20151231/『第66回・紅白歌合戦』は、ここに注目。

この年末の土壇場に、今年も、紅白歌合戦の見どころを書いてみました。あくまで個人的なものですので、見解の相違などあって当然。「見どころがない」とボヤキつつ、書きはじめれば、こんなに超・長文になってしまうのが、紅白の魔力ですね。いろいろ言いながらも、やっぱり楽しみです。

(登場順:1)郷ひろみ『2億4千万の瞳~エキゾチック・ジャパン』(出場回数:28)

実は、郷ひろみは「白組トップバッター」の常連で、1977年から4回連続トップバッターを務めている(『悲しきメモリー』『バイブレーション』『マイ・レディー』『How manyいい顔』)。だからどうだと言う訳ではないが、最近、年々声量が落ちている中でのこの抜擢。特別で派手な趣向があるのではないか。そのあたりを期待したい。

(8)SEKAI NO OWARI『プレゼント』(2)

今年の彼らの作品なら、絶対に『SOS』を推す。意欲作とはあのような作品のことを言うもので、この『NHK全国学校音楽コンクール』課題曲は、あまり見どころはない(最近の同コンクールの選曲センスの無さ。音楽教育効果を疑う)。ただし時の勢いがあるので、とりあえずはしっかりと見たい。

(14)星野源『SUN』(初)

今回いちばんの見どころの1つ。ほぼ文句がつけようのない完成された楽曲を、手足の短い、やたらとチャーミングな星野が楽しそうに歌う姿は、2015年の音楽シーンを代表する瞬間になると思う。原曲が完全アナログ演奏なので、願わくば、ココに書いたように、生演奏を期待したいが、120%無理だろう。

(16)ゲスの極み乙女。『私以外私じゃないの』(初)

個人的には、昨年出てほしかった。今年は「昨年同様のあの曲調をどこまで持続するのか?」という、もう一種の伝統芸のように見ていた。こちらも超絶技巧のバンドなので(特に太ったベース)、願わくばテレビで、一度だけでも生演奏を見てみたいが、こちらに関しては150%無理だと思う。

(25)NMB48『365 日の紙飛行機』(3)

あの曲を、数十名の斉唱(ユニゾン)で歌うのはもったいない。いつかの番組で見せた、山本彩の生ギター弾き語りソロというチャレンジを強く期待したい。ソロが危険であれば、朝ドラより、抜群の歌唱力を持つ友近をサポートに、そして「のだめカンタービレ」時代の玉木宏のピアノをサポートに。

※チューニングを半音下げるあたり、エディ・ヴァンヘイレンのよう。

(36)ゴールデンボンバー『女々しくて』(4)

水樹奈々・西川貴教コンビなき今、「紅白を紅白たらしめる盛り上げ」に孤軍奮闘する唯一の存在。世間が彼らをうさん臭く思っているうちに、いつのまにか、いちばんエラい人になってしまった。紅白ファンとしては、リスペクトしかない。

(37)西野カナ『トリセツ』(6)

同じような意味で、この女の子も、「求められている需要に確実に応える」という意味でプロだ、エラいと思えてきた。この曲の歌詞も、そういう意味ではまさにプロ。紅白から、浜崎あゆみ、大塚愛、そしてついにaikoも抜け落ちた今、彼女への期待は高まる。

(38)BUMP OF CHICKEN 『ray』(初)

バンプこそ、『天体観測』で、いつかの斉藤和義を継ぐ、生演奏枠をと期待したが、『ray』ということは、初音ミクとのコラボとなり、必然的に生演奏じゃなくなる気がするが、それでも一縷の望みをかける。生演奏生演奏とこだわるのは、それくらい最近の紅白はカラオケが多く、逆に言えば、生演奏の緊張感が、とても映えるのです。

(40)五木ひろし『千曲川』(45)

五木ひろしの最高傑作にして、伊藤咲子『乙女のワルツ』と並ぶ、日本歌謡界を代表する「三拍子・五音音階アンセム」。私はこの曲を国歌にしてもいいと思っている。1975年白組トリのこの曲に、この登場順は中途半端。

(45)美輪明宏『ヨイトマケの唄』(4)

もうこれは安定感を持ち始めた。毎年歌えばいい。その場合、白組というのはおかしい。「紫組」「黒蜥蜴組」にするべき。

(46)レベッカ『フレンズ』(初)

ある意味、今回いちばんの話題枠。トリの3つ前というのは荷が重すぎる気もするが、制作陣としては、ここに視聴率のピークを持ってきたいのだろう。まぁ、昨夜の「SONGS」を見る限り、NOKKOに、全盛期のボーカルを求めるのは酷だが、ただNOKKOによる伝説の歌詞「♪口づけを かわした日は ママの顔さえも見れなかった」「♪指をつないだら oh フレンズ 時がとまる気がした」を、そしてあの劇的なギターソロを、2015年12月31日に堪能するのは意味があると思う。あれから30年。本当に驚く。

(50)髙橋真梨子『五番街のマリーへ2015』(3)

レベッカが今回の目玉とすれば、音楽的には、ここが実質的なトリと思っている。『桃色吐息』のようなゲスな曲じゃなくってよかった。さらっと歌い切ってほしい。「~2015」という、紅白っぽいタイトリングからは、センスのないひねりが入りそうで気になるが。

(52)松田聖子『赤いスイートピー』(19)

往時の、大舞台にこそ輝きまくるあの迫力が、最近失われているので、あまり期待しないほうがいいと思いつつ。選曲が『瞳はダイアモンド』なら、とも思っているのだが。これも正直少数派の意見か。それでも昨年の『あなたに逢いたくて』よりは、いい選曲。期待せずに見てみたい。



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20151227/2015年『週刊スージー・レコード大賞』、その他の発表。

過去のレコード大賞

1992年:吉川晃司《せつなさを殺せない》
1993年:ザ・ブーム《島唄》
1994年:小沢健二《愛し愛されて生きるのさ》
1995年:Mr. Children《シーソーゲーム~勇敢な恋の歌》
1996年:(該当作品なし)
1997年:カジヒデキ《ラ・ブーム~だってMY BOOM IS ME~》
1998年:ゆず《夏色》
1999年:椎名林檎《翳りゆく部屋》
2000年:慎吾ママ《慎吾ママのおはロック》
2001年:ピチカート・ファイヴ『さえらジャポン』アルバム
2002年:RIP SLYME『TOKYO CLASSIC』アルバム
2003年:クレイジーケンバンド『777』アルバム
2004年:大塚愛《さくらんぼ》
2005年:YUKI《長い夢》
2006年:Def tech 《Power in da Musiq ~Understanding》
2007年:くるり『ワルツを踊れ~Tanz Walzer』アルバム
2008年:木村カエラ《Jasper》
2009年:木村カエラ《Butterfly》
2010年:ベッキー♪#《好きだから》
2011年:桑田佳祐《月光の聖者達~ミスター・ムーンライト》
2012年:木村カエラ《Sun shower》
2013年:大友良英《あまちゃんオープニングテーマ》
2014年:赤い公園《NOW ON AIR》

