20140330/小泉今日子《夜明けのMEW》の聴き方。

さて、いよいよ火曜日です。よろしくお願いいたします。


突然ですが、今回は久々の「聴き方」シリーズ、1986年の小泉今日子《夜明けのMEW》を取り上げます。ワタシは世代的に松本隆派で、また後追いで阿久悠の初期作品をこよなく愛する者ですが、秋元康の、それも80年代中盤、彗星のようにあらわれたときの独特の言語センスにひっくり返った経験があります。

(「聴き方」シリーズ過去4作)
・桑名正博《哀愁トゥナイト》の聴き方。
・松田聖子《チェリーブラッサム》の聴き方。
・『あまちゃんオープニングテーマ』の聴き方。
・太田裕美『木綿のハンカチーフ』の聴き方。

阿久悠の時代は60年代中盤から70年代まで。80年代に入って、松本隆が阿久悠の座にとって変わり、松田聖子というとんでもなく大きな花を開化させた後、どうも本人が意欲を失いはじめた時代。

ニッポン放送~フジテレビ~とんねるず~おニャン子……というパステルカラーの土壌からムクムクと立ち上がってきた新しい才能―――秋元康。彼が、これこそ「時代の寵児」という存在になったころに放ったころ、1986年夏のクリーンヒット。それが《夜明けのMEW》。

夜明けのMEW 君が泣いた
夜明けのMEW 僕が抱いた
眠れない夏


イントロは暗い暗い、怒涛の【Em】。「♪夜明けのMEW」は「♪ソソソラシ~」(今回は固定ドで表記)とやたらとトラッドな歌謡曲の雰囲気。「MEWって何だよ」と思わせつつ、「泣いた」と「抱いた」で韻を踏み、「♪眠れない夏」で平行調【G】に展開。

重要なこととして、一人称が「僕」。まだボーイッシュなイメージを引きずっていた小泉今日子に男性視点で歌わせるというアイデアの切れ味。《なごり雪》から続く、「女性シンガーの男性一人称」特有の乾いた切なさ。

Aメロへのつなぎ、「♪ラソッラッソッ・ラッソラレレレ」は9thを使った、いかにも80年代中盤な音使い。個人的には、WHAM!《ラスト・クリスマス》の歌い出しの9thのニオイを感じる。

パジャマ代わりに着たシャツ ベッドの その上で
君は仔猫の姿勢で サヨナラ 待っている


ここで「MEW」と「仔猫」が呼応する。またこの一節は風景がクリアに浮かぶ。都内のワンルームマンション、ソファベッド、マールボロ、雑誌『ポパイ』。その印象を強く立ち込めさせるキッカケとして、「パジャマ代わりに着たシャツ」というフレーズが強力。

誰が悪いわけでも 誰のせいでもなくて
いつも 若さは気まぐれ


曲全体へのコンセンサスを誘発させる、「青春一般論」。秋元康はこの後も、こういう「青春一般論」を書くのがとても上手い。

愛をごめんね 愛をごめんね
もっと もっと もっと もっと
キスをすればよかったよね


「愛をごめんね」は、今となってはちょっと恥ずかしい「ザ・80年代」歌詞。「愛」を具体物化して主語にする手法は、オフコース《愛を止めないで》から始まり、「愛をください」という、J-POP濫用ワードのトップに君臨するフレーズにつながっていく。また「キスをすればよかったよね」の「ね」も、チェッカーズぽいというか、とても80年代的。

愛をごめんね 愛をごめんね
君をすべて知っていると思っていた


ここがこの曲の最大の山場。ワタシがこの歌詞を傑作と認めるのは、この「君をすべて知っていると思っていた」と2番の「君がすべて知っていると思っていた」の重ね合わせの部分。「を」は男性の子供じみた傲慢さ、「が」は、これも男性の子供じみた甘えを、たった一文字の助詞であらわすこのセンス!

ちなみに、とても抑制した仕事に徹している作曲・編曲も、ここだけはえらい凝っていて、 ここ によれば、【Am7】→【Am7/D】→【Cm6】→【B7】と、とてもカラフルなコード進行になっている。あとは、

シェイドを開けた分だけ 陽射しが 射すように
君が強がり言っても 今なら 見えるのさ


という、松本隆、ひいてはユーミンに対して挑戦状を叩きつけるような比喩フレーズや、

自由でいたいなんて お互い本当の気持ち
わざと 試しただけだね


という、「青春一般論」を経て、

愛をごめんね 愛をごめんね
君がすべて知っていると思っていた


と2度目のクライマックスを超えて、最後のサビでは歌詞を一部変えて、

心にMEW 君が泣いた
心にMEW 僕が抱いた
終わらない夏


と、「夜明け」を「心」に変えて、「心」が泣いているという意味で締める。お見事。一文たりとも無駄なフレーズはない。一般的にこの曲は小品、《木枯らしに抱かれて》のほうが名曲とされるが、それはハッキリいって田舎くさいセンスだと思う。

