(参考)スージー鈴木選「80年代アルバムベスト10」



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20130511/松井と衣笠、この2人の国民栄誉賞プレーヤーについて思うこと。

有名な話だが、巨人軍の監督には関する暗黙のルールがある。特に戦後は、巨人軍生え抜き(巨人に入団し、巨人で現役を終える)の、それも内野手か投手しか監督になっていない。

その中のひとり、原辰徳現監督は、自身の引退時に「巨人軍独特の何人も侵すことのできない聖域がある」と述べた。誰もその意味を追及しなかったが、なんとなく、面倒で強烈な因習があるという感じはよく伝わった。

にも関わらず、原は自らその聖域に飛び込み、監督になり、長期政権の舵を取っている。



さて、今回まず言いたいことは、いくら国民栄誉賞だからといって、松井秀喜を「聖化」し、監督の座を既定路線とするなということだ。

「聖化」とは妙な言葉だが、原が言うところの巨人の「聖域」に押し込むことであり、更に具体的には、次のような意味合いである。

小林信彦は、後年「いい話」に偏っていく寅さんに対して「テキ屋の『聖化』」という言い方で違和感を表明した。国民栄誉賞を契機とした長嶋・松井の聖化。長嶋はともかく、松井に聖化は早すぎる。まだまだ若い松井にとって聖化は固定化であり矮小化となるだろう。

松井秀喜は、プロになってからは外野手だった。また巨人で終わらずに、違う国の違うチームで現役を終えた。そう考えると事実、巨人監督の「暗黙のルール」からは外れているのだ。

球団会長や一部マスコミは「入閣」(いやな表現だ)を望んでいるようだが、その幅広いキャリアからも、巨人の「聖域」に押し込まれる筋合いはないだろう。

中畑清はこう言った。「若くして国民栄誉賞をもらったことが足かせにならないかな。これからの生き方に関して自分で勝手に線を引いたりしないでほしい。もっともっとやんなきゃいけないことがあるんだから」(週刊ベースボール)。この発言でワタシは中畑のことを見直した。

次に、監督についての暗黙のルールがある(ありそうな)もうひとつの球団は広島である。広島カープOB、それも広島県出身者がやたらと多いのだ。

今回言いたいことの二つ目。松井秀喜を監督に、という意見が唐突に盛り上がるのに、同じく国民栄誉賞である衣笠祥雄を監督に、という気運は、なぜ、ほとんど盛り上がらなかったのか、ということ。

『衣笠祥雄は、なぜ監督になれないのか?』『マツダ商店はなぜ赤字にならないのか?』という本がある。特に後者が面白い。そこに書かれているのは、松田オーナー家(マツダ商店)が広島球団を(悪い意味で)私物化しているということだ。

衣笠祥雄が監督に招聘されない理由も、そこから何となく推測できる。そもそも京都出身ということや、オーナー家との関係や(何しろ衣笠は若い頃、マツダ車ではなくアメ車に乗っていた)、いろんな意味で豪快だった若い頃の素行、もしかしたら巷間言われるように、ハーフであることも少なからず影響しているのかもしれない。

松井と衣笠。この2人の国民栄誉賞プレーヤー。片方は唐突な「聖化」によって、監督へのレッドカーペットを敷かれ、もう片方は、不明快な理由で、球団との関係を断ち切られている。

どっちも、つまらない。実に、つまらない。国民栄誉賞が、松井には巨人からの監督契約書として、衣笠には広島から餞別として授与されたのかとも勘ぐりたくなる。

つまり国民栄誉賞の「栄誉」とやらは、巨人軍監督という「聖域」を頂点とする球界のピラミッドを崩壊させるほどのものではなく、その栄誉があれど、ある者は上に吸い寄せられ、ある者は下にくすぶりつづける程度の代物なのである。