今回は、 前々回の記事 ですでに半分発表してしまっていましたが、星野源のアルバム『YELLOW DANCER』が「週刊スージー・レコード大賞」に輝きました。おめでとうございます。いや、逆に、いいアルバムをありがとうございます。

その理由は、前々回記事を見ていただくとして、付け加えるならば、アルバムのリーフレットの《時よ》のところに書かれているフレーズに着目します。

「このアルバムに入っているシンセサイザーはオールアナログであり、すべての楽器、音は打ち込みではなく、どれも生演奏でレコーディングされています」

一瞬、デジタルに響く、くっきりとしたサウンドなのですが、よく聴くと、ハマ・オカモトの生々しいベースに代表されるように、アナログでライブな録音で、これが、何度聴いても聴き飽きない秘密の理由になっている気がします。

加えて、アルバム全体を通底する、ポジティブなトーンの歌詞。これらのサウンド×歌詞を掛け合わせるという図式は、おおよそ20年前の小沢健二のアルバム『LIFE』と同じ。「2015年の『LIFE』」というのが、このアルバムに対するワタシの総括です。そしてこれは、最大級の賛辞です。

準大賞はSEKAI NO OWARI《SOS》。今年いちばんの意欲作。こういう音作りが、どんどんヒットさせてくれれば、とても頼もしい。

準大賞をもう1つ。元ちとせのアルバム『平和元年』。今年のきな臭い世相に対抗して、元ちとせの唱法で反戦歌を歌わせるという企画の勝利。

「本オブ・ザ・イヤー」は輪島裕介『踊る昭和歌謡』と近藤正高『タモリと戦後ニッポン』。輪島氏のについては、すでに昨夜、J-WAVEで読みどころを発表しています。

あと、MVPはセ・リーグ山田哲人、パ・リーグ柳田悠岐。最高プレーは、柳田のスコアボード直撃弾。「テレビドラマオブ・ザ・イヤー」はTBS『おかしの家』とフジテレビ『問題のあるレストラン』、という感じでしょうか。

今年は、自著『1979年の歌謡曲 』も、売れたかどうかは別として、それなりの話題を呼び、いろんな人とも出会えて、攻めの1年となりました。さらに攻めまくるためには、ちょっと年を取りすぎたキライもありますが、攻める方向が定まった感じがします。もう迷わないでしょう。

迷わない年寄りになろうと思います。よいお年をお迎えください。



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20151220/水道橋博士の文章への異常な愛情~または私は如何にして心配するのを止めて「評論」を書くようになったか。

これは宣伝を超えて、もう単なる自慢なのだが、あの水道橋博士のブログで、我が著書『1979年の歌謡曲 』と、ワタシの文章を褒めていただくという僥倖(ぎょうこう=初めて使ったこの言葉。「思いがけない幸い」の意)に預かった。

『博士の悪童日記』(11月2日 月曜日)

水道橋博士は、ナンシー関以後の文章家として、西原理恵子と並んで、現在もっとも尊敬すべきだと思っている人。『お笑い 男の星座2 』の「江頭グラン・ブルー」に息をのみ、『水道橋博士の異常な愛情―または私は如何にして心配するのを止めて風俗とAVを愛するようになったか 』の「ア●ル占い」のサゲに卒倒。

そして『藝人春秋 』は、 ココ に書いたように、若者への文章読本になると信じている。

さらには昨年、『水道橋博士のメルマ旬報』において、「笑っていいとも」での、例の小沢健二から安倍晋三へのリレーを、氏が評したこのフレーズは、ある意味歴史に残ると思う(注:小沢健二の歌詞を知らないと面白くない)→「明日のゲストは安倍晋三。左へ曲がるカーブの話が、急に右へ旋回した」

この僥倖。やっとここまで来たかという感慨に至る。

そもそもライターとしてのデビューはかなり前である。最初に文章が世に出たのは、当時大学生として手伝っていたFM東京『東京ラジカルミステリーナイト』のフリーペーパーである。1988年11月だから、27年も前だ。

このペースで行けば、30歳くらいで本が出て、40歳くらいではマスコミの寵児となっているだろうという、ぼんやりとした未来計画があった。しかし、いまや49歳。思いのほか時間がかかっているのには、「自己認識の甘さ」という、わりと明快な理由があったのだと、やっと最近分かってきた。

1つには、自分がテキストの人ではなく、トークの人だと思っていたことだ。事実、1995~99年にはFMヨコハマの某番組に出演していたのだが(「Radio Days」参照)、やっぱり自分には、書く方が向いていることに気付いたのは、つい最近。TBSラジオのパーソナリティ・オーディション(2011年)の最終選考に落ちたことも、個人的には決定打だった。

次に書き方の問題。現代的事象を軽薄に斬っていくという「コラムニスト」方向を当初目指していたことも、遠回りの原因。実は、心の中で本当にやりたかったのは、「コラムニスト」よりも、地味で大衆受けしなさそうな「評論」だったのだ。

そして最後に、これは明らかに筆が滑っているが、「音楽や野球などのエンタテイメントには、もっと新しくて愉快な楽しみ方があるんだ」、そういうことを言いたい、そういうことを言う「評論」をしたいのだという心の声に気付いたのも、ごくごく最近。

そんな「評論」に需要や市場があるのかどうか分からない。ただし、それしか出来ない/やりたくないのであれば、やるしかないだろう。「評論家」という、時代錯誤の肩書きで、もうしばらく、やっていくことにしよう。ライター生活27年、人生49年という途方もなく長い時間の結論として。

またさかのぼって27年前、上に書いたFM東京時代、当時同局で番組を持っていた渋谷陽一にサインをもらいに行ったら、「音楽評論なんて"えんがちょ"な商売ですよ」という素晴らしい(?)お言葉をいただいた。

その教えを無視して、27年後にも「評論」を目指したいと言っているのだから、救いがたいオメデタサである。ただしかし、オメデタかったからこそ、27年後に、敬愛する文章家から褒められたのだから、人生、何があるかわからない。



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20151213/星野源は紅白で生演奏をバックに歌うべきだ~アルバム『YELLOW DANCER』批評。

星野源『YELLOW DANCER』を何度も聴いている。とてもよく出来ていると思う。今年屈指だろう。

彼のこれまでの音楽活動をよく知らないが、少なくともこのアルバムのみを何度も聴いて、そのサウンドを同世代(49歳近辺)に説明すると、こういうことになる。

細野晴臣『はらいそ』、山下達郎『ムーングロウ』、小沢健二『ライフ』の中間点。

『はらいそ』のオリエンタリズム(タイトルの『YELLOW』に象徴)、『ムーングロウ』のディスコ志向(タイトルの『DANCER』に象徴)、そして『ライフ』の多幸感あるアレンジ。

