20131231/はっぴいえんど~幸せな結末。

数少ない自慢事のひとつに、1997年2月7日のFMヨコハマで生放送された彼の特別番組に「出演」したということがある。厳密には、スタジオに忍び込んだという感じだったのだが、番組の中で、何度も名前を呼んでもらって恐縮した。

さらなる自慢事として、番組が終わって、サインを求めたときに、「スージー君は、今後仕事をする可能性がある人だから、サインはしません」と断られたという経験がある(嘘のような話だが、このくだりは一時期、彼の公式サイトで書かれていた)。

自慢の部分はさておき、この話の本質は、「あんまり神格化するなよ」という彼の本音である。この心の声に、さらに言葉を継ぎ足せば、こうなる。「たかがポップスじゃないか」。

たかがポップス。ご存じのように彼は、ポップスの歴史の分析、構造化に、異様に執着したのだが、その背景には、「安易に神格化して、情緒や観念で語るなよ。たかが、60年代に一瞬だけ花開いたガール・グループ、ロネッツじゃないか」という思いがあったと信じている。

だから、以下、ワタシも彼を、情緒や観念で語らない。

一般的に言えば、彼のもっとも大きな功績は、「日本におけるポップスの確立」だと思う。フォークやロック、ニューミュージックとは異なる、要するにドライブのBGMとして聴き流せる音楽が日本に生まれたのは、1981年の3月21日。ただそのことは、ある年齢以上の人なら、みんな知っているだろう。体感しただろう。

ワタシはそれよりも、もっと重要な功績が2つあると思っている。

ひとつは作曲家として。彼が世に出た最初のアルバム。一説にはそのバンドでいちばん初めに作った曲、《12月の雨の日》。Am7、Cmaj7、Dsus4、そして、GからDへの五度上転調。1970年の夏、この陰影あるコード進行が流れたときの衝撃はいかばかりか。

そしてもうひとつ(これが一番の功績だと思う)。ボーカリストとしての、日本語の歌い方の発明。すでに《春よ来い》でほぼ完成されている。何度も書いているが、彼から、矢沢永吉、桑田佳祐、佐野元春、そして岡村靖幸に、1本の補助線が引けるのだ。

話を戻すと、1997年のFMヨコハマ以降、邂逅することはなかった。こちらもラジオの仕事が無かったし、彼も、音楽活動を控えていた。冷静に考えると、あの段階でもう、創作活動へのアイデアやエネルギーが枯渇していたのではないか。それは、1975年以降のジョン・レノンにも感じる印象である。

実際にそうだったとすると、山下達郎や、松任谷由実、矢沢永吉、そして誰よりも沢田研二(彼と同級生)という人たちが、怪物のように思えてくるのだが。

ただ、だからと言って、彼の功績が否定されるわけでも何でもない。また1970年の夏に時計を戻す。その、彼が世に出たアルバムで、奇妙な日本語発声によってこう歌っているのだから。

「でも 幸せなんて どう終わるかじゃない どう始めるかだぜ」。

その曲、そしてそのアルバムのタイトルは、『はっぴいえんど』。だから湿っぽいことは書きません。書いちゃダメなような気がするのです―――「あんまり神格化するなよ。たかがポップスじゃないか」。



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20131229/紅白歌合戦・泉谷しげる出演についての妄想。

実際のところ、会場に大きな歓声が起きたわけではないが、泉谷しげるの後ろに並ぶ貫禄の面々について、古くからのロックファンなど、見る人が見れば唸ったのではないか。一時期、「泉谷しげる with LOSER」の名前で活動していたメンバー。下山淳(Guitar)・村上“ポンタ”秀一(Drums)・仲井戸麗市(Guitar)・吉田建(Bass)。言わば、日本ロック史を支えてきた面々である。

曲名は『春夏秋冬2014』。昨年紅白の斉藤和義『やさしくなりたい』に続く、堂々の生演奏。最近の紅白では、ほとんどの曲がカラオケになっている中、とても珍しい。アレンジは、LOSERがバックをして発売された『春夏秋冬』のリメイク・バージョン(88年)に基づいており、U2の影響を受けたであろう、ギターの3弦のみを使った独特のイントロで始まる(偶然だがそれは、『やさしくなりたい』のイントロに少し似ている)。

普通にワンコーラス終えたところで、異変が起きる。おそらく事前の摺り合わせがなかったのだろう、カメラワークが混乱する中、仲井戸麗市が聴き慣れたコードストロークのイントロを演奏する。RCサクセション『雨上がりの夜空に』。泉谷が叫ぶ―――「俺の中ではあいつは生きてるんだ!」

それは忌野清志郎が亡くなったとき、泉谷が述べたコメントと同じ。実は泉谷は、自らのサイトでこのような言葉も残している。「忌野清志郎の存在を生かしつづける事がオレの果たす役割だと勝手に思ってるンで」。

そこからは、怒濤のRCサクセション~タイマーズ~清志郎メドレー。『雨上がりの夜空に』に続いて、『トランジスタ・ラジオ』、震災直後のチャリティ・ライブで泉谷がカバーしたタイマーズの『サマータイム・ブルース』。ここから、脱・原発メッセージに賛同する坂本龍一がキーボードで登場、2人で一瞬だけ『い・け・な・いルージュマジック』を披露し、自身の『黒いカバン』の歌詞を使った警察批判、「カバン」からつなげての猪瀬直樹批判(曲名は『小さいカバン』)をはさみ、最後は放送禁止用語(タイマーズ時代の清志郎がフジテレビの深夜番組で叫んだ4文字)で締める、とてもクレイジーな10分間。

思えば伏線はあった。出場が決まったときのコメントで、「昨年の紅白をひさしぶりに拝見したのは美輪明宏さんが『ヨイトマケの歌』をノーカットで歌うからで、放送禁止歌を生放送するNHKにも興味しんしんだったな」と語っている。泉谷が珍しく人を「さん」付けした背景として、美輪明宏へのリスペクト、そして自らもその意志を継ぐという決断があったのだろう。

