【スージー鈴木物語】

特別編:"Suzie A Go Go" meets "Go Go Niagara"


 *最初に。今回は、イキオイあまって長い文です。プリントアウトして読むのがよろしかろうと思います。
 *また、事情が掴めていない方は、まず下記のページを見てからお読みになるのがよろしかろう、です。

 *ただ、簡単に言えば、2/7、FM横浜で放送された「彼」の番組への「潜入記」でございます。


 近すぎた。

 もうあと、何メートルかあったなら、心の準備が出来て、もうちょっと粋な会話も出来ただろうに。
 番組内でもピーターバラカンさんが言っていたが、ブース(いわゆる金魚ばち)の中ではなく、調整室にテーブルが持ち込まれ、加藤美樹さん、ピーターさん、そして彼が座っている。マイクもセッティングされている。つまりはブースを使わずに調整室から放送するつもりのようだ。ラジオ業界に「片足だけ」踏み入れて10年になるが、こんなデタラメなセッティングは初めてだ。そして、ドアの近く、一番近くに彼が。

 彼に逢うために色々仕組んだ。我が「スージー・ア・ゴーゴー」においても「番宣企画」と称して彼の作品を取り上げた。今回の彼の番組のディレクター佐藤氏にもネゴしておいた。そして当日、ランドマークに向かう。スタジオはBだ。ブースの中に彼がいるはずだ。ドアを開けて、まず、遠巻きに見ようか、と思っていた矢先、目の前にドーン!

 「君がスージー鈴木か。君、自分が有名人って言ってたけど、ここにいるスタッフ、誰もしらないよ〜」

 専制攻撃である。自分の名誉のために言っておくが、彼に対して、自分が「有名人」であると誇った記憶は、ない。いや、あるわけないでしょ、そんなの。しかし、今、あるのは「ヤラレタ」という事実だけである。とにかくスタジオのドアに最も近いところに鎮座ましまし、目の前にドーン。私と彼、間隔1メートル。イキナリ「近すぎた」。"ベイビー接近遭遇"だ。

   *さて、彼とは誰?下の絵を参考に答えよ(ヒント:ホテルニュージャパン横井社長ではない)

 彼、言うまでもないあの人である。「出会いは七不思議」なのだが、人と違い「ロング・バケーション」「イーチタイム」から入ったのではなく、1984/7に出版された自由国民社「ゴーゴー・ナイアガラ」が彼との出会いである。だから認識は「歌も歌う評論家」という感じだった。高田馬場の大学(彼もここに「入学は」したようだ)に入って、中古レコード屋で買った「ゆでめん」。衝撃的。そこから辿っていった。明らかに私は「細野派」ではなく「大滝派」だった。未だに彼の何が私を魅きつけてきたのか、よく分からない。一つだけ言えることは、「歌も歌う評論家」、つまり、音楽ありきの人ではなく、まず(彼の言葉を借りれば)<視点>ありき。そして<視点>を表明するツールとして音楽、DJ、執筆……があるという構造。私はどーもその構造の根っこ、<視点>にヤラれてしまった様である。私はいわゆるナイアガラーとしては見習い程度の知識しかないが、<視点>には影響受けまくった。それ故、その<視点>表明のツールもすべて追いかけねばならなくなった。そんな気持ちになって、既に10年を越えた。

 さて、外見としては、1981年4月発表のソニー盤「ナイアガラ・ムーン」の裏ジャケと同じくらいの「横幅」である。髪もあれ位の長さ。ちょっと太ったかという印象。でもよく考えたらずっと殆ど雑誌にも出てないわけで、「ポップス・オブ・ジャパン」も後向きだったし、実は痩せてあーなったのかも知れない。ヒゲが生えていたことは特筆される。全体に言えば殆ど老けていない。「笑福亭鶴瓶と似てる」説は、現在の段階でも通用するアナロジーであると言えよう。

 びっくりしたのは思ったより能弁なこと。レコード収集家→「オタク」→寡黙という勝手な連想をしていたが、ま、とにかく喋り続ける。それも周りを「盛り上げる」というよりも、淡々と皮肉っぽいことを並べていく。上の発言に続いて、「君みたいな人間を雇っている●●●(私の会社名)もすごいよね〜」とか言われた。しかし、私は接近のショックで二の句が継げない。