魅力としては、まず声質。誰か解明してほしいのだが、この人の声は倍音成分が独特だと思う。秦基博同様、下の倍音が不均質に響いているのか、聴いていて、とても落ち着き、そしてペーソスを感じる声である。

そして今回は、アレンジの勝利。ディスコ・ソウル調でありながら、『ライフ』に通じる、アナログ感が強く、管や弦がぜいたくに鳴り響くサウンド。デジタルのパキパキした音ばかりがラジオより流れるご時世、こういうアレンジはとても嬉しい(アレンジも本人によるらしい。優秀)。

ただ、いちおう決まりとして、面倒くさいことを書いておけば、いい意味だけでなく悪い意味でも「出来過ぎ」という感じがするところ。非の打ちどころがない、国語算数理科社会すべて「オール4.5」という感じの音。作品性というより「商品性」が高いアルバムという感じ。

事務所がアミューズだと知って「さもありなん」と。音楽活動だけでなく、俳優やタレントとしての活躍は福山雅治を想起させるし、音楽作品としての、一糸乱れぬバランス感覚は、桑田佳祐/サザンオールスターズの、社会派からエロまでの、あのバランスを想起させる。

先の細野晴臣のところで『はらいそ』としたのも、『トロピカル・ダンディー』『泰安洋行』のあるアクの強さ・面倒くさい感じのない、作品性というより「商品性」が高い感じを表現したかったからだ。

アミューズ軍団=桑田佳祐、福山雅治、三宅裕司らに通じる、最終的に、誰からも嫌われない、絶妙なバランス感覚を発揮するのは、もう少し年を取ってからでもいいと思うのだ。

ひとつ提案だが、紅白歌合戦では、バックを生演奏にすればどうだろう。バンドだけでなく(もちろんベースはハマ・オカモト)、管や弦も含めて、すべて生でやる。象徴的に言えば、そういう「アク」、そういう「作品性」を武器に携えたほうがいいと思うのだ。

決して難しいことではない。20年以上前の紅白は全編それだったのだから。なのに今は、かなりの比率でカラオケになっている。

今年の紅白歌合戦は、ここ数年の中でも、正直、かなり期待値が低い。星野源、バンプ・オブ・チキンを生演奏に、さらには《365日の紙飛行機》も山本彩のソロでギター弾き語りにする―――

それくらいやってくれれば、一説には近藤真彦をトリにすると言われる今年の紅白にも、そして星野源という音楽家にも、十分に満足できるはずだ。



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20151206/M-1グランプリ2015直前予想~「松本人志がいないM-1」による「漫才回帰」への期待。

審査員のラインナップを見て軽く興奮した。そして「これはなかなかいいぞ」と思った。

・中川家・礼二
・ますだおかだ・増田英彦
・フットボールアワー・岩尾望
・ブラックマヨネーズ・吉田敬
・チュートリアル・徳井義実
・サンドウィッチマン・富沢たけし
・NON STYLE・石田明
・パンクブーブー・佐藤哲夫
・笑い飯・哲夫

すべて、M-1過去優勝コンビの「ネタを作っている方」から選ばれている。この選択が「いいな」と思う理由は3点。1つには、経験者だからこその「漫才愛」に溢れた採点をするであろうこと。2つめに、審査員同士の関係性がフラットで、例えば、松本人志の笑いが他の審査員に影響を与えるような「相互作用」がなさそうなこと。

そして3つめ。そんな巨大な存在感を持っていた松本人志がいないこと。

たとえば「第1期」ラストとなった2010年の審査員は、島田紳助、松本人志、南原清隆、大竹一樹、渡辺正行、宮迫博之、中田カウス。このいびつさ、「フラット」の対義語としての凸凹さはどうだろう。今年の方がよっぽど健康的である。

「松本人志がいないM-1」。これは審査に強烈な影響を与えると思う。松本人志が偏愛したラディカリズム。トラッドなしゃべくりではない、イノベーティブな漫才を珍重する空気。それが「第1期」M-1を通底するコンセプトだった。

M-1経験者による審査、それも、真横に松本人志がいない空気で採点される「第2期」M-1の第1回は、「漫才回帰」「原点回帰」の空気が発生するのではないか。そう考えた上での、結果予想はこうなる。まずは敗者復活。「**」が復活予想イチオシ。「*」はニオシ。

・ニッポンの社長
・アインシュタイン
・モンスターエンジン
・チーモンチョーチュウ
・学天即*
・相席スタート
・笑撃戦隊
・かまいたち
・POISON GIRL BAND*
・セルライトスパ
・囲碁将棋
・とろサーモン
・ダイタク
・天竺鼠
・ナイツ*
・東京ダイナマイト
・尼神インター
・トレンディエンジェル
・ダイアン
・さらば青春の光**

さらば青春の光の「キングオブコント」での残念な姿を見るにつけ、実は漫才の方に適性があるのでは?と勘繰るファン心理が正直、先に立っている。ナイツはこういう場所では弱いだろう。学天即もここ一番に弱すぎるのでニオシ。POISONが来れば、今回の大会はがぜん楽しくなる。で決勝。

1.銀シャリ
2.ハライチ
3.さらば青春の光(敗者復活)
4.タイムマシーン3号
5.ジャルジャル
6.メイプル超合金
7.和牛
8.スーパーマラドーナ
9.馬鹿よ貴方は

「漫才回帰」「原点回帰」の空気を我が物とするのは銀シャリだと思う。原点とは言えないものの、ハライチは固い予想。そこから下は正直、判断不能。数年前の感覚で付けてみたがどうか。

とにかく、「第1期」の後期のような、やたらと張りつめた 「コントのような漫才、異常に手数が多い漫才、めまぐるしすぎるテンポ感の漫才」 は、もうこりごりという気分がある。もっと自然で、緩くていいのではないかという気がする。

「松本人志がいないM-1」。それが、自然で緩い、言葉本来の意味での「漫才」の復権に作用すればいい。それ、絶対いい。



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20151129/さようなら、今江敏晃の「無自覚のイノセンス」。

千葉ロッテ・今江敏晃が東北楽天にFA移籍するという。 成瀬善久のときもそうだったが、悲しみや切なさがぐっとこみ上げてこないのはなぜだろう。むしろ、新戦力の台頭を心待ちにするような晴れやかさである。

もちろん、二度の日本シリーズの大活躍をはじめ、とても印象に残るプレーを見せ続けてくれた。「この10年間のマリーンズMVP」というアウォードがあるとすれば、それは今江と里崎の争いとなることだろう。