2013年12月31日、またひとつの「紅白伝説」が生まれた。それは、これまでの伝説に比べて幾分、切っ先の鋭い濃厚なものであり、これからも賛否両論の中で語り継がれるであろう。

(「妄想スポーツ」紙・元旦号より)

それではみなさん、よいお年を。



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20131222/2013年コンテンツ・オブ・ザ・イヤー&レコード大賞~「ぼくたちの80年代」の視点から。

コンテンツ・オブ・ザ・イヤー:NHK『あまちゃん』

最優秀テレビドラマ:NHK『あまちゃん』

最優秀女優:小泉今日子(NHK『あまちゃん』)

最優秀男優:杉本哲太(NHK『あまちゃん』)

最優秀脚本:宮藤官九郎(NHK『あまちゃん』)

そして、

2013年度レコード大賞:大友良英『あまちゃんオープニングテーマ』

もう『あまちゃん』の素晴らしさは、そこかしこで語られているので、個人的な思いだけをここで書いておけば、それは「ぼくたちの80年代」ということだ。

『ぼくたちの70年代』(高平哲郎)という本があって、内容はよく覚えていないのだが、近くの本棚に置かれていて、そのタイトルを、しばしば、しみじみと眺める。

強烈に濃厚で、それゆえに、映画や小説、ドラマとかで何度も取り上げられ、同時代人たちが熱狂する、60年代、70年代。高平哲郎が、おそらく思い入れを込めて「ぼくたちの」と名付けるような時代。

対して、軽薄で、薄っぺらで、パステルカラーな、「カス」のような80年代に思春期を迎えたワタシたちには、そういう世代共感の場が(少)なかった。大げさに言えば、なんだか、「80年代出身です」と言ってはいけないような空気さえあったように感じる。

日本には確かに80年代という時代があって、それは、テクノポップと漫才ブームで始まって、「地方の時代」だと浮かれながら、結局報われなかった田舎があって、松田聖子と小泉今日子が躍動して、そうして秋元康がさっそうと表れて全部持って行った、いろんな意味でクラクラするようなディケイド。

「ぼくたちの80年代」を生きてきた脚本家が、「ぼくたちの80年代」を生きてきた俳優を通して、「ぼくたちの80年代」のずっと先にある「ぼくたちの2010年代」を語る。

個人的には、『あまちゃん』を観て、あぁ、「ぼくたちの80年代」が、確かにここにある、と感じていた。

40代、ひいては50の声を聞く世代が、やっと、自分たちの歴史と歩みにプライド(それはちょっと斜に構えたものなのだが)を感じられるようなドラマと出会った年、2013年。

そんな、ちょっと鼻の頭がツンとするような思いになるだろう。これから『あまちゃんオープニングテーマ』を耳にするたびに。

(今年、『あまちゃん』について語り尽くした記事)
20130414/『あまちゃん』の濃厚なリアリズムについて。
20130622/『あまちゃんオープニングテーマ』の聴き方。
20130519/ちょっと軽薄で、でも創造性にあふれた、ぼくたちの80年代。
20130817/「あまロス(あまちゃんロス)」時代を予測する。
20130921/テレビドラマ史が塗り替えられる瞬間。

最優秀テレビドラマ(銀):『終電バイバイ』(TBS)

最優秀テレビドラマ(銅):『最高の離婚』(フジ)

最優秀ラジオ番組:『ダイノジ大谷ノブ彦のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)

準優秀ラジオ番組:『亀渕昭信のとことんビートルズ以前』(NHK FM)

最優秀書籍:

最優秀アルバム:

Most Funky Player:田中将大(東北楽天ゴールデンイーグルス)・パレンティン(東京ヤクルトスワローズ)

最優秀漫才:学天即(よしもとクレエイティブ・エージェンシー)

最優秀映画:『風立ちぬ』




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20131215/恒例!『THE MANZAI 2013』直前予想。

最初に断っておくが、「M-1グランプリ」時代より、ワタシの予想など当たったことはない。辛うじて2006年のM-1のチュートリアルを当てたくらい(あのときの予想は楽だった)。

言い訳をすれば、「当てにいってないから」だ。たとえば今回、ウーマンラッシュアワーや千鳥を優勝予想するのが、実は常套だと思っている。しかし。お笑い界の未来を考える上で、そんな優勝はちっとも面白くないので、そういう予想はしない。

「ひと晩にしてお笑いの勢力分布図が一変する」。これがM-1やザ・マンザイの醍醐味。だから、お笑い界の未来を面白い方角に動かすような勢力一変を祈念して、以下のような予想をさせていただく。

Aグループ

1位:オジンオズボーン
2位:千鳥
3位:レイザーラモン
4位:チーモンチョーチュウ

Bグループ

1位:学天即
2位:ウーマンラッシュアワー
3位:銀シャリ
4位:風藤松原

Cグループ

1位:NON STYLE
2位:東京ダイナマイト
3位:ワイルドカード決定戦の勝者(和牛)
4位:天竺鼠

決勝:

優勝:学天即
2位:オジンオズボーン
3位:NON STYLE

学天即については、よく知っているわけではないが、関東地区でもちょいちょい流れる大阪制作の漫才番組で圧倒的な成長を確認している。

特に「NHK上方漫才コンテスト」、「NHK新人演芸大賞」のネタが素晴らしかった。後者のネタは、「大阪に旅行する」という設定で、「難波→通天閣→梅田→海遊館」というコースをボケの左側が呈示する。対して左側が「コースに無駄が多い。お前何べん本町駅で乗り換えてんねん」とツッこむ(大阪ローカルネタだけれど)。

余談ながら、さらに継ぎ足せば、そのネタで思い出したのは、いつかの「MBS新世代漫才アワード」で観たアメリカザリガニのネタ。柳原(左)が反復横跳びをやっている横で、平井(右)が「ここから北浜、ここから京橋、ここから北浜、ここから京橋」とナレーションを入れる。それに柳原が「俺、天満橋でなにやってんねん!」