さすがに、ここまで完成度の高い作詞を量産しているわけではないが、阿久悠、松本隆にくらべて、圧倒的に長いその治世の背景には、このような優れた言語センスがある。

まぁ、正直、最近の秋元康は、あまり褒められた行動をしているようには見えないが、それでもワタシが彼を全否定できないのは、この《夜明けのMEW》の歌詞による麻酔が、まだ少しだけ残っているからだとも思う。

最後に。このような名歌詞を地味に、しかし確実に支えた作曲家は誰でしょうか。検索したらすぐにわかりますよ。



||リンク用URL||

20140323/あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

20140316/圧倒的な人間物語~『勇者たちへの伝言』(増山実)書評。

圧倒的。その面白さ、ページをめくる手が止まらない感じは、通称「キムコロ」、『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(増田俊哉)以来。約300ページ、おおよそ3時間で。

表紙でもわかるように、体裁は「野球小説」である。西宮を舞台として、阪急ブレーブスが語られる。ただ、そこから入ってしまうと、ストーリーをやたらと豊かにさせている、野球以外のタフな要素が多すぎて、ギャップを感じるのではないか。

「キムコロ」のように、一種の「ドキュメント・ノベル」という分類で臨んだほうがいい。

西宮からキューバを経て、北朝鮮の暗闇をさまよっていく壮大なスケール。特に、映画『パッチギ!』でも少しだけ語られた、北朝鮮への帰還事業に関する記述は凄絶である。

またこの話になってしまうが、いわゆる「ヘイトスピーチ」問題への違和感は、それを仕掛けている若者が、韓国人や中国人に対して、生身のヒトとして接したことがないのではないかと思うことである。

ワタシは大阪の下町出身なので、特に在日韓国人とは日常的に接して生きてきた。ただそれは70年代以降の話であり、『パッチギ!』やこの小説を読むと、その前には、もっともっと濃厚で複雑なヒトとヒトの歴史があったのだと震える。

議論は、そこから始めなければならない。

最後に二つだけ。線路が「直交」しているという表記がいくつかあるのだが、当時の阪急西宮北口駅は、線路が、実際に「直交」していた。このことを知っていると雰囲気が出ると思う。

もう一つ。著者・増山実氏は大阪で放送作家をされていた方と聞く。『探偵!ナイトスクープ』も担当していたとのこと(嘉門達夫《私はバッテラ》の作詞も!)。当然、百田尚樹氏との親交があったようで、なんでも、増山氏に文章を書くように勧めたのは百田氏だとのこと。

しかし。「ヘイトスピーチ」に代表される、いま世の中に蔓延する杓子定規な歴史観(それに百田氏も加担している)を超えて、日本と韓国の、生身のヒトとヒトが「直交」した歴史を描こうという機運が、この本によって火がつくだろう。

これだから、大阪の放送業界は、まったく一筋縄ではいかないのだ。



||リンク用URL||

20140308/この春はイベント出演ラッシュ。生スージーを観にきてください。

まずは、3/25の千葉ロッテファンイベント。「開幕前々々夜祭!俺たちの千葉ロッテトークライブ!」


司会はカネシゲタカシさん、加えてゲストに、リットン調査団の藤原さんに、あのジントシオまで。

私のパートは後半の「秘蔵映像マナ板ショウ」。さっきまで映像編集していました。アレとかアレも流します。ぜひ来てください。ちなみに「開幕前々々夜祭」というのはワタシ発案のコピーです。続いて。


こちらも。特にこちらは、ワタシがメインということもあり、お客さんが来てくれるか、ほんとうに心配です。

ただ、ちょっとマジメな話をすると、ひとつの本を作るのに、たくさんの人たちが関わっています。ということは、一冊でも多く売るために、「著者」として、できることは何でもやっておきたい。そんな気分で、「営業」します。

ギター持参も歓迎です。どんな素人の方でも、本の中でとりあげたあの曲を弾けるようにしてみせます。あと、ワタシが好きなギタリストの音源や映像も流したいと思います。あとは、石黒謙吾と共演なので、アイドル論も!



||リンク用URL||

20140302/大阪で観る『東京難民』。

大阪で観る『東京難民』at MOVIX八尾。意欲作。

二日酔いする映画。この、頭を鈍器で殴られたような衝撃がしばらく続く感じ。観終わった後、やけに気持ちがトゲトゲする感じは、井筒和幸の問題作(傑作ではなく。文句なしの最高傑作は『パッチギ!』)『ヒーローショー』以来。

ただし、奇想天外な殺人映画の『ヒーロー~』に比べて、今回のほうが現実に地続きの分、衝撃は大きい。金曜に観たのだが、いまだに二日酔いが続いている。確認だが、これと上のパラグラフは、言うまでもなく褒め言葉である。

父親が失踪し、学費滞納で大学を除籍になった大学生が、ネットカフェ難民になり、ホストになり、借金をつくり―――と、転落に転落を重ねていく物語。そして、このような話は、東京に、大阪に、どこにでも転がっている話なのではないか。

