20150326/「日本プロ野球開幕。あけましておめでとうございます。」

20150321/「ドドンパ」と「タックスマン」がもたらした日本のロック~輪島裕介著『踊る昭和歌謡』からの仮説。

輪島裕介著『踊る昭和歌謡~リズムから見る大衆音楽』(NHK出版新書)が面白かった。ビートルズ以降のポピュラー音楽論にありがちな純文学的・思想的な分析ではなく、あくまでリズム=踊る音楽の視点から分析を進めた労作。


で、この本の中核をなすのが「ドドンパ」論である。文字で表せば「♪ド・タン・タタタ・ドッタ」というリズムで、フィリピンからもたらされた「オフ・ビート・チャチャ」をベースに、日本で作られたリズムであることを知った。

更には、この3連符「♪タタタ」の部分を作ったのがアイ・ジョージ(日本人とフィリピン人のハーフとのこと!)だということも知って驚いた。《お座敷小唄》のリズムというと、分かる人も多いと思う。

さて、この話を読んで想起したのは、一度 「20130429/大論文ズンズンチャーカズンズンチャ物語」で書いた、当時「シェイク」と呼ばれていたらしい、あのリズムである。代表作として、ザ・ダイナマイツの《トンネル天国》を挙げておく。

この、60年代を席巻したリズムは、70年代後半に、キャンディーズのこのコントで、 「ズンズンチャーカズンズンチャ」と滑稽にイジられるほど古臭いものとなっていくのだが、それはともかく。

今回、仮説として考えたのは、「シェイク」の普及に「ドドンパ」が影響しているのではないかということである。

もう少し具体的に言えば、「ドドンパ」の普及で、その2拍目、「♪ド・タン・タタタ・ドッタ」に対する免疫ができたことが、「シェイク」ブームを後押ししたのではないかという仮説である。

ちょっとややこしくなるが、「シェイク」ブームの背景には、「大論文ズンズンチャーカズンズンチャ物語」で書いたように、ビートルズのこの曲のドラムとベースも強く影響しているはずだ。

日本における「洋楽」の浸透とはすなわち、2拍目と4拍目(オフ・ビート)にアクセントを置くリズムの浸透である。オフ・ビートはクール、オフ・ビートはファンキー、オフ・ビートはグルーヴィ。

その特に「2拍目のアクセント」の普及に、ラテンをベースに日本人が作り、それゆえに日本土着性を感じるリズム「ドドンパ」と、ビートルズが強く影響しているのではないかという仮説。

「ラテン(オフ・ビート・チャチャ)×日本(アイ・ジョージ)×イギリス(ビートルズ)=シェイク」という仮説。この等式が、日本におけるロックンロールの普及に大きく影響したという考え方。

そして、時は流れて、「日本版タックスマン」であるレベッカ《ラズベリー・ドリーム》にたどり着く。

リズム=踊る音楽の視点でみれば、それこそ地球的規模での新しい音楽史が見えてくる。



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20150314/「ポスト・ナンシー関」を探し続ける旅にゴールが見えたか~武田砂鉄に注目。

「最近のテレビはつまらなくなった、という人に限って、実は最近のテレビを観ていない」という意味のことを、ナンシー関が書いたことがある。

同じような意味で、「ナンシー関は素晴らしかった、という人に限って、新しい書き手に注目していない」とも言えると思う。

ここに書いた、アナログフィッシュ《Sayonara 90's》の替え歌、《Sayonara 00's(サヨナラ・ゼロ年代)》の歌詞。そろそろナンシー関が消えて13年になる。

星のない夜空を 見ていたら
君がいたころを 思い出した
終わらないものが 終わってしまった
彼女(ナンシー)が消えてからは


ワタシは、「ナンシー関は素晴らしかった」と言いながら、新しい書き手にも注目してきた。「次代のナンシー関」を血眼になって探してきた。そして、もしかしたら、やっとそのような想いを託せる書き手に出会ったのではないかと、頬をつねりながら感じている。

武田砂鉄という人。タケダサテツと読むらしい。

川崎リンチ殺人、被害者の母を責め立てた林真理子氏のエッセイの暴力性(ヤフーニュース)

ちょっと、これは、もう抜群でしょう。その末席にワタシも入るであろう、ナンシー関を目指していたライターたち、「ナンシー・チルドレン」の先頭にたどり着いている。

言い換えれば、優秀な「ナンシー・チルドレン」たちが、ナンシー関になれる数歩手前でつまずく「愛されたい願望」という石を、ぴょんと飛び越えた文章だと思う。

いちばん最初に、この人に注目したのは、同じくヤフーニュース、2013年のこの記事。

IOC総会で「健康問題は『将来も』まったく問題ない」と言い切った安倍首相(ヤフーニュース)