最後にワタシの意見を書かせてもらえば、松井には巨人に囚われない幅広い活躍を期待したいし(MLB監督から星稜高校監督まで視野に!)、そして衣笠については、髙橋慶彦(東京出身で、松田家に直言して嫌われた)と組んで、広島の監督やコーチになってほしいと思うのだ。



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20130506/中村紀洋の2000本安打を素直に喜べない本当の理由。

ここ( 「中村紀洋へのささやかなシンパシー」 )にも書いたように、ワタシは中村紀洋に対して、ある複雑な感情を抱いている。「好き」の程度を5点満点で表現すると4点、「やや好き」という感じだ。で、減点分は何かというと、当然、若い頃の居丈高な言動の印象によるもの。

ただ、あれほど天狗になり、有頂天になり、周囲に対して居丈高な行動をとったにも関わらず、2~3点減点せずに、たった1点の減点とするのには理由がある。それは、ワタシと同じ、大阪の公立(府立)高校出身者として、必然的な行動のような感じがするからだ。

大阪は、ご存じのように人口が多く、公立高校も私立高校も数多く揃っている。当然、公立と私立の間には、いろいろな違いが発生する。その中でも重要なものは、授業料の差から来る、生徒の豊かさの違いに加えて、私立に比べての公立の「視野狭窄(しやきょうさく)」である。

「視野狭窄」という変な言葉を使ったが、要するに、公立の生徒の方が行動範囲が狭いのだ。ワタシが高校生だった頃の公立は、細かく学区制が敷かれていて(あの狭い大阪に8学区!)、狭い面積とその中の人脈しか見えないこととなる。

私立は学区で限定されないので、近県含め、幅広い面積と人脈を視野に入れる。対して、公立生は、たとえば ココ で書いたように、第5学区のワタシが上本町を頂点とするおそろしく狭いテリトリーで、そこに生息する人々と、狭く深く交わりつづけることとなる。

東京の公立出身者にも同様の気質は感じる。ただ、もともとの面積が大きいので、大阪の公立生ほど狭く濃い感じはしない。逆に東京・大阪以外の高校生は、私立であろうが公立であろうが、全国区というものにもともと畏怖の念を感じており、広さに対する準備が備わっている。

大阪の公立高校出身者にありがちな、それはもう強烈なローカリズム。

何が言いたいかというと、そういう「狭い世界のお山の大将」が突然、全国区の栄誉と法外な収入を手に入れた姿、それが2000年代前半の中村紀洋の姿だということだ。大阪の無名公立を自分の力で甲子園に出場させ、プロに入り、本塁打王になり、複数年・数十億円という法外なオファーを受ける。勘違いしない方がおかしい。

同様の印象を、ワタシは松本人志から受けた。著作でのやたらと傲慢な発言もさることながら、『ごっつええ感じ』がプロ野球中継に差し替えられたことに立腹し、番組を降りた事件は、若気の至りも甚だしいと感じた。ちなみに松本も尼崎工業という大阪に程近い公立高校出身。

さて、非・関西人が想起する関西野球人の典型は清原和博だろうが、彼はPL学園という私立の野球エリート校の出身。だから乱暴者に見せながら、全国区のモードに合わせることを知っていて、その結果、巨人軍に対して「泥水を飲む覚悟で」など、冷静に考えたらこの上なく清原らしからぬ発言ができる習性を併せ持っている。彼が乱暴(なふり)をするのは、横か下の人物に対してである。

対して、公立生の行く末は恐ろしい。世評を得たら、上にもツバを吐く。そしてその居丈高ぶりが強烈なので、誰も止めたり諭したりしなくなる。幸い中村には、落合博満という更に強烈な劇薬の効果もあったようだが、松本人志は、未だにアンタッチャブルな存在に奉られている(お笑い評論の貧困がそうさせている)。



そういう中村が、いろいろあって、本当にいろいろあって2000本の安打を重ねることができた。

繰り返すが、ワタシの評価は「やや好き」程度のものだ。ただ正直に白状すれば、その減点には一種の「近親憎悪」のような感情もはさまっているのである。「視野狭窄」で少しばかり調子に乗っていた自分の若い頃を思い出す感じによる減点。

―――せやから、「ほんま、よう頑張ったなぁ、おめでとう!」って、そう簡単には言わへんのや。せやから、まだまだ、頑張れ、ノリ。頑張れ、自分。頑張れ、府立高校OB諸君!