こういう話を見て初めて、逆説的に「リア充」という言葉の意味がよくわかる。そして、どうして日本はこうなっちゃったのかとゲンナリとする。それほど「ゼロ年代」の為政者は罪深い。

ラジオCMが、パチンコ屋と、宗教団体と、過払い請求弁護士事務所ばかりで占められる時代における『ふぞろいの林檎たち』。

吸い込まれるような美しさを見せるのが、大塚千弘(という女優。知らなかったが)。素晴らしい。この人を観る映画といっても過言ではない。『ヒーロー~』における、ちすん(大好き)、『パッチギ!』における楊原京子の位置にある。一言でいえば、「裏・真木よう子」のポジション。

また、山本美月の「蓮っ葉な」「おキャンな」(死語)魅力。『桐島、部活やめるってよ』のやたらと魅惑的な演技に、運動神経が乗っかった感じ。この人はテレビ番組やCMにおける優等生的な立ち居振る舞いよりも、小悪魔的な役柄のほうが引き立つ。

主題歌が『桐島、部活やめるってよ』と同じ、高橋優というのはアイデアがない。特に理由はないが、星野源が主題歌を担当するべき映画だと思った。

あと、宣伝文句の「格差社会を生き抜くための答えがここにある」というのはいただけない。そういう勘違いを誘う売り方は違うと思う。

と、いろいろと言いたくなる部分もなくはないが、全体としてとても満足した作品。そして、大塚千弘という女優がスターダムにのしあがるキッカケとなるだろう。彼女の前に、すーっと赤じゅうたんが敷かれた。

これから観る人のために言っておけば、体調万全、満腹状態で臨んだほうがいい。『ヒーローショー』の上を行く、2時間超、巨大な鉛の鈍器が襲ってくるのに耐えるために。



||リンク用URL||

20140222/『【F】を3本の弦で弾くギター超カンタン奏法』架空・新聞広告


20140215/動画で見よう。【スージー・メソッド】。

さて、いよいよワタシの著書、『【F】を3本の弦で弾くギター超カンタン奏法』の発売が近づいてまいりました。苦労したのは、ギターの演奏という極めて肉体的な行為をどう文章であらわすかです。苦心惨憺して、適切な日本語を選んだつもりですが、やはり限界がある。

そこで、特設動画サイトを立ち上げました。題して「動画で見よう。【スージー・メソッド】」。文中の、言葉で説明しきれない部分をすべて動画撮影し、YouTubeにアップしました。演奏はすべてワタシです。それも部屋着で。家のリビングにて。


超一流のバンドをバックに弾かれたギターは、なかなかとっつきにくくて、「自分で演奏してみよう」と、なかなか思えないものですが、このように、ギターだけを、それも動画で観てみると、そう高度なことではないとわかってきます。

あのソロも、アコギ一本で、ちょっとテンポを緩めれば、こんなにとっつきやすくなります。

そもそもギタリストの方々は、「とっつきにくい」と思わせることで既得権益を守っているわけですから、自らハードルを下げる必然性がありません。だとしたら、既得権益が一銭もないワタシが、ずるっとハードルを下げてみよう、そんな気分で本を書きましたし、この動画サイト作りも同じ思いの下にあります。

というわけで、ハードルを乗り越えて、楽しいギターの世界に入り込むために、この動画サイトもぜひご愛顧ください。

と、今回の話はこれで終わってしまうのですが、ちょっと寂しいので、「ワタシがいちばん好きなギターソロ」を追記しておきます。

1979年、ポール・マッカートニーが開催した「カンボジア難民救済コンサート」。その中で、雑多なメンバー(ロッケストラ)が集まって演奏した《レット・イット・ビー》のギターソロ。弾くは、当時ウィングスのギタリスト、ローレンス・ジューバー。

2分12秒あたりから。ローレンス・ジューバー、一世一代のギターソロ!。



||リンク用URL||

20140212/物語を捨て、コンテンツとガチンコに向き合おう~佐村河内守氏の問題について。

||佐村河内守のCDを購入していたファンは「返金」を要求できるか(弁護士ドットコム)||

佐村河内守氏のCDを買って「騙された」と憤っている人たちの感覚がよく分からない。誰がどう作ったのかという話は今後究明してもらうにしても、音楽なんて、誰がどう作ろうが、誰が演奏しようが、作品そのものがすべてだと思うのだ。

25年前、プリンセスプリンセス「DIAMONDS」のCDシングルを買った。歌詞も良かったが、それよりも演奏が良かった。あの粘っこい高速モータウンビートを聴きたくて買ったのだ。本人たちが演奏したのかは疑わしかった。某音楽誌は、この曲のスコアの説明で、別人が演奏していることを臭わせた。