小見出しが効いている―――小学生は「宿題は明日やる」と言うが、安倍首相は「そもそも宿題はありません」と言ったのだ。

ワタシが書くとこうなる→20130908/「アンダー・プレッシャー」と「アンダー・コントロール」。残念ながら、まだ「愛されたい願望」が強すぎる。

さらには、最近のツイートのこれもいい。素晴らしい。

離婚の理由を「やっぱりロックをやってるから、並大抵の自己主張じゃない。オレが自分の妻なら嫌ですよ」と高橋ジョージ。こういうロックの使い方、頼むからやめてほしい。ロード十三章まで買うからやめてほしい。

話を戻せば、ナンシー関がいなかった13年間、ワタシは新しい書き手に注目しつづけた。

現代社会で最も大きな影響力を持つメディアはテレビだ。そこで「占い」なるものがゴールデンタイムの番組で絶対的権威として祭り上げられ、「あなたは自殺する」「地獄へ落ちる」「株価が5倍になる」などと、あまりに根拠のないご託宣が信憑性を帯びて熱狂的にありがたがられている。オレからすれば、これこそ"風説の流布"としか思えない。

と書いたのは、水道橋博士。

いくら紛争地帯(ふんそうちたい)でも、年間3万人も死ぬことはそんなにありません。でも、日本ではそれくらいの人々が自殺しています。そう、この国は形を変えた戦場なんです。戦場では子どもも人を殺します。しかも、時には大人より残酷になる。

と書いた、西原理恵子。

あんたたちが大笑いするような原稿を書いてやる。やっぱりあいつに書かせて正解だったわぁと言わせてやる。

と、小説の中の自分に言わせたリリー・フランキー。

ただ、ナンシー関とは、進んでいる方向が異なる。少しずつねじれの位置にある。ナンシー街道を、石を飛び越えながら、臆面もなくまっすぐ進んでいる人、それが武田砂鉄だろう。

検索すると、略歴や写真などが出てくる。この人は、そういうあれこれを隠し続けたほうがいいと思う。いや、そもそも本当に男性なのだろうか。名前からして、なんとなく怪しい。

ワタシは「武田砂鉄=50代の女性説」を、心の中に抱いている。そして、そうであったらカッコいい、そうであってほしいと願っている。

サヨナラ00's(ゼロ年代) こんにちは新decade
僕らは 前に行くしかないね
それもまたgirl friend 悪くはないぜ
トンネルの奥に 光が見えるだろう
たとえばLOVE



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20150308/この10年間、ひたすら書きつづけた「スージー鈴木の大阪論」たち。

ちょっと今回は手抜きでごめんなさい。前回の記事が、びっくりするようなアクセスだったので、それを受けて、その他の、ここで書いた「大阪論」をまとめておきます。ぜひご覧ください。

0140202/大阪文化を自分で矮小化する大阪人(その2)

20130825/やわらかくふくよかな大阪文化を取り戻そう。

20130812/大阪文化を自分で矮小化する大阪人。

20130506/中村紀洋の2000本安打を素直に喜べない本当の理由。

20120930/「この曲、めっちゃええやんなぁ!」~1979年大阪の山下達郎に思いを馳せて。

20120722/中村紀洋へのささやかなシンパシー。

20120701/「サウンド・イン・サム」が閉店した大阪の夜。

20120430/大阪・上本町にて。

20120226/「カーネーション」に見る「大阪最強時代」。

20120122/羽曳野のダルビッシュくん、テキサスに行く。

20100516/ビートたけしin探偵!ナイトスクープ。

20090905/男の子ものがたり。

20090222/大阪の懐メロラジオに溺れる。

20090124/東大阪市のニオイ。

20081123/手紙~拝啓、十五歳の鈴木君へ。

20070902/やり過ぎの大阪。

20060911/コスプレとしての関西弁。

20050221/東大阪市出身ということの恥ずかしさ。



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20150301/「居丈高な大阪のオッサン」だけに大阪文化を代表させてはいけない。

最近ワタシの周りでは、この本の話題がよく出てくる。やしきたかじんの死に関する「ドキュメント」(らしい)、百田尚樹著『殉愛』という本の内容を執拗に暴いていく内容。その暴き方の痛快さに、この本の魅力があるのだろう。

ただ、一歩引いて思うのは、そもそも、やしきたかじんと百田尚樹が、なぜ、ここまで世間的に注目される人物になったのか、なれたのかという疑問である。 ここで、この二人の、ある共通項に着目する―――「居丈高な大阪のオッサン」。