野球少年がそのまま大人になった感じ。ピュアでポジティブで、そしてイノセント。マリーンズという、(一見)地味で陰気な選手が多いチームの中で、その陽性のキャラクターが果たした功績は非常に大きい。

だが、また面倒くさいことを言い始めるが、そのような今江独自のイノセンスや、そのイノセンスがもたらす意味や価値について、彼は無自覚過ぎたのではないか。

そう、なぜ彼が、いっぱしのチームリーダーたりえなかったか、という話をしている。本来ならば、チームを叱咤し激励し、そして統率する、チームリーダーになれる素養は十分にあったにも関わらずである。

そもそもが、優しく温和な人なのだろう。二重にも三重にもひねくれて、芝居がかったパフォーマンスで悦に入る西岡剛(これは半分くらいは褒め言葉)とは違い、すくすくと育った人なのだろうと思う。

ただ、だとすれば、そのような経緯の中で生まれたイノセンスをしっかりと自覚し、陽性のキャラクターで、浦和に巣くうおっとりとした若者たちを、ぐんぐんとけん引する役割を果たすべきだったと思う。

まぁ、監督の側も、心理的ストレスの少なそうな下位打線に置いて(9番打者のイメージが強い)、自由気楽にプレーさせ、彼特有の、思想の無い初球打ちなどを大目に見続けたことも、彼の自覚形成を阻んだような気がするのだが。

思い出すのは、2005年の日本シリーズである。特に第一戦。1番・西岡、2番・今江。第一打席にホームランで、第二打席にセーフティバント。

訳あってさきほど、そのときの映像を観たが、イノセントというより、自由奔放。元気とアイデアのかたまり。あのときの今江から、「奔放さ」=「やんちゃさ」だけを置き去りにして、今の彼がある。果たして、野球的な自覚がより強く要求される2番打者として使い続けていれば、どうなったのだろう。

それでも、2度の日本シリーズで魅せてくれた今江には感謝しかない。

千葉ロッテはいま転換期にある。今江の移籍を契機に、(鈴木)大地、大嶺(翔太)、(平沢)大河という若手からなる「大きな内野陣」が形成されればと期待する。これに中村(奨吾)と高濱(卓也)も加えて、「大きくて、いや中くらいか、でも高い内野陣」でもいい。

そして、そんな内野陣が、それこそ自由奔放に、やんちゃに活躍しても優勝に届かなかったとき、はじめて今江への喪失感を強く感じることだろうと思う。

以上、強がっているわけではない。これが、流出に慣れ親しんだパ・リーグファンの思考なのである。

参考:
「20141013/来季マリーンズ編成試論~「四番ファースト・今江」という発想。」



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20151123/結論。やっぱり「はっぴいえんど中心史観」からの脱却を。

昨日の下北沢B&Bでのイベント(ありがとうございました)でも話したのですが、最近よく思うのは、日本音楽(ロック)評論界を覆う「はっぴいえんど中心史観」が、物事を見誤らせているのではないかということです。

特に『ミュージック・マガジン』『レコード・コレクターズ』などの雑誌が日本ロック史を取り上げる場合、その偏狭な史観に囚われていることが多い。

「すべては『風街ろまん』から始まった」。そういう言説は、なんだかもっともらしいし、そして(これが本質的問題だと思うのですが)、そういう言説を語っているほうが、ちょっと知的な感じがする。

その「知的な感じ」を補足説明をすれば、かまやつひろしや吉田拓郎、矢沢永吉、桑田佳祐を語るより、大滝詠一や細野晴臣を小難しく語るほうが知的だということです。

『日本のロック名盤ベスト100』(川崎大助・講談社現代新書)という本があって、洋楽との関係から、日本ロック史を検証していくという面白いアプローチの本なのですが、ここでも、はっぴいえんど『風街ろまん』を、「日本語のロック、最初にして最大のブレイクスルー」と、神棚にでも上げるように持ち上げた上で、グループサウンズ(GS)について、こう書いています。

―――当時GSとしてデビューした人々は「音楽を知らない者が多すぎた」のだと言えるのではないか。芸能人になりたかっただけで、「スター」になりたかっただけで、そしてそれは、このあともずっと、芸能界や歌謡曲界に近いところにいる、日本のポップ歌手の最大の特徴にもなっていく。

つねに「市井の熱心なリスナー」の足元にも及ばない貧弱なる音楽的教養と、本質的な意味での音楽への敬意を書いた姿勢のもとで、ただただ「注目を集めたい」「自分の歌」だけをうたいたい、という情動にのみ突き動かされては、楽器を抱えて人前に出ていく者こそが「商業音楽界にデビューしたい者」の典型的なタイプとなっていく―――

これはなんと散々な書かれ方。やや難解な言い回しですが、解読すればするほど、たとえば沢田研二のファンが読んだら卒倒しそうな表現と言えるでしょう。この文章の前では、沢田研二だけでなく、萩原健一も、デイブ平尾も、鈴木ヒロミツもみそっかすです。

たしかに、はっぴいえんどとGSのあいだには、音楽的に大きな差があるかもしれないけれど、「はっぴいえんど=音楽的で知的な日本ロックの始祖、GS=音楽性も知性のかけらもない日本ロック史のクソ」という捉え方をしていると、見えてこないものが沢山あるのではないか。

・まず、アルバム『スパイダースNo.1』の驚くべき独創性。
・GS4大作曲家(すぎやまこういち、筒美京平、鈴木邦彦、村井邦彦)による、洋楽的ハーモニーの導入と普及。
・萩原健一、鈴木ヒロミツらによる、日本語ボーカル発音のイノベーション(大滝詠一の先駆)。
・特にゴールデンカップス、モップスに代表される演奏能力の進化。
・そして、そこから約50年間、日本の音楽界の第一線を張り続ける沢田研二のデビュー。

これら、GSブームが遺したロック的功績の上に、はっぴいえんどを、『風街ろまん』を置かなければ、空っぽな歴史観になると思うのです。さらにいえば、はっぴいえんどは、かまやつひろしや吉田拓郎、矢沢永吉、桑田佳祐は、並列に語られなければいけないと思うのです。

実は、ワタシが『1979年の歌謡曲』を書いた動機の1つとして、「はっぴいえんど中心史観」をゴダイゴやオフコース、サザンの方向に是正したいというものもありました。

以下参考:上と同じようなことを、この数年、何度も何度も書いています。

20080303/北中正和『Jポップを創ったアルバム』批判。

20100220/週刊文春『80年代懐かしの邦楽名盤』批判。

20100731/『風街ろまん』は本当に日本ロック最高の名盤なのか?