昨年のあるラジオ番組に、山下達郎全盛期を支えたリズム・セクション、故・青山純と伊藤広規が出たのだが、そのとき「二人で、プリプリのいくつかの曲を演奏した」と発言。直感的に「DIAMONDS」も彼らの仕業だと感じた。

また別の話。昔「ドロボー歌謡曲」(データハウス)という本があって、そこに、レコード大賞を受賞した某曲の作曲者が、クレジットとは違う人物であるという記事を載せていた。なんでも、素人のデモテープを借用したというのだ。

それでもプリプリ「DIAMONDS」や、そのレコード大賞某曲の価値は、私にとっていささかも減じない。レコードやCDへの出費は、その作品=音の塊りそのものとの契約。誰がどう作ろうが、誰が演奏しようが、どうでも良い。マジで。

最後に。「それはポップスだからでしょ?クラシックは違うのよ」という意見もあると思うけど、そういうことを言っているから、歴史や逸話や経緯を過度に珍重しているから、クラシックがマニア市場になると思う。過度に珍重する人がマニア市場に閉じ込めていると思うのだ。

―――と、ここまでが土曜日にTwitter、Faceboockで書いたもの。ここで、面白い論考ふたつに出会う。

||佐村河内氏(名義)の作品を酷評する人々の心理とは(乙武洋匡)||

||コンテンツ消費の本質は背景の肩書きやストーリー消費なのか否か(杉本穂高)||

ワタシなりにまとめると、エンタテインメントの消費には「コンテンツ(そのもの)消費」と「コンテクスト(ストーリー・物語性)消費」の両面がある。そして、佐村河内守の問題については、後者=「耳の聞こえない人が、こんな作品を書いたなんてすごい!」的な「重苦しい、粘り気のある視線」が過度に作用したということになる。

ここで、佐村河内守の話を離れると、最近のエンタテインメント、特に売れ線のそれに感じる違和感は、「物語」性が過度に作用しすぎていないか、という疑問に等しい。

特に女性アイドルの世界。たとえばグループの無名メンバーがクローズアップされるときに、出自や志向性、性格などの「物語」が初めから「込み」で語られる感じ。また、新曲が出たときに、知性も品格もある論客が、その曲の意味や背景という「物語」をうっとりしながら語る感じ。

その結果としての、「AKBにとって前田敦子は何だったのか」「前田敦子はキリストを超えた~宗教としてのAKB48」とか、もう、ちょっと行きすぎだと思う。「何だったのか?」って、お前こそ何者だ。「物語」がオバケのように肥大していく。

その結果、「物語」に騙されて、CDを買った挙句に、「騙された・返金せよ」という人々が出てくる(出てきそう)。

エンタテインメントにおける「物語消費」が不要だ、とまでは言わない。ただし、まずは、余計な説明なしに、コンテンツそのものとガチンコで向き合おう。取扱説明書を読まずに、いきなりスイッチを押してみよう。それが一番健康的だと思うのだ。

自らの感覚を信じて、コンテンツそのものと契約を交わす。だから、返金など要求できるわけがない。



||リンク用URL||

20140208/ダフト・パンク《Get Lucky》は鳴り止まないっ。

ちょっと前になるが、グラミー賞授賞式における、ダフト・パンク《Get Lucky》のパフォーマンスが素晴らしかった。映像を観て、直感的に「こりゃ、カッコイイ」と思った。

ただ、よく観ていくと、ファレル・ウィリアムスやスティービー・ワンダーのボーカルは今ひとつ調子が出ていないし、ナイル・ロジャースのギターも、そりゃカッコイイけれど、ナイル含めたバンドの演奏自体が、クリック音を聴きながらの生演奏(要するにYMOと一緒)だと思うので、そんなにエネルギッシュなプレイには聴こえない。

ということは、つまり、この曲自体が「カッコイイ」ということではないか。そう思って、久々にコードやメロディを解析してみた。その結果分かったこと―――こりゃ、奇妙な曲だ!

まず何が奇妙かというと、キー(主調)がよく分からないのだ。延々と繰り返される循環コードはこれ。

これを見ると、【Bm】がキーと思われ、事実、いくつかのサイトではキーが【Bm】と明記されているが、グラミー賞での演奏を聴くかぎり、どちらかといえば【F#m】のほうが全体を支配している(最後のスティービーのパートのキーは確実に【F#m】)。

あと、執拗に繰り返される「♪We' re up all night to get lucky」のメロディが「♪シシシシッシ・シド#シラ」となっていて、これは【Bm】と言うよりも、最終的にファ#に落ち着く【F#m】と考えたほうが自然。

そもそもポップスとは、分かりやすさ・明快さの快感を求める音楽なので、多くの場合、転調もせず、キーがハッキリしている。でも、ごくごくたまにキーが不明快な曲があって、たとえば、一部で「世界でもっとも美しいメロディを持つポップス」と言われる、ビーチ・ボーイズの《God Only Knows》などはそれ。