居丈高(いたけだか)=威圧的、粗暴。そして、そんな性分の象徴として、大きな声で、怒鳴るように話す感じ。

特に大阪において、この10年ほどの間、「居丈高な大阪のオッサン」を過度に持ち上げる風潮があったと思う。そして、当のそのオッサンたちは、大阪人のシンパシーを効率的に獲得する手立てとして、「反・東京」的言説を上手く使う。

そんな「居丈高な大阪のオッサン」のグループに、橋下徹や、ちょっとニュアンスは違うが、辛坊治郎なども入る気がするのだが。

ワタシが耐えられないのが、他の地域から見たときの、大阪文化のイメージ全体が、その「居丈高」な感じ、「やしき・百田」的な感じに集約されつつあるような気がすること。更に耐えられないのは、そういう傾向を、当の大阪人自身が歓迎しているように見えることである。

例えば、JR大阪駅の発車ベルが《やっぱ好きやねん》になっていることなど、個人的には論外と思うのだが、もし住民投票すると、残念ながら、かなりの確率で、賛成票が多数になると思う。

そういえば、百田は、『探偵!ナイトスクープ』のチーフライターである。大好きな番組で、今でも毎週観ているのだが、見方を変えればこの番組も、「大阪人は必ず家にタコ焼き器を持っている」的な「一面的な大阪人観」をまき散らしたフシがあって、そういう大阪人観と「やしき・百田」的なあれこれは確実につながっていると思う。

結論は、いつかとまた同じ。「やわらかくふくよかな大阪文化を取り戻そう」

ちょっと大げさに言えば、居丈高な態度や大声は「暴力」だと思う。歴史的に、大阪のDNAのひとつとして「反・東京」精神があると思うが、その本質は「反・中央統制」であり、それは要するに、どちらかと言えば「反・暴力」の方向に近いものと考えている。

では、そういう視点から見たときに、大阪駅の発車ベルはどうあるべきか。いやいや、無理に一曲で代表させなくていいんじゃないか。「やわらかくふくよかな大阪文化」を一面的にすくい取ることに無理があるだろう。

というところで文章を終えようとしたが、ややこしいオチになって申し訳ない。JR天王寺駅の発車ベルは、この曲をおいて他にはないと思う。

木村充揮『天王寺』

大阪ミナミの 玄関口は
通天閣がそびえ立つ 天王寺
坂を下って 新世界
動物園に 茶臼山
おっちゃん おばちゃん アベックさんと
家族連れまで 気楽に過ごす
これがおいらの ふるさと天王寺

泣きもしました 喧嘩もしました
笑いはもちろん当たり前 天王寺
安酒飲んで 串に土手
5月にゃ野音で 春一番
人情 カラオケ 大道芸と
柵も無かった 公園で
これがあたしの ふるさと天王寺
これがおいらの ふるさと天王寺

「やしき・百田」の対極、まったく何も言っていない状況描写だけの歌詞(笑)―――これぞ、「やわらかくふくよかな大阪文化」!



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20150222/ロックの好きなベイビー抱いて、笑うオヤジが行く(シーナ追悼)

有名な俳優が亡くなると小林信彦は、『週刊文春』のコラムで、決まってその人の真実の姿を補足し、世の中におけるその人の像を是正する。最近、小林信彦の気持ちが分かるようになってきた。年のせいか。

シーナ&ザ・ロケッツのシーナが亡くなった。追悼の意を込めて、ラジオは《ユー・メイ・ドリーム》を何度も流した。そのことについて、取り立てて文句を言う気はない。

ただ、個人的には、《ユー・メイ・ドリーム》のころ、YMOの庇護を受け、過度にニューウェーブな姿を演じていたときの彼らをあまり好まないのだ。

ワタシにとって、シーナ&ザ・ロケッツは、何といってもアルバム『ピンナップ・ベイビー・ブルース』である。

コテコテの博多ラーメンを、ピコピコの東京そばで割ったような味気ないテクノサウンドから解き放たれ、彼ら風のキュートなロックンロールが全開のアルバム。東宝の映画スタジオで、一発録りに近い感じで録音されたはず。

このアルバムに入っている《サティスファクション》は、世界的にみても、最も優秀なカバーの一つだと思う。あと、こんな映像があった。素晴らしい。

シーナ&ザ・ロケッツのアルバムといえば『ピンナップ・ベイビー・ブルース』。YMOの呪縛から解放され、自由にロックンロールする躍動感。タイトル曲の「Em-C-A-D-B7」という、切なすぎるコード進行を初めて聴いたときの奮えたるや。