20100805/『風街ろまん』は本当に日本ロック最高の名盤?(2)

20100828/日本のロック/フォーク・アルバムベスト10(60~70年代版)を作ってみる。

20101002/ロックンロールとしての吉田拓郎。

20120520/日本語ロック第1号はスパイダースの《ヘイ・ボーイ》である。

20120528/「広島風ボーカル」の歴史的意義について。

20130727/吉田拓郎のもっと大きな功績について。



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20151115/初期のサザンオールスターズが、好きで好きでたまらない。

さてさて。『1979年の歌謡曲』宣伝行脚はまだまだ続きます。次回は来週日曜日、快著『タモリと戦後ニッポン』(講談社)を拝読させていただいた近藤正高さんと、初対面・初イベントです。三連休の中日ですが、下北沢B&B、ぜひお越しください。

で、『WOWOWぷらすと』での西寺郷太さんとの舌戦(?)や、昨日の『さばのゆ歌謡選抜』(ありがとうございました)など、最近の行脚で、いろいろと「79年歌謡」話をさせていただいております。するとなぜか決まってサザンオールスターズの話になるわけなのです。

理由を考えてみると、ワタシが「79年サザン」(本にも書いた、《いとしのエリー》《思い過ごしも恋のうち》《C調言葉に御用心》の「三部作」の時代)を過度に愛好していて=88年以降のサザンに冷めていて、かつ、そういうリスナーは実は世間では珍しいからかな、と思い始めました。

だから、世の中の「サザン観」とのズレが生じ、結果として、そこが論点になるという構造ではないかということです。

山下達郎が「ビートルズは初期に限る」と発言するのと、おそらく同じような意味合いで、ワタシは「サザンは『KAMAKURA』までがいちばんイイ」と言いたいと思います。以下、ワタシなりに、そういう思いを持つ理由を述べておきます。

(1)当時のニューミュージック界の中で、圧倒的に独創的な楽曲のクオリティを保持していたこと(主にリーダー・桑田佳祐の功績)。

(2)しかし、桑田佳祐というリーダーの独裁ではなく、サークル乗りで、民主主義的に作られている結果としての、いい意味での素人感が、音楽としての垣根を下げていること。

(1)は周知の事実。ポイントは(2)。ここをどれほどポジティブと捉えるかで、初期サザンへの評価が違ってくると思います。ワタシは(2)を高く高く評価していて、そして、(1)と(2)の掛け合わせた値が最も大きい楽曲としての《メロディ~Melody》を最高傑作だと思っているのです。

そして、「タモリと戦後ニッポン」に似せた言い方をすれば、「サザンと戦後ニッポン」という言い方も成立すると思います。大げさに言えば、サザンとは、戦後(たった)33年目に、戦後民主主義が生んだバンドと言えると思うのです(近藤さんには、『サザンと~』という次回作をお願いしようと思っています)。

さて、『KAMAKURA』までを「初期」とすると、「中期」(90年代・《TSUNAMI》以前)はアルバム『Southern All Stars』から始まります。ここのクレジットに「Co-Arranged by TAKESHI KOBAYASHI」という表記が。

そうです。「中期」は小林武史を引き連れて発進したのです。例えば、《YOU》や《さよならベイビー》あたりの、キラキラしたデジタルサウンドは、多分にザ・小林サウンド(本件について【追記】あり=下記)。で、桑田佳祐が、小林武史を便利に使い、緩やかで賑やかな民主主義を放棄したのが「中期」だと思うのです。

田中康夫と桑田佳祐に感化された世代による「ぼくたちの時代」構想。
すべての人がタモリのように年を取る「温和国家」ニッポンへ。

「反知性主義」「マッチョ」の対極にある、軽薄で、そしてポップな桑田佳祐、そしてタモリに代表される、緩やかで賑やかな戦後民主主義。

とても大げさに言えば、そういう空気が強く立ち込めている、『KAMAKURA』までのサザンオールスターズが、好きで好きでたまらないのです。

【追記】上記、小林武史のくだりについて、なんとあのノーナ・リーヴス西寺郷太さんより、ツイッターで直々に指摘をいただきました。「キラキラしたデジタルサウンド」には、小林氏というより門倉聡という方のコミットメントが大きいとのことです。いい加減なことは書けません。ありがとうございました。

@suziegroove 例えば、《YOU》や《さよならベイビー》あたりの、キラキラしたデジタルサウンドは、多分にザ・小林サウンド。 ってのは事実誤認ですから訂正した方がいかもです。NONA REEVESで二作プロデュースしてもらった門倉聡さんがイニシアチブをとった曲なので。

@suziegroove 当時若手だった小林・門倉の天才ふたりと熟成期に突入し新機軸を探した桑田さんがある種の覚醒を起こしたんでしょうね。特に《女神達への情歌》《忘れられた Big Wave》は今も僕は大好きです。なので、小林さんと門倉さんを分けた方が正確な論評になります。

@suziegroove 多分、スージーさんは小林武史さんより、門倉さん独特の「プロフェッショナルAOR」感が嫌いなんじゃないかなと思います。僕は、2000年代になっていわゆる「渋谷系」の音楽が一度下火になった時、その時期のサザンを敢えて目指したい、と門倉さんと組みました。

@suziegroove 門倉さんは幼少期からピアノとシンセサイザーの英才教育を受け、東京芸大音楽学部作曲科卒業のエリート。《さよならベイビー》《女神達への情歌》《忘れられた Big Wave》は編曲がバンドと門倉さんクレジット。《YOU》も門倉色強いです。僕は好きですよ。

@suziegroove 今、改めて確認したら《さよならベイビー》には小林さん全然関わってませんね^^。なので「ザ・小林サウンド」ではなく「プロの編曲家サウンド」、そういう表現が正しいかもしれません。せっかく意義があることを仰っているので事実は正確な方がご主張が今後通るかと^^。



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20151108/新妻聖子・上杉雄一・本間将人・山本幹宗……今後、注目すべき音楽家たち。

まずは最初に告知です。いよいよ明日、「WOWOWぷらすと」に出演します。テーマは「79年の歌謡曲」。ありがたいことです。同年優勝の近鉄バファローズのユニフォームで行こうと思っています。ニコニコ生放送で観れますので、よろしくお願いします(下記画像は前回出演時のもの)

さて最近、自著『1979年の歌謡曲』の話ばっかりで、新しい音楽について、まったく語っていなかったので、音楽評論家としてはどうかと思い、逆に、最近知った何人の音楽家を「先物買い」したいと思います。

とは言え、ワタシが知らなかっただけで、世の中的には、すでに知名度がある方もいらっしゃるようで、「先物」という言い方が外れていれば、先に謝っておきます。

(1)新妻聖子/ボーカリスト

NHK BSの番組で新妻聖子という歌手を知る。歌がびっくりするほど上手い。夏川りみを継ぐ存在になれる可能性あり。こういう人こそ、ミュージカルやクラシック、ジャズではなく、ポップスを歌うべきだと思う。JUJUや、平原綾香の方角ではなく、ぜひ夏川りみの方角へ。