Aグループは順当に行けば千鳥。ただしオジンオズボーンは昨年のザ・マンザイでの健闘の記憶も新しいので一票入れる。レイザーラモンは不敵な大穴。

Bグループのウーマンラッシュアワーは、一般的に優勝予想と言われるが、世の中はもうある程度、あの早口方法論を満喫したのではないか。もし優勝したとしても、昨年のハマカーン同様、消費される速度が速い漫才だと思う。

CグループのNON STYLEは、予想しつつも、いちばん起きてはいけない未来である。そりゃあ、個人的には東京ダイナマイトの大復活を観たいと思うが。ワイルドカード決定戦の勝者の和牛は、上記「NHK新人演芸大賞」でのインパクトを買っている。

「ひと晩にしてお笑いの勢力分布図が一変する」と書いた。そのイメージは、この曲のこの歌詞だ。

陽の光をさけながら 栄えているこの街角で
夜の天使たちが スターダムにのし上がる
一歩踏み出せば 誰もがヒーローさ
もしそれが 誰かの罠だとしてもだ
朝が来るまで 君をさがしている

佐野元春《君をさがしている》

たくさんの若者が、ひと晩でスターダムにのし上がる。そこには数多くの罠が仕掛けられているのだけれど、それを観て、また新しい若者がスターダムを目指していく。その繰り返しの中で起きる、お笑い界の、痛快で、そしてちょっぴり危険な新陳代謝。

ただ、新陳代謝を感じることが出来ない結果になるのも、最近のM-1、ザ・マンザイの常だ。ただそれでも、番組終了後にこうつぶやくだろう―――「それでもやっぱり、漫才は面白い」。



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20131207/朝から『ごちそうさん』の《焼氷の歌》にひっくり返る。

NHK『ごちそうさん』の視聴率が健闘しているという。前作『あまちゃん』のような強烈な魅力には欠けるものの、いくつかの理由があって、ワタシも見続けている。

大阪のローカリズムを(比較的)しっかりと表現していること、見事な料理がたくさん出てくること、加えて、音楽の素晴らしさである。

音楽を手掛ける菅野よう子という人はよく知らなかった。ただ、あの《花は咲く》が良くなかったので(なぜ野村克也の歌を聴かねばならないのか)、『週刊ベースボール』誌で批判したことがある。

しかし、この『ごちそうさん』での音楽は、とても丁寧に作られていて好感が持てる。おそらく既存クラシック曲のパロディ気分で作っているのだろう。ガーシュイン風、ショパン風、モーツァルト風……。

そんな中、特に、先週流れた《焼氷の歌》(正式タイトルは《焼氷有りマスの唄》)は素晴らしかった。息をのんだ。歌詞はこちら

歌っている希子役の高畑充希という子も知らなかったが、ワタシと同郷、東大阪市出身と聞いてびっくり。歌も実によい。そして菅野よう子の画期的なメロディ。

レナード・バーンスタインによる『ウエストサイド物語』サントラの《トゥナイト》あたりを下敷きにしたのではないか。《トゥナイト》は、世界でいちばん美しいメロディと思っている。だからこの曲も相当に美しい(大正時代に、日本でこんなにモダンなメロディやコードがあるものか=笑)

朝ドラの歌で、朝からひっくり返ったのは、最近ではご存じ、鈴鹿ひろ美《潮騒のメモリー》(ライブat北三陸)、ちょっと前では、《芋たこなんきん》の林明日香による《We Shall Overcome》。これらに匹敵する出来だと思う。

そういえば『紅白歌合戦』で『あまちゃん』はどう取り扱われるのだろう。ワタシの考えでは、「紅組」の中に「あま組」を作って、天野春子・鈴鹿ひろ美・潮騒のメモリーズによる《潮騒のメモリー》豪華メドレーを聴きたいと思う。もしくは「あさ組」として、《焼氷の歌》もちょこっと混ぜてみるとか。

iTunesやアマゾンでダウンロード販売されているとのこと。



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20131203/ザ・タイガース時代の沢田研二が背負っていた深い孤独(終章)

ザ・タイガース再結成at武道館は、よく考えたら全くもって無茶である。久しぶりに集まった還暦越えメンバーが、サポートメンバーなしの生歌生演奏。広い武道館にたった5人、和音楽器はギター2本だけ。今どき、若い盛りのバンドでもこんな無茶はしないだろう。

事実、その冒険は成功したとは言い難く、向かって左の3人(沢田、瞳、岸部)は溌剌、しかし右の2人のギターがモタモタする。ただ、あくまで「5人だけ」にこだわったのは沢田研二本人ではないだろうか。40年間、それだけをずっと夢見ていたはずだから。

その昔、《いくつかの場面》という曲で、「♪出来るなら もう一度 僕のまわりに集まって来て やさしく肩たたきあい 抱きしめて欲しい」と泣きながら歌った沢田研二。右の2人に「モタモタすんなや」と言うのも心から幸せだろう。また「還暦を越えてここまで出来る」、否「ここまでの冒険をした」こと自体が同世代へのメッセージとなる。

それにしても、この限界まで簡素な編成で、本気でドームまで走りきるつもりなのだろうか。もしそれに成功したらロック界のひとつの奇跡になる。それも見たいし、ただファンとしては盟友のギタリスト柴山和彦に助けてもらって安心して見たい気持ちもある。

ワタシは、最終日の東京ドームにも行く。ジジイども、頑張れ。

最後に。沢田研二は今、あの頃の日劇に戻って、他のGSや客席、そして何よりタイガースのメンバーに対して誇らしく叫びたいだろう。「おい、みんな、ビックリすんなよ、オレら、45年後の武道館で、『君だけに愛を』やってるんやで!」



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20131201/ザ・タイガース時代の沢田研二が背負っていた深い孤独(2)

