20150927/「演歌は日本人の心」というウサン臭い言説は「インテリ」の仕業。

いつかここでも紹介した、輪島裕介という人。過去作を探ってみた。これがまた素晴らしい。かつ、ワタシの問題意識にストレートに切り込んでいく。

この本はタイトルがキャッチーではない。サブタイトルと併せて解釈した方がいい。要するに、「『演歌』が『日本の心』だという言説は、かなり人為的に創られたものだ」ということを検証・立証する本である。

「演歌は日本人の心だ」ということのウサン臭さは、ちょっとだけ意識的な音楽ファンなら、誰でも、直感的に感じていることだと思う。かくいうワタシも、何となくそう思っていたのだが、この本で解き明かされた事実は、個人的にかなりの衝撃だった(まだ読んでいる途中なので誤認があるかもですが)

(1)今使われている「演歌」の観念が出来たのは、1970年前後。その観念は、レコード会社専属作家制度の崩壊以前(グループサウンズ以前)のレコード歌謡のほぼすべてを指すという、広く曖昧なもの。

(2)その70年前後に、「明るく」「近代的」な西洋志向の反動として、学生や知識人の間で「暗く」「土着的」な音楽を持ち上げる風潮(=これぞ日本の「庶民」の声である、など)が突如現れ、その象徴が、暗いバイオグラフィー(一部ねつ造)を売りにした藤圭子。

(3)そこから、藤圭子と同様の売り方をされた森進一、五木ひろし・八代亜紀などのモダン演歌、ぴんから兄弟などの「ド演歌」も含め「演歌」の観念が定着。その後、さらにはフォークの要素も吸い込んで、森進一《襟裳岬》、都はるみ《北の宿から》などのレコード大賞楽曲につながっていく。

個人的にとても発見だったのは(2)。ワタシはかねてから、高度成長期のイケイケドンドン時代に、カルメン・マキとか、藤圭子などの、極端に暗いムーブメントがなぜ出てきたのか、理解できなかったのだ。

グループサウンズやカレッジフォークなどへの反動、高度経済成長・大量消費社会への反動、と言えば一瞬、納得するのだが、もっと意図的・人工的な力が働いていたのではないかとずっと思っていた。

やはり―――である。そこには五木寛之や、相倉久人、竹中労、平岡正明などの「インテリ」が介在していたのだ。藤圭子や森進一などを「抑圧された日本の庶民の怨念」を感じ取り、称揚したという歴史的事実があったようなのだ。

そんな「インテリ」と、それに影響を受けた学生。自分たちは進歩的な論を展開したつもりだったのだろうが、これが結局、「演歌は日本の心」という、たぶんにでっち上げで、かつ保守的な論調づくりに加担してしまったのだから、なんとも皮肉なことである。

そしてワタシは、もしや、「雑誌『ガロ』」「ディスカバー・ジャパン」「アンノン族」「吉田拓郎《旅の宿》」、さらには「はっぴいえんど『ゆでめん』」などの事象の背景にも、日本の「暗く」「土着的」な側面を再評価する「インテリ」たちの感覚が作用していたのではないかと、推測するのである(そう言われてみれば、すべて、どことなくウサン臭い)。

そしてそして、最後に、この時代のすぐ後に、そういう「インテリ」の動きとほぼ無関係で、素手と素足で成り上がってきたた矢沢永吉は、やっぱりスゴいなぁと感心するのだ。



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20150922/デモに活気をもたらすには、リズムに対してコトバをずらすことだ。

先週金曜日、お酒を飲んで、泥のように眠っている間に、「安保法案」が成立してしまっていた。

この年齢になると、若い人たち、大学生やさらには高校生が、声を上げているのを見て、胸が締め付けられる。特に、数年前に、朝ドラのこの台詞にぐっと来た身とすれば。

世情は不安なことが多い。思いだすのは #カーネーション のこの台詞。「生き延びや。おばちゃんら、頑張ってもっともっとええ世の中にしちゃるさかい、生き延びるんやで」

若い人たちは、デモのやり方もなかなか冴えていて、リズムやラップに工夫を重ねた、非常に音楽的なシュプレヒコール(という言い方も古いか)を採用している。いきいきとしたリズムで叫ばれると、デモそのものが華やかになる。

反面、大人たちのシュプレヒコールは、旧態依然としているというか、平凡なリズム感で、デモを古臭く感じさせているものが多い。これは良くない。

そこで、コトバをいきいきとしたリズムに乗せる方法を考えてみたい。この辺りはラッパーの方々の得意分野だろうが、約30年前、いとうせいこうをはじめとする、オールドスクールのラップに慣れ親しんだ世代として、とても基本的なメソッドを紹介する。

それは、リズムに対してコトバをずらすことだ。

例えば「戦争法案絶対反対」(せんそうほうあんぜったいはんたい)というコトバをシュプレヒコールするとして。普通の符割りはこうなる。「せん・そう・ほう・あん・ぜっ・たい・はん・たい」。譜面に書き起こすとこうだ。

ただ、普通の符割りだけに、コトバとリズムの関係が平凡過ぎて、躍動感がまったくない、そのコトバを繰り返そうという気持ちが発生しない。結果、デモが、運動が広がらなくなる。

そこで、リズムに対して、コトバを半拍ずらしてみる。「せ・んそ・うほ・うあ・んぜ・った・いは・んた・い」。譜面に書き起こすとこうだ。

発声してみれば、リズムがやけにいきいきとしてくる感じを体感できると思う。種を明かせば、4拍子の中の1拍めと3拍めに強勢を置くことによる、日本土着的な感じを、コトバをずらすことで回避していることなのだが。