BSプレミアム『あなたに名曲!“秋うた”セレクション』という番組で「発見」。その番組には夏川りみも出ていたのだが、夏川と拮抗する、もしくは頭一つ抜け出るようなボーカルを聴かせてくれた。

声が、いい意味で細くって、ポップスにも合うと思う。周りのスタッフは、ジョニ・ミッチェルやジャニス・イアンあたりを、是非たくさん聴かせてあげてほしい。

(2)上杉雄一/サックス・プレイヤー

岡村靖幸@中野サンプラザの追記。演奏面でのMVPはサックスの上杉雄一という人。アルト/テナーサックスのソロが抜群。バックの演奏にこれほど聴き惚れたのは、1994年の、同じく中野サンプラザ、山下達郎のバックで賑やかしいソロを奏でていた佐橋佳幸以来だと思う。

1990年のパルコ劇場以来(!)、久々に観た岡村靖幸コンサートにおける釣果。岡村氏のクリエイティブなボーカルに負けず劣らず、自由奔放なソロを縦横無尽に繰り出していた。

サックス業界はよく知らないが、こういう自由な発想のサックスを吹く若者が出てきたのかと驚く。佐野元春のバックバンド、ハートランドにおけるダディ柴田の位置にいる。

(3)本間将人/サックス・プレイヤー

9/25のNHK、矢沢永吉『SONGS』。『黒く塗りつぶせ』のビッグバンド・アレンジが良く、中でも痩せた男性の独創的なアルトサックス・ソロ。ああいうのは、せめてエンディングに名前を出してあげるべきだ。確かに注目した視聴者がいたことを、微力ながらココに書いておきたい。

(続)先ほどの素晴らしいアルトサックス・プレイヤーはこの人かもしれない。本間将人さん→ http://ameblo.jp/bnr32sax/entry-12073247938.html

サックス業界で注目すべき人はもう一人。こちらは、矢沢永吉のバックで見事なソロを決めたのを発見し、地味に検索してたどり着いた。

もしかしたらサックスという、ジャズとロックの結節点となる楽器において、ロックの影響を強く受けることで、ジャズのスケールやモードに縛られない新しい感性が、生まれ始めているのかもしれない(菊地成孔の影響もある?)

(4)山本幹宗/ギタリスト

NHK「ザ・レコーディング」のくるりの回。素晴らしいセンスのギタリストがサポートしていて、調べたら山本幹宗という人らしい。検索したら彼のツイッター( @the_cigavettes )が出てきて、内容はホークスの話題で持ち切り。ファンになりそうだ。

逆に、ギタリストで、上に書いたような驚きを感じさせる人は、さすがにもうそんなにはいないのだが、この山本幹宗氏のギターにはシビれた。ちょっと前のオンエアなので、完全には覚えていないが、とても独創的なソロを弾いた記憶がある。引き続き期待。



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20151101/ MBS『ヤングタウン』の屋台骨を作った「関西清潔フォーク」は何処へ?

「関西清潔フォーク」は、さっき作ったワタシの造語。具体的には、1960年代後半に、一瞬だけ花開いたムーブメントで、具体的には、ザ・フォーク・クルセダーズ(フォークル)近辺(シューベルツ、ジローズなど)の音楽を指す。清潔で、上品で、ユーモアにあふれていて、逆に、政治的メッセージ成分はほとんど含有されない音楽を指す。

キッカケは嘉門達夫の小説『丘の上の綺羅星』、そして、そこで言及されている、MBSラジオ『ヤングタウン』の生みの親、渡邊一雄氏の『ヤンタンの時代。』を読み直したことにある。

いきなり余談、ちなみに『ヤングタウン』、通称「ヤンタン」は、ワタシが小学生の頃、熱心に聴いていた深夜番組で、ワタシは、小学校6年生までに、この番組のすべてのノベルティ=「ヤンタンバッグ」「ヤンタンキーホルダー」「ヤンタンステッカー」をすべて手中に収めた、天才ハガキ職人少年だったことを自慢しておく。

さて、『ヤンタンの時代。』によれば、記念すべき最初のゲストがフォークルだったと書かれている。つまり、「ヤンタン」は、フォークルとともに生まれているのである。さらに言えば、「ヤンタン」の屋台骨を作ったのはフォークルであり、「関西清潔フォーク」なのである。

すごいのは、1970年の夏、渡邊氏を中心に、加藤和彦、北山修、谷村新司ら、当時の関西フォークの一行34人が、カナダからメキシコまでの北米縦断バス旅行をしたと書かれていることである。さらにはその道中で、加藤和彦とミカは結婚式を挙げたらしい。歴史的な旅行だ。

ここで、残された数少ないフォークルの音源を聴く。清潔で、上品で、ユーモアにあふれていて、逆に、政治的メッセージ成分はほとんど含有されない「関西清潔フォーク」(別に政治的=下品と言いたいわけではないが)。当時《イムジン河》は発禁だったのだから、なおさら清潔感だけが強く漂う。

フォークルや、はしだのりひことシューベルツ(《風》)、ジローズ(《戦争を知らない子供たち》)らは、「清潔」感があったからこそ、人気を獲得したのだろうと思う。推測するが、岡林信康や高石友也に熱狂した、汗臭い長髪の男子大学生ではなく、たとえば大阪女子大あたりに通っている、紺色のセーターにメガネをかけた、垢抜けないインテリ女子大生らがターゲットだったのではないか。この客席のような。

「関西清潔フォーク」のムーブメントは、なぜ消えてしまったのだろうか。

「関西清潔フォーク」の代表作は、傑作《あの素晴らしい愛をもう一度》だと思う。明朗で、でも、ちょっとだけセンチメンタルなメロディと歌詞。そして何といっても、シンプルゆえに、みんなで歌いやすい曲調。あの曲のような、とてもキュートな楽曲が、持続的に生み出されなかったのは、なぜだろう。

普通に考えれば、それは、岡林信康や高石友也、そして彼らを制圧した吉田拓郎、さらには井上陽水、南こうせつ……と言った、反戦や、情念、生活感を前面に出す、「リアリティ・フォーク」(造語)のほうがインなものになっていく過程で、「関西清潔フォーク」は、何だか、唱歌やわらべ歌のようなアウトなものに見えてしまったのだろう。

そして、そういう空気を察知して、機を見るに敏な加藤和彦は、サディスティック・ミカ・バンドを結成し、「リアリティ・フォーク」を乗り越えるような、音楽主義な戦い方を挑むわけなのだが。

でも今、音楽本などで、「関西フォーク」と言えば、それはイコール、岡林信康や高石友也、高田渡になってしまうのは、いささか乱暴ではないかと思うのだ。

ウィキペディアの「関西フォーク」の項にも、「1960年代後半から1970年代初頭にかけて、関西から生まれたフォークソングにメッセージをのせたプロテストソング及びその全国で旋風をおこしたムーブメントのこと」と一刀両断している。