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20130429/大論文「ズンズンチャーカズンズンチャ物語」

「ビートルズ《タックスマン》の、ポール・マッカートニーによるベースが日本歌謡史に大きな影響を与えた」という、高校時代に読んだ近田春夫の仮説を(たしかCBSソニー出版の『THE BEATLES SOUND』という本)、当時から今まで、何の疑いもなく信じていた。

♪♪《タックスマン》のベース(頭出し済)→YouTubeへ。以下同様



それくらい、このベースラインには既視感ならぬ「既聴感」があったのだ。しかし、本当にそうかと当時の楽曲をあれこれ思い出し、YouTubeでいろいろと聴いてみたら、もう少しややこしい事情が分かってきた。

《タックスマン》が入っているアルバム、『リボルバー』が発売されたのは1966年の10月(日本)。このリズムパターンを咀嚼し、自分たちの手で演奏するまでには一年の時間を要したようだ。

まずは、鈴木邦彦の手による超・名曲にして、《タックスマン》のリズムを血肉化したこの情熱的な演奏、杉並の悪ガキGSのこの曲。

♪♪ザ・ダイナマイツ《トンネル天国》1967年11月(頭出し済)



つづいて、ザ・スパイダース。予想通りかまやつひろし作曲で、クレイジー・ケン・バンドはじめ、世界のガレージバンドに歌い継がれるこの曲。1967年12月25日発表。

♪♪ザ・スパイダース《メラメラ》1967年12月



ただし、これらは大ヒットしたとは言い難い。《タックスマン》ベースがメジャーシーンに出てきたのは、鈴木ではなく村井・邦彦によるザ・テンプターズのヒット曲《エメラルドの伝説》のこの中間部によって。

♪♪ザ・テンプターズ《エメラルドの伝説》1968年6月(頭出し済)



しかし、このあたりから、このドラムパターンは残るも、さすがに、この素っ頓狂な《タックスマン》ベースは後退していく。個人的に絶対《タックスマン》影響下と信じ込んでいた大ヒット曲、黛ジュンの《天使の誘惑》のベースが、ぜんぜん本家と似ていない平凡なベースラインであったことに落胆した。ちなみにこれも鈴木邦彦。

♪♪黛ジュン《天使の誘惑》1968年5月



ということは、あの「既聴感」は、《タックスマン》のベースそのものというより、あのベースと、この《天使の誘惑》に共通する、四拍子の2拍目を強調し、かつ2拍目のお尻に16分音符を付ける、独特のリズム感覚への「既聴感」ではなかったかという仮説にいたる。

・《タックスマン》のベース→||♪レッ・レーン・ソラドー・ウン||
・《天使の誘惑》のドラム→||♪ドン・ターン・ドンドン・タン||

下線部の16分音符が入ることで、機械的なエイトビートに、16ビートのファンキーさを味付けした感じになり、なによりも「分かりやすく気持ちいい」。踊り下手な日本人も思わず腰が動く。代表曲としては、この曲が出色。ちなみにこの曲も鈴木邦彦作曲。

♪♪ザ・ゴールデンカップス《愛する君に》1968年9月



実はこの時期のちょっと前に流行っていたもうひとつのリズムが||♪ドン・タド・ド・ウン||で、3拍目の裏にアクセントを置くリズムで、代表的なものは泣く子も黙るこの曲(オルガンに注目)。

♪♪美空ひばり《真赤な太陽》1967年5月



同様にこちらも。中村晃子の可愛さ!