まぁ、そんな理屈はともかく、こんな「ずらし」を多用する、さらには韻やアクセントの変化なども活用しながら、コトバにいきいきとしたリズムを吹き込んでほしいと思う。案外、こんな些細なことに、デモに活気を与えるチャンスがあると思う。



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20150913/80年代歌謡小説~「1981年2月の『チェリーブラッサム』」

過去に作った「80年代歌謡小説」を改めて掲示します。

1981年1月21日発売 作詞:三浦徳子 作曲:財津和夫 編曲:大村雅朗 売上枚数:67.4万枚 最高位:1位 年間ランキング:9位

※ジャケット画像をクリックすれば、この曲の音楽的分析へ。

※縦書きPDF版はこちらをクリック。

 学校の校舎特有の、くすんだ色の天井が、くるくると回って、そして真っ黒になった。

 「あぁ、自分は、ヤンキーのMにみぞおちを蹴られて、気を失っているんだ」
 目の前は一瞬、真っ黒になったが、賑やかしい放課後の廊下で、下級生が見つめる中、自分が廊下に倒れ込んでいるのだという自覚はハッキリとあった。

 「校内暴力」という言葉が流行語のようになっている。テレビでは『金八先生』の「腐ったミカンの方程式」が話題となっていて、ちょっとヒロイックにヤンキーが語られているのだが、地方の中学校における「校内暴力」の実態は、廊下に倒れ込んでいる自分の姿のように、吐き捨てるほどにつまらない。

 そもそも、今年(81年)に入ってから、金曜日はボーッとしていることが多い。漫才ブームの先頭を行くツービート。その左側、ビートたけしの『オールナイトニッポン』が面白すぎるのだ。元旦から始まった新番組。木曜深夜に、隣の県のラジオ局から流れてくる雑音交じりの電波の中で聴く、それこそ速射砲のようなトークに魅了される。

 東京から遠く離れた地方都市なのに、クラスのみんなが、たけし独特の下町のコトバをコピーするほどなのだから、そのインパクトは凄まじい。

 「オールナイト」は深夜27時に終了。中三には、ちょっとキツい。今日も、もし、ボーッとせず、感覚を研ぎ澄まして廊下を歩いていたら、Mの存在を早めに察知し、そして、踊場のほうに逃げることも出来たのに。

 速射砲と言えば、もう一つ。この81年2月の風景をせわしなくしているのが、松田聖子の新曲、『チェリーブラッサム』だ。この曲のテンポも速い。速すぎると思った。たけしの下町コトバと『チェリーブラッサム』がせわしない。だから、この2月は、せわしない。

 1週間前には、Mと何気ない会話をしている。英語が得意な僕に訊いてきたのだ。

 「『ブラッサム』って、どういう意味だ?『チェリー』は分かる。タバコの『チェリー』だろう?オヤジが吸ってるからな。『桜』って意味だと言ってた。で、『ブラッサム』って何だ?」

 「『花』だよ。『チェリー』と合わせて『桜の花』」と答えて、Mは納得していた。その段階では、関係は良好だったのだ。なのに、なぜ、今日、突然蹴りを入れられたのか。ヤンキーという生き物は、さっぱり理解できない。そもそも、あの長い学ランや、太いズボンが、僕にはダサくってしょうがない。YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の人民服ファッションの写真ばかり見ている僕からすれば。

 高校受験が近づいている。学区で上から3番目程度の県立高校を目指している。「校内暴力」という言葉同様に、「受験戦争」という言葉もよく使われている。なんともきな臭い。でも、この息がつまりそうな中学の空気から逃げ出せると考えれば、受験も悪くない。少し程度のいい学校に行けば、校舎の天井も、もう少し開放的なのではないか。

 ♪何もかも目覚めてく新しい私
 走り出した船のあと白い波踊ってる

 先ごろ、田原俊彦『恋=Do!』を蹴落として、『チェリーブラッサム』がオリコン1位になっている。YMO好きの僕としては、正直、松田聖子はよく分からないのだが、それでも、この歌詞は分かる。そして、日本全国において、この歌詞を今受け入れている人々は、僕のような連中なんじゃないか。

 くすんだ色の天井から逃げ出したい、日本中の中学三年生。「何もかも目覚めてく新しい私」になりたい、日本中の中学三年生。

 そう考えれば、この速すぎるテンポも胸に染みてくる。早く受験が来ないか。早く合格通知が来ないか。そして、早く卒業式が来ないか。このテンポは、そんなトキメキ、もしくは焦りを表す心拍数と同じテンポだ。

 僕は、走り出した船になる!