日本音楽史における超ド級の歴史資料だと思う。18,000円は正直イタかったが、内容的には永久保存版だ。

このDVDに入っている解散コンサートは、LPとして、約30年前の高校時代に、東大阪市小阪のレコード屋で買った(店の名前まで覚えている。「多喜」だ)。しかし、そのLPに比べてこのDVDの音源は、音の迫力が格段に増している。

そのせいかもしれないが、演奏のレベルが非常に高いと感じた。解散コンサートで演奏が極まる例は少ないと思うが、タイガースとキャロルは、そういうことになる。

MVPは森本太郎。岸部シローのギターが安心できないものだから、中高音域の伴奏をほぼ1人で担うこととなる。コードから、ファズを用いたソロ、その上ハモンドオルガンと八面六臂の大活躍。

いろいろな事情と経緯を知ってしまった今では、この映像の中にいる若者5人の孤独と不安を憶測できる。

アメリカから連れ戻され、綺麗な衣装を着せられ、弾けもしないギターをあてがわれ、それでも天性(声)のボーカルを粛々と聴かせているシロー。

自らグループを結成することは決まっていたものの(タロー&アルファベッツ)、メンバーの中で、次なるステップにもっとも不安を感じていたであろうタロー。

ナベプロに、そして芸能界自体に嫌気が差し、また、それに対して従順になっているメンバーにも辟易(サリーに「京都に帰ろう」と持ちかけて拒否されている)、「今日が人生最後のステージだ」とMCで断言しているピー。

自身の抜群のベースプレイに手応えを感じながら、決して世間から祝福されないであろう新バンド「PYG」へと敷かれた、けもの道のようなレールにただ身を任せているサリー。

そして、繰り返すが、80~90年代に極まるあの艶っぽいボーカルの片鱗はどこにもない。メンバーの中での音楽的劣等感を押し殺し、「タイガースのジュリー」を最後まで演じる、22歳のジュリー。

沢田研二ボーカルのひとつの極みと思う、10年後の《渚のラブレター》(アルバムバージョン)。こんな歌い方ができるようになるとは、本人も思っていなかったのではないか。

1971年1月24日。世間では、既に岡林信康や吉田拓郎が出てきていて、またこの年の9月には、この解散コンサートと同じ武道館の舞台にレッド・ツェッペリンが立っている。そして11月には、はっぴいえんど『風街ろまん』がリリース。

そんな状況の中、さまざまな思いを抱えながら、お世辞にも器量がいいとは言えない(失礼)女性ファンたちの前で解散を確認する、彼ら5人の心中やいかに。

それから約43年。そしてワタシがLPを買ってから約31年。ヤフオクで入手したチケットを握りしめて、47歳なりたてのワタシが明後日、武道館に向かいます。



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20131124/ザ・タイガース時代の沢田研二が背負っていた深い孤独。

集英社新書『ザ・タイガース~世界はボクらを待っていた』(磯前順一)読了。

それにしても最近、こういう歴史探究本の密度がやたらと濃い。おそらくネットの普及や、それを背景とした昔の書物、資料入手のスムーズ化が背景にあると思うのだが、まぁ、それにしても知らないことが次から次へと語られる。読み応え十分。

書き方自体は、あまり情緒を寄せずに、時系列で事実を淡々と書き連ねていくのだが、ぼやっと浮かび上がってくるのは、人間関係のシビアさ、タフさだ。

ザ・タイガースは、「京都の友人たちが自発的に作ったバンド」のイメージが強いので、なんとなく穏やかな人間関係をイメージするのだが、なかなかどうして、世のバンドと同じく(あるいはそれ以上に)、緊迫した人間関係があったようだ。そのあたりをこの本はよく伝えている。

そしてワタシは、やはり沢田研二に思いを馳せる。ここで語られているザ・タイガースの歴史を、沢田研二の視点から見たらどうなるかと―――それはもう、あまりに残酷な4年間と言えるのだ。

まず全盛期に、加橋かつみとぶつかっている。割り切って黙々と仕事をこなす沢田と、自由を求める加橋という構図(この構図は日本におけるバンド内対立の基本線)。ステージ・マナーの件でもめて、渋谷公会堂で殴り合いの大げんかをしたという。

ちなみに沢田研二は、ザ・タイガースのシングルの中で、加橋がソロを取る《花の首飾り》がいちばん売れたことを相当ショックに思っていたとのこと。こんな事実も今回初めて知った。

そして、後期には瞳みのる。これは沢田対瞳というよりも、渡辺プロ対瞳という意味合いが強いのだが、ザ・タイガース解散の日の夜、瞳はメンバーに「10年後に君たちは乞食になっているだろう」と言い残して、そのまま家財道具を載せたトラックで京都に帰ったという。

当然のことながら、残る岸部修三や、森本太郎も、フロントマンの沢田研二だけが前に出て行く感じに対する逡巡はかなりあっただろう。ただし、そこについての発言がほとんどないのは、彼ら2人が、他のメンバーに比べて大人だったということか。

他にも沢田研二は、ファンに裏切られ(「キチガイ」とののしったファンを殴っている)、ブルーコメッツの井上忠夫に雑誌の対談で批判され、さらにはテレビ番組で、柳家小さんや國學院高校の教師から詰め寄られて激怒している(ちなみにその教師の言い分は「タイガースのファンは大脳がやられている」)。

あまりに残酷で、可哀想じゃないかと思うのだ。

正直、ザ・タイガースにおける沢田研二は、人気では圧倒的だったろうが音楽的には下位に甘んじる。ビー・ジーズばりの歌を聴かせる加橋かつみ、のちにジョン・ポール・ジョーンズに激賞される(事実)岸部修三のベース、そして当時としては的確な瞳のドラムの中で、はっきり言って当時の沢田研二のボーカルは二戦級だ。

そのことが、上の対立のひとつの引き金になっていると深読みする。そして、自分にあるものは歌だけだ、歌を鍛えるしかないと、腹をくくった、20代前半のジュリー青年の姿も目に浮かぶ。