♪♪中村晃子《虹色の湖》1967年10月



ですが、当時刺激的だったこの||♪ドン・タド・ド・ウン||のリズムよりも、《天使の誘惑》は更にエキサイティングなリズム。そして「昭和元禄」の大騒ぎの中、60年代後半の日本歌謡曲でこの《天使の誘惑》風ドラムがやたらと使われ、そして陳腐化する。

当時、「シェイク」(テンポ早め)とか「ブガルー」(テンポ遅め)とか呼ばれていたようだが、より具体的には「ゴーゴー喫茶」で踊られる「ゴーゴーダンス」のビートである(多分)。上の中村晃子の映像で見られるダンスをより激しく、腕を頭の上まで上げるダンス。

そういう極端な風俗とつながってしまい、あまりにも大衆化した結果、70年代以降、下線部の16分音符が忌み嫌われ、80年代初頭まではダサいリズムの典型となる。

ちなみに、この流れの延長にある、歌謡曲のリズムがもっとも手数が多かった時代の象徴がこの曲。||♪ドンドン・ツカツカ・ドンドン・タン||。8ビートからゆったりとした16ビートへの移行期。ドルショックを尻目に、日本(の歌謡界)がいちばん景気が良かった時代の、時間と金と労力の結晶。

♪♪尾崎紀世彦《また逢う日まで》1971年3月



さて、70年代後半になって、『見ごろ食べごろ笑いごろ』で、キャンディーズが「ズンズンチャーカズンズンチャ」というフレーズを使ったコントを披露していたが、これは要するにこのリズムが陳腐化し、古くさいものとして捉えられていたという前提の上にある。

♪♪キャンディーズのコント『見ごろ食べごろ笑いごろ』1977or78年?



しかし、80年代中盤以降のヒップホップ、ダンス音楽時代に再び脚光を浴び、ついに日本版《タックスマン》の完成品と言っても差し支えない楽曲が登場。《タックスマン》のベースと《天使の誘惑》のドラムのマリアージュ。

♪♪レベッカ《ラズベリードリーム》1986年5月(頭出し済)



このドラムとこのベースは最強。それから、(詳しくは知らないが)ヒップホップやクラブ音楽での定型リズムパターンとして市民権を得る。

ビートルズ《タックスマン》が1966年、レベッカ《ラズベリードリーム》が1986年。20年の間に、日本人の音楽感覚がくるっとまわって再度ポール・マッカートニーに出会ったということかもしれない。そしてそれはおそらく世界的にそういうことなのだろう。

というわけで結論。「ビートルズ《タックスマン》のポール・マッカートニーによるベースが日本歌謡史に大きな影響を与えた」という近田仮説を分解すると……

「ビートルズ《タックスマン》を契機として、あのベースよりも、四拍子の2拍目を強調し、16分音符を付けるリズムが(主に鈴木邦彦の貢献によって)流行し、そして20年かけて、そのリズムにやっと《タックスマン》のベースが付随したかたちで市民権を得た」。

※以上、まだまだ、はなはだ怪しい分析です。同好の士(いるのか?)がいらっしゃれば、異論・反論・参考意見をお待ちしております。



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20130421/松田聖子《チェリーブラッサム》の聴き方。

まずタイトル《チェリーブラッサム》はどうだ。「桜」や「サクラノハナ」のほうが良かったのではないか。ただしそこが1981年。まだ「ブラッサム」などの言い方が洒落て響いたのだろう。

それも「ブロッサム」ではなくて「ブラッサム」だから徹底している。しかし、普通に「桜」だったら、今をときめく「桜」ソングの先駆になっただろう。

いま聴くとやたらとテンポが速い、せわしないアレンジ。ちょっと速すぎる気がする。ただ、このテンポが当時の松田聖子の勢いを象徴していると思う。



キーはC。イントロはAmからのベタなクリシェ。その後のコード進行はまぁベタな感じだけれど、ギターを中心とした派手派手しいアレンジ(大村雅朗。氏が手がけた佐野元春《アンジェリーナ》のアレンジに似ている)で、ダレることなく最後まで一気に聴かせる。