   *自由国民社「ゴーゴー・ナイアガラ」1200円。

 番組開始。19:30。加藤美樹さん(美人。思ったよりも長身)もどーも調子が出ないようだ。目の前の「皮肉っぽい能弁屋さん」が気になって笑いながらも顔が引きつっている。私は、調整室内の3人が座るテーブルを取り囲む一群に入れてもらえた。つまりは彼と同じ空気の中、番組終了まで見届けるのである。

 番組冒頭、加藤さんがFM横浜のインターネットのURLを言ったところで、彼がすかさず2発目のパンチ。「間違えてスージー鈴木さんのホームページにメールを出さないように」……彼の口から私の名前が流れていること、それが公共の電波に乗っていること、そー考えると、「粋なリアクション」なぞ、出来るはずがない。ただただリングに埋もれるのみ。

 脱線するが、既に別頁に書いたように泉麻人氏と若干の交流があり、彼が週刊文春のコラムで、「私より10歳歳下のナイアガラマニアの青年、スージー鈴木」というフレーズを書いてくれたことが、間接的に今回の生大滝観察の機会につながるわけだが、泉氏から、ラジオ番組「ゴーゴー・ナイアガラ」のテープ(1976年初頭の放送=同名CD再発時のライナーで泉氏が書いているもの)を聴かせてもらったことがある。そこでの彼のトークは、非常に「スピーディでなめらか」。そのスピーディ・トークは「スージー・ア・ゴーゴー」での私の喋りにも少し影響を与えてるのだが、今回の放送は、そんなスピード感はあまり感じさせない。「のっそりと、やわらか」に喋っている。能弁なのに「のっそり」。この感覚、分かっていただけるであろうか?

 のっそりと喋るだけでなく、番組の進行自体もそうである。細かな構成はまるでない。ピーターさんとウダッと話を進め、その中で話に昇った曲の音源、シングル盤やCDを膝の上で(!)探し、そして、自分でかける。

 音源……言うまでも無かろう。すべて彼が家から持ってきたものである。シングルはスーパーの「100円コーナー」で売ってそうな、黒いプラスティックのカゴに、そしてLPは、かなり前に流行ったデザインの、白い生地の肩かけバッグ(ひものところだけ青)に入れてきていた。ちなみに、その黒プラスチックかごの中には、小林信彦著「現代<死語>ノート」(岩波新書)が入っていた。完璧である。

 進行はあいかわらず、のっそりと続く。曲をかけるのを間違えたり、間違えた上に言うに事欠いて「これが生放送の面白いところ」だって。ウーン。

   *当日、2曲かかったバンド。さてバンド名は?

 途中、別コーナーがあるので、一瞬、出演者全員ロビーに出る。一瞬腰が引けたが、一応言ってみよう。「一緒に写真を撮ってください」……ついに言ってしまった。また、何か皮肉を言われるか?「あっ、いいよ」。おっと肩透かし。交渉成立。彼のデジタルスチルカメラで記念撮影。形にならない家宝を手に入れた気分だ。しかし、彼はホームページに掲示してくれるのだろうか?そうしないと、家宝は無に帰してしまう。気になる……

 番組は更にすすむ。調子も出てきた。写真の一件で私も気がやすらぎ、周りの状況を見れるようになった。近くのインターネット接続のパソコンの様子が面白い。「横浜国大の奴(者)」のメールが続く。さすがにナイアガラーの巣窟。オソルベシ。彼も「またかよ〜」とか嘆いている。「ピーターさん、リバプールの観光名所を教えてください」ってメールが加藤さんに読まれてた。私、ココロの中で「なんなんだ?コイツ、ハキ違えてるぞ」と思ってるとそのメールの続き、「スージーさんの登場を待ってます」だって、ゲーまたネタにされる。いや実際はウレシイけど、ヤバイ!すかさず、彼の一言「スージーはFM横浜の『有名人』なんだって」……皮肉。だからそんなこと言ってないって!