波が去るようにみんなが離れていった沢田研二が(味方は加瀬邦彦と、自分に惚れていた安井かずみくらいのもの)、その歌声だけを必死に研ぎ澄ませて、圧倒的な歌唱力を得て芸能界に君臨していく壮大な物語。

そのスタート地点はゼロ、いや負の位置にあった孤独だったと、今さら知ることになろうとは。

12月27日の東京ドームでは、2階3塁側という遠いところから、そんな孤独から始まった壮大な物語の最終章をしっかりと目に焼きつけることにする。

追記:実証的なアプローチで書かれている本だと思いますが、一点だけ、1966年12月のフジテレビ『ザ・ヒットパレード』に、ザ・タイガースと同時にアンドレカンドレ(井上陽水)が出演しているという話は時代考証的に明かな間違いです。



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20131117/カバーとは、音楽家として何を背負っていくかの表明である。

ラジオNIKKEI2というちょっと変わったラジオ局があり、なんだか無思想にいろんな曲を流しているのだが、けっこう好きで、昼間仕事をしながよく聴いている。

そこで、音楽評論家の田家秀樹が出てきて(相変わらずお元気)、このBank Bandの《煙突のある街》を紹介した。

煙突のある街

作詞・曲:真島昌利

アパートの窓を開けると 憂鬱な気分になるぜ
薄曇りの空の下に 煙突が突き刺さってる
赤と白のストライプで 彩られたあの煙突
灰色の工場の壁 スモッグを吐き出しながら

この街を流れる川は 耐え切れない臭いがする
この街を流れる川は 耐え切れない臭いがする

工場のベルの合図で この街は動き始める
あんまり言いたくないけど 俺もそこで働いてる
工場の機械の音が 俺から耳を奪い取る
時間を殺す場所さ 自分を殺す場所さ

この街を流れる川は 耐え切れない臭いがする
この街を流れる川は 耐え切れない臭いがする

このあいだのストライキで 俺は前歯を失った
怒号と血の騒ぎの中 要求は削りとられた
組合幹部の奴等は うまいこと立ちまわってる
もう少し我慢をすれば 甘い汁が吸えるのかな?

この街を流れる川は 耐え切れない臭いがする
この街を流れる川は 耐え切れない臭いがする

俺はたまに手を抜いている バレなきゃ罪は問われない
隣りの部屋の学生は 一晩中咳をしてる
煙突のあるこの街で 俺達は訴えられた
責任逃れをしようか? 俺は今夜暴発する

この街を流れる川は 耐え切れない臭いがする
この街を流れる川は 耐え切れない臭いがする

恥ずかしながら、この曲は知らなかったが、真島昌利クオリティということで納得。ただし、ある意味それ以上に、ミスターチルドレン・桜井和寿のボーカルが素晴らしいと思った。ちょっとゾクっときた。

ミスチルは、約20年前のデビュー当時、東京FMの『Canon FMワンダーランド』(DJ:萩原健太)で、ロッテンハッツらとともによく耳にした名前(余談だが、ワタシはよくこの番組にFAXを送ってCDをもらっていた)。

《シーソーゲーム》あたりまで愛聴していたが、楽曲が思索的になり大作化していく中で敬遠しながら、いまに至る。ただ、このカバーを聴いて分かるのは、その間にボーカリストとしてそうとう成熟したということだ。

あと、そのラジオNIKKEI2の番組の中で田家秀樹が言っていた「桜井和寿が『俺は浜田省吾の歌い方のモノマネをさせたら日本一上手い』と豪語している」という話を聞いて、さらに惚れ直した。

桜井和寿という人は、真島昌利のこの曲をカバーして、浜田省吾をリスペクトしている人なんだ。要するに、そういうことを背負っていくという覚悟をしている人なんだ―――という驚き。

そういえば、愛する木村カエラの、洋楽オールディーズをカバーしたアルバムがずいぶん残念な出来だった。オヤジ音楽家連中にもて遊ばれている感じ。悪夢の「サディスティック・ミカ(エラ)・バンド」の再現。

カバーという行為は、自分がひとりの音楽家として、何を背負っていくかという表明なのではないか。

木村カエラはまだ若い。背負うものなど考えず、天性のボーカルでしゃにむに歌っていればよい。それで、40歳を超えて、歌手として、母親として、ひとりの女性として、いまよりももっともっといいオンナになって、そしてその頃に、 ジョニ・ミッチェルの《サークル・ゲーム》を歌ってくれれば十分だ。



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20131109/ 星野野球と落合野球。または、日本シリーズの田中将大へのワタシの見解。

TBSラジオ『荻上チキ・Session-22』という番組があり、そこで「今こそ語ろう、落合論!」という特集が組まれ、興味深く聴いた。

交わされた意見として、「勝つ」ということを何よりも重視した落合野球は面白いという論調が大勢を占めており、落合氏を好きでも嫌いでもない私だが、「うむ、確かにそうかもな」と感じた。というのは、落合采配とまったく真逆の事例を、つい最近、プロ野球で見せつけられたからだ。

ワタシは日本シリーズ第7戦の7回裏にこうつぶやいた。

「個人的には今夜、田中将大に投げさせるのには反対。日本一決定試合の最終回というのは、完全試合をしかけていた山井大介が降板するような状況だ。ヒロイックな起用や、ペナントレースでの貢献度を勘案した起用は似つかわしくない。ただ勝つことだけを考えて、監督が継投を完全に掌握するべきと思う」

第6戦後の星野監督インタビューに、「監督命令で投げさせたのではなく、田中が投げたいと言うから最後まで投げさせた」というニュアンスを感じた。ということは、第7戦も「本人が投げたいというから投げさせる」のだろう。だとしたら、それはちょっと違うぞ。そう思って、上のようなつぶやきをしたのだ。

事実、優勝後のインタビューで、星野仙一は、「もう、最高です! 考えられない継投だったけど、どうしたって田中が『行く!』と言うので。彼がいたからこそ、日本シリーズに出れたのだから、最後はアイツがふさわしいだろう、と託した」と発言した。