 ♪つばめが飛ぶ青い空は
 未来の夢キャンバスね
 自由な線自由な色
 描いてゆく二人で

 「日本全国の冴えない中三のみなさん、自由な線、自由な色が描ける四月に向って頑張って!」と、松田聖子に励まされている気がした。少しいい曲だなと思えてきた。

 ―――と、考えていると、後ろから、頭をはたかれて現実に戻される。ここはまだ81年2月。吐き捨てるような中学校の廊下だ。行きかう生徒全員に響きわたるように、Mが叫ぶ。その言葉によって、さっき突然、蹴りを入れられた理由が判明するのである。

 「てめぇ、『花』は『フラワー』じゃねーか!」

(完)



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20150906/それでもやっぱり、クライマックスシリーズに賛成する理由。

まず先にサイト過去作。今回はこの続編。「20131020/それでも、クライマックスシリーズに賛成する」

しげしげとパ・リーグの順位表をながめる。今日(註:9/6時点)現在で、1位ホークスと2位ファイターズのゲーム差は「10.0」(ホークスにマジック13)、2位ファイターズと3位ライオンズは「10.5」。そして、こう思うのである。

「あぁ、クライマックスシリーズ(CS)があって本当に良かった」―――もしCSがなかったら、すでにリーグ戦は実質終了しているので、消化試合の嵐である。観客動員も激減し、目も当てられない惨状になっていただろう。

逆に、セ・リーグは大混戦である。1位タイガースと2位スワローズのゲーム差は「1.5」、2位スワローズと3位ジャイアンツは「1.0」。それでころか1位タイガースと5位ベイスターズのゲーム差が「9.0」だから、パの1位と2位のゲーム差の中に、5球団がすっぱりとハマることになっている。

もしかしたら、セの上位3チームの一部のファンはこう思っているはずである。「あぁ、CSなんか無ければ、もっとペナントレースが盛り上がったのに」。ただ、そういう声が、球界全体に響いてこないのは、なぜだろう。

その最も直接的な要因は、おそらく、今季大幅に人気を伸ばした、4位カープ、5位ベイスターズへのシンパシーだと思う。「カープかベイスターズがCSに進出すればいいな」という、ワタシ含めた野球ファン全体の心の声があるような気がするのだ。

これが前半戦の観客動員数。カープとベイスターズの動員拡大は圧倒的である。「今季のセを盛り上げてくれた2球団。敵ながらあっぱれ。CSに出たら盛り上がるだろうな」と思わせるデータである。

かくいうワタシも、この7月に横浜スタジアムに行き(13日、DBvsG戦)、ベイ・ファンの盛り上がりに圧倒された。あんなに盛り上がっている横浜スタジアムは、あの優勝の98年以来ではないか。そして、ベイスターズがCSに進出したら、どんな騒ぎになるのだろうと夢想してワクワクした。

カープとベイスターズの動員の拡大(≒リーグ順位低下に対する動員減少率の低下)にCSの存在が影響していることは間違いがない。さらには、その動員拡大によって「カープかベイスターズをCSに」という機運が、野球ファン全体に拡大してきた。

何が言いたいかというと、サイト過去作で書いた、CS自体のビジネス効果やペナントレース消化試合の減少に加えて、CSには「ペナントレース下位チームの人気の底上げ」という効果があって、その先には「12球団が等しく盛り上がる」というプロ野球としての理想像があるのではないかということだ。

「ペナントレース下位チームの人気の底上げ」がちょっとじれったい表現だとすれば、「そろそろベイスターズがCSに出てええんちゃうか」「やっぱり今季は、ポストシーズンで、黒田博樹が投げるのを観たいなぁ」という感じ。

パ・リーグの「プレーオフ」が導入されて今季で11年目。この11年間、プレーオフ~CSは、常に非難の対象にさらされていた。特に、球界OBを中心に「ペナントレースの価値や、日本シリーズの意味がなくなる」と散々な言われ方をしてきた。

しかし9月6日の段階で、多くのチームのファンがポストシーズンに夢を抱いていること。さらには、カープ・ファン以外も含めた多くの野球ファンが「今季はカープがCSに出てほしい」と思っているであろうこと。

これがまさにCSの効果であり、そして、その先に12球団の共存共栄=「12球団の観客動員数がフラットになる時代」がある。

だから、逆に言えば、ペナントレース下位チームはCSを人気拡大のネタとして、積極的に利用しなければならない責任がある。そうすることによって、「12球団の観客動員数がフラットになる時代」の到来がさらに早まるのだから。

ワタシは、いつかこう語られる日が来るのではないかと信じている―――「ずっと昔に、ある一球団が9年間も優勝しつづけた、ツマらない時代があったらしいよ」。



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20150830/【宣伝】スージー鈴木の2冊目の著作『1979年の歌謡曲』、発売決定!

ついに、スージー鈴木さんの2冊目の著作が発売されます。題して『1979年の歌謡曲』!ちょっと遅れそうですが、一応9月末発売予定です(もう予約も可能です)。

このサイトに来てらっしゃる方は、そうとうな「スージー・マニア」の方といるかと思われますので、その人たち限定で、内容を一気にご紹介します。

内容紹介:

1979年(昭和54年)の歌謡界は、「ニューミュージックと歌謡曲の一年戦争」という感じの、混沌とした空気感が漂っていた。ピンク・レディーはこの年に完全に凋落の一途をたどり、山口百恵は三浦友和と交際宣言、沢田研二も明らかに過渡期に突入。またこの年はアイドル最弱時代で、特にジャニーズ系は影も形もない。そして、その間隙をぬって登場したゴダイゴ、オフコース、そしてサザンオールスターズら、歌謡曲のアンチとしてのニューミュージック!―――そんなこの年の魔訶不思議な音楽シーンを通して、昭和の歌謡曲を振り返る。

目次:

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はじめに

第一章:1979年の歌謡「曲」

#1 布施明『君は薔薇より美しい』
#2 桑江知子『私のハートはストップモーション』
#3 沢田研二『カサブランカ・ダンディ』
#4 八神純子『想い出のスクリーン』
#5 西城秀樹『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』
#6 ジュディ・オング『エーゲ海のテーマ~魅せられて』
■ミニコラム#1 1979年のアルバム界