イントロから鳴り響くのは、ハードロック風のディストーション・ギター(今剛)。ユニゾンでステレオの両方に振り分けられたギターは当時の流行り。ユーミンの名曲《よそいき顔で》にも通じる。

松田聖子のボーカルは見事の一語。声をつぶしてウィスパリング・ボーカルになる前の清廉ではつらつとした声。なによりツヤがある。洗った直後の食器のようにキュッキュしている。

ギターソロ(上映像2分00秒あたりから)はツインリード。これはあまりに西海岸風。アリスがよくツインリードを多用していたが(ex.1977年《冬の稲妻》のイントロ)、そう考えると西海岸風ツインリードのブームは非常に長かったこととなる。時代は、UCLAのTシャツを着た若者が「ポパイ」の西海岸特集をむさぼり読んでいた頃。

歌詞(三浦徳子)では「あなたとの約束が叶うのは明日」が光っている。明日に何があるのかわからないが(笑)、同時期に「CAT'S EYE」の「都会(まち)はきらめくpassion fruit ウインクしてるeverynight グラスの中のpassion beat 一口だけでfall in love」という、おそろしく意味不明な歌詞を書いた人とは思えない。この守備範囲の広さによって、当時、三浦徳子は作詞家として全盛期を迎える。

歌の3コーラス目のところ(上映像2分54秒あたり)で、ベーシストがびっくりするようなフラメンコ奏法を聞かせる。アレンジの遊びにしてはやや目立ちすぎる。誰だ?田中章弘あたり?まさか後藤次利?(正解:岡沢章)

エンディングでまたベタ・マイナー・クリシェが繰り返される。「売れろ売れろ」というCBSソニーの執念を感じさせるアレンジ。コロムビアやビクターから、東芝EMI、そしてCBSソニーにヘゲモニーが受け渡されるころ、そしてこの数年後、ソニーは本家米国CBSを手中におさめる。

作曲は財津和夫。かなりの冒険をしたという達成感があっただろう。1981年の《チェリーブラッサム》《夏の扉》《白いパラソル》は財津和夫3部作。ポイントは作詞家で、《チェリーブラッサム》《夏の扉》は三浦徳子だが、《白いパラソル》で松本隆。

《白いパラソル》から松本=聖子による黄金時代、言わば「聖子第二期」が始まるのだが、第一期と第二期は財津氏によってブリッジしているということ。

このの曲が売れることによって、日本ポップスがまた前に動く。



発売は1981年の1月。「元旦や 餅で押し出す 2年グソ!」という叫びとともにビートたけし「オールナイトニッポン」が始まった月。そして大滝詠一『ア・ロング・バケーション』(3月)と、原由子『はらゆうこが語るひととき』(4月)という、超傑作アルバムが立てつづけにリリースされる1981年、桜の季節を迎えいれる。

あれから32年―――



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20130414/『あまちゃん』の濃厚なリアリズムについて。

まず最初に言っておくと、ここでは前の朝ドラ『純と愛』に対して批判めいたコメントを書きます。批判を書くと、当然批判に対する批判も来ることもありますが、そういうのは歓迎します。ただ「批判はやめろ、ファンや関係者に失礼だろう」という意見については受け付けません。

何度も(あえて扇動的に)書きますが、エンタテインメントは受け手のほうが偉いのです。受け手が批判し、それに対してまた批判が起こり、という議論のループの中で、ダメなコンテンツが淘汰され、優秀なエンタテインメントがさらに成長していく。そう信じているからこそ、エンタテインメント中毒者として、ワタシは微力ながらここに書きつづけるのです。



『あまちゃん』・ザ・グレイテスト!