【DonA】→【Bm6】→【F#m7】→【F#m6onA】→【EonB】→【Cdim】→【EonB】→【C#m6onA#】→【A】→【EonG#】→【F#m7】。なんじゃこれは? まぁ、《Get Lucky》はここまで変態的ではないシンプルな進行だけれど、とにかく、キーとして【Bm】と【F#m】が混在している奇妙な曲だ。

この奇妙さは、《God Only Knows》同様、結局「終止感」(音が落ち着いて曲が終わった感)の欠如につながる。要するに、曲が全然終わらない感じ。永遠に続いていく感じ。「ダフト・パンク《Get Lucky》は鳴り止まないっ」ということ。

ここでちょっとだけ余談。この【Bm】→【D】→【F#m】→【E】で、キャンディーズの《春一番》が歌えますね。歌いだしの「♪雪が解けて」の「ゆ」をシ(B)の音で取ってください。あと【F#m】を【F#m7】にすると、さらに歌いやすくなります。

で、最後に。この【Bm】と【F#m】でキーがゆらゆらする感じに聴き覚えがあるなぁと記憶の底を探っていくと、あった。荒井由実《ベルベット・イースター》。

この曲、キーは【Cm】と【Gm】の間でゆらゆらするのですが、《Get Lucky》と比較できるよう、半音下げて、頭を【Bm】としてコード進行を書いてみる。

冒頭の「♪ベルベット・イースター」のキーは完全に【Bm】。でも「♪小雨の」でちょっと違和感ある【F#m】が出てきて、《Get Lucky》的になる。で、キーがゆらゆらとし始めるけど、「♪窓にいっぱい」でまた【Bm】に舞い戻る。

それで「♪むかえに来て」でまた【F#m】が顔を出し、次は「♪ドアをたたいて」で、そのまま【F#m】で終止。なんというか、ヨーロッパ的というか、絵画的な進行。

結論。グラミー賞におけるダフト・パンク《Get Lucky》のカッコよさは、この曲の、とりわけコード進行が持つ「奇妙なカッコよさ」であり、それは、ユーミンやビーチ・ボーイズと通じるものである、と。

「おいおい、面倒くさい奴だ。もっと本能で愉しめばいいじゃないか」というご意見、ごもっとも。でもね。今乗っている新幹線、新大阪着が90分遅れと言われているので、ヒマつぶしに書いてみました。



||リンク用URL||

20140202/大阪文化を自分で矮小化する大阪人(その2)

「大阪文化を自分で矮小化する大阪人」以降、いろいろと考えることもあったので、続編というつもりで書いてみる。

まず前提として、ワタシと大阪の関係性をつまびらかにしておく。1966年、東大阪市生まれ、府立高校を出て、1年間、難波の予備校で浪人。その年に阪神優勝(1985年)。翌年、京都の大学を落ちて、不本意ながら東京へ。そのまま現在に至る。

なので、80年代後半以降の大阪は、東京から見ている。だからこそ、リアルなところは分からないが、逆に、大阪に住み続けた人よりも、客観的に、構造的に語れる自信がある。

80年代は、言わば「東京の時代」である。政治、経済、文化、スポーツを東京(関東)が全面制圧した時代。企業は東京に本社を移し、大阪制作・全国ネットのテレビ番組が無くなり、西武ライオンズが黄金時代を迎える。

今から考えれば、80年代前半の漫才ブームと85年の阪神優勝は、大阪というロウソクの炎が、消える前に一瞬、光を放った瞬間だったように思われる。

明石家さんまや、その次の世代を担うダウンタウンは東京に向かい、阪神タイガースは暗黒時代に突入、南海ホークスは大阪を去り、そして、バンドブームは完全東京主導。

さて、前回書いた、「大阪の家には必ずタコ焼き器がある」「大阪のオバちゃんはヒョウ柄を着ている」「大阪人はピストルを撃つ真似をされると殺されたフリをする」などの、言わば「大阪あるあるネタ」は、90年代に一気に広まったものである。80年代までは、こんなことは語られなかった。

堕ちていく大阪、しかし、大昔より大阪人のDNAに刻まれる東京への対抗意識は抑えきれない。そこで、大阪人の奇妙な言動をクローズアップし、それを拠り所にして、東京に対する大阪人としてのプライドを補てんしようとした―――そんな感じだろう。

そして、そんな大阪が堕ちていく時代のヒーローとして、やしきたかじん、辛坊治郎、宮根誠司、橋下徹らがいたのではないか。彼らは、東京に対する大阪人プライドを喚起し、扇動することがとても上手い。「大阪都構想」も、中身はともかく字面だけみれば、そういう意味でとても見事なコピーワークだ。

ハッキリ書いたほうがいいと思うのだが、ワタシはこういうムーヴメントが正直、苦手である。勘違いしないでほしいのだが、故郷を離れている分、郷土愛は人一倍である。だが、それゆえに、自らを矮小化し、そして扇動されていく故郷の像を見るのがツラい。