#7 桜田淳子『サンタモニカの風』
#8 山口百恵『美・サイレント』
#9 ピンク・レディー『ジパング』
#10 岸田智史『きみの朝』
#11 松山千春『窓』
#12 サザンオールスターズ『いとしのエリー』
■ミニコラム#2 1979年の洋楽界

#13 ゴダイゴ『ビューティフル・ネーム』
#14 ツイスト『燃えろいい女』
#15 アリス『夢去りし街角』
#16 水谷豊『カリフォルニア・コネクション』
#17 ピンク・レディー『ピンク・タイフーン (In The Navy)』
#18 甲斐バンド『感触(タッチ)』
■ミニコラム#3 1979年の映画界

#19 サーカス『アメリカン・フィーリング』
#20 八代亜紀『舟唄』
#21 沢田研二『OH!ギャル』
#22 ゴダイゴ『はるかな旅へ』
#23 ゴダイゴ『銀河鉄道999』
#24 松坂慶子『愛の水中花』
■ミニコラム#4 1979年の野球界

#25 ピンク・レディー『波乗りパイレーツ』
#26 チューリップ『虹とスニーカーの頃』
#27 さだまさし『関白宣言』
#28 桑名正博『セクシャルバイオレットNo・1』
#29 八神純子『ポーラー・スター』
#30 サザンオールスターズ『思い過ごしも恋のうち』
【特別編】サザンオールスターズ『思い過ごしも恋のうち』歌詞分析
■ミニコラム#5 1979年のテレビ界

#31 柳ジョージ&レイニーウッド『微笑の法則』
#32 山口百恵『しなやかに歌って』
#33 岩崎宏美『万華鏡』
#34 ばんばひろふみ『Sachiko』
#35 郷ひろみ『マイレディー』
#36 久保田早紀『異邦人』
■ミニコラム#6 1979年の流行語界

#37 ゴダイゴ『ホーリー&ブライト』
#38 甲斐バンド『安奈』
#39 さだまさし『親父の一番長い日』
#40 パル『夜明けのマイウェイ』
#41 サザンオールスターズ『C調言葉にご用心』
#42 海援隊『贈る言葉』
#42 クリスタルキング『大都会』
#43 オフコース『さよなら』
#44 シーナ&ザ・ロケット『ユー・メイ・ドリーム』
#45 アリス『秋止符』
#46 財津和夫『WakeUp』

第一・五章:1979年の歌謡「曲」~補欠の4曲

#47 矢沢永吉『I say Good-bye, So Good-bye』
#48 浜田省吾『風を感じて』
#49 永井龍雲『道標ない旅』
#50 松原みき『真夜中のドア』

【総括】「1979年の歌謡曲」名曲ランキング・ベストテン

第二章:1979年の歌謡「人」

#1 ゴダイゴ
#2 阿久悠
#3 沢田研二
#4 山口百恵
#5 ピンク・レディー
#6 筒美京平
#7 サザンオールスターズ
#8 西城秀樹
#9 オフコース
#10 その他の歌謡「人」

終章:1979年の歌謡「界」~それは一体何だったのか。

おわりに
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楽曲紹介例:

売るためには何でもします。どこにでも行きます。何なら音源も持って。ご紹介、ご協力、よろしくお願いいたします。以上、柄にもなく、宣伝のみですいません。



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20150823/『風街レジェンド』鑑賞記~松本隆の最大の功績はAORサウンドに日本語を乗せたことではないか。

「松本隆 作詞活動四十五周年」という、誰もツッこまない中途半端な区切りで開催されたコンサート『風街レジェンド』。まず目を見張るのは、バックバンド「風街ばんど」の面々。

中核となるのは、80年代前半に活躍したパラシュートのメンバー(林、今、松原、井上)。そしてこのメンバーは、全盛期松本隆(私見で1980~1985年)の代表的な作品を多く手掛けている。

例えば、寺尾聡の大ヒット《ルビーの指環》(1981)セッションにはこのパラシュートのメンバーが丸ごと参加している。

松田聖子に関しても同様で、例えば、最高傑作アルバム『ユートピア』(1983)のリーフレットを見れば、最高傑作ソング《メディテーション》のセッションに高水、松原。《秘密の花園》に林、松原に加えて、パラシュートではないが今回の参加メンバー、吉川忠英といった具合。

さらに《ア・ロング・バケーション》(1981)以降、井上が大滝詠一の重要なパートナーとなっていたことはご存じのとおり。

当時のパラシュートの音をカテゴライズすれば「フュージョン」ということになると思うが、それと、寺尾、松田、大滝という(歌謡)ポップスの中間地点にある概念をここでは「AOR」と呼んでおく。

AOR=アダルト・オリエンティッド・ロック。定義はいろいろあろうが、要するに「70年代後半における、コンピュータ登場以前のアナログ演奏の高度化と、録音技術の進歩を背景として、複雑な演奏、複雑なコード、複雑なアレンジを用いた、都会的でおしゃれな音楽」ぐらいの意味。

より具体的に言えば、日本では、ボズ・スキャッグス、スティーリー・ダン、クリストファー・クロス、TOTOらの影響下にある作品。寺尾聡や松田聖子作品にあるAOR的側面を感じていただきたい。さすがに大滝詠一はAORとは言い難いが、バックの演奏の複雑さについては共通するだろう。