シーナ&ザ・ロケッツのいくつかの大きな功績のひとつは、ストーンズの白いオリジナルや、オーティスの黒いカバーに負けない、いや、もしやそれらよりもカッコいいかも知れない、黄色い『サティスファクション』を遺したことだと思っている。

ではラジオは、その《サティスファクション》を流せば良かったのか。いやいや、この機会に、若い人々も含めて、いちばん聴いてほしい曲は、《ロックの好きなベイビー抱いて》である。

シーナ&ザ・ロケッツ「ロックの好きなベイビー抱いて」 。河島英五「時代おくれ」と並ぶ後期・阿久悠の大傑作のひとつ。とても切なくて、それでいて明るくて。からっとした女性賛歌。

シーナ&ザ・ロケッツ『ロックの好きなベイビー抱いて』より。「まだまだ醜い この世だけれど やがてはいつか まともに変わる 憎み合っても 得はないから 笑っていようね 笑っていようね」

この曲についてのあれやこれやは、阿久悠公式サイトにある「あまり売れなかったがなぜか愛しい歌」を参照のこと。

ロックの好きなベイビー抱いて
可愛いママが行く

この子が二十歳になる頃には
この世はきっとよくなっている
だから しばらく ママとおまえで
がんばろうね がんばろうね

ロックで笑う おまえを見ていると
勇気がいつもわいて来るから

まだまだ醜い この世だけれど
やがてはいつか まともに変わる
憎み合っても 得はないから
笑っていようね 笑っていようね

ロックで眠る おまえに触れると
心がひとりで踊り出すから

ロックの好きなベイビー抱いて
可愛いママが行く


※全歌詞は、こちら

この曲については、今もっとも信頼できるラジオ番組、ニッポン放送『ダイノジ大谷ノブ彦のキキマス!』で、ワタシの名前を出していただきながら、紹介していただいた→ 2月16日(月)「キキマス3時台 浜村淳珠玉の歌謡ショー」音源の、16分0秒あたりに。

この番組で知った事実。この曲の発売が94年で、ということは、「この子が二十歳になる頃」というのは、まさに今だという事実。

シーナと阿久悠に代わって、声を荒げたい気持ちになる。「てめー、この世はちっともよくなっていないじゃないか、まだまだ醜いじゃないか!」

だから、心あるDJには、追悼としてこの曲をかけてほしいし、かけてくれたと信じている。

私事となるが、ワタシも先頃、たいせつな人を亡くした。せめてあと20年、チャンスをください。20年後、この世はよくなっていないと、醜いままだと、シーナにも、阿久悠にも、そしてそのたいせつな人にも顔向けができないのだ。

そのためには、まずは、「憎み合っても、得はないから、笑っていようね、笑っていようね」。



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20150214/渋谷すばるのボーカルはいい。なぜならば、大声だからいい。

食わず嫌いは良くない。しかし、そもそも音楽チャートが、ジャニーズ系、AKB系、EXILE系のみで支配されている状況を目の前にすれば、それら以外ばかりに目が行くのも自然な成り行き。

ただし、やっぱり食わず嫌いは良くない。「ジャニーズ系」というヴェールをびりっと破いて、渋谷すばる(関ジャニ∞)のボーカルに惚れ込んだ。

ピッチャーがまず球速なように、ロック・ボーカリストはまず声量。そういう意味でロック・ボーカル界の大谷翔平はこの人。エレカシ宮本を継ぐのもこの人だと思う。→渋谷すばる『スローバラード』

タイプは違うが、木村カエラの歌に近い感覚がある。圧倒的な声量、テクニックに溺れないこと、そして、何よりも歌が好きすぎる感じ。化学肥料を使わない有機農法のようなボーカルで木村カエラと並ぶ。→渋谷すばる『ラヴ・イズ・オーヴァー』

そもそも彼の歌との出会いは、例の《オモイダマ》だった。「週刊ベースボール」が選ぶ『野球レコード大賞』という、日本で最も権威の無い音楽アワードがあるのだが、まさかそれに関ジャニ∞が選ばれるなど、予想だにしていなかった(選んだのはワタシだが)。

今年の「熱闘甲子園」のテーマ曲が関ジャニ∞と聞いて正直あまり期待はしていなかったのだが、その曲『オモイダマ』はかなりいい。ひとり、抜群に歌がうまい人がいるが(Mステで帽子を被っていた)、渋谷すばる君かしら。