そして、その反動か、そんな奇妙な形で東京を意識することなど無かった 「大阪最強時代」の文化・風俗が強烈に愛おしくなってきている。

過去を慈しむなど、もう年なのかもしれない。そりゃそうだ。今年は4回目の年男なのだから。ただ、桂三枝からダウンタウンまで、江夏豊から掛布雅之まで、そして何といっても憂歌団。彼らが躍動した、あの頃の大阪文化に触れることができたという経験があるからこそ、言えることもあるのだ。



||リンク用URL||

20140126/ 自著『【F】を3本の弦で弾く世界一カンタンなギター奏法』に関する長い長い宣伝(その2)

この本を書くもっとも大きな動機は、タイトルにもあるように、【F】のコードが弾けなくてギターをあきらめた人が異常に多いという事実に驚愕したことです。

あの、人差し指で6弦ぜんぶ押さえる「セーハ」の【F】。あんなものは押さえられなくて当然、押さえられなくても全然ギターを愉しめるのにという思いが、ワタシを突き動かしました。

そしてもうひとつ。昔から不思議だなぁと思っていたのですが、ピアノを10何年習っていた人や、ひいては音楽大学を卒業した人でも、楽譜(五線譜)がなければ何も弾けないという事実。どちらかといえば、こちらに対する驚愕と、ちょっとした憤りのほうが大きいのです。

だから、コード理論の基礎の基礎を専門用語を使わず、わかりやすく示す。それによって、前者の【F】挫折層には「もっと適当な押さえ方でいいんだよ」、後者の楽譜原理主義層には、「あなたのピアノ、コードを知れば、音楽の世界が数倍、拡がるよ」と伝えたい。

それはもう、わかりやすいですよ。こんな「コード擬人化法」など、使いつつ。

そして、ありがちな、単なる丸暗記もののギター教則本ではなく、理論(の基礎)からひも解いていくことで、「なぜその弦を押さえなければいけないか」「逆になぜ、そんな弦押さえなくてもいいのか」を腹落ちする形で示したい。そんな本です。そういう意味では、割と大人な本かもしれません。

そういえば、先日、佐久間正英が亡くなりました。ワタシはプラスチックスのメンバーとして彼を知ったのですが、一般的には、プラスチックス解散以降、プロデューサー、アレンジャーとしての彼が有名でしょう。

佐久間正英。日本でいちばん、ギターの音をかっこよく録れる人。

ワタシは、彼が手がけた作品を聴くと、ギターのチカラというものを再認識させられます。ギターからこんな音が出るのか、ギターを重ねるとこんな音になるのか。ギターのチカラ。ギターの可能性。

代表作だと思うのは、14年前に発売された、ヒステリックブルーの《春-spring-》のイントロ。ギター何本重ねてあるんだろう。この圧倒的な音像。これは、大滝詠一《君は天然色》同様、大音量で、スピーカーで聴かなければならないイントロです。

あと昔、渋谷陽一が指摘していたのは、レッド・ツェッペリン《ザ・ソング・リメインズ・ザ・セイム》。ギターを信じ切ったアレンジ。キーボードなし。ジミー・ペイジのギターしか入っていない。そういえば、ジミー・ペイジは、世界でいちばんギターの音をかっこよく録れる人。

手軽で、ポピュラーで、取り扱いが簡単で、耐久性があって、ちょっと音は小さいけど、なにより、コードが弾ける楽器。ギター。ちょっとした理屈を知ることで、ギター、そして音楽の素晴らしい世界へ。

予約受付中。



||リンク用URL||

20140119/ 自著『【F】を3本の弦で弾く世界一カンタンなギター奏法』に関する長い長い宣伝(その1)

2月25日に、念願の初の著書が発売されます。このサイトでも何回かその断片を書いた、新しいかたちのギターの教則本。題して、『【F】を3本の弦で弾く世界一カンタンなギター奏法』という長いタイトル。いい略し方はないでしょうか。

内容については、追っていろいろと紹介しますが、今回は、この本の宣伝の第一回として、書き手としてのこれまでの活動を振り返ってみたいと思います。

もう20年以上にわたる長い間、書き手として活動してきましたが、残念ながら、ご存知のように、そんなにメジャーな立場に立ったことはありません。

初めて書いたのは、大学3年生(1988年)のときにお手伝いさせていただていたFM番組、FM東京『トーキョー・ラジカル・ミステリー・ナイト』の番宣フリーペーパー、『ラジカル文庫』にて。桑田佳祐と山下達郎の対談番組を見学し、インタビューまとめと番組の紹介文を書きました。

当時は、書く職名について、まだ「ライター」という言葉はあまり使われていません。「コラムニスト」の時代ですね。泉麻人(一時期、良くしていただきました)やえのきどいちろうの時代。加えて、酒井順子やいとうせいこう、馬場康夫まで含めたムーブメント。