以上長くなったが、ワタシは、『風街レジェンド』を観て、松本隆のいちばんの功績が「AORの音に日本語を乗せたこと」ではないかと感じたのだ。

「はっぴいえんど時代の松本隆が、日本で初めて日本語にロックを乗せた」と言われるが、そこはちょっと疑わしいし、乱暴である。当時のロックの(主にエイト・)ビートに日本語を乗せること自体は、かまやつひろしも既にやっていたのだから。ワタシはザ・スパイダース《フリフリ》を日本ロックの起源と考えている。

ただ、ここでいう80年代前半に勃興した、「AOR」の複雑な音(メロディ、リズム、符割り)に日本語を乗せるのは、かなりのテクニックとセンスが必要だったはずである。

むしろ、そこに松本隆のもっとも大きな功績があり、はっぴいえんど時代の、たとえば「♪あたりはに・わかに・か・きくもり」(《颱風》)のような実験的な符割りは、その予行演習に過ぎなかったのではないかとさえ思うのだ。あまり持ち上げてはいけない。

―――80年代前半、AORの音に、松本隆のクールで、そしてちょっぴりセンチメンタルなコトバが乗っている。

今回の『風街レジェンド』のMVPは、鈴木茂《砂の女》。今剛、松原正樹、そして鈴木茂のギターバトルという、なんと贅沢な光景。

でも本当に素晴らしいのは、その歌い出し「♪風まじりのー」だと思った。あの70年代中期西海岸風の、やたらに込み入ったAOR初期グルーブと、「Am7→D7」が続く単調なコードワークの上に乗る歌い出しは、「♪風まじり」しかないだろう。「か」の破擦音、「ぜ」の濁音が、グルーブにぴたっとハマっている。

改めて「♪風まじりのー」を聴いて、ワタシは失禁しそうになりましたよ。



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20150810/夏の甲子園は教育の一環なのだからこそ、もっとビジネス化するべきである。

夏の甲子園に関する記事では、この 「朝日新聞に提案。『甲子園にビジネスを入れ、過密日程を解消しませんか』」(NewsPicks) という記事が抜群に面白かった。

この記事で初めて知ったことをいくつか。

・昨年の夏の甲子園収入は4.5億で、支出は3.4億。差し引き1.1億の収益のほとんどは「U18W杯の開催費用」に充てられている。
・選手の交通費および宿泊費は支給しているが、宿泊費については3年前に、1泊7,500円から3,000円に減額された。
・もっと「ビジネス化」しろという意見もあるが、学生野球憲章があり、「あくまでも教育の一環」「学生野球の商業利用はしない」ということになっている。
・NHKは放映権料を払っていない。無償で中継している。

違和感があるのは、「あくまでも教育の一環」(だから)「学生野球の商業利用はしない」というあたりである。ここに夏の甲子園にまつわる、あらゆる問題点の根幹があると思う。

ここで個人的な考えを言えば、何よりも大切にするべき考え方は、「プレーヤー・ファースト」であると思うのだ。「選手ファースト」「学生ファースト」。

安っぽい企業スローガンのようだが、まずは、選手のプレーとこれからの人生ありき。それこそが、本来的な意味での「教育」だと思うのだ。

ここに一番の重きをおけば、当然、上記事の筆者である中島大輔氏と同じく、「過密日程の解消」を、ということになる。現在、準々決勝の翌日だけの休日を、準々決勝の前日、準決勝の翌日にも設定すればいい。

さらに、甲子園大会については「球数制限」についても、ワタシは賛成。「タイブレーク」よりも直接的に選手(投手)の身体を守る。「球数制限すれば、投手が少ない学校が不利になる」という意見は、「スクール・ファースト」であって「プレーヤー・ファースト」ではないと思うのだ。

そして、かねてから主張している、「甲子園では13時~15時の間を休憩タイムにする」。関西の日中は、一説には世界一不快な気候にあると言われている。「過酷な気候の中、苦闘する選手を見て悦に入る」という、サディスティックな愉しみを、野球ファンは捨てるべきだと思う。

それを図示するとこういう感じ。なお、決勝戦はナイターで、働いている人も(テレビ)観戦できる時間にするべき。

※参考:過去記事
「20140728/夏の甲子園を15時開始にできないか?」
「20110605/夏の甲子園に節電タイムを。」

そして、以上のような提案、特に「過密日程の解消」による選手の宿泊費や、「休憩タイム」の設置による球場運営人件費の増大を埋合せするために「ビジネスを入れ」るべきだと考える。

実は昨日、第4日の第2試合、長崎創成館対天理の試合を見てきたのだが、日曜日ということもあってか、猛暑の中、長い行列が球場から延びていた。これでは観客の中からも、多くの熱中症患者が出ていることだろう。

まず、「中央特別自由席」「一・三塁特別自由席」という銀傘の下の席を、すべて、単価を上げて、一試合単位の指定席にすればいいのではないか。

ただし複数試合セット買いによる割引有。販売は、当日券に加えて前売りもあり。甲子園だけでなく、チケットぴあやローソンチケットのネットワークを活用。雨天順延の場合は、払戻しも可能。まぁ、細かな話は今後でいい。

現在は「中央特別自由席」は2,000円、「一・三塁特別自由席」は1,500円で一日まるごと見られる。これは安いと思う。安すぎると思う(あと、よく知られていることだが外野席は無料!)。一試合単位でこの価格でいいと思う。

この安い価格設定の裏には、「あくまでも教育の一環」(だから)「学生野球の商業利用はしない」という空気があるはずだ。いやいや、ビジネス化して、それを学生たちに還元できるのであれば、適正価格(だと思う)にするべきだと思う。