つまり、ワタシが感じたのは、「田中将大を投げさせすぎるな!」という憤りではなく、「田中将大が投げたいと言えば、いつでもどこでも投げさせるのか?」という疑問だ。「マー君登板批判派」には、どうも前者の「酷使憤慨派」が多いみたいだが、ワタシは後者だ。

監督がフィールドの全権を握り、知力を使い果たしながら、とにかく「勝つ」ために最大限の努力をする近代野球。個人プレーで投げて打っての集積ではなく、監督が描いた設計図に基づいた一糸乱れぬチームプレーを楽しむ知的エンタテインメント。日本のプロ野球界は、ほんとうに色んなことがあった歴史から学んで、やっとここまで来たんだ。

「野球タイムマシン」があるとすると、西鉄の稲尾、南海の杉浦らのシリーズ連投は、明らかに酷使だが絶対に観にいく。逆に、国鉄時代の金田正一がベンチにいて、4回くらいに国鉄が勝っていたら、監督を差し置いて、「ここから俺が投げる」とマウンドに立ち、実際に勝利投手になる、そんな試合は、ぜんぜん観たくない。

実はワタシは、田中将大のシリーズ登板をかなり楽しんだクチだ。ただ、「投げたいと言ったから投げさせた」という事実が、その楽しさをいくぶん低減させている。そして、つまるところ、これからはやはり落合野球の方角なんじゃないかと思いはじめている。

「もう、最高です! 考えられない継投だったけど、どうしたって田中が『行く!』と言うので。彼がいたからこそ、日本シリーズに出れたのだから、だから、最後はアイツがふさわしくないだろう、と託さなかった。そして斎藤隆に投げさせた。なぜならば、私こそが東北楽天の監督なんだから」―――これだったら、もっとカッコいいのに。

追伸: こちらの広尾晃さんのサイトも併せてご一読ください。



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20131102/キレ・タモ~ロックンロールとしてのタモリ論。

『笑っていいとも』終了ということらしく、タモリについてのいろいろな言説を目にした。なんとなくだが、その主張は、大きく三つくらいに分けられる感じがした。

(1)30年以上も『いいとも』に出続けた偉大さ。
(2)実はタモリはとても知的である。
(3)「密室芸人」時代のタモリは面白かった(『いいとも』以降、毒を失った)

実はワタシも、タモリに非常に入れ込んだ時期がある。80年代、中学三年生から大学生の始めあたりにかけて、タモリが出演する番組を欠かさずチェックしていた。

その結果として、あるクールな結論を持っている。タモリの「知性」とやらには興味がないし、『いいとも』以前、「密室芸人」時代のパフォーマンスも、そんなに上等ではない。ましてトランペットは全然上手くない。

では何故入れ込んだのか。それは、世の「タモリ論」があえて回避している事実、「キレるタモリ」、略して「キレタモ」(こういう言い回しをタモリは一時期よくしていた)の面白さである。言わば、タモリのロックンロール的側面。

ワタシの考えでは、タモリ・ファンはみんなこの「キレタモ」が好きなはずである。ただ、この事実は、世論のコンセンサスを得た「知的タモリ」の真逆の話なので、語るのが面倒くさい、億劫と感じるのではなかろうか。

「キレタモ」が堪能できるのは、まずはアルバム『タモリ3』のジャケットのこの写真(赤枠内。クリックにて拡大)。

この『タモリ3』では、《勝手にシンドバッド》のパロディ、《勝手にダイドコロ》のエンディングで「キレる」(1分26秒あたりから)。

アルバムでは、話題を呼んだ『タモリ3』よりもファースト『タモリ』のほうが傑作。この中の《歌舞伎中継「世情浮名花模越」》のエンディングでも「キレタモ」が堪能できる。

そして「キレタモ」最高傑作は、アルバム『タモリ』の中の《アフリカ民族音楽「ソバヤ」》のエンディング。「♪ウドン・ウドン・ソバ・ソバッ!」の絶叫(YouTubeにある「ソバヤ」は、なぜかこのエンディングがカットされている。意味なし)。

要するに、タモリの面白さとは、「メディアの中では不似合いな、いくぶん知的でサラリーマン風の冴えない男が、突然キレるところにある」と考えるのである。安っぽい評論節で言えば「普通人の日常の中に潜む狂気の表出」。

繰り返すが、世のタモリ・ファンは絶対、鉄道や地理に関してウンチクを垂れるタモリよりも、「キレタモ」が好きなはずだと信じている。

そして、会ったことはないし、会いたいとも思わないが、当のタモリ自身も、キレる自分を偏愛しているという確信がある。思春期にタモリにハマって中二病をこじらせたワタシが言うのだから間違いない。

「さっきまで俺ひとり あんた思い出してた」―――サザンオールスターズ《勝手にシンドバッド》
「先まで太くて 尻まで毛だらけ」―――タモリ《勝手にダイドコロ》
「桑田佳祐も、タモリもいない日本を、僕らは想像もできないし、したくない」―――川勝正幸



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20131026/統一球問題・調査報告書からのおそろしい憶測。

※「ロックンロールとしてのタモリ論」という原稿を予定していましたが、急遽、こちらに代えました。

「とんでもないことが起きているのではないか」と直感した。報告書の表面だけ切り取れば、下田事務局長という人が、勝手に、一人で、統一球を「飛ぶボール」に変えてしまったということになるのだが、その背後に、いろんなことが横たわっている感じがしたのだ。

||統一球問題における「調査報告書」について||

今となっては、話の焦点は、「統一球を飛ぶように変えたこと」ではなくなってきている。むしろ、反発力係数の視点で言えば、「あまりに飛ばなすぎたボール」を「0.4134~0.4374」という既定に沿うものに変えたということなので、結果だけ見ればむしろ好ましい(その意味では「飛ぶボール」という言い方は勘違いを招く。「ちょっと飛ぶボール」くらい)。

また、本来の焦点であった「真犯人探し」、加藤コミッショナーか下田氏なのかという問題も、この点、まだまだ不明な点が多いし、組織階層上で言えば加藤氏の責任は免れないから、個人的にはもはや関心事ではない。