もう言うまでもありません。個人的には『カーネーション』の衝撃から一年待ちわびて、現在は『あまちゃん』をオンエアと録画で1日2回観るという生活を送っています。

数十年続いているNHK朝ドラの基本フォーマットは「さまざまな苦難に遭いながら、女性が明るく前向きに生きていく」というもので、『おしん』から最近では『おひさま』や『梅ちゃん先生』まで基本的にはその枠の中に入っています。逆に、その枠を少しでも逸脱すると視聴率が下がってしまう。

たださすがに、この21世紀の世の中で、「さまざまな苦難に遭いながら、女性が明るく前向きに生きていく」というテーマ自体が劣化しはじめ、すこし「張りぼて」に見えるという感じは否めなく、結果として、エンタテイメント中毒層などが離れていくことなっていきました。

そこで、『カーネーション』。「コシノ三姉妹を育てた母親の物語」という設定自体は上のテーマにかなうものですが、そこに埋め込まれたリアリティの質と量がすごかった。戦争犯罪あり、反戦あり、不倫あり。「張りぼて」ではなく、戦前・戦中・戦後における大阪での暮らしのリアリティがきちんと書かれていた。そこでエンタテイメント中毒層がまた集まりだした。

対して、つづく『梅ちゃん先生』は、朝ドラ王道路線に戻って守旧派(?)を安心させた作品と見ます。そして問題作『純と愛』。ワタシは認めないのですが、制作側があの作品に込めた意志はある程度憶測することができます―――「『カーネーション』のリアリズムの次は、シュール・リアリズムだ」。

人の心が読めるという特殊能力をもった少年、沖縄と大阪を舞台にしながら地元感覚がほとんどない「張りぼて」感覚、終盤のやたらとジェットコースターなストーリー展開、などなど、従来の朝ドラの話法をことこどく挑戦し、ことごとく失敗したという印象。



さて、ワタシは宮藤官九郎のテレビ作品のファンです(映画作品は認めません)。彼の小ネタギャグてんこもりの脚本はワタシの生理に合います。今回の『あまちゃん』も「都会の少女が海女になり、そして地域アイドルになる」という触れ込みを聞いたときから、すでに期待と、そして勝算を感じていました。

ただ、実際に観てみると、笑いについて確実に満足させられつつも、『カーネーション』で刺激された濃厚なリアリズムについても、ちゃんと応えていることに強く感動します。

80年代に「地方の時代」を夢見て、そして裏切られた東北の過疎の町の現実。SONYの「Y」が落ちている看板。都会を夢見て、そして出戻りする女性。都会でひきこもる少女。そして松田聖子とレイヤード・カット……

単なる「クドカン風お笑いドラマ」ではなく、というか、それに加えて、『カーネーション』ががっぷり四つに取り組んだ、そして『純と愛』がするりと回避しようとした濃厚なリアリズムとも真正面から向き合っている。



昔、田家秀樹という音楽評論家がブルーハーツについて、「現実を背負いながらロックンロールしている。他のバンドがいう『がんばれ』は他人事だが、彼らが《人にやさしく》で歌う『がんばれ』は現実味がある」という意味のことを語っていました。

ワタシたち、エンタテイメント中毒層は、「そのコンテンツが現実を背負っているか、背負っていないか」について、非常に敏感です。

朝だからといって、時計代わりに適当に流しておくドラマなんて要りません。朝だからこそ、現実を直視し、格闘する濃厚なリアリティを観て、一日を生き抜くパワーを得る―――という気分で、毎朝、『あまちゃん』に向かうのです。

うむ、今回はちょっと文章が大げさすぎたか。じぇじぇじぇ( ‘ j j j ’ )



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20130407/ラジオDJになりたかった頃。

……は、(ワタシが大好きな遠い昔の)思い出話ではない。なんと2年前まで続いていたのだ。

というのは、2011年にTBSラジオが行った「パーソナリティ・オーディション」に応募、一次審査に合格(応募音源がTBSで流れた。その番組の司会、小島慶子が呆れて笑っていた)、二次の最終審査としてTBSのスタジオに行き、フリートークをして、そこで残念ながら落ちた。