また一試合単位での指定席にした場合の観客の移動の混乱などはありそうだが、申し訳ない、ここは「オーディエンス・ファースト」ではなく、「プレーヤー・ファースト」なので、うまくやってほしい。あと、観客の側にも、猛暑の中の長い行列がなくなるというメリットもある。

また、「休憩タイム」については、過去の名対決などの映像を、大型ビジョンでノーカットで見せればいい。ここのポイントは、野球ファンを魅了するエンタテインメントを展開することで、観客を逃さず、飲食需要を喚起し、ビジネス化することである。

当然、NHKにも放映権を払ってもらおう。現在無料で流しているネット中継なども、会員制にして、入会金を払ってもらえばいい。

そういう細かなアイデアを積み重ね、膨らんだ収益を、すべて選手に還元する。主に宿泊費などに充当する。もっと言えば、高校野球を愉しむ野球ファンは、正当な対価を払うべきだということである。選手に還元されるなら、野球ファンとしても本望だろう。

なおこの論は、全試合甲子園で実施することを前提としています。



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20150801/楽天・三木谷オーナーと2013年日本シリーズの田中将大。

自分としては、とても驚いたのに、世の中的はまったく騒がれていない事柄というものがままある。昨日のこの記事も、まさにそれ。

楽天・田代打撃C辞任…オーナーの現場介入に「やっていられない」

この記事から抜粋。驚いたのはこのパラグラフ。

苦境にあって、効果的な打順を組み、作戦を考えるのが監督、コーチの仕事のはず。ところが今季の楽天には三木谷オーナーの現場介入が多く、田代コーチの不満は蓄積していた。同オーナーは1、2軍の選手入れ替えなどのほか、試合直前にオーダーの変更を要求することもしばしばだったという。現場の長である大久保監督は、コーチの見解との“調整役”となり、オーナー案を受け入れつつ否定もして、難しいかじ取りを進めてきた。

いやぁ、驚いた。もしこれが事実だったとして、いまどき、現場に口を出す、それも「試合直前にオーダーの変更を要求する」オーナーがいたとは。

この話に、企業・楽天の英語「公用語」化や、また一見、瑣末なことだが、イーグルスのユニフォームの色「クリムゾン・レッド」が、三木谷氏の出身大学、名門ハーバード大学のスクールカラーだったことなどがつながってくるのだ。

その先にあるのは、三木谷氏のマインドに対するこういう見立て――― 「野球選手や指導者が馬鹿に見えて仕方がないのだろう」。

で、ワタシはさらにこの話をつなげる、というか蒸し返す。

星野野球と落合野球。または、日本シリーズの田中将大へのワタシの見解。

かいつまんで書けば、2013年の日本シリーズにおける田中将大の連投への批判、それも、星野監督(当時)がこう考えていたことへの批判である。

星野仙一の優勝インタビュー「もう、最高です! (抑えに田中を起用するのは)考えられない継投だったけど、どうしたって田中が『行く!』と言うので。彼がいたからこそ、日本シリーズに出れたのだから、最後はアイツがふさわしいだろう、と託した」

つまり、監督(やコーチ)が投手起用を掌握せず、田中本人の意向に従ったことへの違和感である(このあたりは、今となっては、伝わりづらいかも知れない。そのシーズン、田中が先発として大車輪の活躍をした上に、 この前日の第6戦に先発し、なんと160球を投げて負け投手になっていることを前提としてほしい)。

で、ワタシは当時、星野を批判しながらも、とはいえ、百戦錬磨の、それも投手出身監督である星野が、そういうデタラメな起用を自らするものかしらと疑問にも思っていたのだ……という話と、今回の話がつながってくる。

あくまで仮説だが、もしかしたら、あのときにも三木谷氏の「最後は田中で行け」という「鶴の一声」があったのではないか。「田中本人の意向」に加えて、「オーナーの意向」があったのではないかと勘繰りたくなるのだ。

雇用に関してだが、ベンチャーはぜひこの(労働時間規制の)対象から外してほしいと思う。私もそうなのだが、ベンチャー企業というのは夢を見て24時間働くというのが基本だと思っているので、そういう会社に残業云々と言われても正直言って困る。我々も会社に泊まり込んで仕事をやっていた。ベンチャーはこの対象から外して、そのかわり、がぽっと公開したらもうかるというものではないかなと思う。

だって、こういう発言をする人なのだから。

追記:唐突ですが、こういうイベントやります。ぜひお越しください。ご予約・お問い合わせは sabanoyu@gmail.comへ。



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20150726/「モーレツからビューティフルへ」は終わらない。

旧国鉄の「ディスカバー・ジャパン」など、1970~80年代に社会現象となった広告キャンペーンを手がけた広告プロデューサー、藤岡和賀夫(ふじおか・わかお)さんが13日、心不全で死去していたことがわかった。87歳だった。告別式は近親者で済ませた。喪主は妻・美奈子さん。兵庫県出身。50年に電通入社後、70年の富士ゼロックスの「モーレツからビューティフルへ」や、70~80年代の旧国鉄の「ディスカバー・ジャパン」「いい日旅立ち」など時代の変化を巧みに捉えた広告キャンペーンを手がけた。著書に「さよなら、大衆。」など。

70年代後半のある日のこと。ワタシは小学生の高学年。平日の昼間だったと思う。「昔のCMを振り返る」的な番組で、この「モーレツからビューティフルへ」のCMを見たときの衝撃は忘れられない。