ワタシが胸をいため、また「とんでもないこと」を予感するのは、本件に、特定の球団(複数)が深くかかわっていたと明記されていることだ。具体的には、報告書内43ページにおける次の一文である。

このうち、読売巨人軍、阪神タイガース、福岡ソフトバンク、オリックス野球クラブの4球団が「(※統一球の反発係数について)見直し必要」という意見であった。中でも、読売巨人軍は、詳細なデータを多数引用した上で、「2013年シーズンから、『新基準による統一球』での試合運営を要望します」「検証結果も踏まえ、巨人軍は試合球について、製造過程で反発力係数の設定見直しを行うなど、統一球の質の改善を強く求めます」との意見を述べた。

(※   )内筆者

いや、別に要望を出すのは自由なのだが、しかしまず、巨人・渡邉オーナーはご承知の通り、統一球に関して何度も苦言を呈していた。

「日本だけの野球だったら、何もあんな統一球にする必要ないんじゃないかね。フェンス間際でみんなホームランにならないでアウト。これで観客数が減ってんだよ」「今度、コミッショナーに会ったら話してみるけど」(2011年9月27日デイリースポーツ)

また昨年にはこんな発言も。発言最後の一文が、いまとなってはまことに不気味である。

「野球を知っている人なんかは投手戦が面白いかもしれない。0―0で最後に点を取って勝つのがいいかもしれない。でも僕らにしたらイライラするだけで、野球は空中戦が一番面白い。飛ばないボールを作ったというのは本当にばかげた決定ですよ。今年は無理だけど、来年は変わるんじゃないですか。多少はね」(2012年8月27日スポーツ報知)

以下はあくまで憶測であるが、万が一、数球団、とりわけ巨人による要望を超えた動きが、統一球の反発係数変更を具体的に後押ししたとして、その後押しの結果として、統一球変更の事実を先に掴んだ同数球団において、首脳陣や、まさか一部選手までに、その情報が今季初頭から渡っていたとすれば……

渡邉オーナーは、これもご承知の通り、「ジャイアンツ愛」がとんでもなく強い人である。上発言では、観客動員の点から統一球を非難しているが、反発力係数を高めたボールによって、巨人の強力打線をさらに強化することで、巨人の勝利につなげたいと考えたとしても不自然ではない。

自らの力によって統一球が変わるのであれば、それはチーム編成に大きな影響を与えることである。「ジャイアンツ愛」によって、その情報を早く展開し、早く積極的な手を打ちたいと思うだろう。そしてそれは、他チームに対して、強烈なアドバンテージとなる。

以上のような根拠より、憶測は広がっていくのだ。少なくとも、渡邉オーナーのこれまでの圧迫的な行動の上に、「来年は変わるんじゃないですか。多少はね」という発言がトッピングされ、さらに上報告書の記載があるのだから。

勘違いしてほしくないのだが、ワタシはこういう憶測が現実ではなかったと心から信じたいのである(憶測が当たっても一銭の得にもならない)。「ジャイアンツ愛」はともかく、プロ野球への愛の強度において、ワタシは渡邉オーナーにぜったいに負けない。ただ、巨人という球団は、歴史を見れば、そういう画策をしかねない球団であることもまた確かなのだ。

統一球を「変えた」こと、「無断で変えた」ことについては、正直もうどうでもいい。「誰と誰が」変えたのか、そして「誰が」その事実を早期に知っていたのか。それが、ひどく気になってきた。

本音を言えば、「飛ばないボール」による野球がそんなにツマラないものなのか?個人的には疑問に思う。MLBは、昨年・一昨年のNPBのボールよりも断然飛ばないボールで行われている。ワタシ自身は、昨年・一昨年の低得点試合を大人っぽい野球として楽しんでいたのだが。

ともあれ、さらに事実が浮き彫りになるのを期待したい。具体的にはまず、報告書43ページから48ページを、マスキング無しのかたちで見てみたい。

追記:それにしても、このような報告書が作成され、(マスキングはあるものの)公開されること自体は素晴らしいことだ。また書かれている内容も、個人的には十分に読み応えがあった。



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20131021/クライマックスシリーズ・ファイナル!!

20131020/それでも、クライマックスシリーズに賛成する。

「クライマックスシリーズ(以下CS)なんか要らない」という意見がとても目立つ。目立つのは、マスコミに出てくる評論家や論客に、そういう意見を持つ人が多いから、必然的にそのような論調を目にすることが多くなる。

標題のように、ワタシはCS制度に賛成の一票を投じるが、彼らCS反対派の言い分は、分からなくもない。というか、正しい。ただし、その正しさが「倫理的・教科書的な正しさ」にすぎないと思うのだ。

「144試合に勝ち抜いたチームが尊重されるべきだ」―――正しい。「勝率5割を切ったチームがポストシーズンに出るのはおかしい」―――わりと正しい。「3位vs3位の日本シリーズなんて観たくない」―――まぁ、正しい気がする。

ただ、とにかく、プロ野球にまつわるどんな事柄を考えるときにも、視点をまず2004年に置くべきだと思うのだ。そう、あの忌まわしき球界再編問題。

球界再編問題の根源はカネ。(その多くは明かされないが)今でも、ほとんどの球団が赤字経営であることから、じゃ、球団を合併させて、減らそうじゃないかという発想が出てくる。

ワタシ自身についても、あのとき、堤義明西武オーナー(当時)が「もうひと組の合併が進行しています」と話したときの衝撃は決して忘れない。一説にはそれは、福岡ダイエーと千葉ロッテ。「福岡ダイエーMホークス」を覚悟したときのショック。

ワタシがCSに賛同するもっとも大きな理由は、そのビジネス効果である。ペナントレースから消化試合を劇的に無くし、Bクラスの球団まで、長く夢を見ることが出来、またCSの開催によって、1位~2位の球団には、1試合あたり1億円を超える莫大な入場料収入が約束される。