大谷翔平と渋谷すばる。制球(音程)が少し甘い箇所があるが、剛速球を投げていれば(大声で歌っていれば)、そんなものは後で付いてくる。これからが楽しみで仕方がない。

楽しみと言えば、こちらの映画も楽しみだ。

今年は映画の当たり年になるのではないか。傑作『KANO』に続き、この映画も、まだ観ていないのだが、傑作の予感がする。

まぁ、彼の歌を知っていた方々には「今さら何を言うか」という話だが、いやいや、音楽シーンというものは、ヴェールをびりっと破いて新しい音楽と出会うことだけで活性化していくのだから、歓迎してほしい。

そういう方は、逆にこちらをどうぞ。関西大声ボーカリストの源流、アースシェイカーの《ラジオ・マジック》。比べるのもなんだけど、声量で言えば、こちらの方がまだデカいな。



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20150207/2009年夏の日本文理高がもし台湾代表だったとしたら~映画『KANO 1931海の向こうの甲子園』評。

(1)映画『KANO』は野球映画史に残る出色の出来。「台湾版フィールド・オブ・ドリームス」と語られるかも知れないが、個人的には「フィールド~」を超えていた。当時の甲子園を丹念に再現した(多分)CGだけで野球ファンのハートはわしづかみ。

※注:CGではなく、球場実物を造った模様→参照

(2)映画『KANO』について、登場する選手のフォームが皆本格的なのに感心した。ただ本格的なだけでなく「戦前はこういう感じだったろう」という投球・打撃フォーム。打者の力任せのレベルスイングや、エース呉くんのトルネード投法の美しさ。

(3)目くじらを立てるほどではないが、映画『KANO』の考証的疑問として、戦前のそれも学生野球で「スライダー」「シンカー」という概念はあったのだろうか。ま、いずれにしても素晴らしいです。長さに見合う感動(了)

見方を変えれば、こんなにきな臭い映画もない。日本統治下の台湾で、松山商から来た暴力教師がスパルタ監督となり、軍隊式・精神論の特訓を施して、日本に凱旋するという話。

ただ、そのストーリーを支えるのが、映画の中では声高には語られていないが、底辺をしっかりと流れていくヒューマニズムである。

記者「どうして日本人と台湾人が同じチームでやっているんですかね?」
近藤監督「民族なんて関係ないでしょ。みんなただ一緒に野球をやる球児というだけだ!」

このシーンは一瞬なのだが、ここにこの映画の本質がある。「台湾版フィールド・オブ・ドリームス」というよりも、「台湾版パッチギ!」と捉えたほうがいい。

三点ほど。

一つ。この映画に乗じて、最近たまに見る、「日本は植民地の発展に貢献した」という頓珍漢な論が展開される懸念があることについて。

マー監督は大阪でのインタビューで「日本の美化」をきっぱり否定した。「『KANO』は野球の映画。異なる民族の少年たちが一緒に夢を追ったことは、まぎれもない歴史の真実だ」と強調。「日本の植民地時代は悪いこともあった。しかし、人間にはいい面、悪い面、裏表もある。善人にも欠点が、悪人にも長所がある。誰かを愛していても、どこかに憎しみもある。人生は矛盾に満ちている。だからこそ素晴らしいと思いませんか」と語った。作品や台湾を「親日」「反日」などと単純化する行為は、意味のないことなのだ。

二つめ。映画を観ていて、この話に関連する内容が昔、TBSラジオ『伊集院光・日曜日の秘密基地』の「ヒミツキッチの穴」で取り上げられたことを思い出していた。必聴。

三つめ。戦前の台湾野球ということで、少ない知識の中から、後に巨人、阪神で活躍する呉昌征と大下弘のことが気になった。、呉は、この映画の舞台となった嘉義農林出身。大下は高雄商業。

その呉は、この映画の中で、とても意外な出方をするのだが、大下は出てこない。のだが、近藤監督とは、このような関係があったらしい。

近藤の才能を見抜く目は確かだった。40年代に外野手だった劉正雄(りゅう・せいゆう)は、練習試合で対戦した高雄商のすらりとした左投手の身のこなしに近藤がつぶやくのを聞いた。「いいコーチに教われば大変な選手になるぞ」。その男こそ戦後のプロ野球へ彗星(すいせい)のように現れた強打者、“青バット”の大下弘だった。

繰り返すが、映画の内容的にも「台湾版フィールド・オブ・ドリームス」ではない。野球ファンに分かりやすい言い方で言えば、「2009年夏、中京大中京の堂林翔太くんに襲い掛かった日本文理が、新潟ではなく、台湾代表だとしたら」という映画。