一種の後悔をするのですが、当時のワタシが、このムーブメント、当時の言葉でいう「ギョーカイ」的なるものに、強烈に憧れる、まぁ、いけ好かない大学生だったわけです。

そうして、書く職業や、話す職業(ラジオ)に憧れて、そういうことを職業に出来ればいいなぁ、と思いながら、所詮は大学生のお遊び。別段、認められることもなく、普通のサラリーマンとなりました。

「ギョーカイ」な気運は90年代初頭に一巡し、書く職業や、話す職業に付随していた、ある先端的な気分も抜け落ちていく中で、(今から考えると至極)当たり前のことに気づくわけですね。

「他の誰にも書けない(話せない)ことを書かなければ(話さなければ)いけない」

これは、一種の「マニア宣言」でもあるのですが、とにかく先端的なメンバーに入ることなど目的ではない。自分しか書けないこと。つまりは自分ならではの知識と感性で勝負すること―――劇的に当然の話なのですが、こういう決意に至ったのが1995年くらいでしょうか。個人的には、ダウンタウンとイチローと小沢健二の存在が大きかった。

1995年当時に、「ギョーカイ」の向こう側で、そういうことを決意した若者は多かったのではないでしょうか。最近の書き手ピラミッドの頂点あたりに君臨する人たち、たとえば水道橋博士や、リリー・フランキー、松尾スズキあたりには、そういう決意を(より徹底的に)煮詰めたようなニオイを感じるのです。

90年代後半にFMヨコハマで話していた内容や、13年間『週刊ベースボール』で書いていることは、そういう決意の下にあります。マニアックだと指摘されることが多いのですが、こちらの気分的には「マニアックだからこそ場が与えられているんだ」という感じなのです。臆するところはありません。

で、このたび発売される本は、ギター教則本の体裁を取っていますが、実は、「ポップスの音楽理論をどこまで簡単に説明できるか」という、これまたマニアックなチャレンジです。専門用語と五線譜を使わずに、コード理論とコード進行をシンプルに説明するというモチーフの本です。

売れるかどうかはかなり「?」ですが、少なくとも、音楽理論の現場には一石を投じることができると自負します。ギターを学びたい方だけでなく、作曲をしたい方、ビートルズが好きな方、ひいてはポップスが好きな方(で、ちょっと理屈っぽい方)は全員楽しめると思います。

「他の誰にも書けないこと」を、系統だって書けるようになるまでに47年もかかりました。でも、アマゾンに並んでいることだけでいえば、水道橋博士や、リリー・フランキー、松尾スズキと同格です。損はさせません。買ってください。もう予約もできます。

長くなってきたので、続きはまた後日。



||リンク用URL||

20140111/はっぴいえんど《抱きしめたい》の聴き方。

大滝詠一が亡くなってから、もう10日以上が過ぎた。ニッポン放送のとても充実した追悼番組に表れているように、マスコミにおける大滝詠一の弔われ方には、かなり好感が持てるという気分でいる。

ここで、老婆心として心配なのが、これを機に突如沸き立つ「大滝リスペクト」気運の中で、これからの音楽界を担っていくであろう若者が、過去の大滝作品を聴いて幻滅しないかということだ。

その心配には2種類あって、ひとつは、「『ゴーゴー・ナイアガラ』『ナイアガラ・カレンダー』『レッツ・オンド・アゲイン』あたりの、あのギャグセンスに、若者はついていけないんじゃないか?」というものだ。

ハッキリさせたほうがいいと思うのだが、あの当時の「ギャグ」センスは、あまり持ち上げないほうがいいと思う。「『ナイアガラ・カレンダー』最強説」みたいな風潮があるが(確か大滝氏本人も唱えていた)、入門編として、まずは、『A LONG VACATION』と『風街ろまん』を勧めるべきだと思う。

そこでもうひとつの心配。「『A LONG VACATION』は大丈夫として、『風街ろまん』を初めて聴いたら、あの独特の歌詞の感覚や音像から発せられる旨みが、なかなか分かりづらいのではないか?」。というわけで新年早々、ひさびさの「聴き方」シリーズを書いてみよう。

はっぴいえんどで5曲選ぶとすると《春よ来い》《12月の雨の日》《抱きしめたい》《風をあつめて》。《はいからはくち》。3曲に絞れば《12月の雨の日》《抱きしめたい》《風をあつめて》。1曲、彼らの頂点はと聞かれれば……《抱きしめたい》と答えたい。

|| はっぴいえんど《抱きしめたい》(YouTube) ||

キーは【A】。イントロはアコギでド♯、レ、ミを行き来して、「この曲のキーは【A】ですよ」感を強調する。しかし、歌いだしのコード進行がとても奇妙なのである。「【Em】淡い光が→【D】吹き込む窓→【A】を」(参考:《抱きしめたい》コード進行)。

【Em】を【G】の代理和音と考えれば、この進行は【G】→【D】→【A】となって、60年代後半に流行った、いわゆる「逆進行」となる(ex.ビートルズの《ポリシーン・パン》の【D】→【A】→【E】と同じ、「VII♭→IV→I」)。ただ、【G】と【Em】の違いはかなり大きいと思う。