ワタシは、広告をアートと考えるような、一種のスノビズムを持ち合わせないが(単なるビジネスのワン・ピースだと思っている)、ただ、少しばかりロマンティックなことを言えば、ビジネスが一瞬、アートと邂逅するときに、歴史的な「作品」が出来上がるとも思っている。

だとすると、それこそ、優秀な現代のアーティストが、ビートルズや黒澤明をたえず振り返るように、過去の歴史的な「作品」を知り、考察することによってしか、広告のイノベーションは生まれないのではないか、とも思うのだ。

とはいえ、音楽や映画と違って、広告は時代との関係が緊密過ぎるので、過去を振り返っても、よく意味が分からない、それどころか、何だか気持ち悪い、生理的嫌悪感を感じる、などの理由で、過去への扉が閉ざされる。こんなツマラないこととはない。

「モーレツからビューティフルへ」のリアルタイム世代ではないものの、昭和の生き証人として、このCMの意味と価値を語らねばと、強く思う。ワタシも、こういうことを考える世代になってしまった、ということだ。

「モーレツからビューティフルへ」。ひとことで言えば、「日本広告史上初の、そして最高のメッセージ広告」。

(1)ビジネス機器メーカーがビジネス機器に(一見)無関係なメッセージを発している。

(2)メッセージは、メインコピー「モーレツからビューティフルへ」のみ。

(3)「モーレツ」は、このCMを契機とした、当時の流行語。「モーレツ社員」など、高度経済成長を象徴する言葉。

(4)それを否定して「ビューティフル」な生き方を推奨している。

(5)登場人物は加藤和彦。当時のヒップでファッショナブルなミュージシャンの代表。

(6)加藤が歩いているのは、東京の、そして日本の目抜き通りの銀座。

(7)「BEAUTIFUL」という紙を持って、ただ歩くだけのドキュメンタリーCM。

(8)音楽は小林亜星によるサイケデリックな3拍子のロック。

(9)そして、放映された時代は、高度経済成長の頂点、大阪万博があった1970年。

クールに箇条書きにしてみればこうなる。はるか昔、45年前のメッセージ。当然言いたいことはこういうことだ―――「あれから45年経って、ワタシたちはビューティフルに生きているのだろうか?」

『モーレツからビューティフルへ』は、いま思うと、結果的にはモーレツ否定の方に 効き目がより強かったかもしれません。というのも、その頃は、国際的な摩擦もほとんどなく、モーレツはいわば王道として世の中を罷り通っていたからです。しかし、私には、それがいやでいやでしょうがなかった。我慢のできない風潮に見えたのです。(『藤岡和賀夫全仕事』第二巻)

繰り返す。―――「あれから45年経って、ワタシたちはビューティフルに生きているのだろうか?」。いやいや、少しはかたちを変えているけれども、つまるところ世の中、まだまだ「モーレツ」ばかりだ。

過去への扉を開いてみると、ありのままの現代に直面する。



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20150719/C-C-B《原色したいね》の聴き方~チェッカーズへの対抗軸としての「トーキョー・サウンド」。

C-C-Bと言えば、何といっても《原色したいね》だと思う。松本隆=筒美京平という、当時最高峰のソングライター・チームの楽曲を歌い・演奏しつづけたベース&ボーカルの渡辺英樹が満を持して作曲したシングル。

聴きどころは「♪Paint It Purple Blue And Green Paint It Yellow Silver And Gold」のところのメロディ。とても個性的で面白い。

さて、この曲の発売は、1987年。前項から続いて、1987年話。あの頃の音楽シーンを振り返ると、ヒットチャートで言えば、C-C-Bのちょっと上に、ずっとチェッカーズがいたイメージがある。

1987年のチェッカーズ。

《I Love you, SAYONARA》(1987年3月5日)作詞:藤井郁弥/作曲:大土井裕二/編曲:THE CHECKERS FAM.
《WANDERER》(1987年7月8日)作詞:藤井郁弥/作曲:鶴久政治/編曲:THE CHECKERS FAM.
《Blue Rain》(1987年11月6日)作詞:藤井郁弥/作曲:藤井尚之/編曲:THE CHECKERS FAM.

続いて、1987年のC-C-B。

《2 Much,I Love U.》(1987年6月3日)作詞:松本隆/作曲:筒美京平/編曲:大谷和夫、C-C-B
《原色したいね》(1987年9月23日)作詞:松本隆/作曲:渡辺英樹/編曲:大谷和夫、C-C-B
《抱きしめたい》(1987年12月2日)作詞:松本隆/作曲:筒美京平/編曲:大谷和夫、C-C-B

ここでは売上枚数まで確認しないが、チェッカーズの方がよりメジャーな輝きを保っていたことを思い出させるラインナップである。

ここでポイントは、両バンドとも、自作曲への選択をしていることだ。メンバー・渡辺に作曲を託したC-C-B、そして売野雅勇=芹澤廣明ラインから逃げ出して(という感じだったらしい)、フミヤ作詞・メンバー作曲をシングルにし始めたチェッカーズ。

そしてもう1つのポイントは、その自作曲、チェッカーズの3曲と《原色したいね》を比べた場合、チェッカーズの方がいい意味で「分かりやすい」ということだ。とりわけ、ユウジ作曲《I Love you, SAYONARA》のデタラメなポップ感。ワタシは、この曲よりも《Jim&Janeの伝説》や《Cherie》を愛するけれど。