落ちた理由がまたふるっていて、「(フリートークで話した)日本シリーズの浅尾と森福の『男前vsブサイク・シリーズ』の話とか、痛快で、トークも抜群に上手いのですが、最終選考の20人の中で最年長でして、そのせいか、トークが昔のAM風なんですよね。我々は新世代の話し手を探してますので……」。ある意味最高評価(笑)。不満はない。

よくワタシ年代のオヤジが「昔○○になりたかったけど諦めた」と悲しげ(でもどこか自慢げ)に話すのを聞くが、ワタシが偉いのは、ついこの間まで諦めずにチャレンジし、たしか800人くらいの応募から最後の20人に残っていることだ。もっと偉いのは、そこで落ちながら、その事実を隠さず、ここであけすけに書いていることだ(笑)。

この度、開店休業中だった、 「ラジオデイズ」 のコーナーを修復した。1995年から1999年の間、FMヨコハマで話していた音源をアップしたもの。いっしょうけんめいネタを自分で作って、工夫して話している。生硬な感じもしつつ、我ながら面白い。人生の誇り。

ただ、なりたかったのは、実はこのような「個性的な話し手」(=パーソナリティ)ではなかった。「レコード盤を自由にあやつる騎手」=ディスクジョッキーだ。

なのに「パーソナリティ」の方角から攻めなければいけなかったのには理由がある。「ディスクジョッキー」の市場が存在しなかったからだ。少なくとも今、東京のラジオ業界で、音楽を主役にして、音楽の話をするディスクジョッキーはいない。いたとしても、とってもレア・ケース。

聴いたことはなかったが糸居五郎、亀渕昭信。大阪時代で言えばマーキー谷口。東京に来て、よく聴いた小林克也、大滝詠一、佐野元春、山下達郎。最近では、ラジオ日本「ミュージック・パワーステーション」の鈴木ダイ。

少しだけラジオ業界を覗かせてもらったのでよく分かるのだが、(ワタシにとっては)「普通の音楽DJ番組」に対して臆病になる性質が、ラジオ人にはある。おのれがそうとうマニアックな音楽好きのくせに(いや音楽好きだからか)、「いまのリスナーは音楽の押しつけなんて受け付けないですよ」という一種の諦観に囚われている。

対してワタシは、「たった聴取率2%台のメディアなんだから、むしろ超マニアックな2%を上乗せすると聴取率は倍増しますよ」と言いたくなるのだ。言わないけれど。



この春、メディア界にふたつの革命が起きている。ひとつは、NHKの朝ドラ『あまちゃん』。宮藤官九郎による画期的な脚本が、『カーネーション』とは異なる手触りの革命を華々しく宣言した。そしてもうひとつは、深夜のAM電波に乗ってひっそりと進められた。

「ダイノジ大谷ノブ彦のオールナイトニッポン」。このサイトの読者的にはご存じ、大谷氏が満を持して、タモリや小泉今日子が担当していた水曜深夜の「ゴールデンタイム」に登場し、形だけの双方向でリスナーを愚弄するような「コーナー」一切なしで、音楽、それも洋楽を主役にして、実に暑苦しく洋楽を語りはじめた。

革命と仰々しく言うのには理由がある。いまやFMも含めて、「いまのリスナーは音楽の押しつけなんて受け付けないですよ」という、一見ニュートラルな、それでいて決定的な問題先送り、責任回避に囚われているからこそ、大谷氏の、一見オールドスクールな番組作りが、革命としての意味を持つのだ。

大谷氏とはすこし面識があったり(氏の FM番組 に寄せていただいたことがある)、また前回のオンエアでもワタシの名前を出していただいたので(上のYouTubeのラスト1分)、この上なく書きにくいのだが、こんな機会はない。軽く興奮している。ので、この場で番組を紹介し、末席から革命に加担してやろうと思うのだ。

ただ、単なる馴れ合いとは思われたくないので、ひとつだけ苦言を。「大谷さん、 このサイト のデザインはないでしょう!(笑)」



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