事実、映画の中で行われる決勝戦の相手は中京商業、堂林翔太の大先輩たちだ。



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20150201/沢田研二に関するつまらない報道に感じる、彼が未だ現役であるという喜び。

早く野球の話題を書きたいのに、音楽方面で臭気の漂う話題が尽きない。そういう事象について、変な言い方だが、一種の使命感を持って、書かざるを得ないと思ってしまう。

日刊ゲンダイ~ファンは呆然…沢田研二がライブでブチ切れ「嫌なら帰れ!」

記事の内容については、ワタシ(のような沢田研二ファン)の中では、沢田研二という人がもともとそういう気質の人であるということが織り込み済みなので、なんら驚くに値しない。

不愉快なのは、その語られ方である。それはサザン・桑田佳祐のくだんの問題も同様。どうしてもっと尊重しないのだろう。仮にも、沢田研二と桑田佳祐だぞ、と。

アメリカの「ロックの殿堂」の第一回受賞者は、チャック・ベリー、ジェームズ・ブラウン、エルヴィス・プレスリーなど。それと同じような意味で「日本ロック殿堂」というものを構想すると、第一回には沢田研二が入ると思う。

年齢を考えれば、かまやつひろし、大滝詠一、矢沢永吉、忌野清志郎あたりが候補となる。その中で、ちゃんと選ぶ人が選べば、沢田研二が高得票となろう。逆にそういう人が選ばなければならない。

その具体的根拠を書くには文字数が足りないが、圧倒的に長い活動歴、数々の実験的な取り組み、新しい才能の発掘、そして現在もバリバリの現役として活躍中という事実。

日本人論みたいなのはよく分からないが、「大御所」になるには「大御所然」としていなければいけないという空気が日本にはあると思う。眉間にしわを寄せて、無口で、どーんと座っていることが、「大御所」「レジェンド」という立場を作る。

逆に、いつまで立っても舞台に立ち続け、年甲斐もなくやんちゃな言動をし、そしてロックンロールを歌い続ける。こういう人は「大御所」として認められない。逆に、B級芸能マスコミに批判的な記事を書かれたりする。

沢田研二、桑田佳祐に関する最近の扱われ方は、まさにこの構造。だからワタシは言う―――どうしてもっと尊重しないのだろう。仮にも、沢田研二と桑田佳祐だぞ、と。

彼らによる年末年始の「騒動」が示すものは、そういう言動をする「大御所」に見えない「大御所」が未だバリバリの現役だという事実である。当然それは、ワタシ(のような沢田研二・桑田佳祐ファン)にとって、圧倒的に喜ばしいことである。

上のリンクの記事を書いた方に言いたいのは、おそらく本人が「うまいこと書けた」と自負しているであろう文末に対してだ―――確かに、今は“ボギーの時代”ではない。でも今はまだ“沢田研二の時代”なのだ。



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20150124/田中康夫と桑田佳祐に感化された世代による「ぼくたちの時代」構想。

新年より、田中康夫、桑田佳祐と、なかなかタフなテーマについて書いてみた。ここで、ちょっと感じ入る事実に突き当たる―――「田中康夫、桑田佳祐は同い年。1956年(昭和31年)生まれ」。

前項、前々項で、彼らについて書きたかったことは、要するに、「世間から軽んじられがちな彼らだが、実はもっと尊重すべき存在なのではないか」ということ。で、問題はこの「世間から軽んじられがち」という事実である。

実は、これまでの彼らの言動に「世間から軽んじられがち」になる理由がある。そもそもが、「東京ペログリ日記」の田中康夫、「マンピーのG☆SPOT」の桑田佳祐。

彼らについて注意深く見ていない普通の世間の人々は、彼らを「そういう人」として見ているし、彼ら自身も、そういうノリのパフォーマンスや作品づくりに誇りと使命感を感じているフシがある。

1956年生まれが世に出た、1980年前後の時代のキーワード「軽薄短小」。当時、彼らが一世を風靡したころに漂わせていた雰囲気。「団塊世代は、なんでそんな重苦しいんだよ。俺たち世代は、もっと軽薄にやっちゃうよ~」。

それから30数年、田中康夫と桑田佳祐が仲良く還暦(!)に近づき、それと歩調を合わせるように、社会が閉塞してきて、景気も低迷、そして何かとキナ臭い空気になってきた。

対して、『33年後のなんとなく、クリスタル』があり、先日の紅白歌合戦の《ピースとハイライト》がある。でも、「そういう人」と見られている彼らのこと、状況に対しての物言いはまっとうに受け止められず、色眼鏡で語られる。