CSのポイントは、球団経営の健全化に向けて、「野球の試合」で解決しようというスタンスである。球団合併などの乱暴で無粋な方法ではなく、野球の試合によって、野球ファンを集めながら、解決しようという目論見。

繰り返すが、「CSなんか要らない」は正しい。ただそれは「戦争に反対です」と同じようなレベルの正しさで、球団の経営問題や、たとえばアメリカ政府の横暴に対して、どう具体的に手を打つかが裏書きされていないと、単なるお題目にすぎない。

ノスタルジックなお題目を聞いているヒマはない。2004年より少しずつ進化してきた現在のCS制度について、ワタシはかなり優秀だと思っている。

「それでも、クライマックスシリーズに賛成する」―――びっくりするくらいこういう意見を目にしないので、あえて書いてみた。

あっ、大きな問題がひとつあった。「クライマックスシリーズ」という下品な名前だけは勘弁してほしい。



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20131013/「東京野球ブックフェア」セットリスト

本日はお疲れさまでした。「文化系野球ファンのフジロック」とも称される、「東京野球ブックフェア」の企画、石黒謙吾師匠との「野球レア音源、愛のいじり合いトーク」、無事(?)終了いたしました。好事家の貴方のために、セットリスト界一無用なセットリストを載せておきます。

#1:オリックス・バファローズ球団歌《SKY》

#2:寺田堂《広島で生まれた男》

(歌詞抜粋)
たどりついたら 市民球場前
黒田が投げたけど また負けて
北別府のカーブを 思い出しながら
最下位かと思ったら 5位だった!
広島で生まれた男じゃけど 広島の街よう捨てん
広島で生まれた男じゃけど 金本にはようついていけん
たどりついたら 市民球場前
青春に心を 震わせた街

#3:FM大阪「1985年阪神優勝時のダンスミックス」

詳細不明。情報求む。

#4:スージー鈴木「1998年横浜優勝時の打順ミックス」

#5:Bruce Springstone《Take Me Out to the Ball Game》

#6:恵比寿マスカッツ《かわいい甲子園》

#7:「新庄、敬遠のボールをサヨナラヒット」の実況

#8:済美高等学校学園歌《光になろう》

詳細は、この済美高校公式サイトへ。

#9: 川藤幸三・アルバム『Kawato Voice』

#10: スージー鈴木《ミ・ナ・ミ・ム・レ》

#11: スージー鈴木《デストラーデ》



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20131011/クライマックスシリーズ2013!!

20131005/「教科書音楽」としてのザ・タイガース。

ザ・タイガースの再結成コンサート(東京ドーム)のチケットを買った。いい機会なので、ザ・タイガースの音楽について、じっくりと考えてみたい。

ワタシ自身、ここで何度も書いているように、グループサウンズの中では、ザ・スパイダースの音楽性にもっとも惹かれるし、また演奏能力で言えばブルーコメッツが浮上してくる。ではこれら「A級GS」の中で、タイガースは本当に聴くべきところがないのだろうか。

ザ・タイガースの音楽(とりわけシングル曲)が残した功績をいくつかまとめてみることとする。そのひとつは「マイナー・スケール」の導入である。

「マイナー・スケール」。具体的には上の譜面で示される音階。《僕のマリー》は「ナチュラル・マイナー」、《モナリザの微笑》は「ハーモニック・マイナー」と細かな違いはあるが、なんのことはない、「ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ(#)・ソ(#)」、音楽の授業で学ぶ、普通の短調の七音音階である。

ただ、《僕のマリー》や《モナリザの微笑》のような「普通の短調の音階」の音楽は、当時の歌謡曲(演歌含む)には案外珍しかったのである。というのは、当時主流を占めていた音階は五音音階。大陸的でシンプルな「ド・レ・ミ・ソ・ラ」や、日本的で情念的な「ラ・シ・ド・ミ・ファ」。いわゆる「ヨナ抜き音階」。

明治以降の脱亜入欧的な音楽教育。ヨーロッパの音楽(七音音階)の方が高級で、日本の土着的な音楽(五音音階)は低級という考え方。その普及によって、少しずつ歌謡曲にも七音音階が浸透していった。その契機となったのがザ・タイガースの音楽だと考えるのである。

あとは「平行調への転調」。これは《モナリザの微笑》(Bm→D)や《花の首飾り》(Am→C)で聞ける、短調の暗い雰囲気のサビで突然陽が差し込む感じ。これも、学校で習うもっとも普通の転調と言える。

そしてコーラス。耳を凝らして聴いてみると、かなりコーラスがフィーチュアされているのが分かる。中音の沢田研二と森本太郎を挟み込む、加橋かつみの高音、岸部修三の低音。音楽の神様による配剤とも言える、見事な声域のバランス。彼らのコーラスの代表作・傑作は《君だけに愛を》。

このように、「七音音階」「平行調転調」「コーラス」という、明治以降の西洋音楽教育の教科書に準拠したような音作り。言わば「教科書音楽」。これがタイガースが日本の音楽にもたらしたものであり、この「教科書音楽」に鉱脈を見いだしたのは、作曲家・すぎやまこういちの才覚だ。

さらには、ザ・タイガースが歌い、奏でる音楽の「教科書音楽」性が、ザ・スパイダースやブルーコメッツにはない、一種の気品のようなものを(卓越した外見やファッションとあいまって)ザ・タイガースに与えたのである。

その後、《花の首飾り》のあたりで、類似品も増え、「教科書音楽」が陳腐化した段階で、村井邦彦という、すぎやまこういちよりも、さらに強烈に垢抜けた志向性の作曲家と出会ったことや、瞳みのると岸部修三のリズムセクションがぐっと成長したことなどが、バンド生命を長らえさせることとなった(嘘のような本当の話、ジョン・ポール・ジョーンズが岸部のベースを絶賛したという)。

2013年の12月27日の東京ドーム。音楽の教科書のページを一枚一枚めくるように、彼らのヒット曲を確かめてみたいと思う。



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