歌いだしの「♪淡い光が」のあたりでツンと匂ってくる、「もわっ」とした感じは、【G】では絶対に出せない(もっと直線的な「ロック」になる)。憶測すると、はっぴいえんどが手本にしたバンド、バッファロー・スプリングフィールドのラストアルバムで、(キー【A】における【Em】と同じ)「Vm」を多用した『ラスト・タイム・アラウンド』の影響があったのではないか。

あと、この【Em】のところで、細野晴臣のベースギターが、楽器としての最低音である4弦開放のミの音を出しているのも、「もわっ」と感を助長させている。

しかしながら、編成自体は比較的シンプルである。4トラックにいろんな楽器を詰め込んで(パーカッション類が多い)、混沌とした音になってしまったファースト『ゆでめん』に対して『風街ろまん』は、8トラックを使いながら楽器数を欲張らないことで、シンプルでかつ生々しい音で録れている。このあたりは、ミキサー・吉野金次の功績が大きいのではないか。

さて、大滝詠一の発声は、口腔内を広く開ける(=すべての母音を、ドイツ語の「ウムラウト」にする感じ)の独自のもので、大げさに書けば「♪あぅわいひくぁりぐぁふぉうくぃくぉむむぁあどぅうぉ」(淡い光が吹き込む窓を)という感じで歌っている。

ワタシは、大滝氏の大きな功績として、日本語ロックの発声法の確立があると思っているが、それは、この曲の段階では特に母音で顕著であり、逆に子音はそんなに歪めていない。で、母音の「ウムラウト的歪め」の背景には、ジャックス早川義夫からの影響がありそうだ。

この歌い方、似てません?

先に、楽器数を欲張っていないと書いたが、それは言い換えれば、それぞれの曲で主役を張る楽器を決めてメリハリをつけるということ。ビートルズで言えば、アルバム『ヘルプ』は、そういうことを意識したアレンジと録音で、とても整理されている印象を受ける(《ザ・ナイト・ビフォア》はエレピ、《アイ・ニード・ユー》はジョージのバイオリン奏法など)。

で、この曲の主役楽器は鈴木茂のリードギターだ。惜しいのは、ディストーション(ファズ)の音がなんだかベチャッとしていること。もっとソリッドな音に出来なかったものか。

逆に、ドラムスの音は迫力満点(特にリマスター盤CD)。また細野によるベースラインも粘っこくてカッコいい。リズム・セクションは、1971年作品とは思えないくらいのクオリティである。

コード進行に戻れば、決して転調はせず(歌メロはずっとAのマイナー・ペンタトニック)に進むが、サビのところでジェットマシーン(沢田研二《許されない愛》に影響を与えた?)とともに、同位調の【Am】に転調する。ただし、ここの調性はあいまいで、「【Am7】ゴオゴオゴオ 【D】と 【Am7】雪の銀河を 【D】ぼくは 【A】まっしぐらー 【B】なのですー」と来るので、この中の【A】あたりからは、「キーが【E】に行くかも」感をそこはかとなく漂わせている。

余談ながら、はっぴいえんどを代表するコードはマイナーセブンス、とりわけ【Am7】だと思う。これは、あの《12月の雨の日》のイントロが始まるところのコード。決してメジャーコードの快活さではなく、また、単なるストレートなマイナーコードでもなく、マイナーにセブンスがぶら下がっている、あの「もわっ」とした感じこそが、はっぴいえんどだと思うのだ。

その「【B】なのですー」の【B】から上手くつないで、【E】ではなく、冒頭の【Em】に戻す。この3コーラス目は、驚くべきことに、1~2番とはまったく違うメロディとなる。「♪うかぶ駅の~」のところで、大滝ボーカルが最高音のソでシャウト、一気にブルージーに。

というわけで、ボーカリストとしては言うまでもなく、作曲家対決としても、はっぴいえんど時代は「大滝>細野」だと思う。これは、ビートルズ初期における「ジョン>ポール」の図式ととても似ている。

―――と、こんな話なら、ずっと話せるし、ずっと書いていられる。これからはっぴいえんどを聴く若者に言っておきたいことは、「はっぴいえんどを、手っ取り早く簡単シンプルに理解しようと思わない方がいい」ということ。

ここで書いたような、いろんな仕掛け、いろんなアイデア、そしていろんなマジックが、一曲一曲に詰め込まれている。それを、何年かけても解き明かしてやるというような覚悟で向ってきたほうがいい。「日本語のロック」の始祖かどうかなんかより、こういうことがはっぴいえんどの凄みなのだ。

そういうことに意識的な若者がたくさん出てきたとき、日本のロックははじめて、はっぴいえんどと大滝詠一を、正しく葬り去ることができると思うのだ。



||リンク用URL||



suziegroove@nifty.com

Copyright © 2013 Suzie Suzuki & Attackammo office