 CM中も常に喋っている。当然リバプールサウンドの話になる。「ごまのはえ」のネーミングの理由も喋ってた。イギリスには「ソンビーズ(死霊)」「キンクス(異常)」みたいな突飛な名前のバンドがあるのだから、という理由で「ごまのはえ」と付けたらしい(脈略があるような無いような)。「でもデビュー曲がスゴイよ、あいつらの。『留子ちゃんたら』だもん。売れるわけないよね〜」と言って笑わしていた。直弟子(?)の伊藤銀次もこーいう感じでネタになるのか。私なんてネタになって当然だなと考え直した。

 番組もエンディングに突入。あー終わりかと思い、若干の淋しさと解放感で息をついているとそのときはやってきた。「FM横浜にまた出てください」というFAXに「スージー・ア・ゴーゴーにゲスト出演したい」とのたまったのである。いや、これ文面だけ見ると、スージー鈴木やったじゃないか!という話になるが、そーではなく、明らかに「オチ」として使われたのである。事実、周りのスタッフは大爆笑。また、私はリングに埋もれる。結局不承、私も「一言」だけ、コメントを喋った。最後の攻撃のチャンスであった。しかし!全く奮わなかった。その様子をリアルオーディオ・ファイルに吹き込んだんで、聴いていただきたい。

   *オンエア同録より抜粋(Realaudio70K)

 全然ダメである。ナサケナシ。放送終了。お疲れ様でした。

 一応ナイアガラー見習いとして、印象めいたことを書かせてもらうと、彼はやっぱり<視点>の人、<視点>師なんじゃないか? 彼を語るときの類型的なフレーズとして「完全主義者」「オタク」「職人」などがあるが、少なくとも今回の放送を生でみた印象として、全くのフツーの喋り方、フツーの雰囲気で物事を進めている。「完全主義者」的な敷居の高さは、全く無い。問題はスタイルではなく、コンテンツである。それもコンテンツの本質である、<視点>の呈示こそが何よりも彼に於て優先事項なのではないか? それが可能であれば、調整室でしゃべっても、無名人スージー鈴木をネタにしても、「のっそりと、やわらか」に喋ってもいいのである。そんなことは末梢的な可変要素なんだろう。問題は「SMAPが現代のあきれたぼういずである」ことが伝わるか否か。

 そんな<視点>に魅了されたことが、私なりの様々な地味な活動の原動力だったわけだ。でもその結果、<視点>を越えて、結局私は、彼の「スタイル」にも因われていたのではなかったか?彼がこんなに瓢々と自由に物事を進めているのに。ちょっと反省した。……おっと、こんなペースで書いていたら、またツッこまれる。モードを戻して、最後は雑談。

 おかしかったのは、別の番組の収録で来ていたサニーデイ・サービスの面々が、びっくりした顔で彼を見つめていたこと。そして、その顔は単なる1ファンの顔に変わる。いっちゃあ何だが、芸能人の顔ではなかった。写真も撮ってもらってた。失礼な言い方になるけど、彼の存在を目の前にすれば、新進気鋭のサニーデイ・サービスも、無名の一般人スージー鈴木も「等価」であるということか?

 サニーデイ・サービスの前で彼はダメ押しで一言。「こいつ(私、スージー)、『うなづきマーチ』をバックに『ペルシャの市場にて』を歌うやつなんだよ!」。私も一言、「それ、逆です……」(上のリアルオーディオに収めた部分でも、彼は「逆」に言っている)。

 それが私の唯一の攻撃だった。ショート後方ポテンヒット程度。4打数1安打。3三振でゲームセット。

 彼は、ノリでサニーデイ・サービスの番組に飛び入りし、またまた言うに事欠いて「4人目のメンバーにしてくれ」と言ってた。サニーデイ「何やります?」、彼「ドラム。昔ドラマーだったんでね」、サニーデイ「あっ、『タブー』!」、彼「(爆笑!)」。さすがサニーデイ・サービス。私なんかより一枚上手。「等価」は失礼だ。(了)


 ……とまぁ、「彼」という代名詞を使うことで自分を冷静にした上で、できるだけクールなペースで書こうとしましたが、やっぱりダメだ。いつものペースで筆を進められない。では、正直モードで追伸。
いやいや、ただ、ただ、ありがとうございました。大滝先生!


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