そして、せめてあと10年、いや5年くらい「関西清潔フォーク」のムーブメントが続いていたら、加藤和彦は、日本の音楽界に、もっとしっかりとした地盤を築き、そして、つまらない死に方をすることも無かったのではないか、と妄想は広がるのである。

ただし、そうなっていると、MBS「ヤンタン」も、もう少し上品な番組として持続していたことになり、小学生の分際で、下品なネタを投稿していた天才ハガキ職人少年も、生まれなかったことになるのだが。

最後に繰り返し告知です。『さばのゆ歌謡選抜』の第2回やります。今度は土曜日、11月14日の18時から。我が新刊『1979年の歌謡曲』発売イベントも兼ねます。ご予約は、名前と人数を「sabanoyu@gmail.com」に送信するか、ワタシにメールを。



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20151024/マリーンズ応援団長・ジントシオ氏との少しばかりの思い出と感傷。

さて、今日からいよいよ、日本シリーズが始まるが、ちょうど5年前のシリーズの最終戦の12回表、岡田幸文の勝ち越し三塁打の直前という土壇場、テレビの中継で一瞬、こんなシーンが映った。

「パ・リーグの代表として、和の集大成で恥じない試合を」。「和」は当時の監督・西村徳文が打ち出したスローガンで、それを挟む「パ・リーグの代表として」「恥じない試合を」というフレーズが素晴らしい。

なぜこのシーンを覚えているかというと、録画したこのシーンを何度も何度も観ているからでもあるのだが、加えて、この1年前に起きたある事件と関係しているからなのだ。

1年前の2009年のシーズン終盤。ある直截的な表現の横断幕を掲げた応援団に対して、ヒーローインタビューの場で西岡剛が抗議。そこからバタバタと一気にコトは進んで、詳しくは知らないが、応援団が解散。そのたった1年後に、ここまで品格のあるフレーズが生み出されたのだ。

2010年、古巣のマリーンズ応援団に復帰。そして1から応援団を組成・蘇生したのが、ご存じジントシオ氏。この品格のあるフレーズに象徴される、ある「健康的な雰囲気」を、ライト席、そしてマリーンズ・ファン全体に広めた立役者。

そのジントシオが、このたび応援団長を辞任、それどころか、応援団も退団するという。

直接的に知り合ったのは翌年のシーズン当初。震災の関係で開幕が遅れ、平日のデーゲームのイーグルスが開幕戦になるという話を聞き、ワタシが発案したこのポスター企画に関するミーティングで対面したのだ。

そこから、個人的に飲んだり、東京カルチャーカルチャーのイベントでご一緒したりと、頻繁ではないものの、何度かお会いし、野球や音楽について語り合った。もちろん球場でも何度となくお見かけした。

ジントシオの大きな功績の1つは、応援歌の作曲家としてである(実際は複数のメンバーで分担して作っているらしいが)。アイデアの無い、昭和の感覚を引きずったプロ野球応援歌が未だに多い中、カラフルなメロディとリズムの、独創的な応援歌を量産したこと。

中でも、清田育宏の「転調する応援歌」は、ある意味、ポール・マッカートニーの水準である。また《マリンに集う我ら》のサビも然り。あれらのメロディを聴くために「マリンに集」ったといっても過言ではない時期が、ワタシには確かにあった。

そして、そのような音楽性を真ん中に据えて、先に述べたような、ある健康的な空気感を持った応援スタイルを確立したこと。「プロ野球の応援団」は一般に、いろいろとネガティブなことを言われやすい存在だが、少なくともマリーンズ応援団は、ワタシのような「1階内野席の後段派」にとっても誇りである。

それにしても、退団はあまりに惜しい。個人的に伝えたこともあるのだが、ワタシは彼に、「日本のハリー・ケリー」になってほしいと思っていた。

ハリー・ケリー。スポーツ・キャスターにして、シカゴ・カブスの本拠地、リグレー・フィールドで、《Take Me To The Ballgame》を歌う・がなるオジサン。ぜひ、この多幸感溢れる映像を観ていただきたい。

これが出来るのは、ジンさん、アナタしかいません。でも、ひとまずはお疲れ様でした。

最後に告知です。『さばのゆ歌謡選抜』の第2回やります。今度は土曜日、11月14日の18時から。我が新刊『1979年の歌謡曲』発売イベントも兼ねます。ご予約は、名前と人数を「sabanoyu@gmail.com」に送信するか、ワタシにメールを。



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20151017/新刊『1979年の歌謡曲』に込めた思い~音楽評論には「実証」と「妄想」が必要だ。

さて、いよいよ来週、新刊『1979年の歌謡曲』が発売されます。自信を持ってオススメします。すでに出来上がっています。

目次はこんな感じ。

さて、中山康樹氏が亡くなっていたことを、つい先ごろ知りました。ワタシは彼の、一曲一曲、丹念に聴き込み、そこの積み上げから、実証的・建設的に評論していくスタイルに影響を受けています。まずは、そういうスタイルを自分でも試してみたかったのです。

なので、目次にあるように、1979年にヒットした曲を、発売順に一曲一曲聴き込み、そして、そんなミクロな分析を総合したかたちで、マクロな分析をするというスタイルを採用しました。そういう意味では、中山康樹に対するオマージュと言えます。

そして、影響を受けた音楽評論家と言えば、やはり70~80年代の渋谷陽一。最近は、「音楽評論記事」と「音楽PR記事」の境目がとても曖昧な時代です。いや、ほとんどが後者で、前者なんてのは、今や20世紀の遺物という感すらあります。

そんな中、昔の渋谷陽一のように、いい=悪い、神=クソを一刀両断するスタイルの、(ワタシにとっては)真の評論を書きたいと思っていました。上記のような「一曲一曲」の中には、いい=悪い、神=クソが混在しています。それを★の数で評価するという、ギリギリなこともやっています。

そしてもう一つ。個人的なこだわりなのですが、実証的なアプローチの上に「妄想」をトッピングしたいと思ったのです。

実は、最近の意識的な音楽本は、実証性に富んだものが多い。参考文献のページが数ページに渡ったり。そしてそれは言うまでもなく、ネットの普及が影響しています。

それは、基本的にはとても好ましいことなのですが、反面、書き手(この場合は「聴き手」)の属人性・独創性が損なわれている感じもするわけです。

ワタシが意図したことは、実証的に情報を集めることに加え、そこに、「聴き手」としての主体性としての、「こうだったんではなかろうか」という妄想を組み込みたいということです。