いろいろな要因があろうが、楽曲的には、その「分かりやすさ」が、チェッカーズとC-C-Bの人気差につながったのではないかと思う。

ここでもう一度、《原色したいね》の音に耳をすませば、チェッカーズに比べて、(当時の)洋楽っぽいことを痛感する。バリバリのシンセ・ドラム、賑やかなベース、鳴り響くシンセサイザー、金属的なリミックス。ハワード・ジョーンズやら、パワー・ステーションやら、80年代のMTVな人々の顔が思い浮かぶ音である。

C-C-B、そして、松本隆、筒美京平含む、彼らを取り巻くスタッフの気持ちは、こういう感じだったのだろう―――「やい、チェッカーズ。てめぇらダサイんだよ。こっちの方が最先端のコンテンポラリーなんだよ!」

チェッカーズは全員言うまでもなく福岡出身。「1984年の歌謡曲」の風景は、チェッカーズと吉川晃司(広島)という、西日本のヤンキーたちが、東京ポップカルチャーに土足で上がり込んでいる風景。

その対抗として、翌年《Romanticが止まらない》でブレイクしたC-C-Bは、全員東京出身。それどころか松本隆、筒美京平も東京。この生粋東京人たちが、西日本のヤンキーを仮想敵にして作り上げた作品群。

それは、コンテンポラリーで、アイデアフルで、そして、適度にポップで適度にマニアックな「トーキョー・サウンド」。そして、抜群のベースギター・プレイと、甘いボーカルで、「トーキョー・サウンド」を根幹から支えたのが、《原色したいね》のコンポーザーでもある渡辺英樹である。

君と原色したいね もっとカラフルに
君と原色したいね もっと色っぽく

そう。C-C-Bの「トーキョー・サウンド」はとってもカラフル。極彩色だ。だから渡辺英樹の思い出も決して色あせない。



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20150711/1987年の松本隆~『BRUTUS』松本隆特集の副読本として。

最初に宣伝。7/18発売の『ベースボールマガジン9月号』に「阪神優勝の熱気あふれる大阪で、まだ何者でもなかった18歳が感じていた気分」という長文を寄せています。こういう文章を書かせていただけるのはとても光栄です。ご一読ください。

さて。『BRUTUS』の松本隆特集を堪能した。どういう理由であれ、松本隆、ひいてはあるソングライターについて語る機運が高まるのはとても好ましい。

というわけで、今回は、この『BRUTUS』の副読本として、この雑誌に書かれていない、すぽっと抜け落ちている「1987年の松本隆」について、個人的経験も踏まえつつ、書いてみたいと思う。

まず前提として、松本隆の最盛期は、『スニーカーぶる~す』(1980年)から、松田聖子を経由して、斉藤由貴『卒業』あたりまでだろうか。約5年。阿久悠のそれが70年代の10年間とすれば、かなり短い。

最盛期終了後、松本は、阿久悠同様、作詞から小説の方角にステップアップする動きを見せる。1985年発売の小説『微熱少年』。

当時、リアルタイムでそれを読んでいるのは、86年4月に東京に出てきた鈴木少年である。めくるめく「風街」の中で、松本隆に、はっぴいえんどに耽溺(たんでき)している。まさに「耽溺」。『微熱少年』もむさぼるように読んだ。

そんな鈴木少年をイラつかせているのは、秋元康という新しい才能である。おニャン子クラブの仕掛け人という立場はともかく、彼の作詞が、松本隆の亜流のように感じられたのである。

例えば福永恵規《風のInvitation》(1986年)というタイトルや、歌詞「♪ポーラスターはプラタナス」と、松田聖子《風立ちぬ》「すみれ ひまわり フリージア」の符合など。

当時の秋元は「時代の寵児」である。やることなすこと、すべてビジネス的に成功させていた。鈴木少年の目には、秋元が松本を、作詞から小説の世界に追いやったように見えた。悔しかった。

さて、翌年。「1987年の松本隆」である。松本隆の原作・監督・音楽による映画『微熱少年』。渋谷道玄坂の映画館で観た。

平日昼間ということもあってか、館内は、閑散としていた。女子高生数名のグループとワタシのみ。元CCBの関口誠人がスクリーンに出てくるたびに女子高生が嬌声をあげるのに辟易(へきえき)とした。

そんなことだから、興行成績は芳しくなかったはずである。そんな中、鈴木「微熱」少年は、貧乏なくせにサントラ盤も買い、それどころか『ANOTHER SIDE OF~』というVHSまで買っている。よほどムキになっていたのだろう。

それから約30年経って、時ならぬ「松本隆ブーム」。いろんな有名人が陶然として松本隆論を語る『BRUTUS』を読みながら、好ましく思いつつ、でも、ムキになってスクリーンを凝視(ぎょうし)した、あの道玄坂の映画館のことを思い出すのである。

そしてさらに、その30年間「最盛期」を続けている秋元康の生命力にあらためて驚きながら、『BRUTUS』にある、松本本人のこんなセリフに溜飲を下げるのだ。

岡村靖幸:ものすごいスケジュールで、ものすごい書かれていたと思うんです。
松本隆:3日に1個だったからね。
岡村:いままで2100曲以上作詞されているんですもんね。
松本:僕の場合、影武者はいないんだ。
岡村:あはははは(笑)。
松本:誰とは言わないけれど、ほかの人はいっぱいいるんだ、16人とかさ。
岡村:ブレーンもいたりする。
松本:でも、僕と筒美京平さんにはいない。それはプライドなのね。



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