さて、三つ子の魂。最近、「軽薄短小」的な雰囲気が、自分の身に強く染みついているのを感じるのだ。なるだけ軽薄を装いたい。いつもニコニコ・ヘラヘラして、汗と涙を感じさせない自分でありたい。

だとしたら、思春期のいちばん大切な時期に、1956年生まれの男たちに感化されたワタシたちは、開き直って、クリスタルでサザンな気分で、世の中と向き合った方がいいんじゃないか。

つまり、政治とエロを等価に考えるセンス。そしてそれらを、軽薄にポップに表現するセンス。そっちのほうに誇りと使命感を持った方がいいんじゃないか。なぜならば、そっちのほうが自然じゃないですか。人間的じゃないですか。

また、ちょっとそれっぽく言えば、エロ抜き、軽薄抜き、しかめっつらで状況に物申すような「非人間的」なものだったからこそ、昭和の数々の運動は崩壊したのではないか、とさえ思うのだ。

田中康夫の本はほとんど読んでいると思うが、一冊挙げろと言われたら、『ぼくたちの時代』を推す。内容以前にタイトルがいい。1980年前後の、あの時代風景がツーンとにおってくるタイトル。

サザンで一枚挙げろと言われたら『KAMAKURA』。1985年の桑田佳祐の持てるチカラとアイデアを惜しげもなく注ぎ込んだごった煮傑作アルバム。

仕事から、政治から、ファッション、グルメ、そしてエロまでをごった煮にして、軽薄にポップに向かっていく、とっても自然で人間くさい、ぼくたちの時代へ。

―――と、ワタシたち世代もそろそろ、そういう青臭いことを言わなければいけないのではないか、と、こういう追記をすること自体が、実に80年代的なのだが。



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20150117/ノーザン・オールスターズ桑竹伊祐の「失礼な言動」について。

「まだまだあった、ノーザン・オールスターズの桑竹伊祐の失礼な言動」
(「肉感スポーツ」2015年1月16日号より)


ノーザン・オールスターズの年末コンサートにおいて、桑竹伊祐に「反日」的な行動があったとの指摘を受け、事務所より謝罪のメッセージが発表された。その文面は、主に紫綬褒章の取り扱い方についてのものであった。

しかし実は、そのメッセージで謝罪されたもの以外にも、問題視される可能性がある行動がいくつかあったことが15日、我々の調べで判明した。

まず、コンサートの冒頭で桑竹は、「貧乏な人は拍手をしてください。お金持ちの人は、私の紫綬褒章に合わせて、宝石をジャラジャラ鳴らしてください」という下品な発言をしたという。

また、中盤では、「大昔に、勲章をもらった人は、戦争で人を殺してもらったんだ。それに比べて、私や、同じく紫綬褒章をもらったユーミン、ハナ肇さん、古今亭志ん生師匠たちは、人を楽しませてもらったんだよ。よっぽどこちらの方がもらう権利がある」とまたまた非常識な発言を連発。

さらに嘆かわしいことに、曲と曲の合間に弾き語りで「♪お妃さまはいい女 いつかものにしたい」というとんでもない歌詞の歌を歌ったという(それも「リバプールなまりの英語なまりの日本語」という奇怪な発音で)。

アンコール前には、数日前にコンサートに来ていただいた首相を揶揄して、「我々は安倍晋三よりも有名である」とコメント。この件に対して、首相官邸前では、ノーザンのレコードを焼き払う抗議行動が行われたという。

極めつけはコンサート終了後。紫綬褒章の取り扱いについての批判的な質問をした記者に対して桑竹が逆ギレ、「それなら俺は、紫綬褒章を返上する。俺に対する一連の批判行動と、『東京VICTORY』がチャートを下降していることに反対して!」

さぁ、桑竹伊祐が巻き起こしたこの騒動。どういう波紋を呼ぶか、今後の動向を見守りたい。

とっても野暮ながら補足しておけば、ロックンロールを愉しむには、この話の元ネタと、それも含めてロックンロールの歴史である、という基礎知識が必要だと思う。

加えて、「桑竹/ノーザン」のオールドファンにしてみれば、実は先日の紅白など想定の範囲内で、むしろ肩すかしだったというくらい、彼(ら)の初期は、例えば、三波春夫風の化粧をしてフザケまくった、82年の紅白に代表されるように、非常識でデタラメな愉快犯だったという基礎知識も併せ持っておきたい。

たいした問題じゃない
僕がどんなコードを弾こうと
どんな歌詞をうたおうと
今が何時だろうと
これはただのノーザンの歌なんだから
(《Only A Northern Song》 by 記事元ネタのバンド)