「チューリップ《虹とスニーカーの頃》は、オフコース《愛を止めないで》への返答ではないか」

「映画『太陽を盗んだ男』でつかんだ手ごたえが、沢田研二にパラシュートを着せたのではないか」

「阿久悠の休筆には、『勝手に』『シンドバッド』という自作のパロディで出てきた桑田佳祐が影響しているのではないか」

こういうことは、別に妄想をせずとも、本人たちにインタビューをしたら分かることです。ただ、インタビューが物理的に困難であることに加え、むしろ、妄想こそが、「聴き手」が持つ主体的な権利であり、かつ格別の楽しみだと信じて、あえてそれを文章に残すのです。

「妄想しながら音楽を聴くのは楽しいよ」。今、すべてがネットで判明する時代に、音楽市場から失われている「妄想力」の復権を、裏コンセプトとしながら書いた本です。ぜひお読みください。



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20151012/新刊『1979年の歌謡曲』Facebookページ完成!と最近のお勧めコンテンツ。

スージー鈴木著『1979年の歌謡曲』(彩流社)を一冊でも多く売るための手弁当Facebookページです。約50の手習いで、ワタシが一から作りました。商業出版は売れてナンボ。ですので、何とぞ「いいね!」ご協力お願いいたします。

と、これだけだとなんですので、久々に「最近読んだ本・聴いたCD」と「ひとこと感想」をまとめておきます。

■『パ・リーグ激動の昭和48年』佐野正幸

「好評既刊の新装本。これを読むと今のパ・リーグがいかに恵まれているかが分かります。」

■『昭和歌謡ポップスアルバムガイド 1959-1979』馬飼野元宏

「いやぁ、アルバムというのは、盲点でした。」

■『プリンス論』西寺郷太

「最近多い、単なる研究本ではなく、西寺氏の実体験が絡められているので深みがありますね。」

■『創られた「日本の心」神話~「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』輪島裕介

「ここでも取り上げました。抜群に面白いですね。必読。」

■『NIAGARA MOON -40th Anniversary Edition-』大滝詠一

「ライブでの軽妙な大滝氏の歌声は、イメージと十分に異なります。難しい顔をしてナイアガラを『研究』することが、いかに馬鹿げているかという気になります。」

■《Otherside/愛が止まるまでは》SMAP

「最近の大当たり。#1よりも、ゲスの極み乙女による#2が最高です。」

■『タモリと戦後ニッポン』近藤正高

「徹底したデータで攻めてくる。これまでのタモリ本が一気にくすんで見えてきます。次回は、『桑田佳祐と戦後ニッポン』を期待。」

■『ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い』西寺郷太

「こちらもオススメ。でもこの人の場合、『噂のメロディ・メーカー』のような小説仕立ての方が読みごたえがあるかも。」

と来て、最近のオススメ曲を2曲。

■《Angels of Fanway》James Taylor

「レッドソックスの優勝を病室のベッドで観て亡くなった、ジェームス・テイラーのお祖母さんの歌、泣けます。」

■《SOS》SEKAI NO OWARI

「そして、この素晴らしい若い才能。こういう曲がチャートを賑わしてくれるととても面白い。」



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20151004/今季のマリーンズは、やっぱりちょっと違った(ペナントレース総括とCSに向けて)。

祝!クライマックスシリーズ進出。

今季は、いや、今季も、ほとんど戦略的な補強がなされず、「まぁ、良くて4位だろうなぁ」という低いココロザシの気分だったが、とは言え、ココに書いたように、「もしかしたら?」という気分もあった。

20150405/今季のマリーンズはちょっと違うんじゃないかという期待。

ここで書いているのは、主に、野球そのものではなく、イベントや掲示物など、「側(がわ)」の話なのだが、マリーンズの、いわゆる「ゴールデン・イヤー」は、そういうところで、ちょっとしたセンスを感じたときに始まると信じていた(過去には、少しばかり、それに加担したこともあったし)。

MVPは、清田育宏。怒涛の高打率を残してから、さすがに打率を落としたものの、しっかり3割をキープ。それだけでなく、ファールの多さ(記録は調べていないが、角中と並んですごく多いと思う)や、守備範囲の広さなど、多面的な活躍をしたと思うので。

ちなみに、陽性のキャラクターがいないことが、それこそ「側(がわ)」の話のように見えて、マリーンズの、結構本質的な弱点だと思っている。スタメン唯一と言っていい陽性キャラの清田は貴重。早く、何かニックネームを付けてキャラ付けをした方がいい。

準MVPは涌井秀章。メンタルがまったく顔に出ない人だが、数年見つめていると、彼のメンタル面での変化・成長が手に取るようにわかる。今季は気持ちの中で、自覚が高まったのではないか。自覚―――ここでは「野球愛」みたいな意味。今季は、昨季までよりも、ピッチングを楽しく感じていたと思う。

マリーンズの投手コーチ陣は、ファンから、まったく評価されていない空気だが、終盤の先発「4本柱」(涌、石、大、チ)の安定感、特に大嶺祐太の覚醒については、投手コーチのとても大きな成果ではないか。

素人のワタシが見ても分かるほど、投球間隔が短くなり、そして、「立ち投げ」と言ったら響きは悪いが、まるでキャッチボールをするかのような力感の無いフォーム(全盛期の岩本勉みたい)。ピッチングを楽しく感じたであろう涌井に対して、大嶺は、ピッチングをシンプルに、楽なものとして、再解釈したはずである。

また、大嶺のピッチング改革に、石川歩の影響もあると思う。石川歩のシンカーを軸とした緩急を見て、「これまで俺は、何をテンパっていたのだろう?」とピッチングを考え直したのではないか。いずれにせよ、今季の変化率・成長率No.1は大嶺だ。

そして、今季のNo.1プレーはこれ。交流戦、6月2日の阪神戦(甲子園)、9回表2死フルカウントからの、角中による逆転満塁ホームラン!

相変わらず、クライマックスシリーズ(CS)に対して、批判的な言説を振りまく人が、特に球界関係者・経験者に多いのだが、消化試合を一気に減らし、そしてCSで抜群の興行収入を生み出せるシステム。安物の政治家みたいに言えば「対案を出せ」と言いたくなる。

世の中には、「まぁ、良くて4位だろうなぁ」という好きなチームが、一時は3位から7ゲーム離され、そして終盤、ケガ人が続出しながらも、CSがあるからと応援し、そして今日、CS進出を決定して、こんなに喜んでいるファンがいる。

「3位決定」という、ホークスやスワローズのファンからすれば、スプーン一杯ほどの小さな幸せに狂喜している人がいる。

そして「CS進出」という、スプーン一杯ほどの小さな幸せが、もしや日本一という、金色(ゴールデン)に輝く大きな幸せになるかもしれない。札幌、福岡、そしてセ・リーグ、首洗って待ってろ。

もう少し、夢をつながせていただく。ワタシは千葉ロッテマリーンズのファンである。



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