【追記】あった! 82年紅白のサザン。若者よ、これが非常識極まりないころの桑田佳祐だ。これを観たときの、あの「異物感」とでも評すべき感覚は忘れられない。ちなみに映像途中から入ってくるスージー鈴木風の面倒くさいナレーションはロキノンの始祖、渋谷陽一。途中で切れているが、この後の間奏のところで桑田が言う台詞は以下。

「国民の皆様、ありがとうございます。私たち放送禁止もたくさんございますが、こうしていけしゃあしゃあとNHKに出演させていただいております。とにかく、受信料は払いましょう!裏番組はビデオで見ましょう!」



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20150110/「クリスタルとはヒューマニズムである」と言い切る勇気~田中康夫『33年後のなんとなく、クリスタル』書評

この本は、真っ当な書評が出ない類の本だと思う。ので、ある種の使命感を持って以下を書かせていただく。

ワタシはこう見えても、田中康夫の著作はほとんど読んでいる。「田中康夫のファン」と自称するにはちょっと勇気がいるが―――ファンである。そして、ファンとして、彼の活動にランキングを付ければこうなる。

(1位)テレビやラジオでのコメンテーター(とりわけ、話している途中でキレ始めるあたりが、やたらと面白い)
(2位)政治家(主に、長野県知事時代の活動)
(3位)コラムニスト(文章がヒネくれていて読みにくい)
(4位)小説家

なので、今回も純然たる「小説」として云々するのはあまり意味がない。「33年前」の『なんとなく、クリスタル』(当時の通称「なんクリ」、現在では「もとクリ」)の主人公、由利と田中康夫本人が邂逅するという話なので、虚実入り乱れた、「半小説半ドキュメント」みたいなものでもあるので。

さて、今回の作品でもっとも印象に残ったのは、実は、作品内で引用されている「もとクリ」において、由利が放つこのフレーズである―――<あと十年たったら、私はどうなっているんだろう>。

33年前に、そういう漠然とした不安を抱えながら「クリスタル」な生き方をしていた大学生たちが、33年後の今、仕事、離婚、不倫、育児、病気……などの年齢、そして時代の要請からくる様々な現実的不安を抱えて生きているという物語。

それを読んで私は、我ながら、とても変なことについて感じ入り、ある種の確信を得たのだ。ここも勇気を持って言えば―――「クリスタルって、素晴らしい」。

33年前の「なんクリ」が、各方面からめちゃくちゃ叩かれていたことは子供ごごろによく覚えている。俗に「カタログ小説」と呼ばれ、主に戦中派や団塊・学生運動世代の評者から「戦争や学生運動を知らない、今どきの若者の物質主義がケシカラン」とドヤされた作品。

ただ、あれを「カタログ小説」「物質主義」と定義するとやたらと薄っぺらでかつ、本質から遠く外れていく。

ここも勇気をもって書けば、今いちばん心に留めるべきこととして、「クリスタルとは、おしゃれな服で着飾って、美味しいものを食べて、好みの異性を愛する、そういう生き方をしたいという価値観であり、それはつまり、人間の本質である」。

よくよく考えてみれば、「なんクリ」は、ある種日本で初めて、そんな、憲法でいう「健康で文化的な生活」、もっと端的に言えば「ヒューマニズム」を堂々と宣言した本であると、まず捉えてみる。とすれば、「クリスタルって、素晴らしい」。

そして、さらに重要なこととして、33年前にそういうことを謳歌した「クリスタル族」も、年齢、時代、経済、社会……から来るもろもろの要請から、いよいよ、あれこれと限界が来ているということ。

だから、今回の作品のメッセージは、愚直に翻訳すれば、「年をとっても、おしゃれな服で着飾って、美味しいものを食べて、好みの異性を愛する、そういう生き方をしたい。でも、そのためには……残念ながら……ガラじゃないけれども……日本の未来を真剣に考えなくちゃ」ということなんだと、ワタシは読み取りました。

人口6,000万人くらいで均衡する、ちょっと小ぶりな日本の中で、「おしゃれ」「おいしい」「好み」の面積を少しだけ小さくして、でも、静かで、穏やかで、平和に、老人たちが暮らしている国、そんな、新しい意味での「クリスタル」立国を目指して。

さぁ―――<あと十年たったら、私たちはどうなっているんだろう>。今年もよろしくお願いいたします。

「もっと強く願っていいのだ わたしたちは明石の鯛が食べたいと もっと強く願っていいのだ わたしたちは幾種類ものジャムがいつも食卓にあるようにと もっと強く願っていいのだ わたしたちは朝日の射す明るい台所がほしいと」(茨木のり子『もっと強く』)



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